玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*2つの旅の計画

2008年11月25日 | 捨て猫の独り言

 旅の計画が2つある。いずれもまだ漠然と思っている段階だ。時期は正月前後と3月末である。やれやれいざ実行となると大変な労力が必要だろうなと先ず思ってしまう。他言することで自らをふるいたたせようとしている。間違いなくものぐさ人間のたくらみだ。

 1つめの計画は青春18キップの旅である。一度もこのキップを買ったことがない。キップを買うことが目的といってもいい。冬季の利用期間は12月10日~1月20日である。まずひたすら九州を目指す。暮れには別府あたりで温泉を楽しみ元旦には両親と雑煮をいただくことができればよい。単独行の予定である。

 2つめの計画は桜の頃のアメリカ行きだ。こちらはぜひ実現させねばならない。2人の孫と約10ヶ月ぶりに会うことになる。たった2ヶ月とはいえ上の2歳の女の子とはそれはそれは濃厚な時を過ごした。一緒に見た庭の小鳥や夜空の満月のことを覚えているだろうか。残していった日本語の絵本などを届けてやろう。どれほど滞在できるかわからないが、また新たな思い出を作れるとよい。 

 ノースカロライナのローリーまでの直行便はない。アトランタ経由にするか、あるいはシカゴ経由にするか。これから調べよう。さて順調にスタートしたかに見えた若い家族の生活はその後の経済状況で万全ではないようだ。まずは仲良く暮らしてくれよ。私たちが訪れる頃は世界はアメリカは日本はどんな変化を見せているのか興味深い。クッジュー セイダラゲイン(もう一回言ってもらえますか)など時々カタカナルビの英会話の本を開いたりしている。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の風景 空・木・人

2008年11月22日 | ねったぼのつぶやき

 晴れた日の秋空の高さと青さは格別に美しい。今朝4時の寒暖計は外気温3度、室温18度を表示していた。新聞取りに出た外はキンと冷たく、仰いだ空にはチカチカと星が煌めいておりしばし眺め入った。

003

 日差しを待って再度庭に降りると、昨夜は風が強かったらしく、庭には落ち葉が散りしだき、残された葉はプルプルと紅葉を震わせていた。数日中に落葉樹は丸裸となり、枝をむき出しにして冬ごもりの準備を終えよう。

 緑道に刺す木漏れ日は落葉を輝かせている。その下を行き交う男児小学生は制服の半ズボンを着用のままだが、女子大生や美大生は完全な冬支度だ。そしてディケアーにお出でになるお年寄りは日毎に着膨れが目立ち、寒さもあって歩行がひとしお覚束ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*彫刻家の平櫛田中

2008年11月18日 | 捨て猫の独り言

 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は岡山に生まれ幼くして大阪の人形師に弟子入りし木彫りの修行をした。その後上京して高村光雲の門下生になる。写実的な作風で日本近代を代表する彫刻家の一人である。木彫界の巨匠として文化勲章も受賞した。その授賞式で天皇から 「何に一番苦心されましたか」 と尋ねられ、「おまんまを食べることでした」 と答えたという。数々のあっけらかんとした語録を残している。

001

 玉川上水の景観に魅かれて60歳を過ぎた頃に隠居所を建てるつもりで小平に土地を購入している。98歳の時に上野桜木町から小平市学園西町に転居して107歳でなくなるまで約10年間を過ごした。小平市はその私邸を保存し広く公開するため1984年に平櫛田中館を開館し、10年後には隣に展示館を新築した。遺族から作品寄贈を受けたことを機に2006年に平櫛田中彫刻美術館として新しくスタートした。入館料は300円だ。

 「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは百から百から、わしもこれからこれから」 と100歳のときに向こう20年間の製作に備えて巨大な彫刻用クスノキ原木を購入し世間を驚かせた。それは現在でも田中館の玄関先に据えられている。今年の10月17日から11月24日まで「仏像に魅せられた彫刻家たち~円空、木喰から平櫛田中、荻原守衛、高村光太郎、そして現代彫刻まで」が開かれている。武蔵野美術大学とのジョイント企画である。美術館学芸員にとっても初の本格的な展覧会なのでその意気込みが伝わってきた。

 田中館は我家からのんびり歩いて30分ほどの所にある。高い木に覆われた玉川上水沿いの途中には津田塾大学や一橋大学国際キャンパスなどがある。記念館は書院造りで方形の大きな屋根が特徴である。アトリエを覗くと良寛上人の石膏像などが置かれている。庭では四季折々の花々が訪れる人の目を楽しませてくれる。たとえば10月つわぶき、12月さざんか、1月つばき、梅、2月は福寿草などである。いつか皆さんをご案内したい場所である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家事が捗る小春日和

2008年11月14日 | ねったぼのつぶやき

 引っ越してこられた娘世代の奥様と親しくしている。小学一年の男の子はかっての長男を彷彿とさせ、Babyはこの間まで我が家を賑わしてくれた孫達と連なる。ほんの2ヶ月間ではあったが一緒によく遊んでいた。

008_2

 庭先で作業をしていると、子守りがてら彼女が覗き込んでくる。最北端と南端の出会いで世代が違うせいもあるのか、彼女は何かと珍しがる。料理法を教えて上げたズイキは初で美味しかったと言い、次回は干すばかりにして差上げた。ウラウラと暖かいこんな日々は家事がはかどる。「あんなに欲しかった芋がらがここにも!」近くの野菜スタンドで見かけツィ又も買い足してしまった。

 せっせと皮むきに励んでいると「出来上がったので料理したら、夫も初めてと喜んで食べた」と報告があった。4束を彼女と半分わけし「今夜は生物の料理を上げるね」と約束した。きれいなピンク色に仕上がった芋がらの「酢の物」を届けるとその変色ぶりに「エーッツ」と声をあげ目を見張っていた。人が喜ぶと私も嬉しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*彼の国と此の国

2008年11月11日 | 捨て猫の独り言

 ジャッキー・ロビンソンが大リーグ初の黒人選手としてデビューしたのは1947年だった。それ以前の大リーグは白人だけの世界。黒人選手は自分たちだけのニグロ・リーグでプレーするしかなかった。さまざまな長い歩みを経て、米国初の黒人大統領が誕生した。オバマ氏は47歳である。

 共和党の大統領候補選挙が始まった頃に私は初の女性大統領候補誕生を予想した。先ずは女性で黒人は時期尚早かと思った。金融危機、イラク戦争終結などの状況が味方したともいえる。そして期待が一気に失望に変りかねない困難な状況は相変わらず続いている。とりあえず肌の色という壁をひとつ乗り越えたアメリカの人々に敬意を表したい。

 くらべて日本の政治状況は混迷の度を深めている。久しぶりに日本の政治は三流という言葉が思い出された。大統領制と異なり議院内閣制だからという逃げ口上は聞き飽きた。権力維持に汲汲としている。景気政策の目玉として出された政策が定額給付というお粗末なものだ。しかも実施に当たっての修正が相次ぎ閣内も不一致である。与党内からも首相はぐらついて見苦しいとの批判の声が出始めている。

 定額給付は税金を使った自民党の選挙運動とみる有権者も多くなってきた。いつ衆議院の解散があってもおかしくない状況が続き与党議員でさえ苛立っている。麻生(68歳)首相はハッピ姿で商店街に出没したり、酒場で学生と飲み交わしたりパフォーマンスに精出している。学生と話すならば熱く政治を語れ。相変わらずコミックの「ゴルゴ13」の話題ばかりで間が持てなかったのか予定を1時間も早く切り上げ、その後ホテルのバーで飲み直したという。政局より政策という掛け声さえも空しい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ど~んと届いた農産物

2008年11月09日 | ねったぼのつぶやき

 山芋、大中小取り混ぜた布袋一杯の里芋、さつまいも、根深ネギ、水菜、ぬかご、冬瓜に今年は新米迄加わった。週末農民から半農民化した弟が今年も収穫物を泥付きのまま車に積み込んでやって来た。

005

 一度訪れたことのある広い畑の他に、田圃も(3人共用で2反部)加わって取り分は30Kgだったらしい。懇意にしている農家がミカンの木毎の契約制度にしたといい、大きなビニール2袋分も加わって当分のフルーツはミカンで間にあわせよう。

 独身時代難病を患い家族中が心を痛めた彼が、早々に片目の義眼と総入れ歯にせざるを得なかったのは40才前だったろうか。今では一番元気で山に登り運転もスイスイだ。「この人は疲れを知らない」と妻はいい、3人の子供に「メロンか何かを植えてよ!」と文句をつけられているらしい。そんな弟が作った農産物はいつも私に感謝と喜びをもたらしてくれ、包丁を握る手にもリキが入る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*テレビで故郷三昧

2008年11月05日 | 捨て猫の独り言

 先週は普段はあまり見ない鶴瓶の家族に乾杯を見た。ゲストは仮屋崎省吾で舞台は鹿児島県日置市だった。李朝陶芸の伝統を伝える薩摩焼の14代目沈壽官も登場していた。鹿児島にはいたるところに温泉がある。ドライブイン代わりに温泉で一休みする人々は多い。以前温泉に目が向かなかった自分が惜しまれる。2日の日曜日はBSで 「おーいニッポン~私の好きな鹿児島県」 の6時間におよぶ生放送があった。

 ゲストの一人に俳優で画家の榎木孝明(52)がいた。榎木は鹿児島県北の盆地にある菱刈町の出身である。昨日より大口市と菱刈町が合併し伊佐市としてスタートしたと榎木が教えてくれた。毎月のように鹿児島を訪れているという。何らかの事情でもあるのだろう。我が家の近くにある武蔵野美術大学デザイン科出身である。北海道美瑛町、大分県九重町、鹿児島市にアートギャラリーを持つ。特技は古武術という。オフィシャルサイトの 「介護に活かす古武術」 という動画は興味深い。猫背の私は番組で見る榎木の背筋の伸びた姿勢に感服していた。

 午前11時から午後6時までのマラソン番組の途中に4時間ほど外出した。帰宅してテレビをつけると作曲家吉俣良(49)の編曲による360人の大合奏で鹿児島県ゆかりの曲が流れていた。吉俣は横浜市立大学在学中に美空ひばりのバックバンド(キーボード担当)の経験がある。大河ドラマ篤姫のテーマ音楽を作曲したのが吉俣である。私はその中の「良し」が好きだ。おーいニッポンは24日(振替休日)の3:30からダイジェスト版が放送される。

 故郷に注文した焼酎が箱で6本届いた。家の裏にはこれまでの箱が山と積まれている。今回は朝日(喜界町湾)、奄美(徳之島亀津)、里の曙(竜郷町大勝)の黒糖焼酎3本と、島美人(長島町平尾)、霧島黒(都城市下川)、小鶴黒ヌーヴォー(日置市日吉町)の薩摩焼酎3本であった。さつまいも(コガネセンガン)の収穫期であるこの秋に仕込んだ焼酎だけを瓶詰めした季節限定の焼酎ですと小鶴のラベルにはあった。お礼の電話をしたら両親もおーIいニッポンを見たという。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする