これまで、ホンの幾人かの親しい友人とは話したり、
幾重の議論もして来た様なものではありますが、
今年、森戸海岸に佇んでいた時に、
このブログにも少しだけ残しておこうか......
という気持ちが湧いて来て、固まりました。
このお話は、もう1話だけ、
この時彼女に送ったメールの話へと続かせてもらいます。
上の写真は前回記した森戸海岸のもですが......
その記事にも記したように彼女はアーティストであり、
音楽作家でもあり、
とても不思議な力を持っている人の一人でした。
なので当時から気兼ねなく色々な話ができる友達としても
特別の信頼を寄せてもいました。
一つだけ印象的な話を記せば、
東京の都心で生まれ育った彼女は、
子供のころから大手町の地下の秘密に気付いていて。
そのことを、
折り入って僕に聞いて来たようなことがありました。
「uzmetさん。
私、昔からずっと謎に思っていたことがあるのですけど......
あの、地下鉄の半蔵門線に乗っていて、
大手町の駅に入ると、もう、いつも、
体がぐったりとしてしまって、、
気持ちもなんだかおかしくなって......
あそこって何かあるのでしょうか?
これ、、、でも、半蔵門線だけなのですよ。
同じ大手町でも他の地下鉄だとこうならないのです。
だから半蔵門線に乗って大手町の駅を通るのが
いつも怖くて怖くて......」
この質問に対する答えは
「青き炎 首塚編」
という、
全4話の過去記事に記している通りなのですが、
そんな人でもあったので、なので、
この日も彼女は一緒に取り掛かっていた
楽曲制作仕事の合間に、
僕にこんな質問をして来ていたのです。
「霧島の噴火とか九州がひどい気がして......
どうして、このところ九州ばかりなのでしょうか?
ちょっと胸騒ぎもするのです......」
これには伏線もあって。
彼女の言う通り、
この頃の僕は九州、霧島新燃岳の噴火と、
それと、富士山の脈動と、
伊豆から先の大地の脈動に不穏なエナジーを感じていたため、
ほぼ毎週、富士山や伊豆、
九州の地にまで出かけて行っていたのです。
この頃とてもタイトであった仕事スケジュールの最中に、
ほぼ寝ないでアチコチ飛び回っている僕の行動を
横から見ていた周りのスタッフや、
仕事仲間の一人でもあった彼女はとても不思議に思っていたらしく。
そのこともあってこんな質問を投げかけて来たのでした。
この時僕が彼女に返したメールはとても長く、
最後の部分だけをキャプチャーしたものが以下の画像となります。
2011年2月26日の深夜3時29分に彼女に返したメール。
順列としては、
前回記事にある2つのメールの間に挟まれるものです。
「縁ある変態友人達と僕のカンでは、
危険だった地脈のエナジーは
現在富士山を抜けて東北に移動した感じがします。
だから今ちょっと心配なのは東北地方です」
これはそのまま、
彼女をはじめとする近しい友人達や、
仕事仲間やアーティスト、スタッフさん達にひっそりと伝え、
話していたことでもありました。
「ここ一ヶ月は東北に行くのは気をつけてもらえたらと、、
先に伸ばせる仕事は伸ばしてみてほしい、、」
「俺はとにかく、できるだけ伊豆と富士山に行ってくる。
アーティストやマネージャーさん達には言っとくから、
何かあればいつでも連絡ちょうだい。
よろしく、、」
「未来は神にさえ不確定だけど、、」
そして、このメールの12日後。
東日本大震災は起こりました。
このブログに時折登場する、
九州の地で神職を務めながら悩める人の相談にのったり、
支えたり、
神々に対し、その稀なる霊能を使い続けて来てもいるMさんは、
この震災の後、プツっと、
一年近く音信不通になってしまいました。
それは今もよく覚えています。
この震災までずっと何年も続けていた彼のブログも、
突然、更新が途絶えてしまいました。
彼もまたこの震災を予見してはいたようなのですが......
とうてい受け入れることのできない被災地の状況。
人々の現実。
痛み。苦しみ。悲しみ。叫び。
自らのチカラの意味や意義。
自身の存在理由や生きる目的、生きているワケ.......
神とはなんなのか......
様々なことを深く思い悩んでしまったのだと、
後に僕はMさんから聞きました。
彼の霊能におけるお師匠さんであり、
日本でもトップのチカラを持つ人々を束ねてもいた「OT」さんも、
この時、深く傷つき、全てを投げ出してしまった......
とも聞きました。
そんなOTさんも、今はもうこの世界にはいません。
僕は、今もOTさんが世を去る間際にくれた貴重な
「お筆書き」を折に触れて読み込んでいたりします。
「神とは、なんだろうか」
「人が生きるとは、いったい、
どんな意味があるのだろうか」
実は、今回のブログ記事をもって、
僕はこのブログを一度閉じようと思っていました。
そんな文章を用意していましたし、
タイトルも相応なものにしていたつもりです。
そもそも、このブログは東日本大震災が起こった後、
一年半ほど経った頃から静かに記し始めたものですし、
静かに終えるべきではないかと。
そこには僅かながらの私的な考えも意味もあります。
ただ、そんなことを知ってか知らずか、
前回記事をアップした直後、
Mさん同様に稀なる才能を持つ「プリリンねーさん」が、
自身のブログに
「今年もよろしく頼むよ。
死が別つまでuzmetと一緒に私達の話を伝えてくれよ」
という、アル神様の言葉をアップしていました。
それを見た僕は、今日の記事を書き上げる前に、一旦、
ブログを閉じることを彼女に相談することにしました。
「やめないほうがいいよぉー。
この前、カウンセリングに北海道から来た人がいて、その人も、
四国の話はいつ書いてくれるのでしょうかね!?
って聞いてたしーーーーっ。
そんな人、他にもたくさんいるよー。
だめだよーー!
きゃはははーーーーーっつ。。(^^)」
—————————もう少し、
続けてみようかと、
そう思い直しました。
北九州、福岡県の地で優れた能力者達をまとめ、
動かしていた偉大なる霊能者のOTさん。
そのお墓参りにMさんと二人で伺ったことがありました。
とても暑い夏の日でした。
生前から自ら用意していたというお墓は、
生涯をかけて護り通して来た、
玄界灘を見渡せる「糸島」の地にありました。
死してなお、この地を見護っていきたい。
この国の空や海や風となりたい。
そんなOTさんの思いが伝わってくるような美しい場所。
「西の岩戸」
と、OTさんはおっしゃっていました。
この言葉には色々な意味が含まれているように
僕は感じてもいます。
近く、またMさんと伺ってみようかと思っています。
お茶目なOTさんは、伺うと、
こんな感じでひょっこりと出て来てくれたりもするのです。
好々爺な感じで、とても似ていたりして。ええ。(^^)
☆関連過去記事☆
「中断」
幾重の議論もして来た様なものではありますが、
今年、森戸海岸に佇んでいた時に、
このブログにも少しだけ残しておこうか......
という気持ちが湧いて来て、固まりました。
このお話は、もう1話だけ、
この時彼女に送ったメールの話へと続かせてもらいます。
上の写真は前回記した森戸海岸のもですが......
その記事にも記したように彼女はアーティストであり、
音楽作家でもあり、
とても不思議な力を持っている人の一人でした。
なので当時から気兼ねなく色々な話ができる友達としても
特別の信頼を寄せてもいました。
一つだけ印象的な話を記せば、
東京の都心で生まれ育った彼女は、
子供のころから大手町の地下の秘密に気付いていて。
そのことを、
折り入って僕に聞いて来たようなことがありました。
「uzmetさん。
私、昔からずっと謎に思っていたことがあるのですけど......
あの、地下鉄の半蔵門線に乗っていて、
大手町の駅に入ると、もう、いつも、
体がぐったりとしてしまって、、
気持ちもなんだかおかしくなって......
あそこって何かあるのでしょうか?
これ、、、でも、半蔵門線だけなのですよ。
同じ大手町でも他の地下鉄だとこうならないのです。
だから半蔵門線に乗って大手町の駅を通るのが
いつも怖くて怖くて......」
この質問に対する答えは
「青き炎 首塚編」
という、
全4話の過去記事に記している通りなのですが、
そんな人でもあったので、なので、
この日も彼女は一緒に取り掛かっていた
楽曲制作仕事の合間に、
僕にこんな質問をして来ていたのです。
「霧島の噴火とか九州がひどい気がして......
どうして、このところ九州ばかりなのでしょうか?
ちょっと胸騒ぎもするのです......」
これには伏線もあって。
彼女の言う通り、
この頃の僕は九州、霧島新燃岳の噴火と、
それと、富士山の脈動と、
伊豆から先の大地の脈動に不穏なエナジーを感じていたため、
ほぼ毎週、富士山や伊豆、
九州の地にまで出かけて行っていたのです。
この頃とてもタイトであった仕事スケジュールの最中に、
ほぼ寝ないでアチコチ飛び回っている僕の行動を
横から見ていた周りのスタッフや、
仕事仲間の一人でもあった彼女はとても不思議に思っていたらしく。
そのこともあってこんな質問を投げかけて来たのでした。
この時僕が彼女に返したメールはとても長く、
最後の部分だけをキャプチャーしたものが以下の画像となります。
2011年2月26日の深夜3時29分に彼女に返したメール。
順列としては、
前回記事にある2つのメールの間に挟まれるものです。
「縁ある変態友人達と僕のカンでは、
危険だった地脈のエナジーは
現在富士山を抜けて東北に移動した感じがします。
だから今ちょっと心配なのは東北地方です」
これはそのまま、
彼女をはじめとする近しい友人達や、
仕事仲間やアーティスト、スタッフさん達にひっそりと伝え、
話していたことでもありました。
「ここ一ヶ月は東北に行くのは気をつけてもらえたらと、、
先に伸ばせる仕事は伸ばしてみてほしい、、」
「俺はとにかく、できるだけ伊豆と富士山に行ってくる。
アーティストやマネージャーさん達には言っとくから、
何かあればいつでも連絡ちょうだい。
よろしく、、」
「未来は神にさえ不確定だけど、、」
そして、このメールの12日後。
東日本大震災は起こりました。
このブログに時折登場する、
九州の地で神職を務めながら悩める人の相談にのったり、
支えたり、
神々に対し、その稀なる霊能を使い続けて来てもいるMさんは、
この震災の後、プツっと、
一年近く音信不通になってしまいました。
それは今もよく覚えています。
この震災までずっと何年も続けていた彼のブログも、
突然、更新が途絶えてしまいました。
彼もまたこの震災を予見してはいたようなのですが......
とうてい受け入れることのできない被災地の状況。
人々の現実。
痛み。苦しみ。悲しみ。叫び。
自らのチカラの意味や意義。
自身の存在理由や生きる目的、生きているワケ.......
神とはなんなのか......
様々なことを深く思い悩んでしまったのだと、
後に僕はMさんから聞きました。
彼の霊能におけるお師匠さんであり、
日本でもトップのチカラを持つ人々を束ねてもいた「OT」さんも、
この時、深く傷つき、全てを投げ出してしまった......
とも聞きました。
そんなOTさんも、今はもうこの世界にはいません。
僕は、今もOTさんが世を去る間際にくれた貴重な
「お筆書き」を折に触れて読み込んでいたりします。
「神とは、なんだろうか」
「人が生きるとは、いったい、
どんな意味があるのだろうか」
実は、今回のブログ記事をもって、
僕はこのブログを一度閉じようと思っていました。
そんな文章を用意していましたし、
タイトルも相応なものにしていたつもりです。
そもそも、このブログは東日本大震災が起こった後、
一年半ほど経った頃から静かに記し始めたものですし、
静かに終えるべきではないかと。
そこには僅かながらの私的な考えも意味もあります。
ただ、そんなことを知ってか知らずか、
前回記事をアップした直後、
Mさん同様に稀なる才能を持つ「プリリンねーさん」が、
自身のブログに
「今年もよろしく頼むよ。
死が別つまでuzmetと一緒に私達の話を伝えてくれよ」
という、アル神様の言葉をアップしていました。
それを見た僕は、今日の記事を書き上げる前に、一旦、
ブログを閉じることを彼女に相談することにしました。
「やめないほうがいいよぉー。
この前、カウンセリングに北海道から来た人がいて、その人も、
四国の話はいつ書いてくれるのでしょうかね!?
って聞いてたしーーーーっ。
そんな人、他にもたくさんいるよー。
だめだよーー!
きゃはははーーーーーっつ。。(^^)」
—————————もう少し、
続けてみようかと、
そう思い直しました。
北九州、福岡県の地で優れた能力者達をまとめ、
動かしていた偉大なる霊能者のOTさん。
そのお墓参りにMさんと二人で伺ったことがありました。
とても暑い夏の日でした。
生前から自ら用意していたというお墓は、
生涯をかけて護り通して来た、
玄界灘を見渡せる「糸島」の地にありました。
死してなお、この地を見護っていきたい。
この国の空や海や風となりたい。
そんなOTさんの思いが伝わってくるような美しい場所。
「西の岩戸」
と、OTさんはおっしゃっていました。
この言葉には色々な意味が含まれているように
僕は感じてもいます。
近く、またMさんと伺ってみようかと思っています。
お茶目なOTさんは、伺うと、
こんな感じでひょっこりと出て来てくれたりもするのです。
好々爺な感じで、とても似ていたりして。ええ。(^^)
☆関連過去記事☆
「中断」
お願いです、やめないでください。
私もそうですが、uzumetさんのブログに元気づけられた人はたくさんいるのです。
2018年3月25日
春のお彼岸の結願が終わった
タイミングで
長谷寺の観音さんに
呼ばれるように
このブログに出会いました。
私にとっては、衝撃!
全てを読みました。
難しい記事もありましたが^_^
さまざまな人たちの目に触れること
言葉を選んで
書かれているのが痛いほどわかります。
行間を読んでという気持ちもわかります。
時に踏んではいけないところを
うっかり踏んで
えらい目にあったり
身体に障ることが多い中
神仏の言われるように
動かれてるのを
お忙しい中を、すごいと思っています。
「折をみて記します」といわれていて
まだ
折じゃなさそうなのが
たくさん、あります!
たいへんと思いますが
「辞めんといてー、泣くー」
というのが
今の気持ちです。
久しぶりに長い文になってしまいました。
動き出せないだけかもしれないけど、震災時に居た所で、もう少しだけ居てみようかと頑張ってまーす。
留まる事がよしとも思いませんが、
このブログはあって欲しいですー。
なにとぞー(´◡`๑)
ありがた過ぎるお言葉で、涙こぼるる、です。ありがとうございます。
息わすってねぇぇーーっ!(=゚ω゚)ノ
仮タイトルのまま置いてある記事も100ぐらいあります。はい。
もう少し続けたほうが良いみたいで、今後ともよろしくお願いします。
いかなる所に留まっていても、ものすごい速さで動いているワケです。
良いことです。ええ。
もうしばらく大丈夫そうです。なにとぞー(^^)シェーシェー。
自然の流れを意識しながら都度都度考え、記していってみます。
煩悩満載の人間満点の僕さんですが、そう言ってもらえると救われます(^^)感謝です。
そんなような事を想い続けて、お二人のブログに辿り着き、何かの導きなのかな?とか、何かここに居る意味のヒントとかあるような気がして…わからないことばかりですけど、感じれない世界のこと、感じれない存在のことなど知れて嬉しく思ってます。
「続」ありがとうございます。
ここがあり続けるのが願いです。(中断はありだと思います)
関連記事を読んで、、、
靴は脱がなきゃ、自然に対する意識は変わってかないのでは⁉ とそんな感じで自分なりに感じたり出来るここの居心地がいいのです。
居心地いいなんて、、信じられないっすぅぅ。ありがたきお言葉。
ぶぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーー(T 。T)