銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

本日、8日(木)、午後五時から、銀座の画廊に詰めています。

2011-09-08 11:45:43 | Weblog
 本日の鎌倉は、晴天、すこぶる気持ちがいいです。皆様におかれましては、午後のなでしこの中国からの中継をお楽しみにであるのかしら?

 ところで、このブログとしては、下に、『どんこがだめになった』という久しぶりに、おおやけ度いっぱいの、文書を載せています。それを、お読みいただきたいので、更新をしたくないほどですが、体調が良いので、急に、今、自分がグループ展をやっている銀座のギャラリー福山に出かけて、夕方の、五時から、7時までつめておくことにいたしました。
 参加者のご意向次第では、次に、別の場所に、流れてもいいし。というわけで、
 私の実物、に、ご興味のある方、および、著書にご興味のある方はお出かけくださいませ。委細を下に記述いたします。


 時、  2011年9月8日(木) 17:00~19:00
 場所、 ギャラリー福山、 銀座1-23-4 明松ビル303

      画廊の電話は、03-3564-6363です。

    が、画廊はお忙しいので、できれば、携帯の地図等で、探っていらしていただきたいのです。が、特徴としては、銀座ブロッサム(中央区の公民館?)カラ、高速沿い(地下)の車のほとんど通っていない道を、北へ、7メートルほど歩いた左手にあります。

   最寄の交通機関は、地下鉄がたくさんあります。

   有楽町線の、新富町から、高速を橋としてわたって、銀座へ入ると一本目の通りを右に曲がっていただくと、すぐです。その時、左側にセブンイレブンが見えます。
   都営浅草線、東銀座駅からは、北へ向かって、二つ目の信号を、右(東方向)へ向かうと、高速へ入る手前に、右側に銀座ブロッサム、左側に、音響ビルというのがある、小さな十字路へ出ますので、そこを、左に曲がっていただけば、すぐです。これらからは、下りた後で、ほとんど、画廊への階段を上がる事を含めて、五分で到着します。

   ギャラリー福山は実績のある良い画廊ですが、エレベーターはありません。それはごめんなさい。

   さて、それ以外ですが、地下鉄、銀座駅からは、10分、JR有楽町駅、および東京駅からは、15分を見ていただければ、充分です。
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副題2、『展示内容と 画廊の特色について』

   版画を数点置いてあり、同時に展示する作家さんは、

   内田信、喜屋武貞男、森山龍爾 の三氏です。

   福山幹子さんが、選んだ方々で、私自身は、そちら様たちの過去の個展を見た事がある』というぐらいの薄い縁です。

   現代アートの世界も、音楽の世界ほどではないが、一種のスノッブイズムもあって、『それを、知らせない。だから、知っている事がツウだ。優越ポイントだ』という向きもあるのですが、

   私は、『それを、ばかげたことだ』と考えている人間です。

   ギャラリー福山のオーナー福山幹子さんは、70歳をこえていると思われますが、とても気風のいい、しかも、性格の、かわいい方です。
   銀座のオーナーのうち、もっとも、教養も高くて目のあるオーナーの一人です。

   フェイスブック風に言えば、共立女子大をご卒業の後で、現在の東京画廊の先代オーナーに使えて、画廊修行をなさった方です。だから、新卒以来画廊、一筋の人生です。

   画廊には、新人(または、ヴェテランでも)が、世に自分を問うために、発表だけを目的にして、大きめのサイズの作品を展示して、個展をする画廊と、ヴェテランでも新人でも、やや、小さめのサイズを展示して、売る事を目的にする画廊の二種類があります。
   パリや、他の西欧で、伝統的に発達したのは、後者ですが、その手の画廊で、昔から、現代アートだけを扱っている珍しい画廊です。ですから、福山幹子さんは、現代アートの世界では、しかるべき有名人なのですよ。

   だけど、威張らないので、そこに、教養の深さと、育ちのよさを感じる女性です。でも、時々、お疲れになっているときモ有ります。そういう時は、対応が、そっけないかもしれないが、お話を交わして、損はない人物です。せっかく遠くまでお出かけいただけるのですから、彼女とは、ぜひ会話を交わしてお帰りくださいませ。
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副題3、『私の著書について』

 六冊、出した内の、三冊を置いておきます。

 「おばさん、お釣りを、忘れているよ」

  日本や、ニューヨークで、であった市井の人との会話、および、交流のいきさつを描いて、そこから、人生とは何だ。人間とは何だと、考えを深めていく本です。

  2009年に作りましたが、挿絵も入っていて、本としては最も完成度の高いものです。

 「黄色いさくらんぼ」・・・・2008年刊

  2000年のニューヨーク、版画工房での、体験記を中心に、これも、『人間とは何だ。特に芸術家の人生って何だ』と考え抜く本です。

  その中では、圧倒的な、好漢として、登場する、ロブ・ブラックバーン(仮名だが実在の版画家)と、悪漢として、登場する、エド(エドゥアルドの略)が登場します。

  不思議なことに、二人とも、私がニューヨークを離れた直後(といっても、2001年と、2003年ですが)になくなります。

  特に、パーキンソン氏病と、糖尿病を併発していたロブが別かれた後、三年後になくなるのは、理解ができるのですが、元気そのものに見えた、エドが、たった9ヵ月後になくなったのは、大きななぞなのです。

 全巻を通して、謎解きをしていくという、長編、連続エッセイですが、一種の小説の趣もあると言っていただいています。文章としてのないように自信があるので、本としては、シンプル極まりないつくりに仕上げています。

 500部ぐらいを手渡しで、くばっただけなのに、公的な書評が出たり、アマゾンか、ブックオフ等で、中古の本としての、情報がでました。中身の面白さには、自負はあります。

 「れすとらん・ろしなんて」

 最も、癖のない、穏やかな内容といってよいかな。どなたにも受け入れられる本です。鎌倉で拾ったエピソードを中心に、現代日本の、諸相から、これも、人間とは何だとか、好ましい生き方スタイルとは何だという事を探ったものです。

 もし、参加者が、数人居たら、他へ流れてお食事等を一緒にしましょう。本はプレゼントしたいが、お食事の方は、会費を2000円だけ頂きたいです。それ以上の部分はおごります。では、2011年、9月8日、午後、一時に。雨宮舜(=川崎千恵子)
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茨城県底引き網漁から、セシウム出る。・・冬のアンコウもだめでしょう。△

2011-09-07 21:33:22 | Weblog
『どんこ』が、とうとう汚染です。

 今、8時45分のNHKニュースを見ています。関東地方のニュースですが、茨城県の底引き網漁でとれた、『どんこ』という種類のお魚が、汚染をされていて、底引き網漁をやらないこととなったそうです。どんことは皮がぬるぬるしていて、体もふにゃふにゃしていますが、甘辛く煮付けるとおいしい白身の魚です。

 そばで、聞いていた主人が、「アンコウもだめだね」といいます。その2つは、軟骨系の骨で、深海魚です。だから、底引き網漁は、やるべきではなかったのです。除染(特に海底)など、もちろんのこと無理ですし。

 ところで、この報道は、茨城県を、心理的にも経済的にも、壊滅に追い込みます。

 アンコウは茨城県の冬の名物で、これは、これから、先、数年以上の大損害です。観光事業にも影響を与えるでしょう。
  だからといって、報道をしないのもいけません。これは、無論予測をされていたことで、私に言わせれば、報道も、調査も、遅きに失したというほどです。今までは意図的に、隠していたのかというほどです。茨城県の漁民には、お気の毒ですが、圧倒的に、予測ができていたことのひとつです。

 とくに、漁業者に限っては、茨城県と、宮城県あたり、もしくは岩手県あたりまで、だめだろうと、最初期から、予測していました。それを、個別に、保障していったら、際限がありません。これは、漁業民へ移住をしてもらわないとだめなのです。最初期から静岡県以西へ移住をするべきだと、私は自分のブログないですが、主張し続けています。
  
 そこから先ですが、茨城県出身者が、組んで、一種の会社を起業し、各個人が、サラリーマンとして、漁業に従事するか、または、元から存在している大き目の水産会社の契約漁民となるか?などの、大きな改変が、漁民に求められるであろうと感じています。

 そういう解決方法ではなく、一次的な補償金で、これを、解決していったら、都会の住民および、日本全国民は疲弊しきります。それは、避けないといけません。消費税値上げしてもまかないきれない出費です。

 しかし、本日も7時のNHKニュースでは、飯館村へ、鹿野農水大臣が訪問して、実験的に、除染をしている田んぼを、視察し、その後で、副村長、と懇談会を催しています。野田首相には、菅野村長が会い、鹿野農水大臣には、副村長があうそうです。そんな儀式めいたことばかりやっている場合ではないでしょうと、感じます。

 政府とは、まとめる策を示すべきです。今、困っていることに対して、次善でもいいから、より根本に近い策を示すべきです。全国的な規模で考えれば、移住しかないです。それを、常に、避ける方針しか出さない政府は、いったい何を考えているのだろう。

 その行動の方向は、『原発事故の、被害とは、軽いものだ、軽いものだ。大丈夫だ』と、宣伝をする方向でしかないですね。

  では、本日は珍しくも、短く、1245字で、終わらせてくださいませ。
    2011年9月7日、  雨宮舜(本名・・・・川崎千恵子)
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新幹線の運転手がめがねを忘れた? (小沢一郎の裏に元革○あり?)△

2011-09-06 04:41:16 | Weblog

 実は昨日までアップしていた、音楽会の話は大幅に内容を変えました。で、推敲したりしないといけないのですが、自分自身がその話題に入るのに、いささか、うんざりしているし、どんどん人名が出てきてさらに、悪辣な裏側を書かざるを得なくなるので、ちょっと、推敲を、休み、ちがう話題へと、本日は、入らせて頂きます。

副題1、『最近、私はめがねやさんへ、頻繁に行きます』
副題2、『電車の遅延現象に、一般の人が、文句を言うと大変だから、
      その一部分が、嘘である事を、絶対に伏せたい。
         そのためには、新聞の記事とか、
       テレビニュースになるほどの、派手な、事故を起こす必要がある』
副題3、『鎌倉駅で目撃した、飛び込み自殺の日の処理時間は?』
副題4、『革○と週刊朝日の関係』
副題5、『革○の総帥は、今では、小沢一郎のブレインか?』
副題6、『鉄道の、遅延現象は、日本の信用失墜を招く、悪である』
副題7、『哲学こそ、大切です』

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副題1、『最近、私はめがねやさんへ、頻繁に行きます』

 これを言うべきかどうかをちょっと悩むのですが、実は、ニュースは私が作り出している趣もあるのです。以前も飯館村の企業が、村に残ってもいいのだという件で、私がニュースを作り出していると申し上げましたが、

 それがもう一回別の場所で、証明されたのが、『新幹線の運転手が、新大阪駅を、出発する際にめがねを忘れた』という話です。

 池袋の眼鏡屋さんに行って、この話を出すと、店主がいうに、新聞によれば、『対抗方向から来た、新幹線に、別の運転手が乗ってきて、それと、交代して、再度出発進行した』そうです。『おや、おや、演出が過剰だこと』と思います。<だって、普通なら駅に停車すればいいでしょう。そして、駅で、運転手同士が交代すればいいでしょうに。が、わざとそうしたのです。>
 で、私から見た、固有の委細を解説をさせてくださいませ。
 
 私は、この一ヶ月、鎌倉で、三個、池袋で、一個、合計で四つのめがねを作るとか、直すとかいたしました。それは、<完成しましたよという>電話がかかってくるので、盗聴者の知るところとなっています。私は電話も室内も盗聴をされています。それは、政治的な発言をするからです。特に小沢一郎氏を批判するからです。

 で、私が、めがねにこだわっているのを、敵様は知ることとなります。ここで、敵様というのは、小沢一郎氏で、代表をされる、核燃料を、売りつけて居る側の、政治家やそちらに、巻き込まれていて、協力している文化人を指します。で、私が物を書くことができなくなる事を敵様は願っていますので、心理的な作戦で、脅かして、ノイローゼにさせようと狙っています。

 だから、こそ、私にとって、鈍感になる事が大切なのです。芸術家なら、敏感でないといけないのですが、今は鈍感一筋に生きていて、主人が、『お前には絶対鈍感がある」とジョークを言うほどですが。
 で、どうして、新幹線とめがねが、問題なのかというと、
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副題2、『電車の遅延現象に、一般の人が、文句を言うと大変だから、
      その一部分が、嘘である事を、絶対に伏せたい。
         そのためには、新聞の記事とか、
       テレビニュースになるほどの、派手な、事故を起こす必要がある』

 めがねを作ることとは、別に、私は論調としてブログ内で、激しく、電車の遅延現象が、頻発する事を批判しています。これが、自然ではないと、言い切っています。一種のチョウリャクとして行われていると言い切っています。

 何が目的かというと、これも、『待たされて、彼女はいらいらするはずだ。それは、ノイローゼに早くなるであろう』と、みなされているからです。

 特に2010年の4月の3日の土曜日など、北鎌倉駅で、<午後四時ごろ、1時間半も待たされたのですが、それは、まったくの嘘の事故が原因だったでしょう。>次の週からライブの個展があるので、オーナーと約束をしていますし、飾り付けをしないといけないので、午後の五時には銀座に入らないといけないのに、鎌倉の次の駅の、北鎌倉で、一時間半もまたされました。北鎌倉というのは、タクシーもない駅で、どうしようもなく

 でも、敵方の目的もわかっていますので、絶対にいらいらしないことと決めています。で、常に、パソコンを持ち歩いていて、それを、いじることで時間をつぶしています。四六時中、文章の発想はわきますし。過去の文章を紙の本へ直すために、編集・整理したりいろいろやることはあるので、パソコンを持っていれば、ほとんどの場合、いらいらしないで、待つことができるのです。

 2011年の6月16日など、NHKホールでメトロポリタンオペラを見ようと出かけたのですが、48000円の切符を買っているのにもかかわらず、日にちを間違えて、次の日だったのです。モーツァルトのドンカルロをミスしちゃったのです。雨も降ってきたので、さっと、渋谷から帰宅をすることにしました。
 が、がっかりして、疲れているから、グリーン車に乗ったのです。

 そうしたら、ものの見事に狙い撃ちされて、渋谷から10分も経たないうちに、大崎で停まっちゃったのです。でも、グリーン車の座席で、まだ、10分も座っていないのですよ。一応戸塚まで買っていて、750円ですが、40分は座れるはずの750円が、10分でパーになるのはさすがに悔しいでしょう。で、我慢して座り続けていたのです。
 
 だって、東京へ出ると、交通費だけで、一回で二千円かかるから、いろいろな雑用もかねて、必ず夜遅く、帰宅する私が、その日は、オペラをミスったことにがっかりしていて、早く帰ろうと思っているから、まだ、6時で、あたりは明るいのです。
 それじゃあ、夜の11時まで、五時間近くあります。待たされたっていいじゃあないの』と、腹をくくって、その席で、パソコンをいじっていると、外付けUSBメモリー(インターネット接続用)が、利きません。『あ、ますます、この人身事故は怪しい』と感じます。

 こう言う風に意地悪が重層的に仕掛けられるときは、私自身が狙い撃ちされている事が証明されたも同然のケースなのです。でね、私がつらいのは、・・・(実は、私は、本当は、とても性格のいい人だから)・・・自分が原因で、大勢のほかの人へ迷惑をかけることになるのもわかっているから余計、つらいのです。それで、いじめと弾圧用に、とても効果があるとみなされていて、この電車の遅延事故は、多発させられます。
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副題3、『鎌倉駅で目撃した、飛び込み自殺の日の処理時間は?』
 
 でも、私の方も、すでに、読めちゃっています。このメトロポリタンオペラのドンカルロをミスった日に、大崎で停車するなんて、見え見え過ぎる狙い撃ちですから、抵抗することにしました。
 つまり、彼らは、小さなことでも、心理的にダメージを与える事を狙っているから、下りて、山手線に乗り換えると、やがて、事故は、回復し、横浜駅で、なんと、同じ電車に出会ったりするわけです。

 大崎駅の、構内放送は、最大限の音量で、「ぜひ、乗り換えて、山手線、と、横須賀線を利用してください」といい続けますが(それが、一時間半続いたのですが)周りを見ると、皆さん、なれたもので、下りないで、じっと待っているのです。皆さん自宅への帰り道だし、急いでいないわけです。普通車でも、グリーン車でも。
 
 で、私もしぶとく、待ち続けました。で、合計一時間半またされました。人身事故ですが、昔、鎌倉駅で、飛び込み自殺を目撃した事があるのですよ。幸いに、目の前ではなくて、ずっと、後ろのホームでしたが、目の前で先頭車両は止まり、案内放送がありました。見ちゃあ、いけないと思いながら、待たされている間に待ちきれなくて、後方へ行ってみました。つまり、ホームの後方ほど、電車の速度は速いので、確実に死ねるのですね。夜中に怖い話で恐れ入りますが・・・・

 でも、先頭車両が、目の前で急停車してから、20分も経っていないのに、遺体は担架にのせられていて、カバーがかけられていて、すでに、検死も済んでいるみたいで、合計三十分もしないうちに、状況は回復して、電車で東京へ向かうことができたのです。ですから、飛び込み自殺=人身事故でも、一時間半も待たされるのは決定的におかしいのです。

 今の東京圏では、その電車の遅延現象がものすごく多いのですが、中にはためにする、嘘・物・の事故も含まれているでしょう。
 と、私がブログの世界で書いているものですから、かえって、事故を敵方が、『真実である』と、強調することとなっています。
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副題4、『革○と週刊朝日の関係』

 どうして、こう言うことが起きるかというと、私の中学の同級生に、早稲田の革マルの委員長だった、成岡庸司君というのがいますが

 彼は表向きは死んだこととなっています。が、私は地下潜行して、動労千葉辺りを支配していると見ています。これは、週刊朝日で、いつか、千葉の動労は、革○が、支配しているという記事が出たので、そうであろうと推察するわけですが、千葉県の動労がどうして、そういう風になっているかというと、三里塚闘争があったからでしょう。

 今、再び羽田に、発着をもどしましょうとなっていると、成田周辺の地盤沈下が起きて、あそこが、が死活問題になるから、『ほら、滑走路が不十分だから、この成田が衰弱する』と、地元ではなってきて、反対闘争をやった農家で、いまだに、英雄的(?)に残っている人たちが、責められるようになたと思います。
 それは、面白いというか、不思議な現象ですが、ともかく、三里塚闘争があったために、千葉県に、闘争的な学生が集まったわけです。

 で、反政府運動を展開したわけですが、あれが、本当に左翼といえるのかどうかについては、おおいに疑問を持っている私です。

 人間とは本性は欲望の塊です。
安保反対闘争とか、大学(特に東大医学部を発端とし多)改革闘争、三里塚闘争などは、結局は当時の血の気の多い若ものの中から、特に有為な人材を発掘し、つぶしていく事が目的だったと考えられます。

 で、つぶされていった、若者とは別に残って、社会的に、活動をしている人たちは、性格や人格の上で、どこかが、壊れているというのが私の判断です。まあ、名前を挙げさせてもらっては悪いが、高橋源一郎氏や、秋山裕徳太子さんなどは、その典型です。クリエーターだから許されるが、破滅的なところとか、一種の恥知らずさがある。

 赤瀬川原平氏のブレイクについては、あとで、特殊な、いきさつを語る機会があるでしょう。ただし、国際キリスト教大学の同窓会へ関係して来るので、なかなか、語れません。だけど、私に苦難が重なれば重なるほど、書く事を許される、何かのブレイクスルーは来るはずです。

 そうですよ。敵は、私をノイローゼにしてつぶすためにあれこれをやっているのですが、物事は必ず、プラスマイナスがあり、私は彼らの、攻撃があるからこそ、どんどんと、自信を強め、確信を持って、ものを書く人へと変化しているのです。普通の生活を送ることができたら、ここまでのことは書きません。
 
 ところで、私が総額20億円は超す思われる損失を受けていて、一方で赤瀬川さん(プラス、伊藤玄二郎、+、井上ひさし、+酒井忠康氏等)が、名誉とお金を合わせれば、50億円の得をして、終わるという、解決だけを、お示しになる天(神)でもないです。

 世の中には、それぞれの、信仰の深さに合わせて、応じて、くださる違う種類の神様も確かに存在するんですから。信者ですなどと、口先で行ってもだめなのですよ。その根底に、自らに対する厳しさがなければ。

 ところで、革○出身者が、民主党に多いといわれていますが、それもまた、私が「革○は、実質的には、左翼ではない」というゆえんです。永田町に住むのは、権力への志向とか、欲求があるからです。 が、それを、獲得する道筋を、どう選ぶかが、わかものによってちがうだけです。

 菅内閣の閣僚が、革○系が多いとか、言われていましたが、だからといって、彼らが、自民党の代議士に比べて、悪人であるとか、劣っているとはいえないのです。むしろ普通の若者として問題意識を持ったが、純粋すぎるのは、振り落とされて消えて行ったから、したたかな連中が残っていますよということです。政治とは、そういうものですから、彼ら、民主党の代議士が、過去に革○であったとしても、別にという程度の問題なのです。ともかく、代議士として、優秀だったらそれでいいのです。
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副題5、『革○の総帥は、今では、小沢一郎のブレインか?』

 成岡君に戻ります。
 
 で、彼が、地下潜行して、どちらのために働いているかといえば、もちろん、左翼労働者のためではなくて、エリートセレブ(インターナショナルな世界の大資本家)のために働いているわけです。だから、民主党は、朝日新聞に援助されるわけですよ。でないと、自分の名前を世間に売る事を犠牲にして、地下潜行する意味はないではないですか? 

 彼には、強いエリート志向があった。それがとても強かった。ので、こう言う世界に入り込んだ。リクルートされて、それは、面白いと思った・・・・・と、私は、推察しています。が、この部分は、証拠というものをつかんでいるわけではありません。状況からも、鎌倉エージェントたちよりは、その証拠は、弱いレベルです。

 が、2009年の冬かな。元町から、本牧へかけて、
 成岡君と私に、共通する、中学時代の同級生を訪ねたときに、非常におかしい事があったので、『これらの諜略行為は、成岡君が関与している』と、直感しました。つまり、ハッキングや、追尾等もできるぐらいの、闇の権力を握る立場だと。だって、これから、殿家を訪ねるかを知っているからこそ、先回りをして、それらの、友人たちに歓迎をさせないように、手配ができるわけです。

 一般の人々がなかなか、気がつきにくい闇の勢力というものがこの世にあって、それが、言論弾圧をしているのですけれど、それが、間接も間接的に行われるのが現在です。それに、80%の深さで、気がついてしまう私のようなものもいるのです。

 成岡君に私がもし狙われるとしたら、私が、彼が死んだと言う噂を信じて、エッセイを書いた事をうらんでいる可能性があります。『つまり、彼はもし、東大へ入っていたら、かくはならなかった』と書いたのです。それを怒っている可能性は大きいです。横浜国大附属中学→日比谷高校、→早稲田と言うコースはマスコミに入れば、エリート中のエリートですが、1960年代当時は、まだ、東大を出て、官僚になる方が、エリートとして、優越していたからです。

 小沢一郎氏が、「脱官僚、官僚をぶっ潰せ」というのは、裏で、成岡君が糸を引いている可能性があると、考えています。成岡君と言うのは演劇が好きだし、いわゆる、トっぽい気風もある人だから、こう言う勢いのあるキャッチコピーを考え出す可能性は高いです。
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副題6、『鉄道の、遅延現象は、日本の信用失墜を招く、悪である』
 
 この成岡庸司ラインは、確認のしようがない線ですが、もう一本鎌倉系列ラインというのがあって、そちらからも、「お前は、死んでほしい」と願われています。そっちはほぼ、証拠を確定できるほど、さまざまなエピソードがありますが、ここでは、とても書き切れませんので、『そういうことがある』とだけ、お知らせをさせておいてください。
 私は、複数の方向から、命を狙われていて、実際にトライをされました(三鷹でも、パリでも、鎌倉でも、外人たちに狙われたことがある)が、ことごとく、不成功に終わっています。それも、天運を信じるところですが、その不成功のゆえに、今度は肉体的にではなく、心理的に滅亡をさせようと願われているわけです。その大根本原因は、頭が良すぎることにあるのですが、その防衛もまた、頭を使って、果たしているのですから、最高の矛盾の中にあります。本当に人生は楽しいです。

 鎌倉ラインのエージェントの中に、文章の専門家がふたり居ます。元・鎌倉ペンクラブ会長と、元日本ペンクラブ会長です。その文章のプロが、私が過去に書いたエッセイを研究しつくしています。人身事故の多発は、『線路に咲いた一本のゆり』というエッセイから、発想を取られたと感じています。

 電車の遅延現象は、最初は、『修理や、工事のために、湘南新宿ラインが走らない』という形で始まりました。それは、私が、2007年ごろに書いた、『雨のために跨線橋が渡れない』というエッセイから発生したと感じます。それは、「跨線橋工事のために、湘南新宿ラインは、今日は走りません」という池袋駅の、構内放送で確信しました。

 しかし、私はどんなに、意地悪をされ、攻撃を受けても、最近では参らないのです。うつ病などにはなりません。

 つまり、因果関係が見えちゃったので、それに照らし合わせて、心を整えるのです。そして、適宜なときに文章へ直してしまいます。もう、鶏が先か、卵が先かの論争へ入ってしまうけれど、だいたい実行された、諜略行為は、ほとんど、見破ってしまって、適宜に文章化しています。でね、『もし川崎千恵子の文章が、真実として、世間に出回ったら大変だ』と思っている彼らは、常に、言い訳を用意しておくのです。この遅延現象多発の原因にしても、いかにも本当らしく見えるものを用意するのです。

 それが、鎌倉からも東京からも、ずっと離れた、岡山県での、めがねを忘れた運転手の交代というニュースを生みました。用意周到な脚本の元に。

 で、これも私の仮説を証明する物的証拠となります。だって、時間短縮を旨とするのなら、この脚本はおかしい。天下の新幹線です。ほとんど、じどううんてんではないですか?
 それに、運転手は、家または、宿舎から出て、電車に乗るまで、30分以上何かをしますよ。その間めがねがないのに、気がつかないという方がへんです。

 ともかく、この騒ぎが、嘘というか、脚本に基づいて作り出されたものであるのは、今、遅延現象・速報版という液晶大画面が、各駅に備え付けられているのでも、わかります。池袋と、大船ではすでに発見しました。

 でもね、日本の鉄道が、どれほど、正確なものかは、ながらく、世界に誇る現象ではありませんでしたか? 2007年に井ひさし(多分そうです)の原案で、新宿駅構内の跨線橋の工事を、利用しようとした、嘘の湘南新宿ラインの不通以来、そういう大切な概念が壊されはじめました。

 その忌まわしい遅延現象を、まるで、児戯に等しいやり方で、推し進めている軍団が居るということです。JRの社長もその現状を正しく直そうとはしておりません。恐るべき発想です。
 そして、ニュースを丁寧に、付き合わせると、こう言う攻撃が、私に対して成功したと、敵方が思うときには、必ず、小沢一郎氏が、NHKニュース内に映像として登場するのです。

 そういうわけで、私は小沢一郎氏の、政治的な、本質を知ることとなったのでした。身を挺して、命をかけて、彼の本質を、知ったわけです。彼こそ、日本という国にとって、最も困った、かつ迷惑を与える政治家なのです。

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副題7、『哲学こそ、大切です』

 最後になりました。こう言う苦境の中で自分を救うものは何かといいましょう。それは、結局のところ、哲学的境地とか、宗教的境地に、自分が立つことです。で、このニュースを知ったときに、私が考えたことは何だったかというと、『ああ、自分は今、四つもめがねを作り直すほど、時間もお金も、余裕があるのだ。うれしいな。神様ありがとう』と感謝することでした。
 
 母が、2010年の10月になくなって遺産をくれる前は、時間もお金もまったく余裕がありませんでした。忙しいし、お金もないし。でも、できる限りの戦いはやめませんでしたよ。ただ、めがねなんか、放っておいて、考えたこともなかったのです。ひとつしかなくて、それを落としたと思ったときは青くなったものです。それらの日々に比べれば今はなんと、余裕があることか。

 『人生には、波があるのだ』と、自分だけの世界にかえって、静かに、納得をしているのです。それは、誰も他人が関係のない世界での話です。そこで、心を沈静化させておくのです。それが、私が今は、低空飛行であるものの、さして重い病気にもならず、生き続けていくコツのひとつです。痛い痛い思いもした時期もあるので、余計、この、平穏であることのありがたさがわかります。

 誰も他人には期待をしていません。ゴルゴダの丘に上るイエスが、前の日に「お前たちは、明日、私の事を知らない人だ、ときっと言うだろう」と弟子たちに語った言葉は、私にとっても毎日の教えであります。

 他人を愛したいが、それは、空気を漂うがごとくでいいのだと、感じていて、現実世界では、存在感を薄めることへ、向かっています。『無欲だからこそ、天は、私に大きな使命を与え、かつ、生きながらえさせておいて下さるのだ』と信じています。・・・・・ちょっと格好つけすぎかな?

  2011年、9月4日ごろに初稿を書き、7日に完成とする。
                        雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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パレストリーナを・・・・・超、が着く程の、政治の文章へと変更した

2011-09-05 12:15:03 | Weblog
 閑話休題という形で、合唱について触れます。

 と書いていましたが、結局、初稿から4日目になり、超がつくほどの政治的な文章となってしまいました。まったく演奏会から離れます。

 なお、昔、児島百代先生について書いた記事があります。
 児島先生は、合唱の指導者として、今は有名です。先生のその部分がこの章の後半に、出ています。で、これは、児島百代先生に関する一種の書き直しの文章だとも、お考えください。その一つ目です。

 3日の土曜日にギャラリー福山(銀座1-23-4-303)というところへ、9月7~17日の、グループ展へ出す作品を一部だけ、持ち込んでいたら、明松ビル内に、いい声が充満しているのです。7時過ぎに始まるレッスンだったのでしょう。人生ではじめて聞きました。はっきりとは確認していないが、たぶんパレストリーナです。レベルが高くて、びっくりして、思わず、お断りをして、入室し、30分程度聞かせてもらいました。

 無伴奏、または、オルガン伴奏の曲ですが、古楽がこれほど、情感豊かだったとは。・・・・CDでは、とても把握のできない境地でした。肉声、しかも部屋に充満するほどのボリューム。それを、1メートル以内の距離で、聞いてこそ、味わえる。迫力。メンバーは半数が休みだそうで、総勢20人足らず。だけど、あまりにもレベルが高いので、「音大卒ですか?」と聞いたら、いえ、違いますとのこと。・・・

 この合唱団の本来の先生はご自分の11日の上野の文化会館小ホールでの、発表会のためにお休みで、自主練習です。

 ところで、後でもらったビラを読めば、その指導者の先生ですが、現在の東京音大を創設した人の、そう孫だそうです。それに、普通の場合でも、コーラスに耽溺できるのは、物心両面で余裕のある人たちだといえますが、それが、地域社会の公民館ではなくて、古くてエレベーターのないビルだとはいえ、銀座の一丁目で、練習をしているのですよ。それが、後での、メンバーの気取りというか、プライドの高さへつながるわけだったのですが、それは、その現場では、私は知らないことであります。・・・・

 で、その日だけの、指導者(メンバー内のひと)はちょっとお高く留まっていて、素直には、この合唱団の来歴を教えてはくれません。「ホーム頁を見なさい」の一点張り。だけど、携帯を使わない主義で、しかも珍しく、台風の接近を恐れて、パソコンを持って出なかった私は、どうしても、それ以上を、そこで、今、知りたいのです。

 で、「どこで、発表会をなさっているの?」としつこく聞くと、「カテドラル」だとのこと。この説明も、一般的に言えば、東京カテドラルというのが親切なほうです。こんな略した言い方って、超がつくほど、お高く留まっているわけですが、でも、そこで、引き離されないで、捨てられない私です。単に、カテドラル(聖堂)といったら、どこを指すのか、そのくらいの常識はある私です。

 で、心の中で、日本では、『これほどの高いレベルで、教会音楽が、演奏される日本になったのだ』と、感心しました。ここでの本質は、『高度な、音楽を、実際に、演奏している人たちが、思いがけないところにいた』という事実です。
 いや、本当にすばらしい演奏で、銀座の天井の低いビル内の普通の部屋に居ても、まさしく、ロココ式の大聖堂の中にいる自分を想像ができました。眼をつぶればですが。

 それで、カテドラルのテの部分を英語式に、thで、発音しながら、「あそこの、専属、クワイアーですか?」とも聞いたのです。クワイアーという部分を合唱団というのが普通の日本人でしょうが、相手の、プライドに合わせて、「はい、私だって、洋服が豪華でなくても、中身は充実しているん・ざますよ。英語だってわかっているのですよ」と、見せ付けるために。
 と、同時に、「あそこは遠くて、なかなか、行かれませんが」と付け加えたのです。

 つまり、カテドラルというだけで、文京区関口にある、東京カテドラルを指すということはわかっていますよと、対応したわけです。子供っぽいですが。いや、いや、お互いに。ふ、ふ、ふ。

 鎌倉からは、本当に遠いのです。六本木の森美術館も、サントリーホールも。新国立美術館も。もちろん代々木も。横須賀線からさらに、地下鉄に乗り換えるので、時間が非常に大切な私には、行きにくい場所です。上野に慣れているから、上野に行くぐらいですよ。美術も音楽も。
 でも、カテドラルは、私のメンターの定宿(?)ですから、そこに関心も知識も有ります。だから、そこの専属クワイアーが、このレベルなのかと、さらに驚いて・・・・・『日本も本当に、文化国家になったなあ。西洋音楽、しかも、古楽を、こんな高いレベルで、マスターしている』と、さらに感嘆をしていると、

 「私たち(ラ、ヴォーチェ)は、専属ではありません」とのこと。それでも、驚きには変りはありません。専属合唱団が上なのか、こちらが上なのかはわかりませんが、ともかく、日本の宗教音楽もレベルが高くなったものです。

 ところで、私は、教会には所属しないで、神を思う人間ですが、鎌倉には、日本一古い、カソリックの教会があります。由比ガ浜に。

 しかし、もっと有名な教会は、若宮大路に面している雪ノ下教会です。結婚式やお葬式が良く行われています。そこで、式をしている人たちは日本国内でも、いろいろな意味で、もっとも恵まれている人たちでしょう。「階級が上ですよ」と誇りたいのなら、豪華ホテルを利用するより、こちらを利用した方が、わかる人には、わかるハイソサイエティ振りを示し得ることとなります。
 しかし、私自身は天然ボケに近いレベルで、突き抜けちゃっているから、そういうことには一切こだわらない人間です。もう、何も求めないし、身辺にも、気も使わない方です。
 が、周辺に、立派な人が多いのです。

 先ほど言った、関口台のカテドラルの信者さんであるメンターも、実は3.11より前の代の原子力保安委員ですし。女性でもですよ。だから、威張っている人をみると、『おや、おや。まだ、世間の広さを知りませんね。あなたは、井の中の蛙ですよ』と、内心で、軽蔑する方ですが。

 話を元へ戻します。雪ノ下(カソリック)教会には、グロリア少年合唱団が専属クワイアーとして存在します。これがものすごく、レベルが高いことで有名です。日本の少年合唱団のうち、一、二を争うのではないかしら?
 で、クリスマスに、卒業生が構成する大人の団と一緒に、メサイアを演奏しますが、それが、大人気です。切符が取れないので、鎌倉へ住んでいてもまだ、私自身は、聞いたことがありません。

 ところが、関口台の信者さんのであるその私のメンターは毎年、雪ノ下教会にその、グロリア少年合唱隊のメサイアを、聞きにいらっしゃるらしいです。その切符入手のルートがあるらしい。
 でね。私が想像するに、あのパレストリーナを演奏していた銀座のグループもすごいのですが、普段の段階で、カテドラルで、それを、お聞きになっている可能性のある信者さんが、わざわざ遠い道を一日かけて、いらっしゃるのですから、雪ノ下教会のグロリアが、どれほど、すごいのかは、皆様にも、ご理解をいただけるでしょう。

 そのグロリアは、男の先生が指導をされているのですが、歴史が非常に長い模様で、一時期、児島百代先生(北鎌倉女子学園の元先生)も、ご指導をされていたもようです。児島先生は、信者でもいらっしゃるから、毎週、この教会へおいでになっているでしょう。

 そのグロリア出身のかたがたは、神奈川県の合唱界に大きな力を発揮しています。

 茅ヶ崎でやっている、神奈川県随一の合唱団の指導者等になられて。また、OBがそれなりの男声合唱団を作っていて、この9月24日にも鎌倉芸術館で、演奏会、(ただし、曲目は、黒人霊歌です)を行います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 その、児島百代先生が、指導者になっている鎌倉コールという合唱団が、9月10日に、演奏会をいたします。

 それは、横浜・紅葉坂の県立音楽堂というところで、この9月10日に、午後1時半から開かれます。横浜のベラ・ヴォーチェと言う合唱団と合同で、三位一体のミサ曲と、レクイエムを、演奏します。

 前半は、独唱、横地康子さんの、一時間弱の公演です。
 曲目は、『アンナ・ボレーナ』よりほか。モーツァルトKV165より『アレルヤ』ほか。

 以下、横地さんの説明が困るというお知らせがあったので、削除をさせていただきます。ここは、私が身内であると、難しいこととなりますので、

 どうするかを考え抜いて、身内ではないということにさせていただきました。それは、9月5日の深夜11時半に決定をしたことですが、急遽その演奏会に出ないことといたしました。それで、「この一文を、削除をしてください」と言う、ベラ・ヴォーチェの加藤武さんのお願いを、半分かなえることとなります。

 横地康子さんの人となりを説明した部分は、大部分、削除します。ああいう書き方の方が印象に残るというのが、私の信念でしたが、音楽の方は特に、お上品である事が大切なのでしょうから、オール5で云々という表現が特に、いけなかった模様です。ので、・・・・・
 演奏会に出ないという形で、

 ライターとしての、自分を、守りました。

 横地さんは、関東学院の高等部へ通って居るころ、グリークラブだったそうです。そこで、大変声の良い生徒さんだったと推定をされますが、 
 薬学部へ、合格後、急に音大へ進むことを願い、そのたった一ヶ月の、突貫的なお勉強を坂井雅澄先生に、見ておもらいになりました。

 非常に親切で熱心な指導だったと推定されます。
 その坂井先生は、2010年に亡くなりました。

 そのために、悼演奏会となります。

 で、先生が、指導をなさっていた、いくつかの合唱団のうち、横浜の合唱団、ベラ・ヴォーチェは、昔生徒だった、横地康子さんが、後継の指導者を引き受け、

 鎌倉の合唱団、コールは、児島百代先生がお引き受けになりました。 児島百代先生は、芸大で、酒井先生とご縁ができたそうですし、神奈川県内の、研究者としても一緒に、学究グループを形成されておられたので、後を引き受けられたのです。

 ところで、児島先生も、生徒の指導には熱心で、北鎌倉女子学園に、音楽部をおつくりになったほどです。その奮闘物語は、ご著書の中で、つまびらかですが、別の機会にその熱心さについては、書くとして・・・・・
 
 鎌倉コールの方は、年齢が高くなっていて、それで、少し、往年の輝きが薄れていたのですが、今回は、ベラ・ヴォーチェと合同したことで、意外な化学変化がおきました。年齢層が若くて、人数が、おおいベラ・ヴォーチェに、溶け込み、それを、強めるための大きな声も出るようになっています。

 この、部分ですが、実は身内として書くと、「失礼だな」となります。それは、わかっていましたが、文章の書き手として、こう言う書き方をするのを続けていましたので、そうなりました。が、演奏会に出ず、練習にも出ないこととなれば、書き手としては自由です。ある部分をとれば、ある部分は捨てないとだめです。

 で、演奏会における自分は、独奏者の横地さん、指導者、(=指揮者の二人の先生)、伴奏を分けて分担する三人のピアニスト、など、重要な人と、合唱団のメンバーをすべて、掛け合わせれば、私は、500分の1ぐらいの価値しかありません。

 でも、グーブログの『銀座のうぐいすから』のライターというのは、私ひとりしか、いません。だから、それが、居なくなると困るのは、ブログの方です。

 合唱団の演奏会の方は、別に困らないのです。だから、これは、一種の自然なことです。ただ、よりはっきり言えば、午後零時ぐらいに、加藤さんと電話を交わした限りではこれほど、の強い語調でもなくて、削除をしないでもいいという話だったのですが、夜、11時半に帰宅をすると、強い語調で責められる文章がメールとして、あったので、

 その時間差の中で、
 裏からの「そうさせてほしい」という勧めも有ったのではないかなあと感じています。
 
 裏とは、もちろん、例の鎌倉エージェントグループです。それらが、鎌倉コールの団員の誰かを動かせば、どんどん、動きが大きくなって行きますでしょう。

 それを、確信するのは、真夜中の変な音なのです。
 最近真夜中に、音で脅かす仕組みが復活しているのです。
 これは、2006年と2007年度中にものすごく頻繁に起きましたが、2008年から、最近までは途絶えていたものです。

 ひとつは電話がなること、
 もうひとつはプリンターがカタカタ言うことです。

 先ほど、上の方で、演奏会に出ないことにいたしましたと書いたとたんに、プリンターが、カタ、カタ、いうのです。それは、午前、一時でした。

 四日ぐらい前に、フェイスブックの方を点検していたときも、「お前、かなしんでいやがるんだろう」という感じで、プリンターを相当、長時間、カタカタ、言わせられたのです。が、そちらは三時でした。だから、機械的に動くものではなくて、感情的に動くものです。これは、最初は相当にイヤでしたね。どういう仕組みで、それが、できるかがわからなかったから。

 今は完璧にわかっています。この山のどこかに、(または、あるお宅に)大型無線ラン機能を備えたボックス等が置いてあって、遠くで、誰かが、画面で、ワンクリックをすると、プリンターが、印字テストをし始めるのです。だから、脅迫にもっとも適切な時をえらんで、その瞬間に、カタカタ、音を立てさせるのです。それを命令しているのは、とても、心理学がわかっていると、自負している人間でしょう

 『あいつが、損失をこうむった、弱っているぞ』と、彼らが考えるときに、必ず、プリンターがカタカタ言うのですから、非常に良くわかります。そういう行動をとる闇の勢力と、ぴったりと、連動している政治家が小沢一郎です。
 小沢一郎こそ、本当の意味で、核燃料を輸入させ続けようとするグループの代表です。

 私はある意味で、誇り高いのですよ。児島先生も好きだし、音楽も好きだし、グループのメンバーも、14年前の時は非常に素直なお付き合いができた普通の人たちなのです。

 でも、その演奏会という土手という化石を利用して、ライターとしての私をつぶしてやろうとされるのなら、それは、引くしかないでしょう。損をするとか、を考える場合ではないです。弾圧はすさまじいから、『あ、これも、そのひとつですね』と思うだけです。

 せっかく、児島先生を美しく、清らかな文章で、書き上げようとしているのに、浅はかで幼稚な頭脳を持っている例の連中が、自分たちのマナーや心理で、事を行うから、こうなります。

 私は彼らの理解の及ばぬところに住んでいます。だまされたフリはしていますよ。だって、この演奏会が決まっているのに、その後で、今度の、9月7日から17日までの、グループ展のお誘いが横入りとして、あったでしょう。

 体力がない私を、二重のパフォーマンスの遂行で、困らせてやろうというのは見え見えです。でも、それがわかっていても、ことわり切れなかったのです。

 福山幹子さんは、明るくていいかただから。

 もちろん、児島先生もいい方ですよ。ただ、演奏会の方は、私の重さは、60分の1ですが、グループ展の方は、4分の1なので、そっちの方を優先せざるを得ないでしょう。

 でも、私もものすごく考え抜いていて、まだ、グループ展のお知らせをグーブログでやっていませんし、案内状も、来ても、こなくても、相手様のご負担が、自由自在な、銀座の画廊にしか配っていません。

 でも、福山さんには何も売れなかったら、悪いので、チャリティ分の寄付、数万円はするつもりです。母兄さんをもらった事をこう言うところに役立てています。ものすごくいろいろ考えています。

 頭を使いぬいています。それも疲労困憊の原因ですが・・・・・でも、こう言う風に、いかにもと裏がわかる攻撃がなかったら、何も、言わないところなのですよ。

 でも、浅はかで、幼稚な連中が、プリンターまで、見事なタイミングで、カタカタ言わせるから、すべてわかってしまうのです。

 しょっちゅう泥棒が入りますから、プリンターを別室においてあったころに派、これを、脅迫のタネには使わなかったのです。だけど、最近、居間においているから、すぐそばで、グーブログやフェイスブックをやっているのを敵方は知っているわけです。

 パソコンは常にハッキングを受けていますから。

 この間、40時間ぐらい連続で、起き続けていて、朝の7時半に寝たら、九時半に電話がかかって来て、起こされたのです。で、無視していたら、35回も呼び出し音がなるのです。で、仕方なく起きてきて、番号通知で相手の番号を控えて、

 0298で始まるし、数が、都の番号などよりも、ひとつ多い不思議な番号なのですが、その上で受話器を取り上げたら無言電話なのです。それで、ずっと、置いておいて、ためにしてみたら、10分以上相手も無言で、切らないのです。
 で、とうとう、ごうを煮やして、切った上で、すぐ、相手の番号へ書けると、ファックスになっていて応答をしない。

 で、それもきって、すぐ、104に警察庁の番号を問い合わせて、かけたのです。すると、広報が出て、個人は相手にしませんというのです。

 で、すぐ、今度は、神奈川県警札本部の番号を問い合わせたのです。すると、アノ大きなビルの電話番号として、どうも、30個以上あるらしいのです。で、こう言うケースを扱う、部署を次から次へと聞いておきました。でもね。解決できるとも思いませんよ。だから、書くことはやめません。
 記録することは絶対に必要です。そして、そのころ、死に体だった、小沢一郎は、内閣に、二人、党には、幹事長を送り込んで復活しました。

 が、私を攻撃しているのは、いわゆる瀬島機関では、組織として、人数が、足りないでしょう。革○でも足りないでしょう。すると、残るはあれですね。

 でもね、私は人を殺しても居ないし、誰のものも盗んでも居ません。反対に、心理的には毎日殺されそうになっているし、盗みは確実にされています。プリンターが何台も壊されたし、土地は使えなくなっているし。

 その偏頗には、驚きますよ。原発に反対するということは、かくも厳しい世界に住むということと同義です。良くデモをやっている人や、署名をしている人がいるけれど、本物なのかなあ。それとも、数百分の一だとみなされているのか、数千人分の一とみなされているのか、安全なのかしら。のんびりしているようですけれどね。

 だけど、坂井雅純先生は、天国で、ご理解をしてくださっているでしょう。それは、絶対に信じています。それに、児島先生も、歌う人としての、私が、相当に、声が良いのには気がついてきてくださっていました。それで、私は満足です。あと一週間で、猛練習をして、モーツァルトをすべて、自分のものにするつもりだったのに。
 
 そういえば、虫が知らせたのか、

 演奏会の方も、打ち上げの会には申し込んでいません。レストランで食事を一緒にする人数には、入らない形にしておきました。
   2011年9月2日 6日に書き直して、三度目のアップをする。
                         雨宮 舜(本名、川崎千恵子)
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劣化ウラン弾被害(奇形児の多発例)を、今こそ、検証しよう。△

2011-09-04 04:16:57 | Weblog
 最初にお断りを申し上げます。切符はある方に渡りました。昨日土曜日中にメールを下さった方です。一組しかお申し込みがなかったので、AtelierCKの方へメールを下さった方へわたります。昨夜遅く帰宅したし、30時間連続で起きているし、その上あとで外出の用事がありますので、本日日曜日の午後五時ごろと、夜八時ごろ二回、連絡がつくまで、電話で、ご返事をイエスと申し上げます。待っていてください。他の方はすでになくなりました。
~~~~~~~~~~~~~~

 これは、9月1日に、書きました。その日、フェイスブックの方で、ウクライナの小児病院の映像がでてきました。

 私は、その原簿が、ないので、こちらに、それを移動(シェア)させることができませんが、イタリアの放送局で、制作をされたものが、何らかの形(たとえば、ユーチューブなどへ、いったんアップをされ、それが、フェイスブックに再度、アップされなおされた)で、情報が伝えられました。

 ありがたいことはありがたいのですが、その映像を見ても、どんな奇形なのかは水頭症という、あまり恐ろしくはない奇形のお子さんのものしかわかりませんでした。

 ウクライナのその病院は、チェルノブイリから、50キロの距離にあり、今、お子さんを生んでいる母親は、チェルノブイリの事故当時、子供であった人たちです。

 この映像に対して、大勢の人が、日本は将来、どうなるのだろうと心配しています。
 で、私は、そのポイントで、皆さんと、一緒に心配するのではなくて、突然に、イラクへ飛びます。

 イラクでも、子供たちが大変なことになっています。その大変さは、ウクライナの小児病院以上でしょう。

 奇形の数の多さと、奇形の程度の深さがです。頭が二つに割れているような奇形もありました。

 それは昔、2003年1月に、フライデーで、写真として、公開されました。当時は話題にもならなかったのですが、重要な写真です。私は、「これを家宝として保存をしておいておいてください」と当時の読者の、皆様にお願いをしました。今探しましたが、どうしてか、我が家のは、盗まれているみたいです。重要なデータはどんどん盗まれます。映画コーヴや、映画TOKYOのプログラムも盗まれたし。

 上のイタリアテレビ局、原初データの動画が、大問題になっていますが、映像であり、引率している母親の映像などから、誰のことかを特定できる可能性があるので、最大級の異常は出てきません。

 ところが、フライデーに載った写真は、誰が撮影したものかは私は覚えておりませんが、現地で撮影したカメラマンにとっては、どこの誰がそれを読むかの見通しが立たない段階で撮影しています。もちろんフライデーから取材費が出ているかもしれない。が、フライデーを誰が買って読むかは、撮影者にはわからないです。

 しかも、フライデーはお金を出して買うものですから、それは、読む人の自己責任です。
 だから、ぐっと激しい奇形児が、そこに登場しています。総数40人ぐらいです。
 
 ここで、
原因が原発ではないから、日本と関係がないとは、思わないでくださいね。

 劣化ウラン弾は、武器だから、平和利用の原発とは違うのだとは、思わないでくださいね。そこからは、アルファ線。ベータ線などの、平和利用であろうが、武器であろうが、同じ種類の、放射能が発散されるのです。

 その劣化ウラン弾の影響です。だから原発と同じなのです。チェルノブイリの奇形だけが、福島と関連が有るわけではありません。

 水爆やら、原爆は、非人道的であるとは、人々の共通認識になっていますが、劣化ウラン弾は見逃されています。 
 
 今、日本は、福島のことで大変です。そして、劣化ウラン弾は、戦場で使われるものですから、戦争を起こして居なくて、平和な日本では、まるで関係がないように見えます。

 しかし、放射能被害がどういう現象であるかをこれほど、明らかにする物もないので、今、メディアはイラクに取材に行くべきでしょう。

 劣化ウラン弾は、そういう赤ちゃんを産んだ女性に、直接の被害を与えたわけではありません。卵子への影響ではなくて、精子への影響だったのです。そこもまた、恐ろしいことですが、放射能の本質を明らかにするので、日本へ教材として、入れ込むべきです。

 つまり、戦車に乗っていた若い男性たち(=夫たち)に、眼に見えない形(被爆という形)で、被害を与えました。そして、精子という同じく人間の眼には見えない極小の船に乗って、女性の体に入り、

 最後には、奇形児という・・・・誰にでも見える形で、・・・・・被害を顕現させました。

 とても重要なことは、その間に時差があるということです。若い男性は、自分の体の中に、それほどのおそろしい物が入っているとは、夢にも思わず、平和を喜んで妻と交合をしたら、・・・・

 10ヵ月後に、恐るべき(悪魔のごとく)重症な赤ちゃん群が生れたのです。そのカナシミと絶望はいかばかりでしょう。しかし、それを、イラクの国内だけの、情報とか、知識として置くことは勿体ないのです。

 イラクでも、放射能被害の事を、すでに、知っている人たちが居たからこそ、それらの、若いお母さんは、ある程度は、気持ちの上で、救われたのです。

 つまり、これが遺伝ではないのだという事が、イラクでも知れ渡っていたから、お母さんの、個人的な責任には帰せられなかったのです。もちろん、お父さんにも帰せられません。
 
 どこかの週刊誌が、日本は、今、壮大な人体実験場になっているといっていましたが、その通りです。広島、長崎も同じですし、ビキニ環礁も同じで、チェルノブイリも同じで、イラクも同じです。

 核燃料というのは、人体にとっては、大変に危険なものなので、原発のように工業化される場合でも、理科実験室規模の予行演習ができません。だから、今、福島で、後手後手で、あたふたしているのですが、それが、当たり前なのです。東電が馬鹿なのではなくて、誰もやった事がない事をやらないといけないし、何をやるにも危険だからはっきりした、または、効果のあがる作業ができません。

 しかも、内閣が改造されたごたごたのせいで、その実像も、報道をされなくなっています。

 ましてや人間への影響を、研究室で、人体(または、動物実験)をすることはできません。動物実験にしても、それほどの、放射線量を与える過程で、実験者の方に大きな影響が出る可能性が高いから、誰も本格的な実験は、できないのです。

 言葉は悪いが、イラクの人々、および福島の人々に、人体実験の被験者として、参加してもらっているということになります。特に今原発敷地内で、作業員として働いている人たちは文字通り、その被験者です。恐るべき薄給(または、低い謝礼金)で人体実験をおこなれているということとなります。

 しかし、全人類の役に立ってもらうためにイラクの方々に乗り越えていただくとすれば、
 人体実験の数があまりにも少ないので、どんなケースでも貴重だから、私たちにその奇形の結果を、見せてくださいと、お願いをしたら、よいのです。

 劣化ウラン弾は、原発での使用済み核燃料を、固形化したものだと感じます。公には、発表をされていないので、これは、私の想像にしか過ぎませんが、きっと当たっています。
 
 ウランは、原子番号が、大きく、質量も大きいので、物質としてとても硬いのです。で、爆弾として、ただ、固めればいいから、外側の金属容器が要らないので、便利なものだとして、開発をされたらしいのです。

 その上、名前が、劣化です。まるで、無害のように見えます。ですから、発射前のアメリカ軍兵士側でさえ、無害なものとして捕らえた可能性は有ります。火薬が使っていないので、火災も起こりませんし。

 両軍ともに、戦車の厚い鉄板を貫く、武器として捕らえています。イラク軍はそれを持っておらず、アメリカ軍だけがそれを用いました。火災が起きないので、戦車内に、それが撃ち込まれても、兵士はやけどをせず、戦車に、穴が開いた程度なので、怪我がない形で、戦場から帰宅したので、彼らに、そんな害毒が背負わされているとは、兵士自身をはじめ若妻も両親たちも誰も、それを思い浮かべることさえしなかったでしょう。大量に奇形児が生れる以前は。

 で、その鉄への物理的破壊力だけを目的に大量に使ったのです。人間への影響力などまるで、看過して。ただ、小さくて扱いやすい便利な兵器として、大量に使われたのでした。結果、イラク側に大量の奇形児が生れました。

 いまこそ、その写真を日本、および世界で公開すべきです。眼に見えない放射能が、どういう影響を人体に与えるかの、希少な、そして貴重な人体実験(?)の結果なのですから。
 そうすると、今、日本人が、どういう行動をとるべきか、が、はっきりと、誰にも、眼に見える形でわかると思います。
·
 では。今日は文章は短いですが、大切な提言だと自負していますので、ここで終わらせていただきます。
  2011年9月3日、   雨宮舜(本名、川崎千恵子)
毎日点検するメルアド・・・・・・  AtelierCK@aol.com
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「新橋駅の猫夫人」・・・・心も顔も美しかった人・・・・・△、

2011-09-02 03:05:17 | Weblog
 

 これは、テーマとしては、前後の脈絡から外れております。例の閑話休題というやつです。で、どうして、本日、これをあげるというかというと、

 赤ちゃんを遺棄するニュースを上部サイトで見て、そこからの連想で、私が書いた、古い文章で、若い女性が簡単にセックスに走る事を、びっくりしたり怒ったりした文章を探しました。 が、それが見つからず、代わりに、以下のエピソードが見つかったのです。

 こちらには、事件性は一切ありません。
 今夜の私は、おっとりしているというところです。内閣がどう動いていくかも舞っているところですし、いろいろな事を待っているところです。

 あいかわらず、こちょ、こちょと、攻撃も受けておりますが、ふん、ふんと、軽く脇へ置いておいて、というか、打っちゃっておいて、
 心の中に、そっと浮かんだ、小さな情景をここに提示いたしましょう。

 手綱を緩めると、すぐ何かを始める悪人たちですが、それも放っておいて、・・・・・
 今、おいしいフルーツのたっぷり乗った、ケーキを食べながら、久しぶりの休日気分を味わっています。

 人間である限り、勝つばかりが能じゃあないです。負けた振りをしてあげるのも手ですから・・・・・損失をこうむるというのも手なのです。生きる一種のコツなのです。

 というのも、損失をこうむっている人に対して、天とか、神というものは優しいのですよ。それは、確かです。前の文章で、登場した人たちは、現実の社会で勝とう、勝とうとしている人たちです。だけど、天のご褒美は損失をこうむっている人のうえに、下りてくるのです。

 最近、ギャラリー山口のオーナーを慰めるために、ずっと、取り組んでいた、一人食べ歩きをやっていないので、自宅での留守番さん用に、豪華なケーキを買ってきているので、そのうちのひとつを夜中の三時に食べています。

-1

 福山書店が、銀座にまだあったころ2001年の話。画廊めぐりの後で、そこで、良く本を買う。ある日『猫びより』と言う雑誌を買って、新橋駅ですし折を一つ買って、プラットホームで、雑誌を開いていた。私はその日とても疲れていて、しかもどこかで食べる時間も無く『今日は、既に六時だから、普通車では座れない。だから、グリーン車に乗ろう』と決めていた。グリーン車の中なら、おすしをつまんでいても、許される。回りの人は、おなかがぐうぐう言うだろうが。
 その計画を実行する前、ベンチで、『猫びより』を読んでいると、左隣から声が掛かった。「可愛い猫ちゃんね。」と。
 驚いて振り向くと、私より、十才は上だと思われる婦人が話し掛けて来ていたのだった。



これは、日本では珍しい事だが、この頃意外とこう言う人に出会う。それは、横須賀線では、遠乗りをする人が多いのと、私が利用する時間帯は、ご老人が多いせいだからだと思う。で、今では若い人より、この年代の方が、表情が、豊かで、心が豊かなのだ。日本全体としては、のっぺりとして、何も考えない感じの人が多いだろう。が、横須賀線の中では、こう言う豊かな心を持った、ご婦人に良く出会う。
私は、外国にいる時は、将に、こう言う種類の人間となる。とても人懐っこくて誰の事でも信じて、話し掛ける方だ。しかし日本では、それが通じない。それは、海外から帰国して数ヶ月経つと察せられるように成り、自分も警戒心が強い人となり、のっぺりした表情の人となってしまう。



それなのに、まったく未知の人が、最大級の笑顔をもって、話しかけてきたのだから、とても驚いた。天真爛漫な相手に対し、『私もあと、十年経つと、こうなるかもしれない。日本に居ても』と思いながら、対応をするが、こう言うとき、珍しくも私は、受身だ。落ち着いて静かになり、相手の話をよく話を聞いてあげる。

 この夫人の、息子さん、(40才代)が、非常に優しい人で、どこかの塀の間に挟まっていた、子猫を救出し、哺乳瓶で育てていたが、(若奥様の方は、お勤めで昼間は居ないし、彼も会社人間なので)、彼が通勤先まで、もって行き、会社の近所にある床屋さんに預けのだそうだ。床やさんの一家は、猫好きで、その赤ちゃん猫を、丁寧にも、哺乳瓶が要らない段階まで、育て上げてくれたそうだ。



 そんな話を丁寧に聞いているうちに、私は、この人が、上り(千葉方面行き)を利用するのか、下り(逗子方面行き)を利用するのかが、心配に成って来た。二人が座っているベンチは、のぼり側のもの。彼女が千葉方面行きへのり、かつ、先にそれが来たら何も心配は要らない。でも、もし下りを利用するなら、私がグリーン車を利用することに気がついて、『あっ』と、何かを感じるはずなのだ。それを、感じさせないように、するために、どう感じよく、相手を振り切ったらよいだろうと。
 私は、人に、恥をかかせたくないのだ。こんなに優しく、しかも心が敏感な女性であれば、なお更の事、恥ずかしいとか、切ないと言う感情を味わってしまうような気がする。それを避けたいのだ。    



でも、同じ方向に、向かうのなら、このベンチは、グリーン車が止まる場所ではないので、彼女を振り切って向こうに行かなければ成らない。こんな、良寛さんみたいに善良な人に、『あ、私、この人(この場合は、この文を書いている方の私のこと)を信頼しすぎちゃった。同じ種族の人間だと思っていたのに、グリーン車を利用するようなお高く留まっているタイプの人間だったのね。恥ずかしいわ』という、気まずい思いをさせるのは、辛くて心の中で参った。
 でも、急にそんなことを味わわせるよりは、電車がきた途端、説明をした方がいいと判断した。で、先頭車両が目の前を通り過ぎた途端に「今日は疲れているから、グリーン車を使うつもりなのです」と言った。
その婦人は、すぐ、私が何を本当はいいたいかが、わかった。



事前の推察どおり、とても、恥ずかしそうな、笑顔を浮かべて、向こうへ走り去った。見送って反対側へ走りながら、私は、とても、つらかった。
あれから、12年が経った。今なら、もう少し、上手に処理できるだろう。逗子行きが来たって、「あ、私は、千葉方面へ帰るのですから」といって、一本見逃して、次ぎの電車を利用するとか。・・・・・時には東京まで、帰ってしまうとか。・・・・・
名前も知らない人。でも、優しい、優しい息子さんを育て上げた、謙虚なご婦人。お母さんだったとは思えないほど、細身で、華奢な体なのに、その笑顔は、花そのもののように美しく、消えないほど強い印象を残した。十二年たっても忘れられない。

      二〇〇一年十月十九日 に書いたものを、2011年9月2日朝に書き直した。  雨宮舜(本名、川崎千恵子)



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