日本古代史7 沖縄(琉球)の「宝貝」「子安貝」と中国史か・貨幣
中国の漢字では「貨幣」の「か」は「貝」が「化ける」と書きます。つまり「貝」が貨幣の役割を果たしていたわけです。
これはカール・マルクスさんが『資本』の中で言っているとおり、金属に貨幣が固定する前に、貨幣としていろんな物が通用したことがありました。
ただし、マルクスさんは、「貝」には言及していませんので、中国の「貨幣」のことまでは知らなかったのだろうと思います。
「財」も「貝」が左側に「貝」が入っています。
「貝」が入っている漢字を、以下に並べてみました。
買う、貸す、貴族、貧しい(貝を分ける)、販売、貯める、貿易、費やす。
この漢字の「貝」は、中国や日本で一般的な二枚貝のハマグリやアサリのことではなく、沖縄(むかしの言い方で「琉球」)に生息する宝貝=子安貝のこと、というのが一般的な解説です。
事実として、古代中国の「殷王朝」の時代に、殷王朝が東方の海上と交易がある国家で、日本列島の沖縄と交易があり、沖縄の「宝貝」を、財産・冨のシンボルとして尊重していたということが事実です。
嘘っぽいと思う人は、古代史の森宏一さんの著書を参照してください。
ここで問題は、なぜ「宝貝」が、神聖な貨幣として機能するかということです。
宝貝=子安貝は、日本古代の「竹取物語」にも出てくるような、有名な存在でした。
なぜかというと、これ以上、書くと著者の評判を落としかねないので、知っていても、指摘しないのでしょうね。
知らないのなら、なお悪いです。つまり、古代史の中心的問題である、女性と男性の問題です。
古代は、女性崇拝の時代、「女神の時代」です。
日本で言うと、たとえば卑弥呼さん。
あるいは、巫女(みこ)の女性である神功皇后さんの神がかりの神託に従わなかった、仲哀天皇さんは、神の祟りで死んでしまいます。
女性崇拝とは、生殖と出産を担う女性への信仰です。
女性への信仰は、女性のシンボルとしての乳房や女性器への信仰になっています。
宝貝=子安貝は、たくさんの種類があります。とくに沖縄でもとれるハチジョウコヤスガイは、膨れた感じが、妊娠した女性のお腹を連想させます。
そして、開口部を下から見上げた感じが、まるで、女性器を見あげた感じに似ています。
ですから、財産が増えていくシンボル、セックスと妊娠で子どもたちが生まれて一族が繁栄していくシンボルなんですね。
こういう話は、通常の古代史では(なにに、はばかっているのか)しないんですが、雨宮は平気で、してしまいます。
沖縄では、女性器のことを「ホウミー」というそうです。「宝の味」です。
いま、目の前に、共産党の日刊新聞「赤旗」の5月24日号があります。ぼくは、30年以上の読者ですが、その1面の「潮流」という欄(『朝日新聞』の「天声人語」と同等のコラムです)に、こうありました。
「楕円の形も美しい。古くから世界各地で、生命の誕生と再生のしるしとして尊ばれてきたタカラガイ。沖縄の辺野古の海で拾ってきました。タカラガイが打ち寄せられる波打ち際から、ゆたかな生命の営みの繰り広げられる海が広がっています」
ここまではいいんですけど、その後「▼サクラガイの開口部は堅そうです。〝誰にもこれ以上こじ開けられないよ〟と合図しているようで、「貝になりたい」の言葉が浮かびます。貝は、人がしゃべりたくない時の沈黙のしるしでもあります。」
「潮流」の筆者の方は「開口部は堅そうです。〝誰にもこれ以上こじ開けられないよ〟と合図しているようで」というのですが、それは戦後日本人の「私は貝になりたい」という名作につられた論点で、本来の貝の意味とは違うと思います。
貝は、タカラガイは、中国の殷王朝の時代に、沖縄が東方から殷を支えた役割と同等に、中国や東アジアの社会を交易で支えた解放のシンボルだと思います。
男性と女性の共同のシンボル。
中国と日本という異民族が交流し、協力したシンボル。
もちろん、5月24日の「潮流」の結論、「辺野古に座り込む人が、タカラガイをてのひらに乗せ語っていました。「ゆたかな沖縄の海を、もう戦争に利用されたくないんです」には心から、同感です。
中国の漢字では「貨幣」の「か」は「貝」が「化ける」と書きます。つまり「貝」が貨幣の役割を果たしていたわけです。
これはカール・マルクスさんが『資本』の中で言っているとおり、金属に貨幣が固定する前に、貨幣としていろんな物が通用したことがありました。
ただし、マルクスさんは、「貝」には言及していませんので、中国の「貨幣」のことまでは知らなかったのだろうと思います。
「財」も「貝」が左側に「貝」が入っています。
「貝」が入っている漢字を、以下に並べてみました。
買う、貸す、貴族、貧しい(貝を分ける)、販売、貯める、貿易、費やす。
この漢字の「貝」は、中国や日本で一般的な二枚貝のハマグリやアサリのことではなく、沖縄(むかしの言い方で「琉球」)に生息する宝貝=子安貝のこと、というのが一般的な解説です。
事実として、古代中国の「殷王朝」の時代に、殷王朝が東方の海上と交易がある国家で、日本列島の沖縄と交易があり、沖縄の「宝貝」を、財産・冨のシンボルとして尊重していたということが事実です。
嘘っぽいと思う人は、古代史の森宏一さんの著書を参照してください。
ここで問題は、なぜ「宝貝」が、神聖な貨幣として機能するかということです。
宝貝=子安貝は、日本古代の「竹取物語」にも出てくるような、有名な存在でした。
なぜかというと、これ以上、書くと著者の評判を落としかねないので、知っていても、指摘しないのでしょうね。
知らないのなら、なお悪いです。つまり、古代史の中心的問題である、女性と男性の問題です。
古代は、女性崇拝の時代、「女神の時代」です。
日本で言うと、たとえば卑弥呼さん。
あるいは、巫女(みこ)の女性である神功皇后さんの神がかりの神託に従わなかった、仲哀天皇さんは、神の祟りで死んでしまいます。
女性崇拝とは、生殖と出産を担う女性への信仰です。
女性への信仰は、女性のシンボルとしての乳房や女性器への信仰になっています。
宝貝=子安貝は、たくさんの種類があります。とくに沖縄でもとれるハチジョウコヤスガイは、膨れた感じが、妊娠した女性のお腹を連想させます。
そして、開口部を下から見上げた感じが、まるで、女性器を見あげた感じに似ています。
ですから、財産が増えていくシンボル、セックスと妊娠で子どもたちが生まれて一族が繁栄していくシンボルなんですね。
こういう話は、通常の古代史では(なにに、はばかっているのか)しないんですが、雨宮は平気で、してしまいます。
沖縄では、女性器のことを「ホウミー」というそうです。「宝の味」です。
いま、目の前に、共産党の日刊新聞「赤旗」の5月24日号があります。ぼくは、30年以上の読者ですが、その1面の「潮流」という欄(『朝日新聞』の「天声人語」と同等のコラムです)に、こうありました。
「楕円の形も美しい。古くから世界各地で、生命の誕生と再生のしるしとして尊ばれてきたタカラガイ。沖縄の辺野古の海で拾ってきました。タカラガイが打ち寄せられる波打ち際から、ゆたかな生命の営みの繰り広げられる海が広がっています」
ここまではいいんですけど、その後「▼サクラガイの開口部は堅そうです。〝誰にもこれ以上こじ開けられないよ〟と合図しているようで、「貝になりたい」の言葉が浮かびます。貝は、人がしゃべりたくない時の沈黙のしるしでもあります。」
「潮流」の筆者の方は「開口部は堅そうです。〝誰にもこれ以上こじ開けられないよ〟と合図しているようで」というのですが、それは戦後日本人の「私は貝になりたい」という名作につられた論点で、本来の貝の意味とは違うと思います。
貝は、タカラガイは、中国の殷王朝の時代に、沖縄が東方から殷を支えた役割と同等に、中国や東アジアの社会を交易で支えた解放のシンボルだと思います。
男性と女性の共同のシンボル。
中国と日本という異民族が交流し、協力したシンボル。
もちろん、5月24日の「潮流」の結論、「辺野古に座り込む人が、タカラガイをてのひらに乗せ語っていました。「ゆたかな沖縄の海を、もう戦争に利用されたくないんです」には心から、同感です。