夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

国家、国籍、参政権をめぐる問題

2010年03月19日 | 国家論

 

pfaelzerweinさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

ご承知のように日本はこれからの少子高齢化で、人口が急激に高齢化しかつ減少してゆくことが予想されているわけですが、そうした事態を招くまでに、人口増加のために一刻も早く対策を講じなければならなったのですが、もうすでに時を失したようです。

この困難な問題の解決に取り組む能力のある政治的指導者はかっての自民党時代にも、現在の民主党政権にも残念ながらいないと思います。一人の指導者の力量がどれほど国家や民族の命運を左右することになるでしょう。

鳩山民主党政権がこうした問題にいかに無能力な政権であるかは、その人事を見てみれば一目瞭然です。福島瑞穂女史をよりにもよって少子化対策担当相に任命し、かつまた男女共同参画担当相にもしていることからも、典型的な戦後民主主義人として――「坊ちゃん左翼」などと揶揄されていますが、生育した鳩山由紀夫氏が事実としてどのような思想の持ち主であるかが、こうした彼の人事から見てもわかります。このことは同時に、鳩山由紀夫氏には少子高齢化の問題というような困難な問題を本当に解決する意思も能力もないことを意味しています。

少子高齢化の本当の正しい解決は、もちろん国内の人口を増やすことであって、移民を増やすことではありません。残念ながら現在の政治的な指導者をも含む日本国民の能力では、こうした問題を解決する能力はないと思います。すべては、国家、国民、民族の持つ総合的な能力の問題です。能力、能力、能力の有無がすべてです。

それほど、現在の日本国民の資質が、民族としての総合的な能力が落ちている――それには多くの原因が考えられるでしょうが――からだと思います。

日本国民とは誰のことかと言えば、それは形式的には、もちろん日本国籍を持つ者のことです。そして日本国民であることの要件は、国籍法などに規定されています。さらに具体的にいえば、日本国籍のパスポートを取得する権利を持つ人間のことです。

日本国憲法に「日本国民たる要件」は法律でこれを定めるとあり、その法律とは国籍法のことですが、その重要な変更が、2009年1月に国民に周知徹底されることもないままに改定施行されたことはご承知の通りです。――法律は国民にその存在を周知徹底させることが不可欠ですのに――あたかも、こっそりと誰か陰謀家の策謀のように、改定施行されました。

そもそもこの国籍法の改定については、日本人男性とフィリッピン女性との間のいわゆる婚外子の子供の日本国籍の取得をめぐって下された先の最高裁判決がその根拠になっています。同時に民主党政権になって問題になり始めている外国人参政権や国籍取得などの、国籍や国家や民族などをめぐる一連の問題についても根本的に批判するためには、したがって、そこに示された判事たちの、歴史観、時代観、国家観、民族観、家族観から批判してゆく必要があります。

これらはいずれも私にとって終生のテーマでもあり、あらゆる角度から全面的に客観的に考察してゆく必要のある問題でもあって、早急に結論の出せる問題でもないと思います。いずれ近いうちに、こうした問題についても私なりの論考を明らかにしておきたいとは考えていますが、いずれにせよ、国家や民族の問題を考察するときのスタンスは、先の論考「反日と愛国」で論証した通りです。この絶対的な立場のうえに立脚しない論考は、それがどれほど厳密な論理で構築されようと、結局は砂上の楼閣だと思います。

pfaelzerweinさん、最近になって貴ブログに時折体調不良の記事が散見されています。お仕事上もあるのでしょうが、くれぐれもご自愛下さいますよう。それではまた。

 

 

 

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