「もふふ!?(@_@;)......
うーーーんんと、、うーーーーーんと。。。
うーーー..........」
つづく......
またもやしばし考える僕ちん......
「......わかりません(T . T)ぶぇ...アゲイン...」
「砂時計ですよ。uzmetさん。
砂時計を使ってみたんです。
そうしたら秤(はかり)の時と同じように、皆、
ちゃんと時間を認識することが出来たんですよ。
やっぱり、皆で考えたのですけど、
ちゃんと答えはあったんですね(^^)」
「砂時計!(*゜ロ゜)、、ですか。。
確かに、それは大丈夫そうですね。。」
「タイマーとかもセットができないですから、
でも、砂時計だとわかるんですよ。ちゃんと。
ひっくり返して眺めるだけですから。
このテーブルにあるこの小さな木枠もですね、、、
......この木枠も、
決められた一定の太さにチョークを測ることが出来ないものかと、
皆で考えて出来たものなんですよ。
彼らはメジャーやノギスなんて数字がわからないから使えないのです。
でもこの枠にピッタリハマるかハマらないか、
細くて隙間ができてしまうか、、は分かるんですね。
それで、この木枠にハメテみるということを考えついて。
素材を決められた太さにするという作業も
彼等にやってもらうことが出来たんです。
チッポケなモノですけどね......とても大事なものなんです」
......OYさんは静かに、
こんな話を僕にしてくれました。
工場を出る時、
僕は改めて工場の片隅にある「秤」を見つめ直してしまいました。
なんだか......その何の変哲も無い小さな古めかしい秤に、
OYさんやこの工場で働く人達全ての、
日本理化学工業さんで働く人達全ての
「誇り」や「愛」のようなものが宿っているような感じがして......
とても神々しい何かを感じてしまい......
また暫くジッと見入ってしまいました。
......少し、熱いものがこみ上げて来ます。
小さな秤は、僕に何かを話しかけてくれているようでした。
「ちゃんと考えなきゃ......
俺、まだまだちゃんと考えられていないかもしれないな......
いろんな事......」
最初にOYさんに出会った時に、
OYさんの話を聞いてスグに買った本が自宅の書棚にあります。
坂本光司さんという大学教授の方が著した
「日本でいちばん大切にしたい会社」
という本。
この本にも「日本理化学工業」さんの話しが載っています。
これまでに6,000社以上の会社経営者に会い、
様々なインタビューを繰り返して来たという著者が、
その中で思う「未来に残したい会社の筆頭」が
日本理化学工業さんだということで書かれていました。
そしてこの本には、この日のOYさんからは直接聞くことは無かった
「どうして日本理化学工業さんが障害者の雇用を始めていったのか?」
ということの原点の話しや歴史が少し書かれています。
以下はその本文より一部転載したものになりますが————————
————————そもそもの始まりは50年ほど前、
工場の近くにあった障害者養護学校の一人の女性教諭の訪問からでした。
その女性教諭は日本理化学工業社長の「大山」さんの元にやって来て、
こうお願いをしたそうです。
「難しいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子供を、
ぜひあなたの会社で採用して頂けないでしょうか......」
それは知的障害を持つ二人の「少女」を採用して欲しいとの依頼でした。
当時専務だった社長の大山さんはこのお願いに悩みに悩んだそうです。
その子達を雇うのであれば、
その一生を幸せにしてあげなければいけない。
しかし、果たして今のこの会社に、
それだけのことが出来るのかどうか......
そう考えると自信が無かったのです。
結局大山さんは、
「お気持ちは分かりますが、うちでは無理です。
申し訳ございません。。」
と断ります。
しかし、その先生はあきめず、またやって来ます。
また断ります。
またやって来ます。
それでも断ります。
そうして3回目の訪問の時。
大山さんを悩ませ、苦しませていることにその先生も気付き、
ついに諦めました。
そして、その先生は、その時
「せめて一つだけお願いを......」
ということで、こんな申し出を大山さんにしたそうです。
「もう採用してくれとはお願いしません。
でも、せめて、あの子達に働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子達は、働く喜び、
働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」
そう言って、
頭を地面にこすりつけるようにしてお願いしている先生の姿に、
大山さんは心を打たれたそうです。
そうして「一週間だけ」ということで、
障害を持つ二人の少女に就業体験をさせてあげることになりました。
その話しが決まるとその子供達は勿論、
先生や家族の方達までとても喜んだそうです。
会社は午前8時から午後5時まで。
しかし、その子達は雨の日も、風の強い日も、
毎日朝の7時には会社の玄関に来ていたそうです。
お父さん、お母さん、
更には先生まで心配して一緒に送って来ていたといいます。
皆、午後三時ぐらいになると
「倒れていないか」
「何か迷惑をかけていないか」
と、遠くから二人の働く姿や会社を見守っていたそうです。
そうして一週間が過ぎ、
就業体験が終わる前日のことでした。
「お話があります」
と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。
「あの子達、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、大山さん。
来年の4月1日からあの子達を正規の社員として採用してあげて下さい。
もし、あの子達に出来ないことがあるなら私達みんなでカバーします。
だから、どうか採用してあげてください」
それが、社員皆の総意だと。
社員皆の心を動かすほど、
その子達は朝から終業時間まで一生懸命働いていたのです。
仕事は簡単なラベル張りだったらしいのですが、
10時の休み、
お昼休み、
3時の休みにまでも仕事に没頭して手を休めようとしません。
毎日背中を叩いて
「もうお昼休みだよ」
「もう今日は終わりだよ」
と言われるまで一心不乱だったそうです。
本当に幸せそうな顔をして、
一生懸命仕事をしていたそうです。
それ以来、
大山さんは障害者の皆さんを
少しづつ採用し続けていったそうです————————
————————僕は、その日、その工場で、
その本に書かれていた通りの、
幸せそうに働いている皆さんの顔を目の当たりにしました。
そして、そんな物語が宿った「秤」を見つけました。
その秤の中にある真実を教えてもらいました。
......少し、涙がこみ上げて来ます。
「幸せ」とは何でしょう。
人に愛されること。
人に褒められること。
人の役に立てること。
人に必要とされること。
その本には、
ある禅寺のお坊さんが大山さんに語ったこととして、
そう書かれていました。
働くことで、それが達成出来る。
そう書かれていました。
そんな工場見学を終えて、
僕はOYさんにお礼を言って、
また改めてお会いしましょうという約束もして、
駅まで車で送ってくれるというOYさんのお言葉を
「......なんだかですね、、
とてーも歩きたい気持ちなんですよ(^^)へへ」
と、工場裏の用水路沿いの道を歩いて帰ることにしました。
実は工場は、僕の自宅からさほど遠く無い所にあって、
用水路沿いの道を少し歩けば、
そこは自宅裏を流れる「多摩川」という広い川の反対岸辺りに出ます。
水際では夏の日差しの下で
白鷺(しらさぎ)さんがのんびりと休んでいました。
ちゃんと.......生きよう。
多摩川のほとりで、僕はそう思いました。
ちゃんと。生きよう。
そう思いました。
うーーーんんと、、うーーーーーんと。。。
うーーー..........」
つづく......
またもやしばし考える僕ちん......
「......わかりません(T . T)ぶぇ...アゲイン...」
「砂時計ですよ。uzmetさん。
砂時計を使ってみたんです。
そうしたら秤(はかり)の時と同じように、皆、
ちゃんと時間を認識することが出来たんですよ。
やっぱり、皆で考えたのですけど、
ちゃんと答えはあったんですね(^^)」
「砂時計!(*゜ロ゜)、、ですか。。
確かに、それは大丈夫そうですね。。」
「タイマーとかもセットができないですから、
でも、砂時計だとわかるんですよ。ちゃんと。
ひっくり返して眺めるだけですから。
このテーブルにあるこの小さな木枠もですね、、、
......この木枠も、
決められた一定の太さにチョークを測ることが出来ないものかと、
皆で考えて出来たものなんですよ。
彼らはメジャーやノギスなんて数字がわからないから使えないのです。
でもこの枠にピッタリハマるかハマらないか、
細くて隙間ができてしまうか、、は分かるんですね。
それで、この木枠にハメテみるということを考えついて。
素材を決められた太さにするという作業も
彼等にやってもらうことが出来たんです。
チッポケなモノですけどね......とても大事なものなんです」
......OYさんは静かに、
こんな話を僕にしてくれました。
工場を出る時、
僕は改めて工場の片隅にある「秤」を見つめ直してしまいました。
なんだか......その何の変哲も無い小さな古めかしい秤に、
OYさんやこの工場で働く人達全ての、
日本理化学工業さんで働く人達全ての
「誇り」や「愛」のようなものが宿っているような感じがして......
とても神々しい何かを感じてしまい......
また暫くジッと見入ってしまいました。
......少し、熱いものがこみ上げて来ます。
小さな秤は、僕に何かを話しかけてくれているようでした。
「ちゃんと考えなきゃ......
俺、まだまだちゃんと考えられていないかもしれないな......
いろんな事......」
最初にOYさんに出会った時に、
OYさんの話を聞いてスグに買った本が自宅の書棚にあります。
坂本光司さんという大学教授の方が著した
「日本でいちばん大切にしたい会社」
という本。
この本にも「日本理化学工業」さんの話しが載っています。
これまでに6,000社以上の会社経営者に会い、
様々なインタビューを繰り返して来たという著者が、
その中で思う「未来に残したい会社の筆頭」が
日本理化学工業さんだということで書かれていました。
そしてこの本には、この日のOYさんからは直接聞くことは無かった
「どうして日本理化学工業さんが障害者の雇用を始めていったのか?」
ということの原点の話しや歴史が少し書かれています。
以下はその本文より一部転載したものになりますが————————
————————そもそもの始まりは50年ほど前、
工場の近くにあった障害者養護学校の一人の女性教諭の訪問からでした。
その女性教諭は日本理化学工業社長の「大山」さんの元にやって来て、
こうお願いをしたそうです。
「難しいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子供を、
ぜひあなたの会社で採用して頂けないでしょうか......」
それは知的障害を持つ二人の「少女」を採用して欲しいとの依頼でした。
当時専務だった社長の大山さんはこのお願いに悩みに悩んだそうです。
その子達を雇うのであれば、
その一生を幸せにしてあげなければいけない。
しかし、果たして今のこの会社に、
それだけのことが出来るのかどうか......
そう考えると自信が無かったのです。
結局大山さんは、
「お気持ちは分かりますが、うちでは無理です。
申し訳ございません。。」
と断ります。
しかし、その先生はあきめず、またやって来ます。
また断ります。
またやって来ます。
それでも断ります。
そうして3回目の訪問の時。
大山さんを悩ませ、苦しませていることにその先生も気付き、
ついに諦めました。
そして、その先生は、その時
「せめて一つだけお願いを......」
ということで、こんな申し出を大山さんにしたそうです。
「もう採用してくれとはお願いしません。
でも、せめて、あの子達に働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子達は、働く喜び、
働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」
そう言って、
頭を地面にこすりつけるようにしてお願いしている先生の姿に、
大山さんは心を打たれたそうです。
そうして「一週間だけ」ということで、
障害を持つ二人の少女に就業体験をさせてあげることになりました。
その話しが決まるとその子供達は勿論、
先生や家族の方達までとても喜んだそうです。
会社は午前8時から午後5時まで。
しかし、その子達は雨の日も、風の強い日も、
毎日朝の7時には会社の玄関に来ていたそうです。
お父さん、お母さん、
更には先生まで心配して一緒に送って来ていたといいます。
皆、午後三時ぐらいになると
「倒れていないか」
「何か迷惑をかけていないか」
と、遠くから二人の働く姿や会社を見守っていたそうです。
そうして一週間が過ぎ、
就業体験が終わる前日のことでした。
「お話があります」
と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。
「あの子達、明日で就業体験が終わってしまいます。
どうか、大山さん。
来年の4月1日からあの子達を正規の社員として採用してあげて下さい。
もし、あの子達に出来ないことがあるなら私達みんなでカバーします。
だから、どうか採用してあげてください」
それが、社員皆の総意だと。
社員皆の心を動かすほど、
その子達は朝から終業時間まで一生懸命働いていたのです。
仕事は簡単なラベル張りだったらしいのですが、
10時の休み、
お昼休み、
3時の休みにまでも仕事に没頭して手を休めようとしません。
毎日背中を叩いて
「もうお昼休みだよ」
「もう今日は終わりだよ」
と言われるまで一心不乱だったそうです。
本当に幸せそうな顔をして、
一生懸命仕事をしていたそうです。
それ以来、
大山さんは障害者の皆さんを
少しづつ採用し続けていったそうです————————
————————僕は、その日、その工場で、
その本に書かれていた通りの、
幸せそうに働いている皆さんの顔を目の当たりにしました。
そして、そんな物語が宿った「秤」を見つけました。
その秤の中にある真実を教えてもらいました。
......少し、涙がこみ上げて来ます。
「幸せ」とは何でしょう。
人に愛されること。
人に褒められること。
人の役に立てること。
人に必要とされること。
その本には、
ある禅寺のお坊さんが大山さんに語ったこととして、
そう書かれていました。
働くことで、それが達成出来る。
そう書かれていました。
そんな工場見学を終えて、
僕はOYさんにお礼を言って、
また改めてお会いしましょうという約束もして、
駅まで車で送ってくれるというOYさんのお言葉を
「......なんだかですね、、
とてーも歩きたい気持ちなんですよ(^^)へへ」
と、工場裏の用水路沿いの道を歩いて帰ることにしました。
実は工場は、僕の自宅からさほど遠く無い所にあって、
用水路沿いの道を少し歩けば、
そこは自宅裏を流れる「多摩川」という広い川の反対岸辺りに出ます。
水際では夏の日差しの下で
白鷺(しらさぎ)さんがのんびりと休んでいました。
ちゃんと.......生きよう。
多摩川のほとりで、僕はそう思いました。
ちゃんと。生きよう。
そう思いました。
泣きたくなりました。お話をご紹介してくださってありがとうございます。
来週Oさんとご飯食べるのでクッカバラさんのお言葉、ちゃんとお伝えしておきますね。
「O」さんは、、、実は、、「O山」さんです( ̄ー+ ̄)ニヤリ
こんな記事でよければ、少しでも多くの人に伝えて頂ければOさんも僕もとても嬉しいです。
ありがとうございます(^^)