銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ロマン・ローラン VS プルースト

2010-02-21 23:27:39 | Weblog
 『魅せられたる魂』は、発表当時はセンセーショナルな書だったと思いますが、現在では普通の話となっているでしょう。超・簡単にまとまれば、<男性に失望した女性が一人で、子育てをしながら働き、自立を果たしていく>という話です。

 私はこれを、まだ、恋愛ひとつちゃんとしたのはしたことも無かった大学時代に読んだので、『え、男性を批判する女性も居るのだ』と驚きました。それほど、45年前は男尊女卑だったのです。ロマンローランが発表したのは、1922~33年ですから、パリといえども、これは、新しい小説だったでしょう。

 私は、ロマンローランのものでは、『ジャン・クリストフ』の方がすきなのです。19歳から、21歳にかけて、非常に長い時間をかけて(岩波文庫でも10冊となる。・・・・・58年前~56年前にかけて読んだが、そうでしょう。フランス版・原作では、11巻のはず・・・・・ただし、この数は反対だったかもしれません)読みましたが、

 そちらが、『魅せられたる魂』よりも先だったので、後から読んだ『魅せられたる魂』を、軽いと言う印象を持ってしまったのです。よりわかりやすいから、軽いと感じたのでしょう。ところで、ロマン・ローランは、ジャン・クリストフの方を、1904年から12年の間に発表をしています。読むのも大変ですが、作者として創作するほうも並々ならぬ長時間をかけているわけです。

 それと、私には、実のところ、結構男性的な要素が大きかったのかもしれません。それに、後年文章を書いたりするわけでしょう。それで、批判をされますが、それを乗り越えてきましたから。
 抽象的な絵は、社会的に、批判をされません。しかし、文章を書く行為は、陰に回った形(つまり、PCが壊れたりする形)で批判や弾圧を受けます。だから、戦う人である、ジャンクリストフに、結局は似たところのある人生になって行ってしまったわけです。そういう人生を選ばないつもりで、結婚をしたのに、不思議なことに、人間って、落ち着く先に落ち着くものです。

 決して過激な人には、成らないつもりだったのに、結果として、結構過激な人となってしまっている。若い日に、どうしてか、ジャン・クリストフに、深く惹かれたのは、伊達や道楽でもなかった模様です。

 65歳を過ぎたあたりから、まさしく、<自分は、スイスにのがれなければならなかったころの、ロマンローランに似ている>とさえ思うほどです。ただ、海外暮らしは、若くは無い私の場合、お金が無いと危険なので、行かれないだけです。日本には向いていないと思うときも多いけれど、静かな日本人として、黙って生きているわけです。

 まあ、これでも、自分では、クヌギの大木の下で静かに生きているつもりではあるが、それでも、社会の動きが心配でならないときがあって、ひたすら文章を書き続けているわけです。小さな声でもいいから、警鐘を鳴らしたくて。それには、相当のエネルギーが要ります。一種の戦いでもあります。だからこそ、戦う人であるジャン・クリストフは、とても身近な存在です。今でも、そうです。本を読み直すことは無いけれど、一場面、また、別の場面を思い出すのは、しょっちゅうあります。
~~~~~~~~~~~

 ところで、これは、昔からなんとなく、わかっていたことですが、ロマンローランは母国で、評価が高くないのです。それゆえに、今も、再評価の波が起こらないのかもしれません。これは、ジャン・クリストフの中で、パリ的な生活への批判を、行っているからでしょう。

 忘れられない表現としては、・・・・・クリストフの親友オリヴィエの妻が、不倫の挙句、離婚もして、しかも不倫相手から、捨てられる・・・・・という部分があり、そこらあたりにも、パリ的な生活への、批判が読み取られます。

 これが、・・・・・最近特に評価が高い、・・・・・プルーストとの比較において、フランスではロマン・ローランが受けない、大きな要素となっていると思います。
 プルーストはそんな、批判はしておりません。恋愛における微妙な心のやり取りを詳細に描いています。社会への批判が無いように、今のところ、私は感じています。まじめな、ことは野暮だと言う風なニュアンス。

 まるで、違う世代のように思っていましたが、(というのは、プルーストの方が古い時代だと?????)、実は作品が、発表されたのは、ほとんど、同時代だったのです。それには改めて驚きました。手軽に情報を得られるインターネット、グーグルの検索のおかげでもありますが・・・・・
 プルーストの『失われたときを求めて』も、1912年から27年という長い歳月をかけて発表をされたので、二人は同時代の人だったのです。

 プルーストみたいに、政治に関わらないほうが息が長い生命力を持つかな? 特におなじく、グーグルの検索ではじめて知りましたが、ロマン・ローランはソビエト・ロシアに相当肩入れをしていたみたいで、それも、再評価の機運を低くしているのでしょう。
 ソビエトロシアの裏側が、弾圧の連続だったことが、今では証明されてしまっているからです。ロマン・ローラン自身は、ソビエトに訪問して滞在したこともあった模様ですが、客人としてもてなされたわけでしょうから、真実は見えなかったと思われます。
 私はそれを知っても、自分の、ジャンクリストフを、好きな気持ちには、微塵も変更はありません。

 最近、ドストエフスキーのブームが起こりましたけれど、ロマン・ローラン・ブームは起きません。それが、『こんなところにも、原因があるかなあ』と感じ始めました。

 プルーストを読むのは、若いときに取り組んでいないので、作家や人物としても、ロマンローランと比較することができないのですが、でも、年取ってから読むほうが、プルーストの気持ちに添えるかもしれません。

 ところで、この文章ですが、ここで、もう一回中断をさせてくださいませ。 
        2010年2月21日早朝書く、送るのは後で、雨宮舜       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする