ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十八節[分別心の自己に対する義務]
§68
Die Pflicht der Klugheit erscheint zunächst als eine Pflicht gegen sich selbst in den Verhältnissen zu Andern, insofern der Eigennutz Zweck ist. — Der wahre eigene Nutzen wird aber wesentlich durch sittliches Verhalten erreicht, welches somit die wahre Klugheit ist. Es ist darin zugleich enthalten, dass in Beziehung auf moralisches Betragen der eigene Nutzen zwar Folge sein kann, aber nicht als Zweck anzusehen ist.
第六十八節[分別心の自己に対する義務]
分別心 の義務は、自己の利益が目的である限り、さしあたっては他者との関係において自己自身に対する義務として現れる。── しかし、本質的に本当の 自分の利益 というものは、それゆえ真の分別心であるところの倫理的な行為を通して得られるものである。そこには同時に次のことが含まれている。すなわち、道徳的な行為については、自己の利益というものは結果としてあるべきであって、決して目的として見られてはならないということである。
※1
die Klugheit. 訳語としては、慎重、 自重、思慮、 賢明、 善心、 善徳、世才、 分別心、などがある。
ここでは分別心と訳した。
※2
Der wahre eigene Nutzen wird aber wesentlich durch sittliches Verhalten erreicht, welches somit die wahre Klugheit ist.
本当の自分の利益は、本質的には倫理的な行為を通して実現される。だから、倫理的な行為こそが、本当の分別心の義務である。