雨宮日記 8月14日(火)の3 午後10時にコオロギの初鳴き
花火も9時過ぎに終わってすっかり静かになった夜。
2階の外のベランダでコオロギの声がした。今年初めて。
去年から生きていたコオロギかな?
リー、リー、リーと、なんか懐かしい。まだ秋は遠くにいる。
雨宮日記 8月14日(火)の3 午後10時にコオロギの初鳴き
花火も9時過ぎに終わってすっかり静かになった夜。
2階の外のベランダでコオロギの声がした。今年初めて。
去年から生きていたコオロギかな?
リー、リー、リーと、なんか懐かしい。まだ秋は遠くにいる。
雨宮日記 8月14日(火)の2 浜松で小さな地震
ちょうど近く(早出町?)で花火をやっている時に小さな地震があった。
地震があったので「気象庁・地震速報」にアクセスした。
「震源・震度に関する情報
平成30年 8月14日20時54分 気象庁発表
14日20時51分ころ、地震がありました。
震源地は、静岡県西部(北緯34.8度、東経137.5度)で、
震源の深さは約40km、
地震の規模(マグニチュード)は3.9と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
この地震により観測された最大震度は3です。
[震度3以上が観測された地域]
震度3 愛知県東部
[震度3以上が観測された市町村]
愛知県 震度3 新城市」
テレビでは浜松市中区で震度2と報道されたらしい。
雨宮日記 8月14日(火) また「切られた」
何度目だろうか。また「切られた」。というより「かじられた」。
ボクの携帯電話を下の居間で、テレビの録画を見ながら充電していた。1個所へかけて携帯をテーブルの上へ置き直してしばらくしたら、あれっ?充電していない?
よくよく見たら携帯電話の線が途中でプツンとちょん切れている!やられた。ウサギの豆子のしわざだ。いや則子さんはボクを見て犯人はあなたよという顔をしている。
確かにボクが悪いんです。則子さんがすぐドコモショップへ携帯の充電器を買いに一手000円の出費でした。すみません。ボクの年金から引いといてください。
まだウサギの豆子は夏のこの暑さにもめげず元気なようです。安心しました。
戦争と平和 16 靜岡県平和運動 1 索引・谷中敦『深謝・惜別ー』2007年
索引 谷中敦『深謝・惜別ー』自費出版、2007年、281ページ
谷中敦さんは、長く静岡県平和委員会のリーダーだった方で、2006年1月12日に亡くなった。
これは没後1年で出版された谷中さんの主著である。
谷中敦さんはボクたちの結婚に際して仲人をしていただいた。ボクの「師匠」であるとボクは思っている。
いま谷中さんの記録をつくるべく、論文・関連記事・動画・写真・音声などを集め始めてている。
以下、ボクが作った索引をかかげる。
なぜ1冊の索引に「谷中深謝惜別 p」となっているかは、おいおい説明するつもりである。
索引 谷中敦『深謝・惜別ー』2007年
△ 軍事基地
◇ 地名
◎ 集会・行動
『赤富士』 谷中深謝惜別 p37~39
芥川龍之介 谷中深謝惜別 p144~148
浅羽喜太郎 谷中深謝惜別 p137~142
◎アスパック闘争 谷中深謝惜別 p23~24
◇新居(あらい) 谷中深謝惜別 p73~75
◇池田二〇世紀美術館 谷中深謝惜別 p21、196
◇伊東港 谷中深謝惜別 p19~21
伊藤博文 谷中深謝惜別 p203~205
△今沢米軍基地 谷中深謝惜別 p47~54
入会(いりあい) 谷中深謝惜別 p55~60
遠藤正 谷中深謝惜別 p192
太田進 谷中深謝惜別 p87~88
小笠原英三郎 谷中深謝惜別 p22、191~194
◇沖縄 谷中深謝惜別 p108、112~113
沖縄人民党 谷中深謝惜別 p113
快晴率 谷中深謝惜別 p72
◇掛塚 谷中深謝惜別 p218
加藤周一 谷中深謝惜別 p169
聞間元(ききまはじめ)谷中深謝惜別 p185~186
陸井三郎 谷中深謝惜別 p98、180~183
草野信男 谷中深謝惜別 p178~179
熊倉啓安 谷中深謝惜別 p173~176、178
久保山すず 谷中深謝惜別 p16~17
桑山源龍 谷中深謝惜別 p162、163
「広大な空白」 谷中深謝惜別 p110
古在由重 谷中深謝惜別 p184~185
小林徹 谷中深謝惜別 p38、176~177
ゴヤ 谷中深謝惜別 p206~207
斉藤玄 谷中深謝惜別 p143
作風(さくふう) 谷中深謝惜別 p111
サルトル 谷中深謝惜別 p156、168
◇清水港 谷中深謝惜別 p41~46
シベリウス 谷中深謝惜別 p102~104
◇下田 谷中深謝惜別 p18~23
白井健三郎 谷中深謝惜別 p166~172
進藤剛敏(狂介) 谷中深謝惜別 p96
杉末廣 谷中深謝惜別 p71
鈴木正二 谷中深謝惜別 p24~25
◇駿河湾 谷中深謝惜別 p60
瀬長亀次郎 谷中深謝惜別 p112~113
専従 谷中深謝惜別 p12~13
◇中国 谷中深謝惜別 p266~278
◇天竜 谷中深謝惜別 p77~79
ドロレス・イバルリ 谷中深謝惜別 p108~109
中鳶哲演 谷中深謝惜別 p90~97
中野重治 谷中深謝惜別 p89~90
中野好夫 谷中深謝惜別 p179、187~191
中村元 谷中深謝惜別 p180
夏目漱石 谷中深謝惜別 p114~134
梛(なぎ)の木 谷中深謝惜別 p97~98
波打ち際作戦 谷中深謝惜別 p46~55
人間魚雷 谷中深謝惜別 p60
◇日本海 谷中深謝惜別 p89~99
日本山妙法寺 谷中深謝惜別 p14~15
◇浜松 谷中深謝惜別 p72~77
浜松一中 谷中深謝惜別 p154~163
林正子 谷中深謝惜別 p143
ピカソ 谷中深謝惜別 p106、196
ファン・ボイ・チャウ 谷中深謝惜別 p137~142
藤井日達 谷中深謝惜別 p187
冨士アザミ 谷中深謝惜別 p34~35
◎富士山麓総行動 谷中深謝惜別 p29~39
◎平和行進 谷中深謝惜別 p61~71
ブレヒト 谷中深謝惜別 p105~106
ベトナム戦争 谷中深謝惜別 p15~16、21~22、45~48
「ベトナム特需」 谷中深謝惜別 p45
堀田善衛 谷中深謝惜別 p148~149、197~215
牧田喜義 谷中深謝惜別 p196
松風いさ子 谷中深謝惜別 p102、143
丸山真男 谷中深謝惜別 p26
◇三島 谷中深謝惜別 p25~26
宮本顕治 谷中深謝惜別 p144
村田豊治 谷中深謝惜別 p194~195
◇焼津 谷中深謝惜別 p
谷中ちず(母) 谷中深謝惜別 p218~226
谷中敏治(父) 谷中深謝惜別 p227~245
山村茂雄 谷中深謝惜別 p142、282
◇竜洋 谷中深謝惜別 p266
魯迅 谷中深謝惜別 p135~137、146~147、206、249、257~259
◇若狭 谷中深謝惜別 p89~99
渡辺卓郎 谷中深謝惜別 p142
新・本と映像の森 166 ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』柏書房、1995年
副題「日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝」、平岡磨紀子/構成・文、324ページ、定価本体1748円。
ベアテ・シロタ・ゴードン、彼女は1923年、ピアニストの娘に生まれる。5才から1939年まで両親と日本に滞在。15才で1人で渡米、戦争になる。
1945年12月24日、連合国GHQの民間要員として日本へ。父母と再会。
1980年代までは日本では「日本国憲法・連合国GHQ民政局草案」を創るための「9日間」はその実像はほとんど知られていない。1990年代からは日本では「ベアテ・シロタ・ゴードン」の名とともに、周知のことになったが。
この本の価値は、その民政局の人々のリアルな姿にあると思う。
ホイットニー准将。49才。
ケーディス大佐。40才。
マイロ・E・ラウエル陸軍中佐。42才。
アルフレッド・R・ハッシー海軍中佐。44才。
ルース・エラマン。30才。
この本の「Ⅴ 日本国憲法に「男女平等」を書く」がひとつの核心的内容だと思います。ベアテさんが書いたが残されなかった草案と、ベアテさんが書いて日本国憲法に残された部分と。
ボクも日本国憲法形成過程をもう一度戦前から辿り直してみたい。
目次は以下の通り。
プロローグ 再会ー1945年12月24日
Ⅰ 焦土の日本に帰る
Ⅱ 父と母の街・ウィーン
Ⅲ 乃木坂の家の日々
Ⅳ 大戦下のアメリカで暮らす
Ⅴ 日本国憲法に「男女平等」を書く
Ⅵ 既婚女性とやりがいのある仕事
Ⅶ 新しい道 アジアとの文化交流
エピローグ ケーディス大佐と日本を訪れてー1993年5月
ベアテさんとの出会いー平岡磨紀子
参考文献
年譜
活動記録
この本のふたつめの核心的内容が戦後のニューヨークでベアテさんならではの文化的活動だと思います。
ベアテさんは英語ー日本語の通訳の力を生かして「ジャパン・ソサエティ」「アジア・ソサエティ」で働きます。
そこで市川房枝さんや棟方志功さんなどを招聘した記録はきわめて貴重なものと思います.生け花やアジアの踊りも。
☆
戦前、東大は女性を受け入れてなくて、戦後、東大は新憲法ができて初めて女性が入れるようになった。父レオ・シロタの弟子でベアテさんとも親交のある藤田晴子さんは東大の女性第1期生だった。(p307)
父レオ・シロタはユダヤ人であって、「シロタ」は日本人とはまったく関係がない。この本の3つめの核心的内容がシロタ一家のヨーロッパ記録だ。
父レオ・シロタが人妻で息子のいる女性と恋しあって結婚するまでの話も、すごくワクワクする。
新・本と映像の森 165 ボクのベスト・マンガ20選 Ver.1
これは「ボクの」現時点での「ベスト・マンガ20選」であって、「ボクの」でなければまったく違った編集になるだろうし「50選」「100選」だったら、またわからない。またいつか「50選」「100選」をやりたいな。
では「ボクのベスト・マンガ20選 Ver.1」です。順位はなし。著者あいうえお順。一応、ひとり1点ずつ。
どうしても自分のSF好みが入ってしまいました。
もちろん、これら以外にも傑作はたくさんあります。日本のマンガ文化は豊富ですね。
アニメはマンガではないので除きました。別途「ボクのベスト・アニメ20選」は、やりたいです。
池田理代子『ベルサイユのばら』
一色登希彦『日本沈没』
一色まこと『ピアノの森』
石森章太郎『サイボーグ009』
浦沢直樹『20世紀少年』
オダシゲ『まん丸団地』、4コママンガ『赤旗しんぶん』
王欣太『蒼天航路』
佐藤正明、政治マンガ『中日新聞』
竹宮恵子『地球(テラ)へ』
手塚治虫『火の鳥』
永井豪『デビルマンレデイ』
萩尾望都『ポーの一族』
長谷川町子『サザエさん』4コママンガ
日渡早紀『ぼくの地球を守って』
星野之宣『ヤマタイカ』
まつやまふみお『鳥獣戯画』
宮崎駿『風の谷のナウシカ』
宮下英樹『センゴク』
山田芳裕『へうげもの』
ゆうきまさみ『鉄腕バーディ』
雨宮日記 8月12日(日) 午後はカミナリ
午前は則子さんは避難訓練。自治会の救急訓練などをやったようだ。
お昼頃、遠くで雷・神鳴りがゴロゴロ鳴り始めた。慌ててパソコンを切った。紙資料の整理とノート貼りを則子さんに手伝ってもらってやった。
雨宮日記 8月11日(土)の2 原爆の紙芝居の絵が完成
もう何年もずっと暖めてきた原爆の紙芝居企画。浜松市原水協と被曝者の会西遠支部による。その原稿の絵が完成。
今日、則子さんが絵を預かってきた。原画を書いてくださった湖西のIさん、浜北のAさん、ありがとうございます。
則子さんも、いろいろ苦労がありました。
まだあと少し、紙芝居に完成させないと。
雨宮日記 8月11日(土)の1 ヒヨドリが鳴いている
暑さは変わりないが、セミの声が減った。
その代わりに、ヒーーーー、ヒーーーーとヒヨドリが鳴いている。
なんの信号だろうか?悲鳴に聞こえるけど、違うだろうな。
新・本と映像の森 164 J・チャドウィック監督、映画『おじいさんと草原の小学校』イギリス、2010年
原題「The First Grader」
イギリスから独立をかちとったケニア。独立39年後の2003年、政府は無償教育制度を始めた。
ケニアのある田舎にも、たくさんの子どもたちが集まった。机も椅子も足りない、教科書もノートも鉛筆も足りないなかで悪戦苦闘する教師たち。
そのなかに毎日何kmを通い、入学を拒否される老人があった。
1920年生まれのキマニ・マルゲ、彼の熱意に若い女性校長ジェーンは入学を許可し、学校の苦闘が始まる。
この映画の主人公はマルゲよりもジェーンであると思う。そしてマルゲを慕う子どもたちの姿がすばらしい。
マルゲの役割は過去とのかけはしとでも言えるだろうか。アフリカの歴史に無知な私たち日本人にとってケニア独立運動を知ることは意義深い。
マウマウ団、キクユ族への弾圧、マルゲの妻や2人の娘は殺され、マルゲ自身は長い収容所生活を送る。
長い弾圧生活で読み書きをまなぶ時間も金もなかったのだ。
こうしてマルゲは「世界最年長小学生」ギネス記録となる。
見るに値いする映画だと思う。
過去現在未来のメモリーノート 26 受験をすべて線型点数システムで測るな
医学部の受験が話題になっている。
しかし、どうも話の前提に違和感がある。医師の資格は「受験の線型点数システム」なのか。みんな受検を「受験の線型点数システム」にせよといっているのか。
ボクとしては自分のかかる医師は「受験の線型点数システムによる優秀エリート」であって欲しくない。
男女差別とは話が別だという人もあるだろう。それも男女の話をたんに成績順にした話ではないのか。
完全成績順でいいというのは違和感がある。だいたい何の成績順か。
マスコミの論議が何をめざしているのか、あまりわからないので深めて、わかるようにっして欲しい。
たとえば「受験における男女差別反対」というのは「男女平等」とは違うのでは、ないのか。
ボクは個別の大学・学部や個別の会社で絶対的決定権をもつのが正しいと思うのですが、どうでしょうか。ほかの組織やマスコミが文句をいうのはおかしいです。
そのうえで落ちた人は文句を言いたければ言うのは自由。ただしそれが通るとは限らない。
どこだって優秀な若い人は欲しいんだよね。ただし、それは「完全成績順」とは一致しない。
それでいきたいという組織は否定しないけど。将来、困るだろうけど。
結論や提言を書くつもりはない。ただ、考えることをみんな放棄しないで欲しいというだけである。
雨宮日記 8月9日(木)の3 やっぱりお昼は冷やし中華
今日は則子さんはお仕事は休みの日。夏はどうしてもお昼は冷たいものを則子さんが作ってくれます。
仕事に出ているときはお弁当を2人分作ってくれて短いお昼休みに帰って来ていっしょに食べますが。
家にいると3人分を3回も創るのでたいへんです。2回か1回にすれば、あるいは創るのは1回で3回に分けて食べる、というわけにはいかないでしょうね。
雨宮日記 8月9日(木)の2 長崎平和式典
今日は長崎に原爆が投下された日。テレビで少し平和式典を見ました。田上長崎市長の演説を聞きました。具体的でとてもいいです。昨年亡くなった2人の被曝者を紹介するのもよかった。
市長の回りを「ウスバキトンボ」でしょうか、トンボが飛び交っているのがとても印象的でした。
雨宮日記 8月9日(木)の1 定期検診にNクリニックへ
症状を診てもらうためと血圧を下げるクスリをもらうため、タクシーで定期的にNクリニックへ行く。夏でもボクはそんな弱くないので元気。
むしろアシストの則子さんの方がばてている。
今日も異常はなし。涼しくなったら電車で車椅子で行くのもいいな。
雨宮日記 8月8日(水)の2 翁長沖縄県知事が急死
いま午後8時。ネットニュースをパソコンで見たら、沖縄県知事の翁長さんが膵臓ガンで急死というニュースがあった。
びっくり。11月を控えてかなり無理をしていたんだなあと思う。本人はしょうがないけど、回りが辞任させることは可能だったのではないだろうか。
でも、今となってはしょうがない。8月~9月に沖縄県知事選か?翁長さんの後継者に誰を選ぶか?