雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社34 内野古墳群の3 赤門上古墳

2010年10月14日 05時16分00秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社34 内野古墳群の3 赤門上古墳

 浜北区最大の前方後円墳で、内野古墳群の主古墳です。
 N子さんと2人で車で行ったのですが、「こっちかな」「あっちでしょ」と掛け合い漫才をしながら、見つけました。
 ところが、住宅地の中を登っていく道の頂上の駐車スペースが、障害物で入れなくて、すごく行きにくかったです。他の「山の神古墳」と「稲荷山古墳」は道路の横に車を止めればよかったのですが。
 きちんと、駐車場として整備してほしいです。

 説明板は、かなり、ちゃんとしていました。
 墳丘の全長は56.3m、後円部の直径は36.2m、高さ4.9m、前方部は幅14.7m、高さ1.15mです。

 華紋日月天王四神四獣鏡(三角縁神獣鏡)が発掘されたことで有名ですが、わたしは「華紋日月天王四神四獣鏡(三角縁神獣鏡)」が3世紀の「卑弥呼が魏王朝からもらった鏡」というのは、破綻した仮説であり、実際は、4世紀の江南の鏡だと思います。

 まだいろいろ勉強しないといけないと思います。

 

雨宮日記 10月11日(月) 里山で草刈りと、なゆた浜北で美術展を見学

2010年10月14日 04時55分39秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月11日(月) 里山で草刈りと、なゆた浜北で美術展を見学

 前日に買ってしまった鎌を袋に入れて、N子さんと里山へ行こうと浜北へ行きました。
 里山へ行く前に、なゆた浜北で「労美展」をやっているということで、すてきな美術を見にいきました。

 風景を描くIさんや、人物を描くAさん、天浜線電車の写真を撮るIさんなど、N子さんの知り合いも何人かいるので、久しぶりにたっぷりお話もしました。

 ぼくは裏富士を描いたIさん(男性)の小スケッチと、Bさんの描いた、幻視なのかまるで「妖鳥 シレーン」を描いたようなファンタスティックな絵がよかったです。
 「本と映像の森92 永井豪さん『デビルマン 1』講談社漫画文庫」を紹介したばかりなので、そのなかの「妖鳥 シレーン」の残像が頭に残っていたかも知れません。

 音楽も美術もどっちも大好きなぼくですが、もし時間が残されていれば、絵も描きたいな。N子さん、どう?残り時間、あると思う?

 里山へ着くと、ちょうど、里山の谷で作業をしていた3人が作業を終えてあがるところでした。
 谷の真向かいにある「里の家」へみんなで登っていろいろしゃべりました。
 ちょうど里の家へのぼる「橋」が完成したとところで、初めて見たぼくとN子さんは大感激。
 うわ、こんなすてきな橋、いいね。

 この前の話の続きで「鳥居は立ててないね」と誰かが発言して、大爆笑。
 ぼくが「鳥居を立てたら、やっぱり○○神社も建てないと」と。
 
 みんなで里の家の前でコーヒーを飲みながら、いろいろしゃべりました。
 午前中から作業をした3人は帰って、あと、ぼくたちで里の家の掃除と、周りの草刈りをしました。

 浜松の中心街育ちのぼくは、今まで草刈りなんてしたこともないので、慣れない手つきでしたが、こういう労働なら楽しくて、ずっと続けたいです。
 初生町生まれで、保母が長いN子さんは、ぼくよりは農作業には慣れていると思います。
 
 里山の専門家のFさん、Kさん、オーナーのUさん、N子さん、また他のみなさん、新参ですが、ご指導よろしくお願いします。


 




 

雨宮日記 10月10日(日)の2 カーマでカマを買いました

2010年10月14日 04時40分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月10日(日)の2 カーマでカマを買いました

 カマは、釜ではなく、鎌です。
 「カーマ」というのは中部地方以外では「なんじゃそれ」となるのでしょうが、中部地方に展開するホームセンター店です。
 浜松では東区市野のイオンの南にあるので、よくN子さんと車で行きます。

 里山でこれから作業をするために、草を刈るカマ(鎌)を買おうということになって、行きました。
 コーナーで、N子さんはさすが主婦「この1000円以下のでいいでしょ?」と言うのですが、ぼくは「これがいい」と強く主張して、まあ、これでいいのかわかりませんが、2千円弱の鎌をすこし違う物をそれぞれ買いました。
 
 それとN子さんの仕事で必要な資料をまとめるファイルと、ウサギの豆子のための玄関マットを買いました。

 家に帰ったら、玄関マットの色がすこし違っていて、濃かったので、N子さんは「換えに行きましょう」と言うので、仕方なく、つきあって、またカーマまで行きました。

 こういうのは女性と男性の違いでしょうか。ぼくだったら、一度買った物は、色が違うから交換して、なんてなかなか勇気がありません。

 鎌という金属器は、たぶん弥生時代になって中国・朝鮮から日本に入ってきたので、昆虫の「カマキリ」という名前も、弥生時代以後につけられたことになります。
 だとすると、「カブトムシ」の兜とか、「クワガタムシ」の鍬とか、も同じでしょうか。どうなんんでしょうか。

 こういう、どうでもいいようなことが気になる雨宮です。


 

 

 

本と映像の森92 永井豪さん『デビルマン 1』講談社漫画文庫

2010年10月11日 22時48分47秒 | 本と映像の森
本と映像の森92 永井豪さん『デビルマン 1』講談社漫画文庫、1997年4月11日第1刷~1998年8月10日第8刷、258ページ、定価500円+消費税

 巻頭のシーンが、切なく、苦しく、美しいです。
 両性具有の美しい天使が、地獄のような異質の生命体に陵辱されるシーンと、その地獄の悪魔のような生命体が仁王のような怪物(たぶん主人公の…)に駆逐され、最後に、悪魔の集合体の内部に表出する美しい天使のような…。

 そして、現代の1980X年。
 主人公は3人です。
 
 ひ弱な男子高校生の不動明。
 明の幼なじみの女子高校生、牧村美樹。
 明の親友の、飛鳥了。

 3人が、人間世界を侵略する地獄の悪魔たちと、いかにたたかうか。
 明は了に飛鳥邸に招待されて、そこから物語が始まります。

 今日はネタバレはしません。
 文庫版で全5巻の、怖くて、切なくて、美しい恋物語をぜひ読んでください。

 怖いというのは、人間社会が悪魔の侵略におびえ、相互に不信感を抱いて、崩壊していく「悪魔狩り」の物語だからです。

 デビルマンとは、人間に憑依しようという悪魔達の意図に反して、人間の意志の下に、悪魔の身体と超能力が使われてしまう2つの種族の合体人間です。

 切ないというのは、けっして届くことのない恋物語だからです。
 人間の女の子のデビルマンへの恋。
 デビル・悪魔たちの側の男の子のデビルマンへの恋。
 
 この悪魔側の総帥の男の子が美しい「両性体」で、人間側の主人公のデビルマンに恋をしてしまうという設定は、まさに手塚治虫さんの「メトロポリス」(9月10日「本と映像の森78」で紹介)と同じですね。
 性の描写を押さえた手塚治虫さんとは違う、切なさの恋物語です。

 なお永井豪さんの「魔王ダンテ」、そして「デビルマン・レディー」を参照してください。
 ぼくは「デビルマン・レディー」は大傑作で、すてきな物語だと思います。


 

遠州の遺跡・寺社33 内野台の古墳・山の神古墳 

2010年10月11日 22時24分50秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社33 内野台の古墳・山の神(やまのかみ)古墳 

 「32」で紹介した稲荷山古墳の南側にある古墳です。
 稲荷山古墳から道路を南に下ってくると、すぐ右側に高台があって、階段があります。階段を上ると「山の上古墳」です。
 
 直径16メートル、高さ1.8メートルの円墳です。
 「山の神古墳」なんだから、埋葬されているのは女性でしょう?というのは短絡的で、頂上に「山の神」が祭られているから、というだけです。
 未発掘なので、被葬者もわかりません。

 推定では、後期古墳でたぶん6世紀といわれているそうです。

 つまり「内野古墳群」の3つの古墳は、赤門上古墳 → 稲荷山古墳 → 山の神古墳、の順で作られたとされています。

 だいじなことと思うのは、古代の4世紀から6世紀頃には、遠州の沖積平野では天竜川が西の端を、つまり現在の馬込川の流域を流れていて、「内野古墳群」の直下に、天竜川の流れがよく見えたと言うことです。

 
 

雨宮日記 10月10日(日) 今日は晴れの「特異日」なので、古墳探訪に

2010年10月11日 05時04分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月10日(日) 今日は晴れの「特異日」なので、古墳探訪に

 N子さんは、昨日の横須賀行きで疲れたのか、たぶん、朝の食事の支度をしてから寝て、ぼくが12時前に目が覚めてトイレにいくと、自室で寝ていました。
 
 午後2時過ぎに、ぼくが起きて、シャワーを浴びて、ひげそりをして、2階にいくと、まだ寝ていたので、声を掛けました。
 「N子さん!」
 うーんと身じろぎをして「なあーに、智彦くん」
 「雨も上がったし、古墳を見にいかない?」
 「ふーん…行こうかな」
 「行くんなら、起きてね」

 ということで、8月1日にN子さんが就職したので、余り時間がなかった、N子さんと二人の「遺跡と寺社めぐり」を再開しました。
 自分一人でいくのも気楽で良いですけど、やはり「相棒」がいて、相づちや疑問をしゃべってくれると、すごい深まります。
 それと、車で目的地へ向かうあいだの時間もとっても、楽しみです。
 ひごろ、いそがしいので、こういう風に、同じ方向を向いて座りながら、じっくり話をするって、すごい大事な時間なんです。

 詳しくは「遠州の遺跡・寺社」で。

 写真は、早い夜に、買い物にいったお店から撮った三日月です。

雨宮日記 10月9日(土) 雨、N子さんは横須賀へ、中国人劉さん平和賞

2010年10月11日 04時30分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月9日(土) 雨、Nl子さんは横須賀へ行き、中国人劉さん平和賞

 今日は、朝から雨。午前5時に、ぼくは仕事から帰ってきて、午前7時10分のひかりで新横浜へ向かうというN子さんの寝床へ侵入して、何ヶ月ぶりだろ、○○をして起こして、ぼくは眠りにつきました。

 午後起きて、シャワーを浴びて、ヒゲを剃りました。
 自室に行き、パソコンを立ち上げて、ネットを見ると、おっ!中国人・劉暁波(りゅうぎょうは)さんのノー平和賞受賞と、中国政府の不快感表明・中国で突然テレビニュース画面が真っ黒にというニュースが出ていました。

 今回の日本との尖閣諸島問題でも、中国政府のやりかたは、認識的に説得し納得を求めるのではなく、力で強行的に押していくやりかたで、日本国民の反感を買うだけの下手なやり方だったと思います。 
 いくさは上手なはずの、「孫子」や「墨子」などに学んでいるはずの中国にしては、たとえば、日本人企業人を「軍事区域」新入と「でっちあげ」るなど、拙劣なやりくちだと思います。

 劉暁波さんの問題でも同じになるのかもしれませんね。
 いかに中国政府が気に入らなくても、ノーベル平和賞はノルウエー政府とからも独立した民間機関ですから、ノルウエー政府を非難するのは、無理ですし、全世界のまともな人間が中国政府を支持しなくなるだけの「墓穴を掘る」行為です。

 文句があるなら、中国政府にしろ、中国共産党にしろ、ほかの中国民間団体にしろ、中国人にしろ、自分の考えと自分の責任において、意見を表明して、それをおたがいに伝えあい、あるいはノーベル賞を決める団体に伝えたらいいのではないでしょうか。
 そういうことは、ぼくも言論の自由として、心から支持します。
 
 でも、中国の権力を使ったり、命令いっかで情報を遮断したりすると、中国は「全体主義なのか」「ファシズムと同じか」と言われても仕方ないと思います。

 もし、いまこのブログを見ている(あるいは監視している)のが中国政府関係者だったら、そのことを深く検討して欲しいと思います。
 中国政府や中国共産党は、反省をするべきです。

 そういうことを思いながら、ネットを見ると、太平洋側はかなり大雨なので、N子さんが、夜、横須賀から浜松まで帰ってこれるか心配になって、携帯に電話しましたが出ないので、玄関にいるウサギの豆子さんにつきあって、玄関に座り込んで、本を読んでいました。

 ようやく午後11時半頃、雨のなか、傘を差してN子さんが帰って来たので「おかえり」とホッとしました。
 横須賀報告は、明日に。
 ほんとうは、N子さんと一緒に眠りたいけど…言い出せなくて、一人で寝ました。
 万葉集の次の歌を想い出しました。

 「伎倍人の 斑衾に 綿さはだ 入りなましもの 妹が小床に (作者不詳)」
 
 解説はこの日記よりは「遠州の古代」でしますね。
 

遠州の遺跡・寺社32 浜北区内野台の古墳 稲荷山古墳

2010年10月11日 00時12分59秒 | 雨宮日誌
遠州の遺跡・寺社32 浜北区内野台の古墳 稲荷山古墳

 浜北区最大の内野古墳群の3つ並んだ古墳の一番北側です。
 ここまで書いたとき、アレッと思って念のため、雨宮ブログのバックナンバーを見返してみたら、今年の2月26日に以下の原稿を書いていました、
 凄いですね、ぼくの忘れる技術。
 で、以下の「  」内はその再録です。その後に10月10日の訪問記をつけました。

「遠州の古墳1 稲荷山古墳(浜北区内野)を浜松市文化財に指定

 2010年(平成22年)2月17日(水)に市役所で開かれた浜松市文化財保護審議会の第3回会合は、浜北区内野の稲荷山古墳を浜松市文化財に指定することを決めました。

 稲荷山古墳は、元は百基以上あって現在は十数基が確認できる内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されています。

 内野古墳群の主な古墳は、稲荷山古墳、その南南東にある山の神古墳(円墳で直径16m、未発掘)さらにその南南東にある、前方後円墳「赤門上古墳」(前方後円墳、全長56.3m、4世紀末と推定)です。

 2008年におこなわれた稲荷山古墳の調査で、それまで直径30mとされていたのが訂正されて、東区有玉西町の千人塚古墳(直径49m)、西区入野町の入野古墳(直径44m)に次ぐことがわかりました。
 また、天竜川西岸で多く見られる「二段築成」の墳丘が確認されました。
 
 2段目の「葺石(ふきいし)」は、関西の大型前方後円墳と同じような工法を使っていることも判明し、浜松市内の古墳では珍しいこともわかりました。

 すみません、稲荷山古墳は、何年か前に、見に行って写真も撮っているのですが、すぐに出てきません。見つかったらアップします。

 浜松市内の古墳の概要は、浜松市が2008年3月に発行したカラーパンフ『浜松市文化財ブックレット1 浜松の古墳めぐり』(A5版、63p)を持って、市内を回るとよくわかります。
 たぶん、今も売っていると思います。浜松市役所の生活文化部生涯学習課(文化財担当)(電話053-457-2466)か蜆塚の浜松市博物館で300円で買うことができます。」

 10月10日(日)に涼しくなったので、再訪しました。初めてN子さんを伴って。

 ちょうどクリがいっぱい落ちていて、車でお父さんと子どもたち4人が袋を持って栗拾いにきました。
 山頂に小さな祠が置かれてあるのも、おもしろいです。

 「ここから死んだ首長(今の首長さんとは住民との密着度が違います)さんが、住民と自分の生きた土地を見ていたんだよね」と言うと、N子さんが「住民からは、見下ろしてると思うっていうこと?」と言うので「ちょっと違うな。見守ってくれているみたいな感じじゃない?」と。

 きちんと行政の説明板があるのも親切ですね。
 N子さんが「丸い石がいっぱいあるのは古墳の葺石?」と言っていましたが「たぶんそうなんじゃない」と答えておきました。違っているかなあ。
 撮影した写真を掲載します。古墳の裾から頂上を撮影。

 

本と映像の森91 うえやまとちさん著『クッキングパパの週末レシピ201』

2010年10月09日 21時55分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森91 うえやまとちさん著『クッキングパパの週末レシピ201』講談社+α文庫、1997年10月20日発行、235ページ、定価640円

 雨宮が唯一、N子さんから「智彦くんの作った天ぷら、おいしい」と言ってもらえる根拠は、この本です。たぶん。

 調味料が何グラムとか、そういうのは興味ないので、たとえば天ぷらの油の温度をどうやって決めるか、この本で、ちゃんと、学びました。

 それと、我が家では天ぷらはお醤油ですが、やはり、天つゆのほうがおいしいなと思いました。

 いまは手に入るかどうか不明です。
 週刊「モーニング」で作品自体は、いまも連載されています。
 何十年経っても、主人公のおっさん(氏名は知りません)の年齢も変わらないんだよね。

 これって、手品のねたばらしみたいで、やばいですね。
 妻のN子さんや、娘のTさんやiさんが、ぼくより、おいしい天ぷらを作れるようになれば、父の権威は…どうなる?
 えっと、どうもなりません。
 
 いま午後の10時09分ですが、今日は午後、神奈川県横須賀にいったN子さんが、まだ帰っていません。どうしたのかな?だいじょうぶかな?
 心配になって、眠れません。


日本古代史9 「竹取物語」のかぐや姫と「古事記」のかぐよ姫

2010年10月09日 04時54分37秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物
日本古代史9 「竹取物語」のかぐや姫と「古事記」のかぐよ姫

 日本最古(?)の小説として「竹取物語」と主人公の「かぐや姫」は、誰でも知っているでしょうか。
 知らない人もいるでしょうか。

 この名前「かぐや姫」がどこから命名された名前なのか、ですが、私は、やはり、記紀=日本古代伝承・神話のなかにでてくる「天のかぐやま」からだと思います。

 なぜなら、古代神話では、「かぐつちの神」は金属の神で、「あまのかぐやま」は金属を産出する山だからです。
 これは古代神話を解釈した「通説」の「天の香具山」は奈良県飛鳥の「香具山」という通説とイメージがおおきく違います。
 ぼくは、これはやはり通説より、古代神話自体の方が真実であり「あまのかぐやま」は金属も産出する火山のイメージであると思います。

 かぐや姫という名前は、やはり、あの金属を産出する神聖な「かぐやま」を信仰する古代王朝の姫さまでしょう。
 (この「かぐやま」がどこかは、別項で考えます)

 竹取物語のかぐや姫は、生まれたときには輝く金に関係があり、そして月の夜に火山の富士山から天に帰って行くという、まさに金属と火山の姫さまです。

 同時に、日本神話では影がうすい「月」と「夜」の女神であることは明瞭ではないでしょうか。
 だって、かぐ「や」(夜)姫ですもの。

 今日、書きたかったのは、「古事記」の出雲神話のなかに「かぐや」と似た名前の女神さまが出てくることです。
 
 たぶん朝鮮からやってきたスサノオさんと結婚した神大市姫(かむおおちひめ)さんは、日本列島の縄文の神のたぶん主神であるオオヤマツミの神さんの娘です。
 スサノオさんと神大市姫さんの長男が、大年神さんで、古事記の系図では、そういう日本と朝鮮の両方の血統を背負った由緒正しい神、大年神さんと結婚した女性が「香用比売(かぐよひめ)」です。

 つまり「かぐやひめ」と「かぐよひめ」、1字しか違わないし、解釈すれば同じ「や(夜)」と「よ(夜)」ではないでしょうか。

 今日は、疑問の提起にとどめて、日本古代の謎を、みなさんといろいろ考えていきたいと思います。


雨宮日記 10月8日(木) 環境問題での浜松市との懇談でした

2010年10月08日 23時57分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月8日(木) 環境問題での浜松市との懇談でした

 「国民大運動浜松実行委員会」の浜松市との交渉の中で、1時間以上、環境問題での懇談をしました。

 この日のために、現地調査もして、資料を準備して、懇談の発言台本を考えて、同時に、疲れないように当日のためにたっぷりやすんで、という矛盾した二つのことをしました。

 基本的な態度は、① 市民運動と行政との一致点を探り確認していく、 ② 行政が市民にとって納得のいく行政となるようにどうすればいいか知恵を絞る、そのために現地や資料をしっかりと準備して、議論を組み立てる、③ 当面の行政で具体的な前進ができるように建設的な提案もしていく、というところでしょうか。

 かなり疲れましたが、N子さんなどからも評価をいただき、ホッとしています。また明日から続きを研究します。
 いろいろ、新しいことがあるので、楽しみです。
 詳しくは「浜松ごみエコロジー感興ブログ」や「浜松の生きものと里山ブログ」に掲載していきます。

 昨日はお酒を飲まずに寝たので、熟睡できずに起きて、身体がなんだか熱いのか寒いのか、よくわからない体調でした。

人間・心・集団の学習8 自分と他人、自立と他律(つながり)

2010年10月07日 05時31分35秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習8 自分と他人、自立と他律(つながり)

 自己と他己、自分と他人、同じ人間(という生物種)で「個体」としては違う他人。
 そういう関係を考えていきたいと思います。

 すみません。未完で、続きます。
 今日の行事の準備をして体調を整えているため書ききれません。

 (10月8日の追加)

 人間を自者の人格としてとらえると、自己決定論あるいは「自己責任論」にもなりますが、他方では、人間関係論・つながりでとらえることもできます。
 このどちらかに偏るのではなく、この両者の統合として人間はあるのだと思います。

 たとえば「人間性は個人に内在する抽象物ではおよそない。その現実性においてそれは社会的諸関係の総体である」(マルクス「フォイエルバッハについての第6テーゼ」)。

 これは部分的真実であると思います。これが全面的分析であると見誤ると、人間を社会的関係のあやつり人形にしてしまうのではないでしょうか。
 たとえば1人の人間は、「資本家」あるいは「自営農民」あるいは「労働者」という階級的カテゴリーだけでとらえるのは狭すぎると思います。
 そこには、その人間個人が、1人ひとりが「人間性」をもち「人格」であるという、自立した自己性が無視されています。
 そういう意味で、人間を全面的に見る習慣をつけないといけないと思います。

 写真は自分の注文したアイスコーヒーと、他人の注文したマンゴウアイス(だっと思う…)。

 (10月9日(土)朝、追加)

 もちろん「自立」していればいいということでもなくて「孤立」している場合もあるし、その自我が「お山の大将」であることもあります。
 「つながり」「人間関係」があればいいということでもないですね。そのつながり・関係は、フラット(水平)な、平等な関係でないと、どんどん人格にゆがみを生じてくると思います。
 そうか、もしフラットな人間関係でもそのつながりの先の相手の人格が歪んでいれば、そのゆがみをもろに受けてしまうと言うことですね。
 いろいろな場合について考えないと、いけないですね。
 
 それと、個人と個人のつながりではなく、集団全体の民主的性格が問題になるでしょうか。
 今日は、ここまでにしておきます。


 

 

雨宮日記 10月4日(月) 何を捨てるか・・迫られる事業仕分

2010年10月06日 05時39分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月4日(月) 何を捨てるか・・迫られる事業仕分け

 夜、2人とも帰って来て、台所で、和気藹々と話していました(2階の部屋は物がいっぱいで、いっしょに話せる状態ではないので)。

 N子さんが「いつから引っ越す?」と突然、言うので、どぎまぎしました。
 「えっ!引っ越すんならいいけど、捨てろっていう話でしょ」と言いました。
 「うん、そうよ、捨てる話よ」

 「8日の金曜日の後にしてくれる?」
 「いいわよ、期待しちゃうからね」

 うーん、それは、ぼくとしては、真ん中の部屋で、N子さんと就寝したいですけど。
 「暑い」とか「眠い」とか言わないでくれますか?

 2010年の年内に部屋をかたづけてねという要求ですので、できるだけ、そうしたいと思います。
 それで、いい?
 


 

雨宮日記 10月3日(日)の2 鷲鷹の南へ渡りの季節

2010年10月05日 05時13分36秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月3日(日)の2 鷲鷹の南へ渡りの季節

 涼しい秋になってきました。
 夏鳥の、鷲鷹やサンコウチョウやツバメは、南の東南アジアなどへ渡っていく季節です。

 仲間のK子さんが、里山の専門家と「タカの渡り」を見にいった話を聞きました。

 それで思い出したのは、松尾芭蕉さんの有名な俳句。
 
 「鷹一つ 見つけてうれし 伊良湖崎」

 もちろん、現代日本の、日本野鳥の会の会員が「「鷹一つ 見つけてうれし 伊良湖崎」とうれしがるのとは違います。

 正確な情報は、嵐山光三郎さん『悪党芭蕉』新潮社、125ページから127ページを参照してください。

 質問だけしておきます。
 芭蕉が「見つけて うれし」かった鷹は、オスですか、メスですか。

 この問題を解くキーワードは「杜国」です。
 みなさん、自分で調べてくださいね。

雨宮日記 10月3日(日) クミコさんのうた「祈り」

2010年10月05日 04時45分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月3日(日) クミコさんのうた「祈り」

 N子さんは「浜松市母親大会」というのに出ました。
 帰って来てぼくに、「クミコさんという歌手の歌っている「祈り」という歌を合唱で聴いたの。すごくよかったよ」と言います。
 「平和だけじゃなくて、命を歌っていてじーんと来た」と。
 「何を歌った歌なの?」と聞くと、「千羽鶴の折り鶴で有名な佐々木禎子(さだこ)さんのことを歌った歌」。

 さだこさんは、2才で広島で被曝して、12才で亡くなった少女です。

 ふーん、と思って、N子さんの秘書&調査質のぼくは、ネットで調べたら、クミコさんという歌手がCDに出して、演歌チャート一位にもなったようです。
 N子さんに、調査結果を報告して「CDをイケヤで買ってくるから」と報告しました、

 それとN子さんが言っていたのは、講演をした「カレーズの会」のレシャード・カレッドさんのことです。
 
 レシャード・カレッドさんは、アフガニスタン出身で京都大学へ医学を学びに来て、1979年のソ連のアフガン侵略のために祖国に帰れなくなって、島田市で開業して、今にいたるアフガン人のお医者さんです。
 もちろん、日本語はぺらぺらで、ぼくたちより上手かも。
 祖国と往来ができるようになったので、日本で静岡県を中心にアフガン支援の「カレーズの会」をつくり、アフガン南部の、自分の出身地のカンダハルに診療所や学校を開設しています。

 N子さんが言っていたのは、「レシャードさんは、確実な、正確な事実だけを語っているのが印象的だった」と。
 「誰がどうすべきかとかも質問されても言わないのね。すごい誠実さを感じた」と。

 それって、事実と事実だけで組み合わせると「事実が主張している」ということでしょうね。
 N子さんと話をして思いました。
 正しいのは主張ではなくて、正しいのは事実の方です。
 主張は事実に合っているかどうかで、正しさが決まります。
 
 今週の8日の交渉・懇談も、事実にしゃべらせねばと思います。
 うわ、言うは易く行うは難し、なんだから。
 N子さん、K子さん、横で援助してくださいね!

 こういうのは、里山のように、集団的作業です。