少女は深い闇の中で自分の手をマジマジと見つめてみました。
上から差し込むわずかな光に照らされて、
微かに見えた自分の小さな手は......
どうも......黒く見えます。
「その時の私は、
今の私よりちょっとだけ小さいくらいの歳だったと思う......
だから......13?4?......ぐらいの歳かな。。」
そう僕に話す彼女は「天才少女詩人」と呼ばれ、
世間から注目を集め出した15才の少女。
その時、彼女は高校1年生。
アーティスト名は「螢」。
僕等は彼女のCDブックレット用写真の撮影で訪れた、
広い撮影スタジオの片隅にある細長いテーブルを囲んで
話をしていました。
テーブルの上には撮影用の細かい機材がバラバラと並び。
他にはポテトチップスやチョコレート、
キャンディ、ビスケット......
色々なお菓子やコンビニのサンドイッチ、
おにぎりなども雑然と置かれていました。
スタジオのスタッフが煎れてくれる熱いコーヒーの入った
ステンレスシルバーの大きなポットも二つ。
そのポットの横には取っ手付きの黒いカップホルダーが
何かのタワーの様に沢山重ねられて置かれています。
それに挿して使う白いプラスチックのカップも
ホルダー同様に高く、
沢山積み重ねられて置かれていました。
僕らはその簡易型のコーヒーカップを組み立てて、
ポットの珈琲を注ぎ込み、
とてもリラックスしながら話をしていました。
神経の張り詰める写真撮影。
その合間のしばしの休憩。
僕と螢が話す、そのすぐ横には、
彼女が全幅の信頼を寄せるアートディレクターの
ちーさん(敏腕女性ディレクター、仮名)もいました。
「......なんとなく覚えてるのは、
ソコがとても深い井戸の底だったこと。
どうしてそんなトコロに落ちてしまったかはよくわからない。
誰かに落とされた様な気もするし、
自分で歩いていて落ちてしまったような気もするし......
よくわからない。
覚えているのは、とにかくそこに落ちて、
どうしていいかわからなくて、
体の半分ぐらい、腰のあたりまで水に漬かっていて......
冷たくて、寒くて、、真っ暗で、絶望的で、悲しくて......
そんな日がもう何日も何日も続いていて。
でも誰も助けに来てくれなくて。
私はこのままココで死ぬんだろうな......と思っていたの。
そんな感じでもう本当にどうしていいかわからず絶望してた。
そんな感じ。
それでね、深い井戸の底だから昼間も真っ暗なんだけど、
太陽が上の方に昇って来た時には少し明るくなるの。
光が射す時もあるの。
その時に私ちょっと自分の手を見たの。
その記憶はハッキリとあるの。
それでね、その手がね、真っ黒だったの。
それも覚えてるの。
私、黒人だったんだと思う。その時。
多分、アフリカとかケニアとか?
そんな辺りに住んでいた黒人の女の子だったと思う。
なんにもないところ。見渡す限り。
そんなところの。
それをよく覚えてるの」
彼女が僕とちーさんにしてくれたその不思議な話は、
自分の中にある「最古の記憶」の話し。
どーしてそんな会話になっていたのか?は、
忘れてしまいましたが、僕らはその時、
それぞれの中にある
「一番古い記憶って何よ?」
......という会話で盛り上がっていました。
「それで、私、死んじゃうの。そこで。」
「......ふーーん。。すげーな。
そんなこと覚えてんの!?マジで?
すげーな......」
「次に覚えてるのはお母さんのお腹の中。
私お母さんのお腹の中にいる時の記憶もけっこうあるの。
あまり人に話さ無いけど。
馬鹿だと思われるから。
でもあるの。
お母さんが聞いてた音楽も覚えてる。
お父さんと喧嘩してたことも」
「それも不思議だなぁー。
すげーなぁ。。」
「二人は信じるよね。わかるもん。。
それでね、なんとなくだけど......
黒人の女の子だった時と、
お母さんのお腹にいた時は繋がってる感じがしてるの。
うまく言えないけど。
そんな感じ」
「繋がってる、、、か、、、
今の螢とアフリカの螢を合わせると、
ちょうど俺らと同い年ぐらいやな。。
そっか、
それでオマエさんは老けてるわけだな!?
んん!?( ̄▽ ̄)そだろ!?ん!?」
螢が15歳にしては大人びているな......と感じていた部分が、
本人の話したこんな物語に起因しているのかどうか!?は、
当然分かりませんが。
いわゆる「輪廻転生=りんねてんせい」というものが、
もし本当にあるのなら、あり得ない話でもなく......
霊能者でもない僕らはその時、
大きな瞳の少女が話す物語をタダタダ興味深く聞いていました。
でも、なんとなく、僕は真実の話のように思えています。
勿論、今も。
お盆の季節です。
魂などというものが本当にあるのか?ないのか?
そんなことどちらでもいいよ.....というような人も含めて、
少なくとも現実に見えている世界では、
先祖の皆々様が彼方の世界から此方の世界に帰ってくる時期として、
このお盆というものが全国的に認知、
確立されているようにも思えています。
それは、ちょっと考えるとトテモ不思議なことなのですが、
実は多くの人々も魂というものの存在を心の奥深くでは認めている?
信じている?
感じている?
のではないかということの表れのようにも思えます。
考えてみるに、
最先端の脳科学でも未だ解明しきれない領域は確かにあって。
「お盆」という世俗的概念も含めて世界に広がる様々な宗教、
儀礼、祭事、神話、民話などの様子や概念等を見渡してみても、
人類が生まれてから今に至るまで一貫して変わらないコトの一つに、
実は、
「見えないものを信じている......」
ということもあるのではないか......という気もします。
「イヤイヤ、そんなもの信じてないよ......」
というような人でも、
愛や友情、信頼や根性!
恨みにツラミに奇跡や運命、幸運や悲運、偶然......
などと言ったコトに言及するような時、
実はそれも魂や霊、神様......
などと同様の「見えない世界」の話しでもあって。
それは不思議ちゃん噺(ばなし)と
さほど変わらないことのようにも思えます。
そして完全なる世界は、自然界は、
あまねく循環のシステムで回っている様にも思えます。
それが普通の様にも思えます。
マッタク同じもの、コト、
生命の誕生、出現の繰り返しなどは無いものとも感じていますが、
そんな部分も包括した魂の大いなる循環は、
当たり前で尊いシステムの様にも思えます。
このブログの一番最初の記事で
「タイトルの由来」
として記したのが、今回も触れた「螢=ほたる」と言う
アーティストにまつわる話しでした。
その時に思いもよらない沢山の反応をメール等でも頂いたので、
コメント欄ではついつい
「機会あればまた螢の話しを記しますね。
僕の手がけて来た中でも、
本当に色々面白い思い出があるアーティストですから......」
などと返してしまったのですが......
そんな返事もしてしまったし、ならば、
いい加減でめんどくさがり屋の自分のブログが「もし」続く!?
のであれば、初めての記事同様、
新たな年記のスタート毎に、
その軌跡の証石として
「彼女の思い出を少しづつ記す形が一番いいのかな......」
というふうに思っていました。
なので昨年、2年目に入った時に二つ目の記事を書いて、
今回が自分でもビックリ!の3年目に突入!の回ということで。
三つ目の記事とあいなりました。
内容は幾人かの方々から
「何故螢が大人びていたか?の話しが聞きたい。。」
というようなメッセージを頂いていたので、
今回はそれにまつわるお話としてみました。
話しが話しなので......
本人のコトも含め書くことに少しのためらいもありましたが......
最早むかーーし、むかし......の話しですし、
書く時期も遅らせて、
この「お盆」の時期であれば......!?
ナントナク書ける!?ような気がして......
ブログ2周年の日から僅かに遅れた時期とはなりましたが、
今回こうして記してみた次第です。
この「デジタル・ビデオテープ=DV」の中に、
この時の僕等の姿が収まっていると思います。
当時はマダこんなテープに!素材をストックしてました。
懐かしい(^^)
今日の記事に関してはリクエスト含め、
ブログ一番最初の記事からずっとお付き合いをしてくれている
「蓮華」さん「ながめ」さん。
それと「Monika」さんに、
ココに一言お礼を記させて頂きます。
ありがとうございます。
このブログのサブ・タイトルに偽りはありません。
......最後に。
「輪廻転生=リ・インカネーション=生まれ変わり!?」
等の話題が出る際に、
不可思議世界の諸々に「誤解」や「間違い」等が起らぬよう、
個人的に!
絶対に!
触れておきたいお話や書籍等があったりもするので、
次回は!
今日の記事の補足的お話を少し記しておこうかと思っています。
どか、今日の所はあしからず。
それぞれの世界観で。
あしからず。
また、お盆明けに。
(^^)オツカレマンボー
上から差し込むわずかな光に照らされて、
微かに見えた自分の小さな手は......
どうも......黒く見えます。
「その時の私は、
今の私よりちょっとだけ小さいくらいの歳だったと思う......
だから......13?4?......ぐらいの歳かな。。」
そう僕に話す彼女は「天才少女詩人」と呼ばれ、
世間から注目を集め出した15才の少女。
その時、彼女は高校1年生。
アーティスト名は「螢」。
僕等は彼女のCDブックレット用写真の撮影で訪れた、
広い撮影スタジオの片隅にある細長いテーブルを囲んで
話をしていました。
テーブルの上には撮影用の細かい機材がバラバラと並び。
他にはポテトチップスやチョコレート、
キャンディ、ビスケット......
色々なお菓子やコンビニのサンドイッチ、
おにぎりなども雑然と置かれていました。
スタジオのスタッフが煎れてくれる熱いコーヒーの入った
ステンレスシルバーの大きなポットも二つ。
そのポットの横には取っ手付きの黒いカップホルダーが
何かのタワーの様に沢山重ねられて置かれています。
それに挿して使う白いプラスチックのカップも
ホルダー同様に高く、
沢山積み重ねられて置かれていました。
僕らはその簡易型のコーヒーカップを組み立てて、
ポットの珈琲を注ぎ込み、
とてもリラックスしながら話をしていました。
神経の張り詰める写真撮影。
その合間のしばしの休憩。
僕と螢が話す、そのすぐ横には、
彼女が全幅の信頼を寄せるアートディレクターの
ちーさん(敏腕女性ディレクター、仮名)もいました。
「......なんとなく覚えてるのは、
ソコがとても深い井戸の底だったこと。
どうしてそんなトコロに落ちてしまったかはよくわからない。
誰かに落とされた様な気もするし、
自分で歩いていて落ちてしまったような気もするし......
よくわからない。
覚えているのは、とにかくそこに落ちて、
どうしていいかわからなくて、
体の半分ぐらい、腰のあたりまで水に漬かっていて......
冷たくて、寒くて、、真っ暗で、絶望的で、悲しくて......
そんな日がもう何日も何日も続いていて。
でも誰も助けに来てくれなくて。
私はこのままココで死ぬんだろうな......と思っていたの。
そんな感じでもう本当にどうしていいかわからず絶望してた。
そんな感じ。
それでね、深い井戸の底だから昼間も真っ暗なんだけど、
太陽が上の方に昇って来た時には少し明るくなるの。
光が射す時もあるの。
その時に私ちょっと自分の手を見たの。
その記憶はハッキリとあるの。
それでね、その手がね、真っ黒だったの。
それも覚えてるの。
私、黒人だったんだと思う。その時。
多分、アフリカとかケニアとか?
そんな辺りに住んでいた黒人の女の子だったと思う。
なんにもないところ。見渡す限り。
そんなところの。
それをよく覚えてるの」
彼女が僕とちーさんにしてくれたその不思議な話は、
自分の中にある「最古の記憶」の話し。
どーしてそんな会話になっていたのか?は、
忘れてしまいましたが、僕らはその時、
それぞれの中にある
「一番古い記憶って何よ?」
......という会話で盛り上がっていました。
「それで、私、死んじゃうの。そこで。」
「......ふーーん。。すげーな。
そんなこと覚えてんの!?マジで?
すげーな......」
「次に覚えてるのはお母さんのお腹の中。
私お母さんのお腹の中にいる時の記憶もけっこうあるの。
あまり人に話さ無いけど。
馬鹿だと思われるから。
でもあるの。
お母さんが聞いてた音楽も覚えてる。
お父さんと喧嘩してたことも」
「それも不思議だなぁー。
すげーなぁ。。」
「二人は信じるよね。わかるもん。。
それでね、なんとなくだけど......
黒人の女の子だった時と、
お母さんのお腹にいた時は繋がってる感じがしてるの。
うまく言えないけど。
そんな感じ」
「繋がってる、、、か、、、
今の螢とアフリカの螢を合わせると、
ちょうど俺らと同い年ぐらいやな。。
そっか、
それでオマエさんは老けてるわけだな!?
んん!?( ̄▽ ̄)そだろ!?ん!?」
螢が15歳にしては大人びているな......と感じていた部分が、
本人の話したこんな物語に起因しているのかどうか!?は、
当然分かりませんが。
いわゆる「輪廻転生=りんねてんせい」というものが、
もし本当にあるのなら、あり得ない話でもなく......
霊能者でもない僕らはその時、
大きな瞳の少女が話す物語をタダタダ興味深く聞いていました。
でも、なんとなく、僕は真実の話のように思えています。
勿論、今も。
お盆の季節です。
魂などというものが本当にあるのか?ないのか?
そんなことどちらでもいいよ.....というような人も含めて、
少なくとも現実に見えている世界では、
先祖の皆々様が彼方の世界から此方の世界に帰ってくる時期として、
このお盆というものが全国的に認知、
確立されているようにも思えています。
それは、ちょっと考えるとトテモ不思議なことなのですが、
実は多くの人々も魂というものの存在を心の奥深くでは認めている?
信じている?
感じている?
のではないかということの表れのようにも思えます。
考えてみるに、
最先端の脳科学でも未だ解明しきれない領域は確かにあって。
「お盆」という世俗的概念も含めて世界に広がる様々な宗教、
儀礼、祭事、神話、民話などの様子や概念等を見渡してみても、
人類が生まれてから今に至るまで一貫して変わらないコトの一つに、
実は、
「見えないものを信じている......」
ということもあるのではないか......という気もします。
「イヤイヤ、そんなもの信じてないよ......」
というような人でも、
愛や友情、信頼や根性!
恨みにツラミに奇跡や運命、幸運や悲運、偶然......
などと言ったコトに言及するような時、
実はそれも魂や霊、神様......
などと同様の「見えない世界」の話しでもあって。
それは不思議ちゃん噺(ばなし)と
さほど変わらないことのようにも思えます。
そして完全なる世界は、自然界は、
あまねく循環のシステムで回っている様にも思えます。
それが普通の様にも思えます。
マッタク同じもの、コト、
生命の誕生、出現の繰り返しなどは無いものとも感じていますが、
そんな部分も包括した魂の大いなる循環は、
当たり前で尊いシステムの様にも思えます。
このブログの一番最初の記事で
「タイトルの由来」
として記したのが、今回も触れた「螢=ほたる」と言う
アーティストにまつわる話しでした。
その時に思いもよらない沢山の反応をメール等でも頂いたので、
コメント欄ではついつい
「機会あればまた螢の話しを記しますね。
僕の手がけて来た中でも、
本当に色々面白い思い出があるアーティストですから......」
などと返してしまったのですが......
そんな返事もしてしまったし、ならば、
いい加減でめんどくさがり屋の自分のブログが「もし」続く!?
のであれば、初めての記事同様、
新たな年記のスタート毎に、
その軌跡の証石として
「彼女の思い出を少しづつ記す形が一番いいのかな......」
というふうに思っていました。
なので昨年、2年目に入った時に二つ目の記事を書いて、
今回が自分でもビックリ!の3年目に突入!の回ということで。
三つ目の記事とあいなりました。
内容は幾人かの方々から
「何故螢が大人びていたか?の話しが聞きたい。。」
というようなメッセージを頂いていたので、
今回はそれにまつわるお話としてみました。
話しが話しなので......
本人のコトも含め書くことに少しのためらいもありましたが......
最早むかーーし、むかし......の話しですし、
書く時期も遅らせて、
この「お盆」の時期であれば......!?
ナントナク書ける!?ような気がして......
ブログ2周年の日から僅かに遅れた時期とはなりましたが、
今回こうして記してみた次第です。
この「デジタル・ビデオテープ=DV」の中に、
この時の僕等の姿が収まっていると思います。
当時はマダこんなテープに!素材をストックしてました。
懐かしい(^^)
今日の記事に関してはリクエスト含め、
ブログ一番最初の記事からずっとお付き合いをしてくれている
「蓮華」さん「ながめ」さん。
それと「Monika」さんに、
ココに一言お礼を記させて頂きます。
ありがとうございます。
このブログのサブ・タイトルに偽りはありません。
......最後に。
「輪廻転生=リ・インカネーション=生まれ変わり!?」
等の話題が出る際に、
不可思議世界の諸々に「誤解」や「間違い」等が起らぬよう、
個人的に!
絶対に!
触れておきたいお話や書籍等があったりもするので、
次回は!
今日の記事の補足的お話を少し記しておこうかと思っています。
どか、今日の所はあしからず。
それぞれの世界観で。
あしからず。
また、お盆明けに。
(^^)オツカレマンボー
確かに。
久しぶりに螢を聴こうと、思います。
本人がどう思っているのか判りませんが、残されてる映像や音源、詩にもっと触れたいですね。
「現れ、消えて」「デジデリオ」あたりの記事を、よければ見てみてください。小さな命のお話です。
ずいぶん神秘的なエピソードですね。輪廻転生ですか、信じてみたくなります。実は私はこの春親になるのですが、私の元に来た小さな命はどこから来たのか、不思議な感覚です。お腹の中で動いている小さな生命。どこから来てくれたのでしょう。早く会いたいです。
ブログ、続けて下さいね。毎年のエピソードも期待しています。