漫画「のんのんばあとオレ」。
名作「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの「水木しげる」さんが、
自らの幼少時代のお話をそのまま漫画にした作品です。
この漫画を読むと、
水木さんは子供の頃から霊感があった人だったのだなぁ......と。
それで、ゲゲゲの鬼太郎は生まれたのかぁ......と。
そんなことを思わされる興味深いお話が沢山描かれています。
「そうか、水木さんの子供の頃のあだ名はゲゲ!だったのか」
「それでゲゲゲの鬼太郎だったのか」
とか。僕は勿論、このブログの常連さん達ですと......
「鬼太郎って、やっぱり!本当にいたんだな。
ま、実際、ツカヘイさんもいるしな......」
なんて。そんなポンチキなことも改めて良くわかってしまう!?
ような漫画なのです(^^)。
中に収められているお話は、
ちょっと冷静に眺めると実は悲しい話なのに、何故か?
全然暗くならなかったり。
とても静かな話のハズなのに、心が熱くなって涙が止まらなくなったりと。
そんな話がいっぱいで。
最初は人によってはカナリ入り込みにくい絵かもしれませんが、
もし肌に合わなくてもソレを乗り越えて読み進めていくと、
中盤あたりからはどんな人でも
「じわーーん......」
と、心が暖かくなっていくのがわかるのではないかな?とも思います。
とても素敵な作品だと思います(^ν^)
個人的に印象的だった部分を幾つか記すと、少年時代の水木しげるさんは、
地元では「しげーさん」と呼ばれていた、という事だったり。
しげーさんは既に幼い頃から妖怪に興味を持っていたのだ!
という事だったり。絵が好きで、
いつも趣味で妖怪のイラストや漫画を描いていたということだったり。
そんな妖怪の中でもとりわけ
「会ってみたい!」
と思っていた妖怪が「小豆はかり(アズキハカリ)」だった、
ということだったり。
でも、見たことがない妖怪なので、
その姿がもう一つイメージ出来なくて、とても困っていたとか。
そんな時にシゲーさんの街にお化け屋敷の巡業が来たので、
「絵の参考になれば!」
という気持ちで出掛けていった、ということとか。
行ってみたけど普通のお化け屋敷で、結局なんの参考にもならなくて。
その後打つ手もなく、とにかく色々な絵を描きながら一人、
部屋で悶々と思い悩んでいた、とか。
とても面白いです。(^_^)
そして更に面白いのが、
その妖怪「小豆はかり」と念願の遭遇を果たした時の話。
ある夜。
シゲーさんが悩みながら「小豆はかり」の絵を書いていると、
どこからともなく、
その「小豆はかり」の声がしげーさんに聞こえて来て———————
「うーーーん。ちょっと違うなぁ」
「大いに違う」
「?」
「不愉快である」
「だ、誰だ!?もしかして小豆はかりか!?」
「そうだ。俺はそんな低俗な姿をしていない」
「ほんなら、どげん姿だ?」
「言葉にできるほど単純ではない。
私は有って無い存在。
無くて有る存在」
「そげんもったいぶらんで、ちょっとだけ姿を見せてもらえんか」
「いいだろう。
普段の妖怪に対する心掛けに免じて少しだけ姿を見せてやろう。
次の稲妻とともに現れ、その姿の稲妻と共に消える」
「......」
ピカ!どでん!ザザーーーーッ!
「ムフフ......」
「けっこう単純じゃないか」
「これは基本の姿だ。変幻自在。どんな姿にもなる」
「小豆のまき方見せて」
......パラパラパラ......
「動にして静。静にして動」
「なんで小豆なんてまくの?」
「それは俺にもわからん。そういう存在なのだ」
「人をおどかして面白いの?」
「別に面白くはない。そうすべく定められている。
お前はなぜ村木家に生まれたか」
「えっ?」
「なぜ頼まれもしない絵物語を描いているのか......それと同じことだ。
すべてのものが運命に定められた存在なのだ。
さぁ、そろそろ次の稲妻が来る」
「ま、待って。せめて次の稲妻まで」
「長い時が理解を深めるとは限らない。
一瞬は永遠であり、永遠は一瞬である」
ピカッ!ポァーーーー。。。。
「......」
—————————スゲー面白いっす(^^)
そして、この本でトテモ良く分かったのがシゲーさんのお父さんのこと。
なんだか飛び抜けて「おおらかな人柄」で描かれているのです。
本の中盤に、
シゲーさんのお兄さんの正さん(マサさん)がヒドイ失恋をしてしまい、
ヤケになって首を吊って死んでしまおうと、家の中で騒ぎを起こした......
という話があるのですが、
お兄さんの首吊りを必死になって止めようとする母親と、
それに抵抗するお兄さんとの修羅場的状況が描かれています。
そこへお父さんがプラリと入ってきて—————————————
「お父さん止めて!正が首を吊るなんて!正やめて!」
「やらしてみたらいいのに」
「な、なにをバカなことを......」
「わしは息子達にやりたいことをやらせる主義だけん」
「それとこれとは話が違うでしょ!」
「しょうがないだろう。
やりたいというもんは......まぁ、後の始末が大変だが」
「始末?」
「うむ。わしは一度首吊りを見たことがあるが、
そりゃあもう無残なものだった。
眼は飛び出す、舌はダラ......糞小便の垂れ流し......
ああ、思い出すのも嫌だ嫌だ」
————————この母と父の会話を聞いていた正(まさ)さんは、
首にかけていたロープを外し、床に泣き崩れました———————————
「......」
————————その様子をしばらく見ていた父は、
正(まさ)さんがちょっと落ち着いた頃合いを見計らって、
こんな話を始めます—————————————————————
「どうしても死ぬなら死んだってええ。
けど、まぁ、死なんほうがええだろうな。
肝心なことは、こんなことで恋愛に消極的になったりしないことだ。
男にとって女は教師だよ。
学校なんかじゃ教われない、いろんなことを教えてくれる。
学校なんかやめてもええが、女に恋することをやめたらあかん。
それがわしの別れの言葉だ」
————————さて。今回、突然、
水木しげるさんのこんな素敵な漫画の話をし出したのには、
ちょっとした理由がありまして。
それは、少し前のある日に。
また唐突に。
僕さんは青森県の恐山(おそれざん)に行きたくなってしまいまして。
毎度毎度の!?ワケあって!?強く呼ばれているよーな感じで。
故に、行きたい、というより行かないといけない......
というニュアンスの方が正確でして。
すると、また。そのタイミングで。
例によって、例のごとし。
プリリンねーさんの方にも神様から不可思議な言葉が降りていた様なのです。
ねーさんの正確な記述でもってその時の言葉を記すと......
「恐山にはのんのんばあがいる」
と。
「は !?......また。そんな。ワケのわからんことを......」
「◯◯◯◯の神が言うのよ」
「ふーーーーむ。。。
ちょーど、青森に行く予定があるんだよな。近く......」
「来てくれ!だって」
「ふーーーーーむむむ......」
「恐山徒然」話のスタートです。つづく(^^)
名作「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの「水木しげる」さんが、
自らの幼少時代のお話をそのまま漫画にした作品です。
この漫画を読むと、
水木さんは子供の頃から霊感があった人だったのだなぁ......と。
それで、ゲゲゲの鬼太郎は生まれたのかぁ......と。
そんなことを思わされる興味深いお話が沢山描かれています。
「そうか、水木さんの子供の頃のあだ名はゲゲ!だったのか」
「それでゲゲゲの鬼太郎だったのか」
とか。僕は勿論、このブログの常連さん達ですと......
「鬼太郎って、やっぱり!本当にいたんだな。
ま、実際、ツカヘイさんもいるしな......」
なんて。そんなポンチキなことも改めて良くわかってしまう!?
ような漫画なのです(^^)。
中に収められているお話は、
ちょっと冷静に眺めると実は悲しい話なのに、何故か?
全然暗くならなかったり。
とても静かな話のハズなのに、心が熱くなって涙が止まらなくなったりと。
そんな話がいっぱいで。
最初は人によってはカナリ入り込みにくい絵かもしれませんが、
もし肌に合わなくてもソレを乗り越えて読み進めていくと、
中盤あたりからはどんな人でも
「じわーーん......」
と、心が暖かくなっていくのがわかるのではないかな?とも思います。
とても素敵な作品だと思います(^ν^)
個人的に印象的だった部分を幾つか記すと、少年時代の水木しげるさんは、
地元では「しげーさん」と呼ばれていた、という事だったり。
しげーさんは既に幼い頃から妖怪に興味を持っていたのだ!
という事だったり。絵が好きで、
いつも趣味で妖怪のイラストや漫画を描いていたということだったり。
そんな妖怪の中でもとりわけ
「会ってみたい!」
と思っていた妖怪が「小豆はかり(アズキハカリ)」だった、
ということだったり。
でも、見たことがない妖怪なので、
その姿がもう一つイメージ出来なくて、とても困っていたとか。
そんな時にシゲーさんの街にお化け屋敷の巡業が来たので、
「絵の参考になれば!」
という気持ちで出掛けていった、ということとか。
行ってみたけど普通のお化け屋敷で、結局なんの参考にもならなくて。
その後打つ手もなく、とにかく色々な絵を描きながら一人、
部屋で悶々と思い悩んでいた、とか。
とても面白いです。(^_^)
そして更に面白いのが、
その妖怪「小豆はかり」と念願の遭遇を果たした時の話。
ある夜。
シゲーさんが悩みながら「小豆はかり」の絵を書いていると、
どこからともなく、
その「小豆はかり」の声がしげーさんに聞こえて来て———————
「うーーーん。ちょっと違うなぁ」
「大いに違う」
「?」
「不愉快である」
「だ、誰だ!?もしかして小豆はかりか!?」
「そうだ。俺はそんな低俗な姿をしていない」
「ほんなら、どげん姿だ?」
「言葉にできるほど単純ではない。
私は有って無い存在。
無くて有る存在」
「そげんもったいぶらんで、ちょっとだけ姿を見せてもらえんか」
「いいだろう。
普段の妖怪に対する心掛けに免じて少しだけ姿を見せてやろう。
次の稲妻とともに現れ、その姿の稲妻と共に消える」
「......」
ピカ!どでん!ザザーーーーッ!
「ムフフ......」
「けっこう単純じゃないか」
「これは基本の姿だ。変幻自在。どんな姿にもなる」
「小豆のまき方見せて」
......パラパラパラ......
「動にして静。静にして動」
「なんで小豆なんてまくの?」
「それは俺にもわからん。そういう存在なのだ」
「人をおどかして面白いの?」
「別に面白くはない。そうすべく定められている。
お前はなぜ村木家に生まれたか」
「えっ?」
「なぜ頼まれもしない絵物語を描いているのか......それと同じことだ。
すべてのものが運命に定められた存在なのだ。
さぁ、そろそろ次の稲妻が来る」
「ま、待って。せめて次の稲妻まで」
「長い時が理解を深めるとは限らない。
一瞬は永遠であり、永遠は一瞬である」
ピカッ!ポァーーーー。。。。
「......」
—————————スゲー面白いっす(^^)
そして、この本でトテモ良く分かったのがシゲーさんのお父さんのこと。
なんだか飛び抜けて「おおらかな人柄」で描かれているのです。
本の中盤に、
シゲーさんのお兄さんの正さん(マサさん)がヒドイ失恋をしてしまい、
ヤケになって首を吊って死んでしまおうと、家の中で騒ぎを起こした......
という話があるのですが、
お兄さんの首吊りを必死になって止めようとする母親と、
それに抵抗するお兄さんとの修羅場的状況が描かれています。
そこへお父さんがプラリと入ってきて—————————————
「お父さん止めて!正が首を吊るなんて!正やめて!」
「やらしてみたらいいのに」
「な、なにをバカなことを......」
「わしは息子達にやりたいことをやらせる主義だけん」
「それとこれとは話が違うでしょ!」
「しょうがないだろう。
やりたいというもんは......まぁ、後の始末が大変だが」
「始末?」
「うむ。わしは一度首吊りを見たことがあるが、
そりゃあもう無残なものだった。
眼は飛び出す、舌はダラ......糞小便の垂れ流し......
ああ、思い出すのも嫌だ嫌だ」
————————この母と父の会話を聞いていた正(まさ)さんは、
首にかけていたロープを外し、床に泣き崩れました———————————
「......」
————————その様子をしばらく見ていた父は、
正(まさ)さんがちょっと落ち着いた頃合いを見計らって、
こんな話を始めます—————————————————————
「どうしても死ぬなら死んだってええ。
けど、まぁ、死なんほうがええだろうな。
肝心なことは、こんなことで恋愛に消極的になったりしないことだ。
男にとって女は教師だよ。
学校なんかじゃ教われない、いろんなことを教えてくれる。
学校なんかやめてもええが、女に恋することをやめたらあかん。
それがわしの別れの言葉だ」
————————さて。今回、突然、
水木しげるさんのこんな素敵な漫画の話をし出したのには、
ちょっとした理由がありまして。
それは、少し前のある日に。
また唐突に。
僕さんは青森県の恐山(おそれざん)に行きたくなってしまいまして。
毎度毎度の!?ワケあって!?強く呼ばれているよーな感じで。
故に、行きたい、というより行かないといけない......
というニュアンスの方が正確でして。
すると、また。そのタイミングで。
例によって、例のごとし。
プリリンねーさんの方にも神様から不可思議な言葉が降りていた様なのです。
ねーさんの正確な記述でもってその時の言葉を記すと......
「恐山にはのんのんばあがいる」
と。
「は !?......また。そんな。ワケのわからんことを......」
「◯◯◯◯の神が言うのよ」
「ふーーーーむ。。。
ちょーど、青森に行く予定があるんだよな。近く......」
「来てくれ!だって」
「ふーーーーーむむむ......」
「恐山徒然」話のスタートです。つづく(^^)