今、マイケル・ムーア監督について書いている途中です。しかし、彼について、本当に言いたいことを書くのはとても難しいのです。それは、今回の映画『キャピタリズム』をご覧になった方はお分かりになることでしょうが、すこし、間を空けて、今、マイケルムーア監督のほかの映画を見始めたところです。『シッコ(アメリカの医療制度について述べた映画)』を本日見たところですが、ますます、文章を書きにくくなりました。
だから、少し、前まで戻って、『のだめカンタービレ』について、まだお話をしていなかったことを述べさせてくださいませ。
『のだめカンタービレ』は、本当のところは一本で公開すべき筋を、音楽を生かすため、また、資金をかけたから、フィルムを編集しすぎることがもったいないから(?)、前・後編に分けて公開をされています。だけど、間を四ヶ月空けるのはどうかなあ。
せめて、フランス映画『メスリーヌ』みたいに、前・後編を、同じ映画館で、一回交代に見せるという形に、してもらいたかったところです。でないと、芸術作品としての形をとれないので、海外へ、もって行くのなら、大急ぎで、そこもお願いして、(せりふを字幕ではなくて、現地語で入れるのでしょうから)前・後編を、同じ日に鑑賞できるようにしてもらいたいと思います。
のだめカンタービレの関係者は、すこし、ファンへ甘えていると感じます。が、それは、さして重要な批判ではありません。
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で、元に戻ると、サンジェルマンを含め、パリを観光紹介するような画面はあるのです。後編で、のだめの学習上、または、修行上の悩みが出て来るそうで、その前提条件として、パリを紹介しているわけです。
サクレクール寺院は、結構重要な場面として使われますが、
サクレクール寺院から、私は後をつけられていたらしくて、結果としてバスティーユで、ギャングかCIAだったと思われる屈強の男たちに、拉致されかかるのです。
非常に怖い思い出が、思いがけずも『のだめンタービレというおとぎばなしのような映画を見たことで、喚起させられてしまったのですが、その件は今考えると、まさしく、政治に関係があります。実際には12年が経ていますが、時間がたつとかえって明らかになる部分もあって、その怖さが増してくる部分もあります。で、前の文章(レオン・カラックス監督の章)と意外にも接点がある文章となっていきます。
で、その怖い話には、紙袋が重要なアイテムとなっています。それをどうして思い出したかというと、のだめが、サクレクール寺院の石段の前で、紙袋を大量に持っていたからです。中身の入っている10個以上のブランド物の紙袋を両手に持って石段をふうふう言いながら、あがるという設定になっています。
その紙袋は、もちろん、主人公である『のだめ』の買い物ではありません。お定まりのシンデレラ風な隠し味が含まれていて、脇役の方が、お姫様であり、そのお姫様にこき使われるという設定で、買い物袋を多量に持たされているのです。そのお姫様の方は、韓国出身の天才的ピアニストという設定です。そちらは、こどものころから、母親が、ステージママであって、それに、抑圧されきって育ちあがったので、大人に差し掛かるにつれ、そこから、逃げ出して自由を感じたくなり、その表現としての、パリでのショッピングでした。既に成功をしているので、お金持ちであるという設定です。ここらあたりは一種のネタばれと言うやつですが、主筋には、関係ないのでお許しくださいませ。その成功者は、今、精神的に迷っていて、買い物をしまくるということで、自己の解放を目指している・・・という設定になっています。
『のだめカンタービレ』のプログラムを読んでいて驚いたのですが、そのブランド紙袋は、すべて、本物だそうです。色がいろいろあって10いくつまとめて持っても美しいこと限りが無くて、それが、パリのエスプリなのでしょうね。
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しかし、突然に挿入として、普段の生活のことへ入りますが、パリとは単なるおしゃれの街ではなくて、そこで住んでいる人たちは、非常に楽しく、安心して暮らせる街でもあるそうです。医療費とか、子育ての費用が、十分に、国家から出ているから、そうなる。この情報は、ムーア監督の映画、「シッコ」を見ていて、わかったことでした。ただ、私も、地下鉄内で赤ちゃんを連れた人に出会うと、周りの人が親切なので、その様子から考えて、パリでは小さい子供がとても大切に扱われているのは、肌で、かんじました。思いがけないほど、穏やかに、普通の暮らしが営まれている街だったのです。
『シッコ』はアメリカの医療保険の問題に取り組んだ映画なので、日本では一切あたらなかった模様です。つまり、日本人は、アメリカ人に比べれば、医療保険でより手厚い保護がなされているので、ムーア監督の怒りを共有できなかったのでしょう。私はムーア監督を好きだから、研究するために、最後まで見ましたけれどね。
いやあ、アメリカの普通の国民が、苦労の限りを尽くしているのを見て、切ないこと限りが無かったのですが・・・・・本当に見るのがつらい映画でした。ひるがえって『のだめカンタービレ』などを見ていると、若さと夢にあふれているので、ほっとしますがね。
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ムーア監督はブランド物については映画の中では、触れていませんが、もちろん、そんなものを買う、(踊らされている)ことには大反対でしょう。私もパリへ行ったら、なにか買い物をするべきだと言う発想はありませんでした。
しかし、私はパリで研修したのが、海外の単独滞在の初めての経験だったので、そうとうにしっかりした準備をしていって、ものを運ぶ際は、紙袋を使って、運ぼうと考え、日本から荷物の中に、ブランド物の紙袋を入れて、飛行機で運んでいったのです。
きれいな紙袋に、版画用の模様をつけた後の銅版を、数枚入れて、私は地下鉄で、サクレクール寺院に向かいました。パリに着いた後での情報収集によって、その石段の途中左側に、立派な版画工房があることを知ったからです。プロの摺り師に刷ってもらおうと考えました。それを脇から見ていれば、技術の習得に役立つからです。
その工房の存在を、教えてくださったのは、フランス人の現代アートの大家・オリヴィエ・ドブレさんでした。それで、大きな希望を持って、あの長い石段をあがっていったものです。1998年の9月の初旬でした。
その後で、危うく、身柄を(CIA?、もしくはギャング団?に)拉致されそうになったのですが、・・・・・その話は続く・・・・・とさせてくださいませ。
2009年2月11日 雨宮 舜
だから、少し、前まで戻って、『のだめカンタービレ』について、まだお話をしていなかったことを述べさせてくださいませ。
『のだめカンタービレ』は、本当のところは一本で公開すべき筋を、音楽を生かすため、また、資金をかけたから、フィルムを編集しすぎることがもったいないから(?)、前・後編に分けて公開をされています。だけど、間を四ヶ月空けるのはどうかなあ。
せめて、フランス映画『メスリーヌ』みたいに、前・後編を、同じ映画館で、一回交代に見せるという形に、してもらいたかったところです。でないと、芸術作品としての形をとれないので、海外へ、もって行くのなら、大急ぎで、そこもお願いして、(せりふを字幕ではなくて、現地語で入れるのでしょうから)前・後編を、同じ日に鑑賞できるようにしてもらいたいと思います。
のだめカンタービレの関係者は、すこし、ファンへ甘えていると感じます。が、それは、さして重要な批判ではありません。
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で、元に戻ると、サンジェルマンを含め、パリを観光紹介するような画面はあるのです。後編で、のだめの学習上、または、修行上の悩みが出て来るそうで、その前提条件として、パリを紹介しているわけです。
サクレクール寺院は、結構重要な場面として使われますが、
サクレクール寺院から、私は後をつけられていたらしくて、結果としてバスティーユで、ギャングかCIAだったと思われる屈強の男たちに、拉致されかかるのです。
非常に怖い思い出が、思いがけずも『のだめンタービレというおとぎばなしのような映画を見たことで、喚起させられてしまったのですが、その件は今考えると、まさしく、政治に関係があります。実際には12年が経ていますが、時間がたつとかえって明らかになる部分もあって、その怖さが増してくる部分もあります。で、前の文章(レオン・カラックス監督の章)と意外にも接点がある文章となっていきます。
で、その怖い話には、紙袋が重要なアイテムとなっています。それをどうして思い出したかというと、のだめが、サクレクール寺院の石段の前で、紙袋を大量に持っていたからです。中身の入っている10個以上のブランド物の紙袋を両手に持って石段をふうふう言いながら、あがるという設定になっています。
その紙袋は、もちろん、主人公である『のだめ』の買い物ではありません。お定まりのシンデレラ風な隠し味が含まれていて、脇役の方が、お姫様であり、そのお姫様にこき使われるという設定で、買い物袋を多量に持たされているのです。そのお姫様の方は、韓国出身の天才的ピアニストという設定です。そちらは、こどものころから、母親が、ステージママであって、それに、抑圧されきって育ちあがったので、大人に差し掛かるにつれ、そこから、逃げ出して自由を感じたくなり、その表現としての、パリでのショッピングでした。既に成功をしているので、お金持ちであるという設定です。ここらあたりは一種のネタばれと言うやつですが、主筋には、関係ないのでお許しくださいませ。その成功者は、今、精神的に迷っていて、買い物をしまくるということで、自己の解放を目指している・・・という設定になっています。
『のだめカンタービレ』のプログラムを読んでいて驚いたのですが、そのブランド紙袋は、すべて、本物だそうです。色がいろいろあって10いくつまとめて持っても美しいこと限りが無くて、それが、パリのエスプリなのでしょうね。
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しかし、突然に挿入として、普段の生活のことへ入りますが、パリとは単なるおしゃれの街ではなくて、そこで住んでいる人たちは、非常に楽しく、安心して暮らせる街でもあるそうです。医療費とか、子育ての費用が、十分に、国家から出ているから、そうなる。この情報は、ムーア監督の映画、「シッコ」を見ていて、わかったことでした。ただ、私も、地下鉄内で赤ちゃんを連れた人に出会うと、周りの人が親切なので、その様子から考えて、パリでは小さい子供がとても大切に扱われているのは、肌で、かんじました。思いがけないほど、穏やかに、普通の暮らしが営まれている街だったのです。
『シッコ』はアメリカの医療保険の問題に取り組んだ映画なので、日本では一切あたらなかった模様です。つまり、日本人は、アメリカ人に比べれば、医療保険でより手厚い保護がなされているので、ムーア監督の怒りを共有できなかったのでしょう。私はムーア監督を好きだから、研究するために、最後まで見ましたけれどね。
いやあ、アメリカの普通の国民が、苦労の限りを尽くしているのを見て、切ないこと限りが無かったのですが・・・・・本当に見るのがつらい映画でした。ひるがえって『のだめカンタービレ』などを見ていると、若さと夢にあふれているので、ほっとしますがね。
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ムーア監督はブランド物については映画の中では、触れていませんが、もちろん、そんなものを買う、(踊らされている)ことには大反対でしょう。私もパリへ行ったら、なにか買い物をするべきだと言う発想はありませんでした。
しかし、私はパリで研修したのが、海外の単独滞在の初めての経験だったので、そうとうにしっかりした準備をしていって、ものを運ぶ際は、紙袋を使って、運ぼうと考え、日本から荷物の中に、ブランド物の紙袋を入れて、飛行機で運んでいったのです。
きれいな紙袋に、版画用の模様をつけた後の銅版を、数枚入れて、私は地下鉄で、サクレクール寺院に向かいました。パリに着いた後での情報収集によって、その石段の途中左側に、立派な版画工房があることを知ったからです。プロの摺り師に刷ってもらおうと考えました。それを脇から見ていれば、技術の習得に役立つからです。
その工房の存在を、教えてくださったのは、フランス人の現代アートの大家・オリヴィエ・ドブレさんでした。それで、大きな希望を持って、あの長い石段をあがっていったものです。1998年の9月の初旬でした。
その後で、危うく、身柄を(CIA?、もしくはギャング団?に)拉致されそうになったのですが、・・・・・その話は続く・・・・・とさせてくださいませ。
2009年2月11日 雨宮 舜