過去現在未来のメモリーノート 48 相補物・対象性と対話・対位法について
8年前の「哲学の学習16」の再録
「哲学の学習16 相補物・対象性と対話・対位法について
2010年06月17日 05時20分36秒 | 人間・生命・宇宙
久しぶりに「哲学の学習」というタイトルで書きます。前に、今年1月28日付けで「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一」を書きました。
そこではこう書きました。
「同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。」
つまり、同化と異化にしろ、プラスとマイナス、左と右、原子核と電子、男と女、漫才のぼけとつっこみ、すべて、相補性と対称性によって安定し、成り立っています。
つまり、対立する2つの側面によって、まったく別の物に変化して行くという、「科学的社会主義」の陣営の「弁証法」についての理論は、検討する余地があるのではないでしょうか。
最低限、事実と道理によって証明されていないことは書かないのが、科学的態度であると考えます。
同じことを、音楽の場合に考えました。
たとえば、ピアノの右手と左手の調和と非調和。
あるいは、ヴァイオリンソナタでの、ヴァイオリニストとピアニスト。
あるいは、ピアノ協奏曲での、ピアノとオーケストラ。
音楽では「対位法」というテクニックがあって、「複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法」です。
このことを追求していくと、いろいろおもしろそうですが、今日は深入りせずに、ここまでにします。
ショパンの「テンポ・ルパート」という指示は、ピアニストの仲道郁代さんの解釈では、左手は、正確に指揮をして、右手は自由に揺らいで、ぶれて、という左手と右手の「自由な対話」を意味しているようです。
ただし、それも左手の正確なタッチがあってのことで、「のだめカンタービレ」で、のだめの自由奔放な演奏を、千秋の正確なタッチが指揮しているのや、「ピアノの森」の大分コンクールで、一ノ瀬海の自由な演奏を、指揮者のセローが正確に指揮してコントロールしているからでしょうか。
ぼく・雨宮とN子さんの夫婦漫才コンビの関係でいうと、どっちが自由奔放に「テンポ・ルパート」して、どっちが正確にコントロールしているかは…(これは、いま気がついた書けど、世界を揺るがす大問題なので、しばらく熟考してから「雨宮日記」か「哲学の学習」かに、書きます)。
夫婦の問題が「哲学の問題」なんて、今まで誰も考えたことがないんでしょうか?もし指摘している方がいたら、教えてください。
ぼくは、夫婦の問題は、哲学や科学の大問題だと思います。」
もうひとつ引用。
「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一
2010年01月28日 04時54分51秒 | 人間・生命・宇宙
32年前に発行された書籍に、次のように書かれています。
「弁証法は事物の変化、発展の原動力を事物の内部にもとめ、この原動力になるのは。すべての事物の内部にある矛盾であることをあきらかにしています。」(同署p198)
どう「あきらかにしてい」るのかは、そこには叙述が何もないので、私にはわかりません。どなたか、「あきらかに」わかる方がいれば、教えてください。
そのあとには、こう書かれています。
「事物の内部の矛盾とは、一つの事物のなかにたがいに対立する側面があって、それがたがいに結びついていることをういいます。
たとえば、すべての生物は、外界から栄養をとる同化作用をおこなうのと同時に、これを体内でエネルギーとして消費し、老廃物を外界へ排出する異化作用をおこなっています。このどちらもが停止しても、生物は生きることができません。
資本主義社会には、労働者階級と資本家階級という対立する二つの階級が存在します。
一つの事物のなかの対立した二つの側面はたがいにむすびつき、一つの側面は他の側面なしにはありえないというように統一しています。たとえば、同化は異化なしにはありえないし、資本家階級はかれらの搾取する労働者階級なしには存在しえません。このような関係を対立物の統一といいます。」
同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。
生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。
環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。
地球に落ちた大隕石か、それとも、もっと他の要因かは、わかりませんが。
生命のほんとうの矛盾は、生命内にではなくて、生命と環境のあいだの相互作用にあるのではないでしょうか。
文明である人間社会は、環境の影響を脱して、自立的な矛盾をもっていると思います。
しかし、歴史を溯るほど、環境とシンクロ(同調)する生き物の姿が、わき上がってくるものと思います。」