玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

密度の高い帰省だった

2013年11月15日 | ねったぼのつぶやき

 在外の日本人柳田孝子さんが、心をこめて歌った「日本の抒情歌コンサート」から3週間が過ぎた。それを発案し、同郷である枕崎市長及び市の文化担当者と共に企画し、成功裡に導いた人も2ケ月ぶりに帰国した。「帰ったら慰労会の計画が用意されてるの」と言っていたけれど、この週末辺りだろうか。その人は大仕事を遂げて一休みしたら、マタマタ次なるプランを打ち出しかねない人なのだが、事実次なる腹案を洩らして帰って行った。

035 今回の帰省は幾多の行事参加を重ねて密度濃い物だった。両親の墓参は当然として、コンサート、関係者様方との懇親会への参加、砂風呂始め枕崎名所巡り、鬱蒼とした樹木に囲まれた城山遊歩道の散策、木造駅舎嘉例川駅~霧島神宮巡り、卒後50周年の同窓(期)会出席、おはら祭前夜祭参画、小雨もよいの本番の見学・・・等々。桜島の噴火は健在で、資料館の板書によると既に800回近かった。風向きの加減で、直接の降灰には合わなかったが地面から舞い上がっていた。

 3大イベントのもう一つはこれで最後(5年毎に挙行)になるという大同期会。500名卒業中158名の参加者は全国から参じた事だろう。事後いくつかのメールによると翌日・翌々日と交歓もあったらしい。私はさる人によりブログのコメンテーター氏と会った。恐縮の方は私なのにその人の方が後じさりされていた。ブログ(要クリック)といえば先の懇親会「五条」の若い女将さんは、枕崎から人や食を連日発信されていて、懇親会当夜の様子も10/28日掲載(下線クリックで表出)されていた。柳田さんは美声もさることながら、笑顔の美しい柔和な人だった。この写真からも見てとれますね。

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