褒めて育てる・・・・・これはいいことです。叱りすぎると萎縮する。朝青龍を私は大好きで、引退を彼に強制したのは、大疑問ですが、(というのは、相撲は衰退していくだろうと思うので、それこそ、グローバリズムの超・間接的な陰謀ではないかと思うほどですが)、若松親方は甘やかしたと責められていますね。でも、若松親方の元でなかったら、あの横綱は生まれなかったであろうといわれても居ます。そしてそれは正しいであろうと思います。
国母選手の両親は、きっと、それを実行したのです。ただ、褒めて育てるの行きすぎが、橋本聖子団長の温情を、理解できない態度につながりました。そして、石狩平野という土地代が安い場所では、一軒一軒の間隔もひろく、子供が集団で遊ぶことが、近隣迷惑につながらないので、ここまで誰にも矯正される事無く、育ちあがったのでしょう。
ここで、私が『近隣迷惑』というのは、ブロック塀を壊したりすることを指します。子供用の自動車を、坂を急スピードで下りていくと、よその家のブロック塀にぶつかり、それを、壊したりするのです。こどもの方だって、いつかはおもちゃのほうが壊れるでしょうから、怪我をする可能性はあります。だけど、ひとりターちゃんが大音響を発しながらそれをやると、他の子も、面白そうだから、まねをします。だから、私は、空が晴れていると、一日中、子供集団の傍に、ついていなければなりません。
10時間も連続して外には居られないので、ニ、三時間、子供たち全部を家に入れると、時計は壊すは、何はするで、これまた、目が放せません。こういうしつけは、小さいときから、家の中で自由にさせて、何かを触るたびに、それを、「さわってはいけないのよ」と親が教えておかないと、他人である私が注意しても、止める気がターちゃんの方に起きないのです。親は、「注意してください」というのですが、注意されるということの意味が、実践的な場で、まったくわかっていないからです。だから、『これは面白いことだ』とターちゃんが思う限り、我が家がどんなに迷惑を受けても、それを、止めさせることはできません。
だから、ルソーの『エーミール』の実践を、日本の新興住宅地で行われては、言葉の意味以上に、はた迷惑なのです。
~~~~~~~~~~~~
私は『しろウサギとか、羊みたい』とよく言われます。・・・・・『ともかく、生活感が無い』とも言われます。一見すると、怖くない。ターちゃんにもなめられきっていますが、その両親にもなめられきっています。
でも、考える人ではあるのです。だから、結果としては怖い人かもしれません。人生の途上で出会った現象をずっと、心の中で蓄えて、分析を続けるからです。
でね、この問題だって、『ターちゃんには、何の罪も無い』ということは良くわかっています。橋本聖子団長が、『国母選手には、罪は無い』と判断したのと同じ判断はもっています。
でも、親に対する批判は、持っていて、今日はターちゃんのお父さんの方に触れましょう。
これも、ある種のかわいそうさをもってはいるが、やりすぎを、いさめるためです。そして、彼ら夫婦のような親は、この現在の日本に多数居ると思います。そして、その悪影響を学校・現場の先生方が、身に背負って、ノイローゼが多発しているといわれます。
~~~~~~~~~~~~
だから、そのご夫婦を分析する意義があると感じます。
そして、それは、社会学的な方向へも向かいます。今現在都会で、特にマンションで子育てをしているお母さん方は、仕事をして保育所に預けてしまうか、公園デビューとか幼児教室に通わせるという形で、幼児の時間つぶしをやっているでしょう。
その際、「ママ間カーストというのがあって、それを処理するのが大変だ」と、AERAに出ていたことがあって、『うわ、アエラも本音を語りますね。編集者の中に、若い母親が居るのだろうか?』と驚きました。いまだにコピーを保存していますが、
1960年代、および、1970年代に開発された郊外型、新興住宅地では、まさに、それが原因で、近隣トラブルが多発したのです。和歌山毒入りカレー事件もそういう、類の近隣闘争の、一バリエーションでしょう。
~~~~~~~~~~~
その事件では、ご夫婦ともに体格が大きそうで、かつ、顔を見れば美形です。ご主人は独立して、アリ殺虫業務をやっていた模様。日銭は稼げるので、生活は派手だったでしょう。サラリーマン家庭よりは豪奢な雰囲気で、威張っていたと思われます。それが、普通の主婦の反発を招いていて、浮き上がっていたと、考えられます。
それが、悔しいので、『ちょっと、周りを困らせてやろう』というぐらいの軽い認識で、カレーに砒素を混ぜたのでしょう。が、カレーは粘度が高いので、満遍なく交じり合うことが無くて、濃い部分を食べた人が、死んでしまいました。普段の小さな不満のやりとりの積み重ねが、大事件に発展をしました。
~~~~~~~~~~
その影に、現代の社会にある、ある種の身分差別が、反映しています。これは、在日への差別とか、への差別とは違うもので、人々はわかっているが、表面にそれを出して論じることがありません。
が、問題をはっきりさせるために、言えば、職業に貴賎はあったのです。大会社のサラリーマンであることが、一番安全な、かつ名誉ある仕事というかポジションでした。
新興住宅地というのは、お互いの過去を知らない人同士が、急に近隣関係を作り上げるところです。山手線の内側にある、古い街などとは違います。で、その機会を利用して、人生をリセットして、『優越したエリートとして、ここの生活をスタートさせたい』と願う人が必ず居て、他者をしきり、上下関係を構築します。よく、町内会の役員を何十年間も勤める人が居ますが、それは、その種の人間の典型例です。
~~~~~~~~~~~
さて、ターちゃんのお父さんは、大会社の勤め人ではありませんでした。独立して運送業を営む人。日銭はたくさん持っているから、生活は派手です。ピザを取ったり(?)外食には、一家で、良く出かけていたみたい? だけど、社会的な信用が低いので、当時の制度では、住宅ローンが組めない模様です。上に立ちたいという志向が、夫婦ともにあるのに、持ち家ではありません。借家暮らしです。私自身が借家を、軽蔑しているわけではないが、
ポイント・カードひとつでも、「申し込んで下さい」といわれて用紙に記入するときに、必ず、持ち家かどうかを聞かれる欄があります。
だから、彼ら夫婦には、言うに言われぬ不満とか劣等感があったと、私は、想像をするのです。そこを挽回する手段としての、こどもであり、ターちゃんは、はっきり言えば親の欲の犠牲者なのです。顔はかわいい。どこといって障害も無い。多分、育て方によっては優秀なお子さんとなったでしょう。
下のお子さんは、反省をなさったのか、正反対の育て方(小さいとき、お母さんが、十分に家の中で遊んであげて、面倒を見る形式)をとられたので学業も優秀だったという話です。
でね、ターちゃんを、他のお子さんから、優越させるための、あの放任だったと、私は今では分析しぬいています。
こどもの優劣には、基準がたくさんあります。ひとつの価値で判断してはいけないのですが、体格が大きくて、顔も美形な両親は、手っ取り早い形での優秀さを好んだから、『外で、一人で遊べる子は、勇敢な男の子だ』という図式にこだわったのでしょう。その基準を満たすために、二歳ごろから、一日中外で遊ぶことを、ターちゃんに強いたのです。
でもね、こどもって、荒野で、一人で育ちあがるものではないです。誰かが面倒を見ているから育つのです。それを両親は知って置かないと駄目ですね。
それに、子供に夢を託して、自己実現を図るため(簡単な言葉で還元すれば、他人に威張るため)に、子供を叱らないで、物怖じしない子にしつけるのも、行き過ぎると、結局はマイナスとなって、親に帰ってきます。
ターちゃんの親は知らなかったと思いますが、ターちゃんは担任の先生が代わるまで、ほとんど、外で一人で遊んでいたのですよ。線路際でねこじゃらしを、ふりながら。・・・・・かわいそうに、本当にかわいそうに。・・・・・もちろん親の意向はわかっているから家へ帰りもしません。一年生ぐらいだと電車に乗って映画を見るなどもできないし、同じく電車に乗って、図書館に行く知恵も無いでしょう。見ていて本当に痛々しかったです。
私は、四年間かな。相当な時間面倒を見ましたが、ターちゃん自身は、ひどくかわいいと思っています。お母さんからも一回まじめな顔で、「川崎さん(雨宮の本名)に預けておけば安心だから」といわれています。
そして、ターちゃんのお世話を親に代わって、できたことを、今では感謝しています。今ね。孫の世話もしていない駄目おばあちゃんですが、子育ての労働という意味では、本当に長時間やってきています。保育所とか幼稚園の先生として報酬をもらったわけではないが、それ以上のことをしたと自負しています。
それも、・・・・・私の、天というか、神様に預けた・・・・・貯金の一つです。私が、事実上は、他者の意図的な攻撃としての苦労が、とても多いのに、どこか守られていて、ここまで自殺もしないでいきていられるのは、そういう貯金のおかげでしょう。そう信じています。
2010年2月16日 雨宮 舜
国母選手の両親は、きっと、それを実行したのです。ただ、褒めて育てるの行きすぎが、橋本聖子団長の温情を、理解できない態度につながりました。そして、石狩平野という土地代が安い場所では、一軒一軒の間隔もひろく、子供が集団で遊ぶことが、近隣迷惑につながらないので、ここまで誰にも矯正される事無く、育ちあがったのでしょう。
ここで、私が『近隣迷惑』というのは、ブロック塀を壊したりすることを指します。子供用の自動車を、坂を急スピードで下りていくと、よその家のブロック塀にぶつかり、それを、壊したりするのです。こどもの方だって、いつかはおもちゃのほうが壊れるでしょうから、怪我をする可能性はあります。だけど、ひとりターちゃんが大音響を発しながらそれをやると、他の子も、面白そうだから、まねをします。だから、私は、空が晴れていると、一日中、子供集団の傍に、ついていなければなりません。
10時間も連続して外には居られないので、ニ、三時間、子供たち全部を家に入れると、時計は壊すは、何はするで、これまた、目が放せません。こういうしつけは、小さいときから、家の中で自由にさせて、何かを触るたびに、それを、「さわってはいけないのよ」と親が教えておかないと、他人である私が注意しても、止める気がターちゃんの方に起きないのです。親は、「注意してください」というのですが、注意されるということの意味が、実践的な場で、まったくわかっていないからです。だから、『これは面白いことだ』とターちゃんが思う限り、我が家がどんなに迷惑を受けても、それを、止めさせることはできません。
だから、ルソーの『エーミール』の実践を、日本の新興住宅地で行われては、言葉の意味以上に、はた迷惑なのです。
~~~~~~~~~~~~
私は『しろウサギとか、羊みたい』とよく言われます。・・・・・『ともかく、生活感が無い』とも言われます。一見すると、怖くない。ターちゃんにもなめられきっていますが、その両親にもなめられきっています。
でも、考える人ではあるのです。だから、結果としては怖い人かもしれません。人生の途上で出会った現象をずっと、心の中で蓄えて、分析を続けるからです。
でね、この問題だって、『ターちゃんには、何の罪も無い』ということは良くわかっています。橋本聖子団長が、『国母選手には、罪は無い』と判断したのと同じ判断はもっています。
でも、親に対する批判は、持っていて、今日はターちゃんのお父さんの方に触れましょう。
これも、ある種のかわいそうさをもってはいるが、やりすぎを、いさめるためです。そして、彼ら夫婦のような親は、この現在の日本に多数居ると思います。そして、その悪影響を学校・現場の先生方が、身に背負って、ノイローゼが多発しているといわれます。
~~~~~~~~~~~~
だから、そのご夫婦を分析する意義があると感じます。
そして、それは、社会学的な方向へも向かいます。今現在都会で、特にマンションで子育てをしているお母さん方は、仕事をして保育所に預けてしまうか、公園デビューとか幼児教室に通わせるという形で、幼児の時間つぶしをやっているでしょう。
その際、「ママ間カーストというのがあって、それを処理するのが大変だ」と、AERAに出ていたことがあって、『うわ、アエラも本音を語りますね。編集者の中に、若い母親が居るのだろうか?』と驚きました。いまだにコピーを保存していますが、
1960年代、および、1970年代に開発された郊外型、新興住宅地では、まさに、それが原因で、近隣トラブルが多発したのです。和歌山毒入りカレー事件もそういう、類の近隣闘争の、一バリエーションでしょう。
~~~~~~~~~~~
その事件では、ご夫婦ともに体格が大きそうで、かつ、顔を見れば美形です。ご主人は独立して、アリ殺虫業務をやっていた模様。日銭は稼げるので、生活は派手だったでしょう。サラリーマン家庭よりは豪奢な雰囲気で、威張っていたと思われます。それが、普通の主婦の反発を招いていて、浮き上がっていたと、考えられます。
それが、悔しいので、『ちょっと、周りを困らせてやろう』というぐらいの軽い認識で、カレーに砒素を混ぜたのでしょう。が、カレーは粘度が高いので、満遍なく交じり合うことが無くて、濃い部分を食べた人が、死んでしまいました。普段の小さな不満のやりとりの積み重ねが、大事件に発展をしました。
~~~~~~~~~~
その影に、現代の社会にある、ある種の身分差別が、反映しています。これは、在日への差別とか、への差別とは違うもので、人々はわかっているが、表面にそれを出して論じることがありません。
が、問題をはっきりさせるために、言えば、職業に貴賎はあったのです。大会社のサラリーマンであることが、一番安全な、かつ名誉ある仕事というかポジションでした。
新興住宅地というのは、お互いの過去を知らない人同士が、急に近隣関係を作り上げるところです。山手線の内側にある、古い街などとは違います。で、その機会を利用して、人生をリセットして、『優越したエリートとして、ここの生活をスタートさせたい』と願う人が必ず居て、他者をしきり、上下関係を構築します。よく、町内会の役員を何十年間も勤める人が居ますが、それは、その種の人間の典型例です。
~~~~~~~~~~~
さて、ターちゃんのお父さんは、大会社の勤め人ではありませんでした。独立して運送業を営む人。日銭はたくさん持っているから、生活は派手です。ピザを取ったり(?)外食には、一家で、良く出かけていたみたい? だけど、社会的な信用が低いので、当時の制度では、住宅ローンが組めない模様です。上に立ちたいという志向が、夫婦ともにあるのに、持ち家ではありません。借家暮らしです。私自身が借家を、軽蔑しているわけではないが、
ポイント・カードひとつでも、「申し込んで下さい」といわれて用紙に記入するときに、必ず、持ち家かどうかを聞かれる欄があります。
だから、彼ら夫婦には、言うに言われぬ不満とか劣等感があったと、私は、想像をするのです。そこを挽回する手段としての、こどもであり、ターちゃんは、はっきり言えば親の欲の犠牲者なのです。顔はかわいい。どこといって障害も無い。多分、育て方によっては優秀なお子さんとなったでしょう。
下のお子さんは、反省をなさったのか、正反対の育て方(小さいとき、お母さんが、十分に家の中で遊んであげて、面倒を見る形式)をとられたので学業も優秀だったという話です。
でね、ターちゃんを、他のお子さんから、優越させるための、あの放任だったと、私は今では分析しぬいています。
こどもの優劣には、基準がたくさんあります。ひとつの価値で判断してはいけないのですが、体格が大きくて、顔も美形な両親は、手っ取り早い形での優秀さを好んだから、『外で、一人で遊べる子は、勇敢な男の子だ』という図式にこだわったのでしょう。その基準を満たすために、二歳ごろから、一日中外で遊ぶことを、ターちゃんに強いたのです。
でもね、こどもって、荒野で、一人で育ちあがるものではないです。誰かが面倒を見ているから育つのです。それを両親は知って置かないと駄目ですね。
それに、子供に夢を託して、自己実現を図るため(簡単な言葉で還元すれば、他人に威張るため)に、子供を叱らないで、物怖じしない子にしつけるのも、行き過ぎると、結局はマイナスとなって、親に帰ってきます。
ターちゃんの親は知らなかったと思いますが、ターちゃんは担任の先生が代わるまで、ほとんど、外で一人で遊んでいたのですよ。線路際でねこじゃらしを、ふりながら。・・・・・かわいそうに、本当にかわいそうに。・・・・・もちろん親の意向はわかっているから家へ帰りもしません。一年生ぐらいだと電車に乗って映画を見るなどもできないし、同じく電車に乗って、図書館に行く知恵も無いでしょう。見ていて本当に痛々しかったです。
私は、四年間かな。相当な時間面倒を見ましたが、ターちゃん自身は、ひどくかわいいと思っています。お母さんからも一回まじめな顔で、「川崎さん(雨宮の本名)に預けておけば安心だから」といわれています。
そして、ターちゃんのお世話を親に代わって、できたことを、今では感謝しています。今ね。孫の世話もしていない駄目おばあちゃんですが、子育ての労働という意味では、本当に長時間やってきています。保育所とか幼稚園の先生として報酬をもらったわけではないが、それ以上のことをしたと自負しています。
それも、・・・・・私の、天というか、神様に預けた・・・・・貯金の一つです。私が、事実上は、他者の意図的な攻撃としての苦労が、とても多いのに、どこか守られていて、ここまで自殺もしないでいきていられるのは、そういう貯金のおかげでしょう。そう信じています。
2010年2月16日 雨宮 舜