最近、美空ひばりの評価がとても高いと思います。
それが、どうして、頭にふと浮かんだかという連想は省きます。
しかし、私は長い間、彼女が嫌いでした。ちょっと、年上だと思いますが、横浜の人です。磯子というところの出身で、一時、磯子プリンスホテル(今は無くなっている?)のあった辺りの岡の上に大邸宅があるという話で、それを、なんとなく、違和感をもって、知人(または、友人)たちと、話し合っていたものです。
ステージママにあおられている、なんだか、奇妙な存在だという認識でした。ところが彼女は、母君が亡くなってから、非常に変わります。すべての面で洗練をされてきて、かつ、考え悩む人であるという側面が、現れてきます。それ以前の、威張りかえっているスターというイメージから、どんどんと、変わってきたのです。
十分すぎるぐらいに、人間的な人でもあり、かつ優等生でもある人へと、変化してきたのです。そのひとつが甥を、養子になさったことでしょう。
今でも忘れられない写真があります。週刊誌に出ていたのですが、彼女が黒紋付の羽織を、色留袖、または、付け下げの上に着て、小学校の、入学式に出席している姿です。
『あれっ』と思いました。同級生のママたちから比べれば、相当年上のお母さんです。そのことを坊や自身とか、ひばりさん自身が違和感を持たないのだろうか? とか、同級生のママたちが違和感を持たないのだろうか? と思って。
~~~~~~~~~~
実際のところ、すべての人は違和感を持ったと思います。だけど、それを彼女は、押し通しました。それが、今、すばらしい結実を見せています。意地悪な表現で言えば、<坊やは、母の遺産で生きている>ともいえます。だけど、別の言葉で言えば、坊やが、成人して、母の著作権とか肖像権とかを守り、かつ、いわゆる露出という側面を管理していると、思われ、それが、幸いしています。適宜な時間的な間隔で、話題になるように、アレンジしているとも思われます。それが、彼女の芸術家としての命を永らえさせています。
亡くなってしまった母ですが、それだからこそ、大切だという感覚が坊や(息子さん)の方にあるような気がします。実の親子だと、こういう作業は照れて、結構できないことかもしれませんが、偉人としての母を守るという姿勢が息子さんの方にあります。適宜な距離感があるから、できることのような気がします。
となると、この養子縁組は、大成功したものでしょう。だけど、同時進行的に、芸能ニュースをちらちらと、傍見してきた人間から見ると、そんな遠い将来を見据えてしたことではなくて、ただ、この甥を守るために、美空ひばりが単純な今の目の前を大切にして決断をされたことのように思えます。
~~~~~~~~~~~~~
ここで、ちょっとしたお断りですが、私は最近では、有名人にも敬称をつけてきました。しかし、彼女はあまりに有名で、一種の記号化していて、さんをつけると違和感がそれこそ生まれるので、ここで、<美空ひばり>と敬称抜きで呼びますが、生きているときよりも死後に、その心ばえの美しさが、露呈してきている人です。
~~~~~~~~~~~~~
美空ひばりという人は、他人が類推すると、兄弟関係から見れば『一将、功なって、万骨枯る』の典型です。母君は彼女に付きっ切りで、全国を回っていたので、兄弟のことはほうったらかしだったでしょう。そのことを長女としての彼女は、きっと、(心の中で)、すまないと思っていたのです。
単に自分の家、(今は横浜ではなくて、東京にあるはずですが、引き続き、豪邸だと思います)を安全に残すための、養子ではないでしょう。
ぼうやを守るということを、純粋な目的として、彼女は、ご自分のスター生活のイメージに逆らってまで、黒紋付(羽織)を着ることを、辞さなかったと思われます。
あの時は、『変だぞ。これ』と思ったことが、今では、とても、美しいことだったと、しみじみ思われます。
ある人物に対して、社会からの評価が変わることは、このように、起こりえます。反対に評価が落ちて、忘れ去られる有名人もあるでしょう。ただ、歴史的な事実、(たとえば、サトウハチロウが、小学生時代の美空ひばりを見て、なんと言ったかとか、そういうもの)は、消し去るべきでもないでしょう。
どんな、小さなことでも、事実とか、思い出が、一方向に集約するのは嫌いです。この場合は<美空ひばりは、ディーヴァとして、すべてが完璧だった>言う方向に集約され、それ以外の事実が、消し去られることが、いやなのです。最後はさびしい悲しさの中に、亡くなったと思われ、そういう真実をもきちんと、伝えられるべきでしょう。スターであることの厳しさの中に生きた人なのでもあります。<ちあきなおみ>が完璧に引退して、その後の一切を公開していないのも、ひとつには、美空ひばりの壮絶な生き様を、『自分には向いていない』と考えたからかもしれないのです。
すべてが資料として残して、おかれるのを、私は好みます。坊やにとっておいてくださいとお願いするのではなくて、社会が一方向へ流れすぎるのを好まないのです。
そのほうが本当の、生きやすい世の中を作ると信じているからです。
では、2010年2月25日、午前、2時半 雨宮 舜
送るのは27日に
ところで私は4月5日から銀座の
exhibit Live & Moris gallery というところで個展をいたします。どうかよろしく。
それが、どうして、頭にふと浮かんだかという連想は省きます。
しかし、私は長い間、彼女が嫌いでした。ちょっと、年上だと思いますが、横浜の人です。磯子というところの出身で、一時、磯子プリンスホテル(今は無くなっている?)のあった辺りの岡の上に大邸宅があるという話で、それを、なんとなく、違和感をもって、知人(または、友人)たちと、話し合っていたものです。
ステージママにあおられている、なんだか、奇妙な存在だという認識でした。ところが彼女は、母君が亡くなってから、非常に変わります。すべての面で洗練をされてきて、かつ、考え悩む人であるという側面が、現れてきます。それ以前の、威張りかえっているスターというイメージから、どんどんと、変わってきたのです。
十分すぎるぐらいに、人間的な人でもあり、かつ優等生でもある人へと、変化してきたのです。そのひとつが甥を、養子になさったことでしょう。
今でも忘れられない写真があります。週刊誌に出ていたのですが、彼女が黒紋付の羽織を、色留袖、または、付け下げの上に着て、小学校の、入学式に出席している姿です。
『あれっ』と思いました。同級生のママたちから比べれば、相当年上のお母さんです。そのことを坊や自身とか、ひばりさん自身が違和感を持たないのだろうか? とか、同級生のママたちが違和感を持たないのだろうか? と思って。
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実際のところ、すべての人は違和感を持ったと思います。だけど、それを彼女は、押し通しました。それが、今、すばらしい結実を見せています。意地悪な表現で言えば、<坊やは、母の遺産で生きている>ともいえます。だけど、別の言葉で言えば、坊やが、成人して、母の著作権とか肖像権とかを守り、かつ、いわゆる露出という側面を管理していると、思われ、それが、幸いしています。適宜な時間的な間隔で、話題になるように、アレンジしているとも思われます。それが、彼女の芸術家としての命を永らえさせています。
亡くなってしまった母ですが、それだからこそ、大切だという感覚が坊や(息子さん)の方にあるような気がします。実の親子だと、こういう作業は照れて、結構できないことかもしれませんが、偉人としての母を守るという姿勢が息子さんの方にあります。適宜な距離感があるから、できることのような気がします。
となると、この養子縁組は、大成功したものでしょう。だけど、同時進行的に、芸能ニュースをちらちらと、傍見してきた人間から見ると、そんな遠い将来を見据えてしたことではなくて、ただ、この甥を守るために、美空ひばりが単純な今の目の前を大切にして決断をされたことのように思えます。
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ここで、ちょっとしたお断りですが、私は最近では、有名人にも敬称をつけてきました。しかし、彼女はあまりに有名で、一種の記号化していて、さんをつけると違和感がそれこそ生まれるので、ここで、<美空ひばり>と敬称抜きで呼びますが、生きているときよりも死後に、その心ばえの美しさが、露呈してきている人です。
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美空ひばりという人は、他人が類推すると、兄弟関係から見れば『一将、功なって、万骨枯る』の典型です。母君は彼女に付きっ切りで、全国を回っていたので、兄弟のことはほうったらかしだったでしょう。そのことを長女としての彼女は、きっと、(心の中で)、すまないと思っていたのです。
単に自分の家、(今は横浜ではなくて、東京にあるはずですが、引き続き、豪邸だと思います)を安全に残すための、養子ではないでしょう。
ぼうやを守るということを、純粋な目的として、彼女は、ご自分のスター生活のイメージに逆らってまで、黒紋付(羽織)を着ることを、辞さなかったと思われます。
あの時は、『変だぞ。これ』と思ったことが、今では、とても、美しいことだったと、しみじみ思われます。
ある人物に対して、社会からの評価が変わることは、このように、起こりえます。反対に評価が落ちて、忘れ去られる有名人もあるでしょう。ただ、歴史的な事実、(たとえば、サトウハチロウが、小学生時代の美空ひばりを見て、なんと言ったかとか、そういうもの)は、消し去るべきでもないでしょう。
どんな、小さなことでも、事実とか、思い出が、一方向に集約するのは嫌いです。この場合は<美空ひばりは、ディーヴァとして、すべてが完璧だった>言う方向に集約され、それ以外の事実が、消し去られることが、いやなのです。最後はさびしい悲しさの中に、亡くなったと思われ、そういう真実をもきちんと、伝えられるべきでしょう。スターであることの厳しさの中に生きた人なのでもあります。<ちあきなおみ>が完璧に引退して、その後の一切を公開していないのも、ひとつには、美空ひばりの壮絶な生き様を、『自分には向いていない』と考えたからかもしれないのです。
すべてが資料として残して、おかれるのを、私は好みます。坊やにとっておいてくださいとお願いするのではなくて、社会が一方向へ流れすぎるのを好まないのです。
そのほうが本当の、生きやすい世の中を作ると信じているからです。
では、2010年2月25日、午前、2時半 雨宮 舜
送るのは27日に
ところで私は4月5日から銀座の
exhibit Live & Moris gallery というところで個展をいたします。どうかよろしく。