雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

キング

2014-08-26 20:51:13 | 感謝...映画/音楽/珈琲
笑っているのに、泣いているようにも見えて。
泣いているのに、微笑んでいるようにも見えて。



「泣くコトと笑うコトって......
もしかしたら何か共通するものがあるのかな.....!?」



「ロビン・ウィリアムズ=Robin Williams」さんの演技を見ていると、
僕は時たまそんなコトを考えさせられました。

悲しみの中にある希望。
喜びの中にある寂しさ。

いつもそんな繊細なニュアンスを感じさせられていた俳優さんです。
出演作はどれもこれも皆素晴らしい作品で、
そんな作品に沢山巡り会える俳優としての「徳」みたいなものも含めて、
僕のとても好きな役者さんでした。



少し前に、
そんな敬愛する彼がこの世を去ったというニュースが流れてきました。



なんだか......
日本で言えば「寅さん」シリーズの
渥美清さんが亡くなった時のような......
そんな感覚に近い気持ちや、寂しさが込み上げてきました。
トラさんもコメディータッチの所があったし、
ロビンさんも元々コメディアンでもあったし。
そんな部分もあって、
僕の中に似た感じのイメージが作られていたのでしょうか......



彼のいない世界がちょっと寂しいです。



彼が出演していた数々の名作の中で、
僕がDVDパッケージで大切に持っている作品はこの一本だけです。



「フィッシャー・キング= The Fisher King」
クレジットには1991年のアメリカ映画......とあります。
ニュー・ヨークを舞台にした映画で、
僕がとても大切に思う作品の一つ。
監督はロビン同様これまた最高に好きな
「テリー・ギリアム=Terry Gilliam」さん。
主人公は自暴自棄に生きているジャック。
物語は彼のこんな問いかけから展開していきます。



「時々、天罰が下ってると感じることがあるかい?」



そんなふうに思いながら暮らしているジャックの友人として
ロビン・ウィリアムス扮する「パリー」が登場して来ます。

パリーは世間一般からは外れ、疎まれているホームレス。
路上やボイラー室で暮らしていて、
いつも喜怒哀楽を所構わずそのまま表していて、
心奥に刻まれた「アル」狂気やトラウマとも戦いながら生きています。
叫び声を上げながら町中を走り回る様なこともしばしば。
精神病院に入れられてしまったこともあります。
でも実は、元大学教授であったりもします。

そんな複雑怪奇な人物を見事に演じるロビン。

そんなロビン扮するパリーはある日の夜、
セントラル・パークの芝生の上に一糸まとわぬ素っ裸で寝転がって、
月を見上げながら
横にいるジャックにこんな話しをします。



「フィッシャー・キングの話しを知ってるかい?」



パリーは話しを続けます。



「キングは子供の頃肝試しで森で一夜を過ごしたんだ。
夜に一人で眠っていると枕元に精霊が立って、
突然神の慈悲の象徴である聖杯が炎の中から現れた。
そしてこんな声が聞こえたんだ......

“人の傷を癒す聖杯をおまえに託す”

でもその時の王子が抱いていたのは
権力と栄光と美を手にすることで、
そしてその時は自分がタダの少年ではなく、
神に近い不死身な人間に成った様な気もして、
聖杯を我が手にしようと炎の中に手を伸ばしてみた......
すると、聖杯は忽然と消えて、
手には酷い火傷を負ってしまったんだ。

そして、
王子が成長するにつれその傷はどんどんと悪化していって、
その苦しみで彼はある日から、自分が何故生きているのか?
......などと考え出した。
自分はこれまでずっと他人も自分も信じられずに生きてきて、
人から愛し、愛されるようなことも無かった。
そんな苦悩の中で彼は絶望し、
城の中で死の床に伏してしまったんだ。

ある日、気のいい馬鹿者が一人城に迷い込んできて、
相手が王とは知らず、
一人もがき苦しんでいる男を見つけて声をかけた。

“ いったいどうなさりました!? ”

王はその時
“水をくれ。喉が焼けるようなんだ。。”
と答えた。

男はちょうど側にあった杯に水を入れて王に差し出した。
その水を飲んだ王は痛みが和らいでいくのを感じていた。
そして、フト、手にした杯を見ると、
なんとそれは長年王が探し求めていた聖杯だったんだ。
王はその男に訪ねた。

“誰も探せなかったモノを何故!?おまえが探し出せたのだ!?”

バカな男は答えた。

“そんなことはわからない.....俺はただ......
ただ、あなたが喉が渇いているのだと思って。。。”

――――――どうだい?
とても美しい話しだろ?」



この映画のタイトルでもあるこの話しにはいったい
どんな意味が込められているのでしょうか......
また、あるシーンでは、
ホームレスのパリーはこんなことも言っていました。



「時々、ゴミの中にも美しいものがある。」



どのシーンでもパリー演じるロビンの何とも言えない表情が
台詞を宝物のように輝かせます。



人を幸せにすると自分も幸せになれる。
そして、人を幸せにするコトというのは、
いつもホンの些細なことだったりするんだ。
それは、いつも、自分も相手も、
誰も気づかないくらい然りげないことだったりするんだ。



パリーはずっと、
スクリーンからそんなことを投げかけて来ます。
それはロビン・ウイリアムスが扮するパリーでなければ
とても表現出来ないであろう繊細さで。

物語の中盤では、
そんな繊細なるパリーが恋をしてしまった女の子に
想いを告白するシーンもあります。
やはりロビン独特の切ないのか?嬉しいのか?
なんともいえない感じでの告白シーンなのですが、
このシーンで僕は一つ気づいたことがありました。


「慈しむ」


喜びにも、悲しみにも。
泣き顔にも、笑顔にも。
そんな相反しそうなモノ達の共通土台と成りえるものとして、
そんな言葉が思い浮かびました。
その土台がしっかりと、
何よりも強固に有るからドチラの感覚にも見えるのだろうか......と。

いつくしむこと。
慈愛。

もしかしたら、
パリーを演じるロビン・ウイリアムズという人の心には
「慈愛」というものが、夏の日に咲き誇る広大なひまわり畑の様に
いつも広がっていたのではないか......と。
このシーンで、僕はそんな事を思いました。

恋する相手の全てを認め、受け入れ、なお、一層愛する。
そんなパリーの恋は「深い慈しみ」のようなものでもあって、
そんなどこまでも純粋で美しい告白シーンに
僕はいつも胸を打たれてしまうのです。



「君は昼休みに回転ドアから上手く出られずに、
毎日毎日いつもドアから一度押し戻される。

君は気分がいいと必ずブックスタンドによって本を買ってしまう。

君は水曜日には決まって中華料理屋でランチを食べる。

仕事に戻る途中ではいつもキャンディーを買う。

仕事にはうんざりしていて、友達は少ない。

動作がぶきっちょで時々そんな自分に腹を立てる。

時々酷く孤独に落ち込むこともあって.......

......僕は君が好きだ。

I Love You。

君は誰よりも素晴らしい女性だ」



いつも大きな慈愛に満ちていた、
敬愛するロビンの冥福を祈りたいと思います。


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