日本古代史の本 谷沢永一『聖徳太子はいなかった』新潮新書、新潮社、2004年発行
『サライ』の特集に水を差すようで、申し訳ないですが、聖徳太子という人は実在しません。宣伝・イメージの中に「存在することに」された人で、実在したのはウマヤド皇子です。
「そんな馬鹿な!」と怒った人は、文句はこの谷沢(たにざわ)永一さんに言ってください。
ぼくは、谷沢さんが、ほぼ真実を述べていると思います。
つまり、なぜ日本国政府関係者(藤原不比等などです)が『日本書紀』で「聖徳太子」を必要としたか、なぜ法隆寺関係者が「聖徳太子」を必要としたか。
内容の紹介にはなっていませんね。図書館で借りるか、自分で買うか、手に取って読む価値のある本です。
『サライ』特集p30に、十七条憲法のことが褒められています。しかし、谷沢さんによれば、「十七条憲法」は『日本書紀』に「作られた」とあるが、施行されたとは書いてない。『日本書紀』以外に「十七条憲法」が効力を発揮した話は、ないようです。つまり、『日本書紀』の中でのみ有効な、聖徳太子を存在することにしたいための宣伝文書ではないでしょうか。
720年に『日本書紀』に「十七条憲法」が述べられていたというのは、今のところ、事実ですが、その100年前に、実際に「十七条憲法」が実在したという事実は、まったく証明されていません。
さらに、「日出る国の天子…」という、『日本書紀』には出てこない、隋の天子に日本列島の正式政府から送付された外交文書が『隋書』には掲載されています。
これが聖徳太子の「外交」だとされているのですが、聖徳太子は「天子」ではありません。単なる「皇子」であって、七世紀初頭には「皇太子」制度さえ、ありませんでした。もし、「日出る国の天子…」文書がヤマト国家から送られたのであれば、送ったのは推古天皇でなければなりません。
こういう齟齬を、谷沢さんは追求しています。ぜひお読みください。