とてもありがたいことに、
このブログの読者さん達からはよくいろいろなモノを
いただいたりもしまして。
以前、公開前の映画のDVDを頂いたようなこともありましたが、
最近では企画中の映画の脚本がPDFで届いたり、と、
けっこう面白いものがあったりもします。
他にも音楽とか漫画とか、
そんなモノも頂いたり、レコメンドを受けたりもしていて。
少し前には、時折コメントを頂く「こもりく」さんから
メールで本のオススメを受けまして。
表紙を見ているうちについつい買ってしまいました。
いわゆる「ジャケ買い」というやつでしょうか。
「神の木 いける・たずねる」
川瀬敏郎(かわせとしろう)、光田和伸(みつたかずのぶ)著。
光田さんは国文学者さんのようで、
本の中では日本特有の美しき木々を、
その分野の切り口から解説していました。
一方、川瀬さんは、
いわゆる「花人」であって、花道(華道)の大家。
どの流派にも属さず、独自の創作活動を続けてきている方だそうで、
日本固有の文化の中に身を置きつつも、海外留学などの経験も豊富。
価値観も広く豊かで、京都府の文化賞功労賞なども受賞しているようです。
この本では、書中で取り上げられる様々な木を......花でなく「木」を......
川瀬さんが思う様にいけてみる、という内容でしたが、
この川瀬さんが木をいけてみた時の感想というのがとても面白く。
僕にとっては結構思うことが多いものでもありました。
================================
<椿(つばき)をいけてみて>
——————あれこれいけてみたのですが、
けっきょく、最初にいれた一枝にもどしました。
このごろ、手をかければかけるほど、
なにかから遠ざかる様な気がしてならないのです。
<樟(くす)をいけてみて>
——————私は花をいけるときは、
草木をとわず、どの枝も人に見えるのですが、
樟の大枝は人間ばなれしていて、手におえなかった。
この花に決まるまで数ヶ月かかりました。
寺社の境内に立つ樟の姿を脳裏からとりさって、
ようやく、この木の「声」を聞くことができました。
<柳(やなぎ)をいけてみて>
——————柳も松や椿とおなじく、
数えきれないくらいたくさんいけてきましたが、
いつまでもたのしく、あきることのないものです。
柳の枝には、人の手をさそう表情があります。
むこうから話しかけてくるのです。
(中略)
柳の枝には腰があるので、
わりと自由にまげてかたちをつくれます。
いけばなでは大事な技法ですが、
やりすぎると俗になる。
この花はなんにもしませんでした。
そのまま、ふわりとした姿のほうが、
神がやどるにはふさわしいと思いました。
<欅(けやき)をいけてみて>
——————欅もむつかしかった。
これもはじめてです。
いけばなの歴史上もないでしょう。
(中略)
そういえば私は、
欅を日本の木と感じていないかもしれません。
重厚で壮大な、ドイツ、ロマン派の音楽の様な木。
================================
「いけばな」というのは「生花」と書く様です。
基本は野に咲く花々の生きる力や芽吹く生命力をそのまま表現し、
再現もしていくような、
そんなものとして磨かれてきたものらしいのですが、
その形は、その後、立花(たちばな、立華)などをはじめ、
いろいろな広がりとスタイルを生んできてもいるようです。
当然?かもしれませんが、茶の湯を確立させた
「千利休」さんもその流れには大きな影響を与えてきたようで。
茶道の中からは「茶花(ちゃばな)」
などというものも生まれているようです。
利休さんは茶の湯の心得のなかで
「花は野にあるように」
と説いていますが、
川瀬さんの言葉を紐解く時には
そんなコトゴトが浮かんできたりもします。
なんとなく、僕は、
川瀬さんの中に利休さんのココロをみたりもしてしまうのですが、
それは、かなり心地の良いものであったりもするのです。
「やりすぎると俗になる」
「手をかければかけるほど、
何かから遠ざかる気がしてならないのです」
絶賛!自己嫌悪中のアチキには響くのですなぁ......
むぅぅーーーーんんん......(*´ω`)
このブログの読者さん達からはよくいろいろなモノを
いただいたりもしまして。
以前、公開前の映画のDVDを頂いたようなこともありましたが、
最近では企画中の映画の脚本がPDFで届いたり、と、
けっこう面白いものがあったりもします。
他にも音楽とか漫画とか、
そんなモノも頂いたり、レコメンドを受けたりもしていて。
少し前には、時折コメントを頂く「こもりく」さんから
メールで本のオススメを受けまして。
表紙を見ているうちについつい買ってしまいました。
いわゆる「ジャケ買い」というやつでしょうか。
「神の木 いける・たずねる」
川瀬敏郎(かわせとしろう)、光田和伸(みつたかずのぶ)著。
光田さんは国文学者さんのようで、
本の中では日本特有の美しき木々を、
その分野の切り口から解説していました。
一方、川瀬さんは、
いわゆる「花人」であって、花道(華道)の大家。
どの流派にも属さず、独自の創作活動を続けてきている方だそうで、
日本固有の文化の中に身を置きつつも、海外留学などの経験も豊富。
価値観も広く豊かで、京都府の文化賞功労賞なども受賞しているようです。
この本では、書中で取り上げられる様々な木を......花でなく「木」を......
川瀬さんが思う様にいけてみる、という内容でしたが、
この川瀬さんが木をいけてみた時の感想というのがとても面白く。
僕にとっては結構思うことが多いものでもありました。
================================
<椿(つばき)をいけてみて>
——————あれこれいけてみたのですが、
けっきょく、最初にいれた一枝にもどしました。
このごろ、手をかければかけるほど、
なにかから遠ざかる様な気がしてならないのです。
<樟(くす)をいけてみて>
——————私は花をいけるときは、
草木をとわず、どの枝も人に見えるのですが、
樟の大枝は人間ばなれしていて、手におえなかった。
この花に決まるまで数ヶ月かかりました。
寺社の境内に立つ樟の姿を脳裏からとりさって、
ようやく、この木の「声」を聞くことができました。
<柳(やなぎ)をいけてみて>
——————柳も松や椿とおなじく、
数えきれないくらいたくさんいけてきましたが、
いつまでもたのしく、あきることのないものです。
柳の枝には、人の手をさそう表情があります。
むこうから話しかけてくるのです。
(中略)
柳の枝には腰があるので、
わりと自由にまげてかたちをつくれます。
いけばなでは大事な技法ですが、
やりすぎると俗になる。
この花はなんにもしませんでした。
そのまま、ふわりとした姿のほうが、
神がやどるにはふさわしいと思いました。
<欅(けやき)をいけてみて>
——————欅もむつかしかった。
これもはじめてです。
いけばなの歴史上もないでしょう。
(中略)
そういえば私は、
欅を日本の木と感じていないかもしれません。
重厚で壮大な、ドイツ、ロマン派の音楽の様な木。
================================
「いけばな」というのは「生花」と書く様です。
基本は野に咲く花々の生きる力や芽吹く生命力をそのまま表現し、
再現もしていくような、
そんなものとして磨かれてきたものらしいのですが、
その形は、その後、立花(たちばな、立華)などをはじめ、
いろいろな広がりとスタイルを生んできてもいるようです。
当然?かもしれませんが、茶の湯を確立させた
「千利休」さんもその流れには大きな影響を与えてきたようで。
茶道の中からは「茶花(ちゃばな)」
などというものも生まれているようです。
利休さんは茶の湯の心得のなかで
「花は野にあるように」
と説いていますが、
川瀬さんの言葉を紐解く時には
そんなコトゴトが浮かんできたりもします。
なんとなく、僕は、
川瀬さんの中に利休さんのココロをみたりもしてしまうのですが、
それは、かなり心地の良いものであったりもするのです。
「やりすぎると俗になる」
「手をかければかけるほど、
何かから遠ざかる気がしてならないのです」
絶賛!自己嫌悪中のアチキには響くのですなぁ......
むぅぅーーーーんんん......(*´ω`)
2015年に放送のNHK「Switch interview」で、辰巳芳子✖️川瀬敏郎の対談がとても素敵で、私もファンになりました😊
お二人とも好きなので、久しぶりに録画見ています(笑)。
ありがとうございます。(^^)
怪我の具合はどうですか?
よくなってきているといいんですけど。
この本の表紙見て
惹きつけられて
生けたのが川瀬さんと知って
即、買いました。
絶賛、自己嫌悪中に
心に響いて、よかったです。
引き続き、おだいじに。