「つかぬことを伺います......」
と、「dajyuさん」からラインを頂きました。
dajyuさんは、このブログでは
「やたらとぬるく」
という記事に登場していた方で、敬愛する業界の大先輩。
今回、改めてその記事を見直してみましたが、
最近の東京オリンピック収賄事件を予見している様な話でもあり......
「ウナギクライシス 10」という記事も含め、
今更ながら色々と思うこともありました。
で、そんなdayuさん。
近く「富士山周遊ドライブツアー」を計画しているらしく。
ラインは、
「その時に行くべき場所などがあれば......」
というお話で。
このブログで記していたものなどは
過去記事を見てもらったりしていたのですが、
富士山を守護する超重要社である山梨県、富士吉田市の
「北口本宮富士浅間大社(きたぐちほんぐうふじせんげんたいしゃ)」
という神社さんに関しては未だ記していなかったようで。
なので今回は、
その北口本宮のことを少しだけ記しておこうかと思います。
何卒、よろしくお願いしますのです。(^^)
入口からして、
とにかく「圧倒的」という言葉がぴったりの神社さん。
静岡県側の女性的な本宮とはまったく空気が違います。
荘厳。壮麗。
威圧感も強力。
しかし、必要な美もしっかりと兼ね備えている神社の中の神社さん。
訪れた誰しもにとって忘れられない地とも
なってしまうのではないでしょうか。
上の写真にもあるように、入口の鳥居の額には
「富士山」という文字が
「冨士山」と書かれています。
ウ冠(うかんむり)でなく、ワ冠(わかんむり)。
——————上に乗るものなどない。
神は平等であり、全てを平らに覆い、
決してポツンと飛び抜けて在るものでもないのだ——————
的なワ冠。
古来、富士山はこちらの文字で表されていたそうです。
今回の写真は古いガラケーのものや、
幾度か一緒に訪れた「ねーさん」や「みゆきちゃん」、
「mikoちゃん」「KUさん」「YUさん」のものも
織り混ざっていますが、
こんな強烈な杉並木を歩きつつ、
参道途中にある「立行石(たちぎょういし)」さんにご挨拶。
角行さんが上に立ちすくみ修行をしたとされる大石。
ポイント「その1」。
僕さんはココでお酒をさらっと捧げさせてもらったりもします。
その後の天狗さん達の当たりが柔らかくなったりするのです。
なんとなく。ええ。
続いて現れるのは日本一の木造鳥居。
圧巻。
この鳥居の手前にはとても綺麗な小川が流れていますので、
そこで御手洗(みたらし)を。
さりげなく川端に降りれるようになっています。(^^)
ココがポイント「その2」
この大鳥居をくぐった後は沢山の神社が居並ぶワンダーランド。
なので、この先は早送りで。
詳しいことが知りたい方はネットをググれば
写真も情報も山ほど出てくると思われますし、
ここではダイジェストという感じで。ええ。
鳥居の先には、右手に「稲荷社」。
左手に「八幡社」。
そして、随神門(ずいしんもん)。
どーーーん。
境内に入ると中央には「神楽殿」。
左手には境内御手洗。
もう一度手を洗い、口を濯いで......
太朗杉や夫婦杉、大銀杏など、
境内に居並ぶ圧倒的な神木さん達にゆったりと御挨拶。
いざ本殿。
国指定重要文化財。
どどーーーーーーんんん。。
本殿参拝後は左側に回り込み、
「二郎杉」や「七色もみじ」などを眺めつつ、
左側奥にある「東宮」から「神武天皇社」。
続いて、本殿真裏に設えてある「恵比寿社」。
そこから本殿右側へと抜けて「西宮」。
その横の「登山門」は一旦スルーで、
目前にずらりと居並ぶヤシローズに対しては、
中央に進み、両手を広げ、皆々様、、、
という感じで二礼二拍手一礼。
そして、そのまま本殿を背にしながら右奥へと進み、
実は!?の真のメイン会場にエントリー。
諏訪神社さん。
ポイント「その3」。
ここが本来の神社があったところ。
「諏訪の森」と呼ばれる地。
さらに古い大元の社があった所もあるのですが、
それはこの後に記すとして、とにかく、
この神社の一帯はどんな人でも
気持ちがスッとするであろうパワースポット。
素晴らしきチカラ。
そして、この社の前のひらけた空間の名前は......
「高天原(高天ヶ原、たかあまはら、たかまがはら)」
神々が集う庭。
日本三大奇祭とされ、
国の重要無形民族文化財でもある
「吉田の火祭り」。
その最重要地である神社と広場はここ。
ヤバス。
神社の左右にはそのお祭りで使う神輿が
大切に収められています。
右に「明神神輿(みょうじんみこし)」。
左に赤い富士山を象った「富士御影(おやまみこし)」。
場をぐるりと取り囲む境内社。
ご挨拶。
—————————で。
なぜ?ここが?
古(いにしえ)の昔から高天原などと呼ばれているのか。
実は、この北口本宮のお話というのは、
これまで幾度か触れて来た
「富士王朝」の話に繋がっていくものでもあるわけです。
先に一旦スルーした登山門の先には、
諏訪神社以前、
この神社が最初にあった場所と伝わる塚(ツカ)や、
先記した「火祭り」の御神輿が最初に置かれる
「御鞍石(みくらいし)」
というものもあって。
それらは、皆、
祭りと合わせてこの地の深い歴史を物語るものであり、
とても興味深いものでもあります。
さらに、富士山に雪がうっすらとかかる
秋と春のわずかな期間にだけ北側斜面に現れるこんな巨大な姿は......
ネットから拝借させていただきましたが......
誰かの顔に!?
見えなくもないわけでして。
それは、きっと、富士王朝の王様の顔であるはずで。
富士山と関わりが深い神様の顔でもあるはずで......と。
このお話はもう少しだけ続きます。
dajyuさん!すいません!
一回で終わりませんでちた!(T 。T)ぶぇ。
と、「dajyuさん」からラインを頂きました。
dajyuさんは、このブログでは
「やたらとぬるく」
という記事に登場していた方で、敬愛する業界の大先輩。
今回、改めてその記事を見直してみましたが、
最近の東京オリンピック収賄事件を予見している様な話でもあり......
「ウナギクライシス 10」という記事も含め、
今更ながら色々と思うこともありました。
で、そんなdayuさん。
近く「富士山周遊ドライブツアー」を計画しているらしく。
ラインは、
「その時に行くべき場所などがあれば......」
というお話で。
このブログで記していたものなどは
過去記事を見てもらったりしていたのですが、
富士山を守護する超重要社である山梨県、富士吉田市の
「北口本宮富士浅間大社(きたぐちほんぐうふじせんげんたいしゃ)」
という神社さんに関しては未だ記していなかったようで。
なので今回は、
その北口本宮のことを少しだけ記しておこうかと思います。
何卒、よろしくお願いしますのです。(^^)
入口からして、
とにかく「圧倒的」という言葉がぴったりの神社さん。
静岡県側の女性的な本宮とはまったく空気が違います。
荘厳。壮麗。
威圧感も強力。
しかし、必要な美もしっかりと兼ね備えている神社の中の神社さん。
訪れた誰しもにとって忘れられない地とも
なってしまうのではないでしょうか。
上の写真にもあるように、入口の鳥居の額には
「富士山」という文字が
「冨士山」と書かれています。
ウ冠(うかんむり)でなく、ワ冠(わかんむり)。
——————上に乗るものなどない。
神は平等であり、全てを平らに覆い、
決してポツンと飛び抜けて在るものでもないのだ——————
的なワ冠。
古来、富士山はこちらの文字で表されていたそうです。
今回の写真は古いガラケーのものや、
幾度か一緒に訪れた「ねーさん」や「みゆきちゃん」、
「mikoちゃん」「KUさん」「YUさん」のものも
織り混ざっていますが、
こんな強烈な杉並木を歩きつつ、
参道途中にある「立行石(たちぎょういし)」さんにご挨拶。
角行さんが上に立ちすくみ修行をしたとされる大石。
ポイント「その1」。
僕さんはココでお酒をさらっと捧げさせてもらったりもします。
その後の天狗さん達の当たりが柔らかくなったりするのです。
なんとなく。ええ。
続いて現れるのは日本一の木造鳥居。
圧巻。
この鳥居の手前にはとても綺麗な小川が流れていますので、
そこで御手洗(みたらし)を。
さりげなく川端に降りれるようになっています。(^^)
ココがポイント「その2」
この大鳥居をくぐった後は沢山の神社が居並ぶワンダーランド。
なので、この先は早送りで。
詳しいことが知りたい方はネットをググれば
写真も情報も山ほど出てくると思われますし、
ここではダイジェストという感じで。ええ。
鳥居の先には、右手に「稲荷社」。
左手に「八幡社」。
そして、随神門(ずいしんもん)。
どーーーん。
境内に入ると中央には「神楽殿」。
左手には境内御手洗。
もう一度手を洗い、口を濯いで......
太朗杉や夫婦杉、大銀杏など、
境内に居並ぶ圧倒的な神木さん達にゆったりと御挨拶。
いざ本殿。
国指定重要文化財。
どどーーーーーーんんん。。
本殿参拝後は左側に回り込み、
「二郎杉」や「七色もみじ」などを眺めつつ、
左側奥にある「東宮」から「神武天皇社」。
続いて、本殿真裏に設えてある「恵比寿社」。
そこから本殿右側へと抜けて「西宮」。
その横の「登山門」は一旦スルーで、
目前にずらりと居並ぶヤシローズに対しては、
中央に進み、両手を広げ、皆々様、、、
という感じで二礼二拍手一礼。
そして、そのまま本殿を背にしながら右奥へと進み、
実は!?の真のメイン会場にエントリー。
諏訪神社さん。
ポイント「その3」。
ここが本来の神社があったところ。
「諏訪の森」と呼ばれる地。
さらに古い大元の社があった所もあるのですが、
それはこの後に記すとして、とにかく、
この神社の一帯はどんな人でも
気持ちがスッとするであろうパワースポット。
素晴らしきチカラ。
そして、この社の前のひらけた空間の名前は......
「高天原(高天ヶ原、たかあまはら、たかまがはら)」
神々が集う庭。
日本三大奇祭とされ、
国の重要無形民族文化財でもある
「吉田の火祭り」。
その最重要地である神社と広場はここ。
ヤバス。
神社の左右にはそのお祭りで使う神輿が
大切に収められています。
右に「明神神輿(みょうじんみこし)」。
左に赤い富士山を象った「富士御影(おやまみこし)」。
場をぐるりと取り囲む境内社。
ご挨拶。
—————————で。
なぜ?ここが?
古(いにしえ)の昔から高天原などと呼ばれているのか。
実は、この北口本宮のお話というのは、
これまで幾度か触れて来た
「富士王朝」の話に繋がっていくものでもあるわけです。
先に一旦スルーした登山門の先には、
諏訪神社以前、
この神社が最初にあった場所と伝わる塚(ツカ)や、
先記した「火祭り」の御神輿が最初に置かれる
「御鞍石(みくらいし)」
というものもあって。
それらは、皆、
祭りと合わせてこの地の深い歴史を物語るものであり、
とても興味深いものでもあります。
さらに、富士山に雪がうっすらとかかる
秋と春のわずかな期間にだけ北側斜面に現れるこんな巨大な姿は......
ネットから拝借させていただきましたが......
誰かの顔に!?
見えなくもないわけでして。
それは、きっと、富士王朝の王様の顔であるはずで。
富士山と関わりが深い神様の顔でもあるはずで......と。
このお話はもう少しだけ続きます。
dajyuさん!すいません!
一回で終わりませんでちた!(T 。T)ぶぇ。
富士山を象徴とした国家。
それは富士山麓を聖地とし、
政経の中心は関東平野の中心部......現在の三鷹市周辺に置き。
全国各地とは緩いつながりを持って、
各地の主権を友好的かつ連邦的に認めながらの国家でしょうか。
次回続き記事にもこんな話が入るかもしれません(^^)
そうか、やはり何か確固たる理由がソコにはあったのですね…
どちらにせよ私は🗻冨士山が直ぐ見える場所に住めて有難いと思います。
次のお話も楽しみにしていますね。
思い出も沢山あって、大好きな街です。
続きの話はアップされてますので、よければどーぞですー(^ν^)