雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

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遠州古代史 古代の天竜川「あらたま川」の語源は…

2011年09月13日 05時23分09秒 | 遠州古代史
遠州古代史 古代の天竜川「あらたま川」の語源は…

 今年2月1日付け「遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑」で以下のように書きました。

 「『万葉集』の「巻 第十一」の2530首目が、以下の歌です。 
 原文 「璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方」 
 読み 「麁玉(あらたま)の、寸戸(きへ)が、竹垣(たけがき)網目(あみめ)ゆも、妹(いも)し見えなば、我(あ)れ恋ひめやも」」

 この「麁玉(あらたま)」ですが、ここでは地名ですが、古代の天竜川は「あらたま川」と呼ばれていることは有名です。

 では「あらたま」の語源はというと、やはり「あら」+「たま」でしょうね。「たま」は、当然、古代ではいろいろな所に出てくる、水を支配する「玉」のことでしょう。

 坂上田村麻呂の「あらたま川」伝説では、田村麻呂は、川を支配する女性の龍と結婚して、田村麻呂の子が、その母の持っている水を支配する「玉」を受け継いでいます。

 関東には「多摩川」と「荒川」がありますが、関東の多摩川の語源も「玉」という可能性があるのではないでしょうか?

 そこで、もうひとつの「あら」は何か、です。

 関東の「荒川」のことを調べると、「荒川」=「荒ぶる川」という解釈が多いようですが、ほんとうでしょうか?

 8月20日に「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その1」で書いたように、浜松付近や関東に移住した朝鮮系の「あや族」「あら族」が故郷を偲んで、「あらたま川」や「あら川」と命名した可能性を考えることは可能だと思います。

 しかも坂上田村麻呂伝説で描かれたのは、現地の水の支配権を持つ女性の龍と、朝鮮系の渡来人の結婚でした。

 つまり「あら」と「たま」の結婚です。
 
 そこから「あらたま川」の名前が生まれたという仮説を立ててみました。

 朝鮮系の移住民が、単独で孤立して移り住んだのではなくて、現地の住民と平和に混住して新しい融合文化をつくっていった。
 
 そのシンボルが坂上田村麻呂伝説であり、「あらたま川」の命名であったのではないでしょうか。



 

 

 


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