銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

美空ひばりの、黒紋付の、入学式を、大切なものとして思い出す。

2010-02-27 17:01:04 | Weblog
 最近、美空ひばりの評価がとても高いと思います。

 それが、どうして、頭にふと浮かんだかという連想は省きます。

 しかし、私は長い間、彼女が嫌いでした。ちょっと、年上だと思いますが、横浜の人です。磯子というところの出身で、一時、磯子プリンスホテル(今は無くなっている?)のあった辺りの岡の上に大邸宅があるという話で、それを、なんとなく、違和感をもって、知人(または、友人)たちと、話し合っていたものです。

 ステージママにあおられている、なんだか、奇妙な存在だという認識でした。ところが彼女は、母君が亡くなってから、非常に変わります。すべての面で洗練をされてきて、かつ、考え悩む人であるという側面が、現れてきます。それ以前の、威張りかえっているスターというイメージから、どんどんと、変わってきたのです。

 十分すぎるぐらいに、人間的な人でもあり、かつ優等生でもある人へと、変化してきたのです。そのひとつが甥を、養子になさったことでしょう。

 今でも忘れられない写真があります。週刊誌に出ていたのですが、彼女が黒紋付の羽織を、色留袖、または、付け下げの上に着て、小学校の、入学式に出席している姿です。

 『あれっ』と思いました。同級生のママたちから比べれば、相当年上のお母さんです。そのことを坊や自身とか、ひばりさん自身が違和感を持たないのだろうか? とか、同級生のママたちが違和感を持たないのだろうか? と思って。
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 実際のところ、すべての人は違和感を持ったと思います。だけど、それを彼女は、押し通しました。それが、今、すばらしい結実を見せています。意地悪な表現で言えば、<坊やは、母の遺産で生きている>ともいえます。だけど、別の言葉で言えば、坊やが、成人して、母の著作権とか肖像権とかを守り、かつ、いわゆる露出という側面を管理していると、思われ、それが、幸いしています。適宜な時間的な間隔で、話題になるように、アレンジしているとも思われます。それが、彼女の芸術家としての命を永らえさせています。

 亡くなってしまった母ですが、それだからこそ、大切だという感覚が坊や(息子さん)の方にあるような気がします。実の親子だと、こういう作業は照れて、結構できないことかもしれませんが、偉人としての母を守るという姿勢が息子さんの方にあります。適宜な距離感があるから、できることのような気がします。

 となると、この養子縁組は、大成功したものでしょう。だけど、同時進行的に、芸能ニュースをちらちらと、傍見してきた人間から見ると、そんな遠い将来を見据えてしたことではなくて、ただ、この甥を守るために、美空ひばりが単純な今の目の前を大切にして決断をされたことのように思えます。
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 ここで、ちょっとしたお断りですが、私は最近では、有名人にも敬称をつけてきました。しかし、彼女はあまりに有名で、一種の記号化していて、さんをつけると違和感がそれこそ生まれるので、ここで、<美空ひばり>と敬称抜きで呼びますが、生きているときよりも死後に、その心ばえの美しさが、露呈してきている人です。
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 美空ひばりという人は、他人が類推すると、兄弟関係から見れば『一将、功なって、万骨枯る』の典型です。母君は彼女に付きっ切りで、全国を回っていたので、兄弟のことはほうったらかしだったでしょう。そのことを長女としての彼女は、きっと、(心の中で)、すまないと思っていたのです。

 単に自分の家、(今は横浜ではなくて、東京にあるはずですが、引き続き、豪邸だと思います)を安全に残すための、養子ではないでしょう。

 ぼうやを守るということを、純粋な目的として、彼女は、ご自分のスター生活のイメージに逆らってまで、黒紋付(羽織)を着ることを、辞さなかったと思われます。

 あの時は、『変だぞ。これ』と思ったことが、今では、とても、美しいことだったと、しみじみ思われます。

 ある人物に対して、社会からの評価が変わることは、このように、起こりえます。反対に評価が落ちて、忘れ去られる有名人もあるでしょう。ただ、歴史的な事実、(たとえば、サトウハチロウが、小学生時代の美空ひばりを見て、なんと言ったかとか、そういうもの)は、消し去るべきでもないでしょう。

 どんな、小さなことでも、事実とか、思い出が、一方向に集約するのは嫌いです。この場合は<美空ひばりは、ディーヴァとして、すべてが完璧だった>言う方向に集約され、それ以外の事実が、消し去られることが、いやなのです。最後はさびしい悲しさの中に、亡くなったと思われ、そういう真実をもきちんと、伝えられるべきでしょう。スターであることの厳しさの中に生きた人なのでもあります。<ちあきなおみ>が完璧に引退して、その後の一切を公開していないのも、ひとつには、美空ひばりの壮絶な生き様を、『自分には向いていない』と考えたからかもしれないのです。

 すべてが資料として残して、おかれるのを、私は好みます。坊やにとっておいてくださいとお願いするのではなくて、社会が一方向へ流れすぎるのを好まないのです。
   
 そのほうが本当の、生きやすい世の中を作ると信じているからです。
           では、2010年2月25日、午前、2時半   雨宮 舜
        送るのは27日に

ところで私は4月5日から銀座の

 exhibit Live & Moris gallery というところで個展をいたします。どうかよろしく。
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真央ちゃん、かわいそう!!!、猫も同情しています

2010-02-27 01:46:17 | Weblog
 私はきょうアップする予定の文章を既に作ってあります。

 そして、それを粛々と冷静にアップする予定でした。

 しかし、真央ちゃんがかわいそうで、やはり、ひとこと、伸べたいと思います。

 私は今日は外出していたのですが、出先で、大勢の人と、一緒にテレビを見ました。
 キム選手の演技が終わったときに、周りの人々は、「え、そんなに高い点だった?」と驚きの声を上げ、真央ちゃんの演技が終わったときに、言うにいわれぬ、複雑な感情が周りを支配しました。(#1)
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 私が真央ちゃんに言いたいことは、神様は見ていらっしゃるからね。あなたにはきっと別のところで、幸運を恵んでくださいますよということです。人生にはいろいろあります。女性だったら、よいパートナーとの出会いとか、よい子に恵まれるとか?

 オリンピックだけがあなたの人生ではない。それは、実はパンとサーカス〈ローマ帝国でカエサルが、「大衆にはパンとサーカスを与えよ」といったから、それを語源としている。大衆を知的に発達させないがための手段)の一種で、大勢の人の娯楽のためでもあるのです。それに対して、・・・あなたが渾身の力をかけて、・・・身をすり減らして・・・奉仕したことに対して、どこかで、神様は帳尻を合わせてくださるはずです。

 それについては予測をしないでおきましょうね。それは、天の采配に任せましょう。
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 ところで、外野席について、二言三言付け加えましょう。
 上に#1とあげましたのは普通の人の感想です。

 #2、==は、石原都知事の感想です。どこかのウエブニュースが記者会見の様子を再録していましたが、石原都知事は、見ていられないそうです。あえて真央ちゃんという名前は出ず、日本選手というくくりでおっしゃっていたが、痛々しくて見ていられないそうです。

 これも、普通の日本人の外野席の本音のひとつでしょう。

 #3、==2チャンネルで、キム選手の演技の放映と同時進行的に、「こけろ、こけろ」という大合唱がおこっていたそうです。まあ、はしたないといえば言えるが、これも、庶民の本音でありましょう。

 #4、==朝日新聞の朝刊の社会面で、キム・ヨナ選手へのオマージュ記事が大きく出ていて、真央ちゃんについては何も書いてありませんでした。日経では二人が対等に出ていましたが、それを知るのは、私にとっては夜でした。主人が、オフィスへ持っていってしまうので、朝日新聞しか手元にありません。だから、それを見た途端に、気分が悪くなりました。

 1998年から、2005年ぐらいまで、絵や版画のことで一生懸命でテレビも見ないし、新聞も読まなかった日々があって、あの時代を幸せなものだったと、懐かしく思ったほどです。

 『これは、既に、ヨナ選手が金を取ることを、朝日新聞側は知っていて、国民にそれを、納得させるために、作られている記事であろうかなあ?』と思いました。へえ、ここまで露骨なの? これが、日本人が作って、日本人向けに売っている新聞なの? 私はお金を出していないけれど』と、本当に驚きました。

 #5、==新聞を比較してみたくて、主人に電話で持って帰ってくださいと頼んでおいた、日経新聞を、夜の10時半過ぎに帰ってきて、点検しました。そちらは、国母選手の時は朝日と瓜二つのオマージュが並んでいましたが、今回は異なっていて、まあ、普通の書き方だったので、ちょっと、ほっとしたところです。

 #6、==大勢の人と一緒に見ていたテレビですが、真央ちゃんが、演技を終えた時に、突然にキムヨナ選手のインタビューが入りました。普通はこういう順序ではありません。4、5分後で、しかも重要な映像が無いとき、たとえば、6人ごとに氷を整える作業が行われますが、その際に、ピックアップされた、選手が、インタビューに応じるだけです。または、6人ごとに、短い時間だけアップ(準備運動)するときに、インタビューが行われます。

 エチケット違反の、番組構成ですが、キムヨナ選手が、ちょっとニヤニヤするような感じで、マイクに向かおうとしたら、後ろから、「もう、私が金メダルよって言う感じて威張っていて、いやあね」という声が聞こえました。確かにこのときはまだ、メダル確定をしていないタイミングですし、少し体が揺らいだ真央ちゃんが、青ざめた感じで、しかも、得点が低いのを知って、さらに、衝撃を受けている傍らで、堂々と、しかもニヤニヤした感じて、インタビューを受けているのは、惻隠の情というものとは、まったく無縁な態度です。

 まあ、韓国の国民性の中には、惻隠の情というのは無いのでしょう。日本人は、鎖国時代の平和が寄与しているので、おっとりしているところがありますので、弱いものをさらに叩くのは、非常に嫌がる姿勢です。

 #7、==で、事後のマスコミは、キム・ヨナ選手も泣いたと大騒ぎです。その方が同時進行的にライブで見ていなかった大衆を騙せるから。キム・ヨナ選手を嫌いに成らないで済むと考えられているのでしょう。毒々しい言い方ではありますが、いろいろな工作が行われているのが、見え見えなので、ここでは、はっきりといっておきましょう。

 goo news のトップ頁で、加藤裕子さんの『暇だね英語』(もと頁は、ニュースな英語というタイトル)という結構長い記事が毎週金曜日にアメリカから配信をされ、
 私はそれを大抵読むのですが、彼女もそれに触れていました。でも、アメリカに住んでいる、加藤さんでも、真央ちゃんの涙と、金選手の涙の質が全然違っていることは知っていて、指摘をしています。

 #8、==その加藤裕子さんの記事の中で、女子の成績は、男子と同じ傾向で審査が行われたといっています。プルシェンコ選手は抗議した模様ですが、・・・・・難易度の高い技で勝負をかけるよりも、難易度は低くても安定して、演技を終えた選手が好成績であったと言うこと・・・・・です。

 彼女も私も、別に審査員の資格を持っていないので、それを、どうの、こうのとはいえません。しかし、伊藤みどりちゃんのころは、彼女は背が低くて、そして、全体に子供っぽい雰囲気の少女でしたから、難易度だけで、好成績になっていたのです。

 今、真央ちゃんがバッシングに近い措置を受けているのは、スタイルがよすぎるからです。体が細くて、背も高くて、手足も長いです。だから、あらゆることに見栄えがします。すごく美しく見えます。だからこそ、素直に見れば、それほどの、差が出るようには思えないので、余計バッシングを受けるのです。キム選手が、勝てるように、一人の審査員につき、昨日は一点ずつぐらい、今日は、一点以上の差をつけた、採点が、最初から行われていたと感じます。
 そこに、真央ちゃんの体が、ちょっとですが、ゆらぐ、という現象が起こりました。だから、問答無用で、差が生きてきました。むしろ自然に見えるように結果としてなってきました。これはかわいそうだったが、真央ちゃんに対する天の助けだったかもしれません。

 真央ちゃんの演技には、加藤裕子さんも言っているように、どこか、人の心を打つ雰囲気があります。その全体の表現は点数で、それほど、キム選手との差があるとは、素直な、心からは見えません。会場の観客にも見えなかったのではないかなあ?

 真央ちゃんの点がついたときに、ちょっとですが、ブーイングに近い雰囲気も起きたのを感じました。ただ、ロシェっト選手が、直後、リンクに入ったので、そちらに対する大声援が起きて、真央ちゃんの点数に対する、ブーイングの雰囲気は一瞬にして消えました。

 真央ちゃんは、競技生活が長くて、会場のお客さんの反応にはよくなれているでしょうから、自分がちょっと失敗したのもわかっているが、観客の心を打つパフォーマンスをしたことも良くわかっているでしょう。

 もし、あの揺らぎが無くて、完璧な演技をして、そして、負けたのだったら、それは、悲しくて悲しくて、たまらないことだったと思います。あの小さな揺らぎがあってよかった。かわいそうだけど、そこに、天の恵みもありました。どうしても、いや、どんなによい演技をしても、勝てなかったのです。

 ね、朝から、朝日新聞がヨナ選手の大オマージュを社会面に登場させているのです。前々から勝てない仕組みになっていたのです。かわいそうに。だから、四年後のオリンピックを目指すよりも、プロに入ったほうがよいかなあ? 素人の私にはわからないし、ひとえに真央ちゃんに掛かっている決意ですが、こんな、状況で、さらに、試練に、さらさせるのはかわいそう過ぎます。
 
 #==9 お人形の久月が、毎年、話題の雛を作ります。その一バージョンとして、『親が、娘に、そうなって欲しい有名人』というのがあるそうで、アンケート結果の今年の一位は真央ちゃんではなかったそうですが、それでも、久月は、今年の、その部門の代表として、真央ちゃん顔のお雛様を作ったのですが、
 それのできばえがあまりにも優れているので、夕刊フジ、原・発信、かく、ウエブニューストップ頁を通じて、25、26日にかけて、配信をされました。

 すべて、天与、天賦の才のある、天才というのは、上品です。

 15歳の時の女性週刊誌〈光文社)上のいじめとは、親の職業に関したものです。それは、真央ちゃんご自身には、まったく関係ないことです。真央ちゃんは、天与の気品があります。それを、いじめで汚されてはなりません。もう、競技生活を終えたほうがよいくらいです。すべては、真央ちゃんに掛かっている決意ですが、ご両親や、コーチとかが、追い立てるのは止めて欲しいし、ましてや、JOCの役員などが、それを、薦めたり追い立てたりするのは止めて欲しいです。
 
 #==10 上の加藤裕子さんの記事ですが、よく海外メディアを読み込んでおられて、それを、伝えてくれます。海外メディアは、まったくキム選手オンリーという、もてはやし方のようです。ニューヨークタイムスは、「浅田選手は石のようだ」とか・・・・・

 これは朝日新聞と同じ傾向です。だから、朝日新聞は、グローバリズムの極地にあるわけです。国民の心や、浅田選手の心身を引きちぎっても、そこにお勤めのサラリーマンとしての皆様は、生活が安泰だというわけです。世界のトップ・ジャーナリズムと傾向が同じなのですから・・・・・

 私がこの件で沈んでいると、猫が寄り添ってくれます。猫だって、惻隠の情というものを知っています。日本の猫はね。・・・・・ただ、急に思い出したアメリカの猫がいます。

 私が、2000年の9月のある日、ニューヨークで、半・地下室が暑いので、ほとんど裸に近い格好で、メルマガを、作っていたら、猫が玄関ドアから覗いているのです。黒い子猫、

 『うわあー、まるで、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの世界だわ』と、大喜びで、その猫を追って、玄関ドアを出た途端に、ドアを開放させている90度の角度が崩れて、自動ドアが閉まってしまったのです。

 真っ暗な中で、裸に近い格好です。ちゃんと、服を着ていたり、お財布を持って出ていたら、大丈夫なのですが、〈地下鉄が24時間動いているので、なんとかなるが)ライトも無ければ、パソコンも本も無い形で、外に居なくてはならず、本当に往生しました。

 その原因を作った猫は、ちっとも同情をしてくれなかったのですが、日本の猫は同情してくれます。私の表情を通じて、きっと真央ちゃんの悲しみも理解をしていることでしょう。
 では、今日はここで。
      2010年2月27日早朝                 雨宮舜
コメント (7)
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