雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

新・古代史ノート 9 過去記録6 「古代ブログ 6 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 1 東区安間町と海人族」 20210206

2021年02月06日 11時34分34秒 | 遠州古代史
新・古代史ノート 9 過去記録6  「古代ブログ 6 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 1 東区安間町と海人族」 20210206




「古代ブログ 6 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 1 東区安間町と海人族


 10月2日に「新・本と映像の森 91」で紹介した「(鄕土5) 浜松市東区役所『東方見聞録 東区の文化誌』2011年、A5版、321ページ、ダイジェスト版と併せて定価1000円。今まだ販売しているかは不明で、東区に問い合わせてください。まちづくり推進課 053-424-0164。」に以下の叙述がある。


 108p「第31話 安間を開拓した安間了願とその子孫」に、次のように出ている。


 「安間鄕は、江戸初期以前に、安間・安間新田・薬師・薬師新田・北島の五か村に分離した。安間氏の祖先は海人(あま)族と見られる。海人が阿間に変わり、安間になったと言われる。」


 安間了願は、14世紀の南北朝期に生きた武人で、『太平記』巻二五に名前も出ている。


 以下の続く、六所神社については「古代ブログ」「浜松の遺跡・古墳・地名・寺社」の別項目とする。


 見ての通り、可能性はある叙述だが、その典拠がないので正しいとも、なんとも言えない。他日を期すことにする。


 海人族の移住というのは、魅力あるテーマなのだが、慎重を期す。


 ちなみに安間川は「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」にも出てくる浜松の川で、東区豊町付近から11.5kmを南流し天竜川に注ぐ。最近、しばしばニュースで氾濫が話題になる川である。


 海人族というのは、いろいろ説があります。ボクは、天皇家の「天(あま)」つまり、「天族」も元々は「海人族」説ですが、同じ説の方も何人か、いるようです。


 これは、もっと後に詳述。」







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