遠州古代史ニュース 9月12日 東区天竜川町「松東遺跡」で銅鐸破片発見
浜松市文化財課は、天龍川町の「松東遺跡」内の穴の中から銅鐸破片を発見したと公表しました。
破片は縦約20センチ×横約25センチで、銅鐸の「釣り手」部分です。
松東遺跡はJR天竜川駅前(北側)にある、天龍川平野の微高地に位置して、周囲に壕を廻らせた集落が確認され、これまでにも銅鐸の小片が出土しています。
今回の破片は弥生時代後期の「近畿式」です。
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弥生時代後期にこの地域の銅鐸文化圏の勢力が、銅鐸を信仰しない新しい勢力、つまりもっと西からやってきて古墳文化の剣や鏡や玉を信仰する勢力に征服もしくは屈服して、これまでの文化を自ら放棄して破壊したか、新勢力が破壊したか、ではないでしょうか。
ちょうど「 日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」? 2012年09月13日 06時01分2秒 | 雨宮日誌 」を書いたら、その日の朝の新聞記事で掲載されました。偶然ですが、すごいヒットです。
松東遺跡は以下で紹介しました。
遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地2011年10月19日 05時52分33秒 | 遠州古代史
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同日、昼間に補足。歴史学者の網野さんが、土の中は、人々にとって「異界」であると書いていました。とすると土中に埋める行為は、何を意味するのでしょうか?すくなくとも各地で銅鐸をそのまま埋める場合と、今回のように破砕して埋めるのとでは意味が違うようです。