
遠州の遺跡・寺社・地名 122 西区雄踏町の息神社
バス停「宇布見浅羽」からへ → 信号 → バス停「図書館」 → 信号を南へ → 1本目の狭い道路を左(東)へ入ると、息神社です。もう少し東には、室町時代からの豪族の旧家「中村家」があります。
「延喜式神名帳」に載っている古い神社です。南向き。
どうして「息神社」が「おき神社」なのでしょうか?「さっぱり、わからない」と思っていたのですが、現地に行って、少し分かりました。
神社に立っていた説明版には、祭神が「志那都比古神、志那都比メ神、宇迦之御魂神、猿田彦神、大宮比メ神」の6神とありました。
「主神夫妻」の志那都比古神、志那都比メ神」ですが、『古事記』の「国生み」の後の「神生み」の中に「風の神、名は志那都比古神(しつなひこのかみ)を生みたまふ」とあります。
つまり「風の神」なのです。『古事記』では、ここに1回だけ名前が出てくるだけで、いっさい伝承がありませんが、風の神なら神社名の「息神社」と合っています。
つまり「風の息」です。松本清張さんが『風の息』という現代史に題材を取った推理ドキュメンタリーを書いています。
「志那都」神夫妻については、ネットで見ても、あまり解明がないので、今日はこれで種切れです。明日は息神社に伝わる「謎の能面」、あさっては「謎の大宮姫」について書きたいと思います。