雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

 青い銀河とオレンジの花 断片資料 5 過去資料 2 「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判  20011102」

2020年12月19日 08時07分32秒 | 青い銀河とオレンジの花

 青い銀河とオレンジの花 断片資料 5 過去資料 2 「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判  20011102」


 〔 過去の残っているボクの文書資料で「自伝 青い銀河とオレンジの花」に参考になりそうなものを掲載していきます。
 自筆でノートなどに残っているものと、パソコンファイルとして残っているものがあります。 


 2001年11月2日という日付は執筆の日ではなく、残っていたテキストファイル「やなぎだtxt.」に変換した日付です。他にも同じ2001年11月2日付けのテキストファイルがいくつも残っていますので。       
 内容的にはまったく不十分でここにさらすのは恥ずかしいのですが、当時はここまで考えていたという意味で、掲載する価値はすこしはあると思います。


 これのもとになった本が出てきたら紹介します。


 雨宮智彦 〕






「観念論哲学と保育ー柳田謙十郎さん批判


はじめに


 柳田謙十郎さんとは誰か?




1、自然・宇宙・地球の歴史


 じっさい、ぼくは驚いたね。科学的社会主義の普及を任務とする労働者学習協会の会長が「自然の奇跡ともいうべきものでさえ…自然の世界の底には何らかの仕方で…創造的生命のエネルギーとでもよばるべき主体的なものが流れている…」(P18)と、くるんだから。


 これは、正真正銘の観念論ではないですか。そのすぐあとに「われわれに(誰に?)とって自然とは、硬化し固定化し動きのとれないような不毛の存在ではなくて、無始から無終にわたって、つねに新たなるもの、より高度なるものを生みださずにはいな客体的即主体的な生命をもった創造的自然である」(P19)


 自然=生命!?自然のなかに内的矛盾を持った発展過程を発見し、この「発展」「矛盾」の法則性を自然ー生命ー社会のすべてに、それこそすべての現象の「底に」、神を発見する宗教や観念論のたぐいではないですか。


2、生命とはなにか 


〔 注:この章は書かれなかった 〕


3、現在をどう見るかー自然史と人間史


 柳田さんのこの論文は「自然と人間」という表題なのに、まず「人間」の分析が「ない」のですね。えっ!とあなたはびっくりしますか。あなたは、この論文を読んだんでしょう。読んでくださいね。読んだという前提でこの文章を書いているのだから。


 だって、柳田さんは科学的社会主義だっていうんだから。科学的社会主義で「人間」論を語るのに、弁証法的唯物論だけを使っていればいいなんて言う人は一人もいないと思う。これは科学的社会主義の常識があるなら、史的唯物論の領分ですよね。そうじゃないという人がいれば反論してください。反論はできないよね、科学的社会主義であれば。


 柳田さんは「自然と人間」という表題で、延々と「自然」と「人間」の「非連続と連続」の話をしている。


 だから、ほんとうの「非連続と連続」の「境い目」は、どこかへすっとんでしまう。ほんとうの「境い目」は、どこにあるか。


 柳田さんにとっては、「人間の自覚的行動とは何か。それは自然史の延長としての人間の歴史を意識をもって展開してゆくことである。」


4、階級と党派性と人格


〔 注:この章は書かれなかった 〕


5、民主主義とは


 「かくして」、柳田さんにとっては「かくして成立したブルジョア民主主義は、ブルジョア階級の利益のための民主主義であって、」(P28)


 これもおお間違い。


6、個人と集団、社会


 「わたし」、「われわれ」、「人間」、「自己」。これらは同じようでも、それぞれ異なった概念です。重なりあうが、同じではない。柳田さんは、これらの概念をすべて「自己」のうちに取り込んでしまい、さらに


 〔 注 この後は書かれなかった 〕


7、観念論哲学と保育


 柳田さんの最後の言葉はこうです「このような科学的実践にとって、いたずらに主観主義的な大言壮語ほど憎むべき敵はいないのである。」(P99)
 そのとおり!」







ことばと詩 47 ゲーテ『西東詩集』より「三千年の・・・」

2020年12月19日 07時34分55秒 | ことばと詩
ことばと詩 47 ゲーテ『西東詩集』より「三千年の・・・」


 澤地久枝さん著『NHK人間大学 昭和私たちの同時代史』平成六年、で見つけたことば。


 「三千年の歴史から
  学ぶことを知らぬものは
  知ることもなく、やみの中にいよ、
  その日その日を生きるとも」(p130)


 いまだったら「五千年の歴史」って言わないといけないだろうなあ。