玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*蕗の薹

2018年02月26日 | 捨て猫の独り言

 今年の2月はいつもより寒い日が続いて立春から雨水と進んだ。それでも立春には陽だまりで福寿草が花開き、雨水には遅れ気味だが梅もぽつぽつ咲き出し、蕗の薹も姿を見せて確実に春を迎えている。また今年は冬鳥のツグミをよく見かけた。

 自生している蕗の薹を採取するのがこの時期の楽しみでもある。大きな声で言えないが、黄昏時を待って、農地に放置されている蕗の薹を頂いてくる。宅地化が進んで年毎にその場所が少なくなってきている。

  

 蕗の薹の味噌(フキミソ)は日持もよく、すがすがしい香りとほんのり苦味が利いておいしい。いろいろなものに付けて食べる。これを作るには沢山の蕗の薹が必要になる。この時期になると家人はフキミソ作りに励み、それを周囲に配るのを楽しみとしている。

 おひたし、うどんの薬味、味噌汁などの食べ方があるが、蕗の薹なら天ぷらが一番だと私は思う。蕗の薹の俳句も多い。「母もせし金網で焼く蕗の薹」「ある時は蕗味噌をなめ詫びしめる」「蕗の薹福寿草にも似たりけり」「蕗の薹見つけし今日はこれでよし」

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*小平霊園

2018年02月19日 | 捨て猫の独り言

 北を目指した。私の散歩の方角という、ささいな話だ。今回は2時間ウオークで小平霊園を目指した。目算通り、片道ちょうど1間ほど歩くと霊園に到着した。霊園は家から北北東の位置にある。すぐ近くの玉川上水は、小平市の南の端を西から東へ流れている。私のウオークは玉川上水を東へ歩くと小金井公園、西へ歩くと金毘羅橋が折り返し地点だ。北へは小平霊園を折り返し地点と決めた。未定の方角は南だけになる。

 1654年に玉川上水が引かれて、新田開発が行われた。農地は南北に短冊状に地割された。玉川上水と垂直な方向の、南北に伸びる市内の道路はその名残りだ。小平霊園へのウオークは、まず一直線に続く元仲宿通りを真北に向かう。すると北東に流れる野火止用水にぶつかる。用水の向こう側は東村山市だ。用水沿いにある明治学院中学・高校にライシャワー記念館の赤い屋根が見える。ここの桜並木はちょっとした名所だ。

 野火止用水は南北に走る府中街道にぶつかる。ここはかつて秩父道、奥州街道、鎌倉街道などが交差する交通の要所で「九道の辻」と呼ばれていた。すぐ近くに西武多摩湖線の八坂駅がある。高架をくぐると多摩湖自転車道に出る。ここで野火止用水と別れる。多摩湖とは反対の西武新宿線の小平駅の方に向かう。水道道路なので一直線で起伏は少ない。八坂駅から2キロほど歩き、小平駅のすぐ西側の踏切を渡ると小平霊園だ。

 

 なぜか最近は霊園を訪ねる機会が多い。どの霊園事務所にも案内図が置かれていて、著名人の墓地が分かるようになっている。小平霊園はこれまで2回ほど訪れたが、その当時は案内図を手に入れる智恵はなかった。童謡の「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」などを創った野口雨情の墓碑がある。雨情は北茨木市の出身だが、ご子息が近くで供養したいと分骨したのだという。他には山本七平、壷井栄、有吉佐和子、伊藤整、荒正人、村上一郎、宮本百合子、宮本顕治などの墓碑がある。

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*和歌

2018年02月12日 | 捨て猫の独り言

 「女たちの江戸城無血開城」という番組がを見た。ここで女たちとは公武合体の政策により降嫁した皇女和宮と、島津斉彬の命を受け将軍家定の正室として徳川家に嫁いだ篤姫の二人のことである。江戸城明け渡しとなるが、二人の願いは徳川家の存続だった。

 番組では和宮の和歌が紹介される。「住みなれし都路いでてけふいくひいそぐもつらき東路のたび」大阪城で病死した夫・家茂の形見として西陣織が届く。「空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ」和宮は明治10年に転地療養先の箱根で31歳で亡くなる。3年後に篤姫が和宮終焉の地を訪れて詠んだ歌が残る。「君が齢(よわい)とどめかねたる早川の水の流れもうらめしきかな 」

 美智子皇后の和歌50首をドイツ語に翻訳した歌集が出版されたという。歌集には東日本大震災の年に詠まれた「草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く」などが含まれている。恒例の「歌会始の儀」で詠み上げられた今年の皇后の歌は「語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差ししずかにそそぐ」だった。私も皇后の歌に感銘を覚える一人だ。

 歌会始の選者の一人である永田和宏さんの歌は「飲もうかと言へばすなわち始まりて語りて笑ひてあの頃のわれら」入選の最年少で中学1年の中島君の歌は「文法の尊敬丁寧謙譲語僕にはみんな同じに見える」永田さんや中島君の歌のように素直でのびやかな歌を読めたらいいなと思う時があるが、簡単そうで難しい。私の場合、うまく詠もうという気持ちが邪魔をして、毎回その意欲は一夜で失消滅してしまっている。      
 

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*作家・目取真俊

2018年02月08日 | 捨て猫の独り言

 名護の市長選の結果に衝撃を受けて、その夜は寝付けない。翌朝ブログ「チョイさんの沖縄日記」を開いた。沖縄タイムスの安部記者が書いたコラムが取り上げられていた。目取真(めどるま)俊さんが詩人石原吉郎のエッセー「ペシミストの勇気について」に触発されたという言葉「嘆かず依存せず黙々と」が紹介されていた。

 目取真とは琉球の地名や苗字だ。目取真さんが、辺野古の海でカヌー隊の一人として連日抗議活動に取り組んでいること、そして芥川賞作家であることを、うかつにも初めて知った。1960年沖縄生まれ、本名島袋正、17997年「水滴」が芥川賞、2000年「魂込め(まぶいぐみ)」で川端康成文学賞を受賞している。

 市長選の翌日、上記2冊を借りてきてそれらの短編を一気に読んだ。「水滴は」男の冬瓜ほどに腫れあがった右足から滴る水を、沖縄戦で戦死したはずの兵士たちが夜毎に飲みに来ては壁の中に消えてゆく物語だ。映画化もされたという「風音」は風葬場にある特攻隊兵士の頭蓋骨の二つの眼窩から吹き込む風が、こめかみの穴から抜ける風の音だ。

 「魂込め」は沖縄戦の最中に海亀の卵をとろうとして銃撃で死んだ母親の子が人事不省に陥る物語。会話は沖縄語で表現されている。市長選の悔しい結果が出た日に、この読書にいくらか慰められた。目取真さんのブログ「海鳴りの島から」を知り、さっそくお気に入りに入れた。4日のブログには「逆境の中でこそ真価が問われる。敗因を真摯に反省し、現場での戦いを強めましょう」とあった。

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*2時間ウオーク

2018年02月05日 | 捨て猫の独り言

 2時間も歩くと、散歩よりもウオークと呼ぶのがふさわしいと感じる。思うところあって、この1月から少なくとも半年間は週に2回程度の2時間ウオーク(約10㌔)を行うことにした。コースは玉川上水緑道が中心になる。そのうち飽きが来て、緑道を離れていろいろなコースを試すことになるだろう。

 家を出て玉川上水を東へ、すなわち下流に向かえば、折り返し地点は都立小金井公園だ。退職して玉川上水の観察会に参加するうちに、上水に架かる橋の名を少しずつ覚えた。その数は我が家から上流よりも下流にある橋の方が多い。2回目はこれまで機会の少なかった上流へと歩いた。

 上水沿いにある創価高校、朝鮮大学校、小平西高を過ぎると小川橋に出る。小川橋には立川に向かう幹線道路が走る。そこからさらに上流に小平監視所がある。ここは小平市の最西端になる。監視所から上流はコンクリートの護岸で、監視所から下流の法面は、土がむき出しだから同じ玉川上水でも趣が異なる。つまり羽村の取水口から監視所までが昔ながらの上水道で、ここから下流の玉川上水には清流復活事業により下水処理水が流れている。

 

 監視所から上流は川床には小石が敷き詰められ、多摩川の真水が清らかに流れている。さらに進んで西武鉄道と多摩都市モノレールの玉川上水駅を過ぎると国立音大がある。どこまで行けるか興味津々だったが、千手橋から宮の橋のつぎの金毘羅橋が片道1時間の上流の折り返し点だった。観察会を主宰していた鈴木さんが、だいぶ前に「金毘羅橋にはヒトリシズカの群生地がある」と紹介していた。春分の頃に金毘羅橋の辺りでヒトリシズカを探してみようと思う。

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