新・古代史ノート 1 遺跡古墳 1 入野古墳<浜松市西区入野町> 20201005
新たに「新・古代史ノート」を始めます。むかしの文章であっても写真を新しくした場合は「新・古代史ノート」とします。
gooブログでは、これまで1つの項目にたいして写真を1枚しか使えなかったのが、何枚も使えるようになったので、活用したいと思います。
◇
入野古墳は、直径44.0m、高さ5.9m(標高ではありません)で西遠地方では最大の円墳です。
位置は入野町のイオン(もうじき無くなるようですが)の北、ど高いマンション「パーク・ホームズ」のすぐ北に鬱蒼とした森があります。その森そのものが入野古墳です。
西北にセブン・イレブンがある信号を南から来たら左折、北から来たら右折します。最初の南に入る道路を入るのですが、駐車違反になるので、ぼくはそのまままっすぐ走って佐鳴湖に出るすぐ手前の北側に入る駐車場に止めて歩きます。
飛行機がいくつも置いてある喫茶店「飛行場」を過ぎて、「竜雲寺」を過ぎて信号の手前を南へ歩きます。巨大マンションの手前に北へ上がっていく舗装道路を昇っていき、目の前の石段から古墳のある山へ入ります。まだ古墳ではありません。
石段を登ると、もう道はないので、昇りやすい斜面を適当に登ります。運動不足のぼくは、息が切れました。
頂上の手前に「説明板」が立っています。つまり、この説明板の立っている標高から上が古墳です。 頂上は標高26.1mです。北と西は木がうっそうと茂っていますが、南と東はほとんどなく、とくに南方ははるか彼方まで見渡せます。
この浜松南部地域の豪族の墓という説明はなっとくできますが、これ1基だけなのは何故でしょうか?もっとあったのに、あるいは別の場所にあったのに破壊されたのか?
関係があるとしたら、弥生時代の伊場遺跡や、佐鳴湖の西岸、つまり対岸になる、古墳時代の大平遺跡ぐらいでしょうか。
入野古墳は発掘調査で葺き石は出ましたが、埴輪はなく、古墳時代中期、5世紀のころと推定されています。
円墳としては直径44mで、西遠地方最大か2番目なのですが、磐田では髙根山古墳(69m)・城之崎丸山古墳(60m)、秋葉山古墳(55m)、京見塚古墳(50m)、澄水山(ちょうすいざん)古墳(50m)とさらに大きな円墳があるのは、なぜでしょうか?
写真は2014年1月19日撮影。