夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

2023年06月08日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

§12

Sowohl dieses  Jetzt  als dieses  Hier  ist ein Verschwindendes. Jetzt ist nicht mehr, indem es ist und ein anderes Jetzt ist an seine Stelle getreten, das aber eben so unmittelbar verschwun­den ist. Zugleich bleibt aber Jetzt. Dies bleibende Jetzt ist das  allgemeine,  das  sowohl  dieses als jenes Jetzt ist, als auch  keines  von ihnen ist. — Dieses Hier, das ich meine und aufzeige, hat ein Rechts und Links, ein Oben und Unten, ein Hinten und Vorne ins Unendliche, d. i. das aufgezeigte Hier ist nicht ein einfaches also bestimmtes Hier, sondern ein Inbegriff (※1)von Vie­lem. Was also in Wahrheit vorhanden, ist nicht die abstrakte sinnliche Bestimmtheit, sondern das Allgemeine.(※2)

 

第十二節[感覚から知覚へ]

この「」も、この「ここ」と同じように、ともに消え去るものである。「今」は、他の「今」にその場所を取って代わられもはやなく、しかし、その今もまったく同じようにすぐに消え失せてしまう。しかし同時に「今」は残っている。この残された「今」は、この「今」 でもあれば、あの「今」でもあって、また同じく、それらのいずれでもない普遍的な「今」である。私が思って指し示すところの、この「ここ」は右や左にもあり、上にもあれば下にもあり、後ろにもあれば前にも限りなくある。つまり、指し示された「ここ」は単純に指定された「ここ」ではなくて、むしろ、多くのものを総括した「ここ」である。したがって、真に存在するのは、抽象的で感覚的な確実性ではなくて、普遍的なものである。

 


※1
ein In~begriff 総括、師表、真髄
der Begriff (名詞) 概念、観念、知覚、受胎
begreifen  (動詞)把握する、理解する、思いつく
 
※2
ここでヘーゲルはとくに指摘してはいないけれども、「私」が感覚的な意識によって、「今」「ここ」「これ」を指し示すときには、「今」「ここ」「これ」という「言葉(記号)」を使って指し示すしかないのであり、「言葉(記号)」を用いて、感覚的な意識の対象を指示するときには、すでに同じく普遍的なものを指示することになる。「言葉」は普遍的なものしか言い表せないからである。

この段階で「感覚的な意識」から、言語をもって対象を把握する「知覚的な意識」へと移行するが、こうした概念の移行の把握をヘーゲルは「概念的把握」といい、その移行をより高い「真(Wahrheit)」として捉える。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

2023年06月06日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

A. Das sinnliche Bewusstsein

A. 感覚的な意識


§11

Das einfache sinnliche Bewusstsein ist die unmittelbare Gewissheit von einem äußerlichen Gegenstande. Der Ausdruck für die Unmittelbarkeit eines solchen Gegenstandes ist, dass er  ist,  und zwar  dieser, jetzt der Zeit und  hier  dem Räume nach, durchaus von allen andern Gegenständen verschieden und vollständig an ihm selbst bestimmt.(※1)

第十一節[感覚的な意識]

単純な感覚的な意識というのは、外にある一つの対象についての直接的な確実性である。一つのそうした対象の直接性についての表現の仕方は、「それはある」であり、そして、確かに「これ」であり、時間からすれば「 」であり、空間からすれば「ここ 」である。外にあるその対象は、他のすべての対象とはまったく区別されて、そして、それ自体において完全に規定されている。

※1

「感覚的な意識」はかならず、「今、ここにある、このもの」についての、すなわち個別的なものについての意識であるから、それ自体において完全に規定されている。 

この部分は、「精神の現象学」すなわち「意識の経験の学」の中の、

A  意識、
I 感覚的な確信、あるいは、このものと私念
( Die sinnliche Gewißheit;  oder das Diese und das Meinen)

の個所の要約になっている。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

2023年06月05日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

 

Erste Stufe. Das Bewusstsein überhaupt.

§ l0

Das Bewusstsein überhaupt ist 1) sinnliches; 2) wahrnehmendes; 3) verständiges.(※1)

第一段  意識一般

第十節[意識一般の区分]

意識一般は、次の三つの段階に区分される。1)感覚的な意識、2)知覚的な意識、3)悟性的な意識

 

※1
前第九節と同じように、意識一般の進展が、この三つの段階をたどる必然性が論証されていなければならない。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

2023年06月01日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

§9

Das Bewusstsein hat im Allgemeinen nach der Verschiedenheit des Gegenstandes überhaupt drei _Stufen._ Er ist nämlich ent­weder das dem Ich gegenüberstehende Objekt; oder er ist Ich(※1) selbst; oder etwas Gegenständliches, das eben so sehr dem Ich angehört, der Gedanke(※2). Diese Bestimmungen sind nicht empi­risch von Außen aufgenommen, sondern Momente des Bewusstseins selbst.(※3) Es ist also:

1) Bewusstsein überhaupt;  
2) Selbstbewusstsein;  
3) Vernunft.(※4)

第九節[意識の三つの段階] 
  
一般に、意識には対象の区別に応じて三段階がある。すなわち、1) 対象が「私」にふつうに相対する客体であるか、あるいは、2) 対象が、「私」自身であるか。あるいはさらに、3) 対象がまったく同じように「私」に属するものであるような客体物の或る物、たとえば思想のようなものであるか。これらの規定は外から経験的に把握されるものではなくて、意識それ自身の要素である。

意識には、したがって、以下の三段階がある。 
  
1)  意識一般
2)  自己意識   
3)  理性


※1
Ich 「私」、自我、自分

※2
Gedanke
思考の結果生まれたもの。観念、思想、概念、思考、想像、意見などの訳語が考えられる。

※3
Momente des Bewusstseins selbst. 意識それ自体の要素
Moment 契機、要素、要因、動機、境界 
1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性 の三つの段階が、私たちの意識の要素である。

私たちの意識の要素、契機としては、この三つ段階「1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性」の他にはなく、それらだけで尽きているのか、必要にして十分であるのか、そのことが論証されていなければならない。

※4
Vernunft. 理性 とは、ここでも明らかなように、「「私」に属するものであるような客体物」。すなわち、観念、思想、概念、ロゴスなど。これは哲学の主題でもある。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

2023年05月31日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

§8

Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit  geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)


第八節[意識の発展と対象の変化]

しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。


※1

前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。

人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。

要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ意識の対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。

豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。

※2

先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節



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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

2023年05月24日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

§7

Das Bewusstsein ist die bestimmte Beziehung des Ich auf einen Gegenstand. Insofern man von dem Gegenstande ausgeht, kann gesagt werden, dass es verschieden ist nach der  Verschiedenheit der Gegenstände,  die es hat.(※1)

第七節[対象の多様性と意識の多様性]
  
意識とは、対象に対する「私」の規定された関係である。人が対象を起点とするかぎり、意識のもつ 対象の多様性に 応じて、意識はさまざまに異なるといえる。


※1
意識の対象は、主に私たちの視覚を通して認識される。桜の花を見れば、花が私たちの意識の内容になるし、海を見れば、海が私たちの意識の内容になる。対象が私たちの意識を規定するという、対象と「私」の相互的な関係にある意識(これが本篇の主題である)の一面について、きわめて自明の事実を述べている。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

2023年05月18日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

§6

Das Bewusstsein ist überhaupt das Wissen von einem Gegenstande, es sei ein äußerer oder innerer, ohne Rücksicht darauf, ob er sich ohne Zutun des Geistes ihm darbiete,(※1) oder ob er durch diesen hervorgebracht sei. (※2)Nach seinen Tätigkeiten wird der Geist betrachtet, (※3)insofern die Bestimmungen seines Bewusstseins ihm selbst zugeschrieben werden.(※4)

 

第六節[精神の働きと意識の対象]

 意識とは一般に、それが外的であれ内的であれ、対象についての知識である。その対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたものであるのか、あるいは、精神のはたらきによって意識にもたらされたものであるか、どうかにはかかわらない。精神は精神の活動を通して考察される。精神は、その意識の諸規定が精神自体に起因するかぎり、その活動性の面から考察される。

 

※1
「意識の対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたもの」
── 「精神の現象学」における「A 観察する理性」の対象となるもの。原子から生命体などに至る自然科学の対象。

※2
「精神のはたらきによって意識にもたらされたもの」
──   真、善、美など人文科学の対象となるもの。宗教や芸術、哲学そのものなど、精神の働きによって意識にもたらされる対象。

※3
精神とは意識であり、かつ思考そのものである。精神自体も精神の活動によって、つまり思考によって考察される。

※4
「精神の現象学」は「感覚」から「知覚」、さらに「悟性」へと意識の働きを動的に考察している。

 

 

 

 

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Watch: Highlights of King Charles's and Queen Camilla's coronation

2023年05月06日 | 国家論

Watch: Highlights of King Charles's and Queen Camilla's coronation

 

 

英国の立憲君主国家体制は、日本のこれからの憲法改正の上での貴重な研究対象になると思います。

ヘーゲル「立憲君主制について」(「夕暮れのフクロウ」記事一覧20180808〜20181026) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/jrMhon

§280 Zusatz.[君主と完成された国家組織体] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/doHABd

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

2023年04月26日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

§5

Der Geist aber nach seiner Selbsttätigkeit  innerhalb seiner selbst   und in Beziehung auf sich, unabhängig von der Bezie­hung auf Anderes, wird in der eigentlichen Geisteslehre oder  Psychologie  betrachtet.

第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

しかし、精神が 自分自身の内部における 自己活動の面から、そして自己との関係の中にあって、他者との関係からは切り離されてあるときの精神は、本来の精神論として、もしくは 心理学 として考察される。

 


精神の作用を考察するにしても、それを他者との関係において、つまり意識の問題として考察する「精神の現象論」と、他者から切り離して、精神の自己内部における自己活動の面から考察する本来の精神論、心理学との違いが説明される。

なお、心理学については、同じヘーゲル『哲学入門』第三教程、上級篇の第三部「精神の学」の中で、身体と結びついた精神として考察されている。

また哲学的百科事典(エンサイクロペディー)C 「心理学、精神」§440 の中では「心理学は、精神の能力、精神の普遍的な行動様式、たとえば、直観、想像、記憶や欲望などを考察する」と説明されている。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

2023年04月24日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

§4

Das Subjekt, bestimmter gedacht, ist der Geist(※1). Er ist erschei­nend, als wesentlich auf einen seienden Gegenstand sich beziehend: insofern ist er Bewusstsein. Die Lehre vom Bewusstsein ist  daher die Phänomenologie des Geistes.

第四節[意識の学としての精神の現象学]

主観とは、より具体的にいえば、精神である。精神は自らを一つの存在する対象に本質的に関係させるものとして現れるものである。そのかぎりにおいて、精神とは意識である。したがって、意識の学は 精神の現象学 である。


※1

ヘーゲル哲学が難解であるとされるのは、ここで使われているような、「主観」とか「精神」とか「意識」といった用語が具体的に何を意味しているのか、わかりづらいためでもあるだろう。

「主観」といい「精神」と言っても、それらは存在する何らかの対象と関係づけられて現れるものである限りにおいて、それは意識でもある。

この『哲学入門』中級篇以下において簡潔に説明されている「精神の現象論」は、ヘーゲルの実質的な処女作『精神の現象学』に見られるような冗長さや難解さはなく、むしろ「精神の現象論」の核心を的確に理解するのに役立つ。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

2023年04月10日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

§3

Indem im Wissen die Dinge und ihre Bestimmungen(※1)sind, ist einerseits die Vorstellung möglich, dass dieselben(※2) an und für sich (※3)außer dem Bewusstsein sind und diesem schlechthin als ein Fremdes und Fertiges gegeben werden; andererseits aber, indem das Bewusstsein dem Wissen eben so wesentlich ist, (※4)wird auch die Vorstellung möglich, dass das Bewusstsein diese seine Welt sich selbst setzt und die Bestimmungen derselben durch sein Verhalten und seine Tätigkeit (※5)ganz oder zum Teil selbst her­vorbringe oder modifiziere. (※6)Die erstere Vorstellungsweise ist der Realismus, die andere der Idealismus genannt worden. Hier sind die allgemeinen Bestimmungen der Dinge nur überhaupt als bestimmte Beziehung vom Objekt auf das Subjekt zu be­trachten.(※7)

第三節[実在論と観念論]

知識のうちには物とその規定とがあるから、一面においては、物自体は本来的にも、かつそれ自体として(独立して)意識の外にあって、そして、これらは全く外来品とか出来合品として与えられたもののように考えることもできる。しかし、他面においては、知識にとって、意識はまさに本質的なものであるゆえに、意識は自分の知識の世界を自分自身で設定し、自分の行為と行動を通してその規定自体の全体を、あるいは部分を自身で作り出すか、あるいは改変すると考えることもできる。はじめの考え方は「実在論」と、他方は「観念論」とよばれる。ここでは、ただ一般的に、物の普遍的な規定は、客観から主観に対して指定された関係とみなされなければならない。

 

※1
 die Dinge und ihre Bestimmungen
「鉄は黒い」という私たちの知識で言うなら、物は鉄で、「黒い」が規定である。

※2
dieselben  これらは
die Dinge und ihre Bestimmungen (物とその規定)

※3
植物の成長についての私たちの知識でたとえるなら、「an und für sich」は種子の状態で
「für sich」は発芽の状態ともいうべきか。それらは私たちの意識の外に独立してある。

「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

※4
私たちの意識なくして知識はありえない。

※5
いずれも同意語だけれど、それぞれニュアンスの違いがあるようだ。おおよそ次のように理解している。
Aktion(動作、活動、働き、action)、Handlung(そぶり、所作)、Operation(軍事的、学問的、技術的な活動、行動)、Tat(意図的な行為、行動)、Verhalten(ふるまい、態度)

※6
原子を分割して核エネルギーを引き出した人間は、青い桜の花を作り出すこともできるかもしれない。

※7
この「精神の現象論」におけるヘーゲルの立場は、「実在論」でもなければ「観念論」でもない。仏教用語で、物そのものを「色」、私たちの意識を「心」と呼ぶなら、私たちの知識においては、この物と意識の両者は切り離すことのできない関係にあるから「色心不二」の立場ということもできる。

ヘーゲルが「観念論(Idealismus)」をどのような意味で使っているかを確認しておく必要がある。

§278c[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ovLOgU

 

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

2023年03月27日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

§2

In der Philosophie werden die Bestimmungen des Wissens (※1)nicht einseitig nur als Bestimmungen der Dinge(※2) betrachtet, sondern zugleich mit dem Wissen, welchem sie wenigstens gemeinschaft­lich mit den Dingen zukommen; oder sie werden genommen nicht bloß als objektive, sondern auch als subjektive Bestimmun­gen, oder vielmehr als bestimmte Arten der Beziehung des Objekts und Subjekts auf einander.

 

第二節[哲学における知識]

哲学においては、知識の規定は物の規定としてただ一面的にのみ見なされるのではなく、むしろ同時に、知識の規定とは、少なくとも物と共同してもたらされるところの知識と見なされる。あるいは、知識の規定は、たんに客観的に だけではなくまた主観的な 規定として、あるいは、むしろ客観と主観との相互の関係によって規定された性質のものと見なされる。

※1

die Bestimmungen des Wissens  

知識の規定

自我、すなわち「私」が目の前に、対象にある物を見て、たとえば「これは桜の花である」とか、「彼は野球選手である」とか規定することであるが、そのように規定するのは、 「私」があってこそであり、「私」の、主観なくしてそのような知識の規定もありえない。とくに哲学における知識の規定は、「私」と対象との関係において規定される。

※2

Bestimmungen der Dinge

物の規定

「私」が「私」を意識することなく、つまり主観的な反省なくして、対象としての物について直接的に感覚的に、「これは桜の花である」とか「彼は野球選手だ」とか規定するような「ふつうの意識」、常識的な段階での知識はたんなる「物の規定」である。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第一篇 精神の現象学、あるいは、意識の学

2023年03月23日 | ヘーゲル『哲学入門』

G.W.F. Hegel
Philosophische Propädeutik

ヘーゲル『哲学入門』


Zweiter Kursus. Mittelklasse. Phänomenologie des Geistes und Logik

第二教程    中級クラス  精神の現象学と論理学

Erste Abteilung. Phänomenologie des Geistes, oder Wissenschaft des Bewusstseins

第一篇  精神の現象学、あるいは、意識の学

Einleitung

序論 

§1[ふつうの知識と意識]

Unser gewöhnliches Wissen(※1) stellt sich nur den Gegenstand  vor,(※2) den es weiß, nicht aber zugleich sich, nämlich das Wissen selbst. Das Ganze aber, was im Wissen vorhanden ist, ist nicht nur der Gegenstand, sondern auch  Ich,  der weiß und die Beziehung mei­ner und des Gegenstandes auf einander: das Bewusstsein.(※3)

私たちのふつうの知識は、ただ 対象  について考える(思い浮かべる)だけだが、それは、しかし同時に自分については、すなわち、知識それ自体については考えようとはしない。しかし、知識のうちに存在する全体とは、ただに対象だけではなく、「私」と「私」と対象との相互の関係をも知っているところの「私」、すなわち、意識である。

※1

Unser gewöhnliches Wissen

私たちのふつうの知識、私たちの常識

※2
vorstellen
前に置く、想像する、思い浮かべる

※3
人間の意識についてはすでに、序論 五[衝動と反省]や、序論についての説明の三[意識について]の考察の中でも説明されている。

人間の意識が自己内分裂を遂げ、二つに別れることによって、相互に映し合うようになり、自己を自己として「意識」するようになる。これによって人間は真偽を自己検証する。

 

参考

ヘーゲル『哲学入門』序論 二[意識と知識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/I543LJ

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 三[意識について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/LbIryu

ヘーゲル『哲学入門』序論 五[衝動と反省] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/PlTuZQ

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』目次8

2023年03月13日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
ヘーゲル『哲学入門』目次8
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

2023年03月09日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

§80

Der Gottesdienst (※1)ist die bestimmte Beschäftigung des Gedankens und der Empfindung mit Gott, wodurch das Individuum seine Einigkeit mit demselben zu bewirken und sich das Bewusstsein und die Versicherung dieser Einigkeit zu geben strebt, welche Übereinstimmung seines Willens mit dem göttlichen Willen (※2 )es durch die Gesinnung und Handlungsweise seines wirklichen Lebens beweisen soll.(※3)



第八十節[「祈り」と典礼]

「祈り」とは、思考と感情をもって神に仕えるための仕事である。「祈り」によって、個人は神と自己との一体性をもたらし、この一体化の意識と確信を自身に与えようとする。神の意思と個人の意思とのこのような合致は、個人の現実の生活における精神と行為の様式によって実証されなければならない。

※1
Der Gottesdienst 
原義は「神に雇われし者」くらいの意か。
「祈り」と訳した。教会などの他者との公同の場においては「典礼」「礼拝」「祭祀」「ミサ」などと訳せる。「礼拝(典礼)とは、思考と感情をもって、神に仕えるために定められた儀式である」

※2
dem göttlichen Willen 神の意思
神の意思の探究は、哲学研究の目的の一つでもある。

※3
ヘーゲル自身はルター主義者をもって任じていた。彼の哲学がプロテスタンティズムを母胎としているのは疑いのないところである。ここからキリスト者の使命  die Bestimmung、die Mission が出てくる。

五つのソラ - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oDz9pv
 

「第一教程(下級) 法、義務、宗教論」はここで終わり、次の「第二教程(中級) 精神の現象学と論理学」へと進む。
 
 
 
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