古代ブログ 57 遠州古代史 銅鐸シリーズ ④ ツツミドオリ銅鐸出土地「碑」(南区安松町) <再録20131122>
場所は、いまの「南区」の「安松町」(やすまつちょう)。昔は芳川村だったらしい。沖積平野のまっただ中です。
以下、再録。
「遠州の遺跡・寺社・地名 125 浜松・ツツミドオリ銅鐸出土地「碑」(南区安松町)
2013年11月22日 22時23分32秒 | 遠州古代史
浜松の沖積平野部での「銅鐸出土地」です。「ツツミドオリ銅鐸は、建っている石碑によると、慶応4年(1868年)7月に天竜川が決潰し、その水が芳川に流入、洪水になりました。
この時、「地表より3メートル余の地底に丸石のごときものありて小口を現せり」、安松町の住民、横井菊次郎と柿澤兵衛が発掘し銅鐸「2個重なりて出ず」と書かれてます。
「2個重なりて出ず」という表現は「入れ子」になっていたという意味でしょうか。
1個は現在、東京国立博物館にありますが、もう1個は現在、行方知れずです。残っている「1号鐸」は高さ64.5cm、三遠式、突線紐3式です。
行方不明の銅鐸は大きく、90cmくらいと書いてあります。(藤森栄一『銅鐸』学生社、1964年、p262の表)
浜松市博物館『浜松市の銅鐸』2007年、に写真と解説があります(p29、33~34)ので参照してください。
浜松市の沖積平野部では、このツツミドオリ銅鐸以外に、和田町木船で同じ三遠式・突線紐3式の銅鐸が同じように2個出土しています。
1つの村に銅鐸は1時期に1個ではなく、2個がペアで存在していたのでしょうか?いったい祭りで銅鐸をどう使ったのでしょうか?
(続く)」