3月10日の日の夜。
翌日の早朝から友達と出かける予定を組んでいた僕は、
早めにベッドにもぐり込んで寝ていました。
時刻は深夜3時を過ぎたくらいだったでしょうか。
ふと目が覚めた僕に、天から......龍神さんから?
.......こんな言葉が降りて来ました。
「......その予定を変えなさい」
ベッドで横になりながら、
少しぼやけた頭でしばらくそのことについて考えていると、
ふと、おぼろげに、
綺麗な風景が見えて来ました。
「......海か......」
「そうか......今日は3月11日......か」
僕は慌てて、確実に寝ていたであろう、
翌日の約束をしていた友達に真夜中のラインをし。
明日、というより今日の、
急で迷惑な予定変更のお願いをして。
さいわいの許しを頂き。
そこからまた少し寝て。
翌朝起きると海へと向かいました。
三浦半島、葉山町にある森戸海岸。
自宅から気軽に行けるところでは最も好きな海。
これまで、もう、何度来たか分からないほどの場所。
行く途中、
僕は花屋さんに寄って花を買いました。
「今日は赤い花だけは欠かせないな、、」
と、そんな思いで買った花。
それと、コンビニでお酒のミニボトルを1本。
森戸海岸に着くと富士山もよく見えていて。
先ずはその地を守護する森戸神社さんに参拝し。
その後、僕は神社裏手の海岸へと降りて行きました。
すると、今朝メッセージをくれた龍神さんのツノ!?
の様な流木が......一本、ポツン......と、
海岸に打ち上げられていました。
僕はその折れ木を海から拾い上げ、
そのままその場の岩に立てました。
木の側には持って来た花と、お酒を注いだ猪口を置き。
そして、スマホを取り出し、
時計の画面にして自分の足元近くの岩に置きました。
画面を見ると時刻は14時40分。
そして、14時46分。
全国の皆さんが行っているであろう黙祷に合わせ、
僕は目を閉じ、一生懸命、祈りを捧げました。
しばらく静かな時間が過ぎて。
目を開けると、
目前に置いておいたスマホの時計は14時49分でした。
あの東日本大震災から10年の時がたっていました。
10年で、
何が変わったのだろうか......
もしかしたら、
何も変わってないのではないか......
様々な思いが胸に押し寄せてきます。
海は、
寡黙に、
キラキラと輝いていました。
2011年2月26日の深夜3時29分にアーティストであり、
音楽作家の女性に返信で送ったメール。
この頃の僕は、毎日、
ほぼ寝ないで仕事をしていたように思います。
以下は、その僕の送った返信メールの内容に対し、
もう一度返ってきたメール。
2011年2月26日4時54分とあります。
————地の龍がうねりうねり東北へ、、
決して、悩むというようなことはありませんでしたが、
考えに考えた上で、
このブログに、
10年前の、
この「ごく私的なメール」を載せることにしました。
Gmailというのはメールの保存もできますし、
無制限でログを残すこともできます。
そんなふうにしてアーカイブしていた10年前のメールを、
スマホのキャプチャー画面となりますが、
「少しの部分だけ」
記し残しておこうと思います。
これまで、ホンの幾人かの親しい友人とは話したり、
幾重の議論もして来た様なものではありますが、
今年、森戸海岸に佇んでいた時に、
このブログにも少しだけ残しておこうか......
という気持ちが湧いて来て、固まりました。
このお話は、もう1話だけ、
この時彼女に送ったメールの話へと続かせてもらいます。
☆関連過去記事☆
「ポプラさんと桜さん」
「Door」
「3月11日」
「TPPと西尾さん」
「中央構造線の憂い」
「パン」
「少しでも」
「鹿島徒然」
「1月17日」
「遠望」
「オカマじゃないのよ」
「強く強く」
「火消しのG野」
「マイルストーン」
「リオ会議の宝石」
「アテルイ」
「アテルイ 2」
「日本中央」
「日本中央 2」
「日本中央 3」
「日本中央 4」
「Tough」
「中断」
翌日の早朝から友達と出かける予定を組んでいた僕は、
早めにベッドにもぐり込んで寝ていました。
時刻は深夜3時を過ぎたくらいだったでしょうか。
ふと目が覚めた僕に、天から......龍神さんから?
.......こんな言葉が降りて来ました。
「......その予定を変えなさい」
ベッドで横になりながら、
少しぼやけた頭でしばらくそのことについて考えていると、
ふと、おぼろげに、
綺麗な風景が見えて来ました。
「......海か......」
「そうか......今日は3月11日......か」
僕は慌てて、確実に寝ていたであろう、
翌日の約束をしていた友達に真夜中のラインをし。
明日、というより今日の、
急で迷惑な予定変更のお願いをして。
さいわいの許しを頂き。
そこからまた少し寝て。
翌朝起きると海へと向かいました。
三浦半島、葉山町にある森戸海岸。
自宅から気軽に行けるところでは最も好きな海。
これまで、もう、何度来たか分からないほどの場所。
行く途中、
僕は花屋さんに寄って花を買いました。
「今日は赤い花だけは欠かせないな、、」
と、そんな思いで買った花。
それと、コンビニでお酒のミニボトルを1本。
森戸海岸に着くと富士山もよく見えていて。
先ずはその地を守護する森戸神社さんに参拝し。
その後、僕は神社裏手の海岸へと降りて行きました。
すると、今朝メッセージをくれた龍神さんのツノ!?
の様な流木が......一本、ポツン......と、
海岸に打ち上げられていました。
僕はその折れ木を海から拾い上げ、
そのままその場の岩に立てました。
木の側には持って来た花と、お酒を注いだ猪口を置き。
そして、スマホを取り出し、
時計の画面にして自分の足元近くの岩に置きました。
画面を見ると時刻は14時40分。
そして、14時46分。
全国の皆さんが行っているであろう黙祷に合わせ、
僕は目を閉じ、一生懸命、祈りを捧げました。
しばらく静かな時間が過ぎて。
目を開けると、
目前に置いておいたスマホの時計は14時49分でした。
あの東日本大震災から10年の時がたっていました。
10年で、
何が変わったのだろうか......
もしかしたら、
何も変わってないのではないか......
様々な思いが胸に押し寄せてきます。
海は、
寡黙に、
キラキラと輝いていました。
2011年2月26日の深夜3時29分にアーティストであり、
音楽作家の女性に返信で送ったメール。
この頃の僕は、毎日、
ほぼ寝ないで仕事をしていたように思います。
以下は、その僕の送った返信メールの内容に対し、
もう一度返ってきたメール。
2011年2月26日4時54分とあります。
————地の龍がうねりうねり東北へ、、
決して、悩むというようなことはありませんでしたが、
考えに考えた上で、
このブログに、
10年前の、
この「ごく私的なメール」を載せることにしました。
Gmailというのはメールの保存もできますし、
無制限でログを残すこともできます。
そんなふうにしてアーカイブしていた10年前のメールを、
スマホのキャプチャー画面となりますが、
「少しの部分だけ」
記し残しておこうと思います。
これまで、ホンの幾人かの親しい友人とは話したり、
幾重の議論もして来た様なものではありますが、
今年、森戸海岸に佇んでいた時に、
このブログにも少しだけ残しておこうか......
という気持ちが湧いて来て、固まりました。
このお話は、もう1話だけ、
この時彼女に送ったメールの話へと続かせてもらいます。
☆関連過去記事☆
「ポプラさんと桜さん」
「Door」
「3月11日」
「TPPと西尾さん」
「中央構造線の憂い」
「パン」
「少しでも」
「鹿島徒然」
「1月17日」
「遠望」
「オカマじゃないのよ」
「強く強く」
「火消しのG野」
「マイルストーン」
「リオ会議の宝石」
「アテルイ」
「アテルイ 2」
「日本中央」
「日本中央 2」
「日本中央 3」
「日本中央 4」
「Tough」
「中断」