玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

春爛漫の公園の風景

2007年03月31日 | ねったぼのつぶやき

 _006 小寒い日々に咲き淀んでいた桜が一斉に開花した。近くの公園はこの数日で満開になり、桜のトンネルが出来た。春休みになって遊びに興ずる子供達と、花を愛でる大人たちで公園は賑わい、その中を急ぎ足で職場に向かった。

 デイケアにお越しになったお年寄りと、今度は桜のトンネルをユックリ散歩した。いつにも増して何度も立ち止まり、振り返り、写真撮影をする。昨年もそうだった。この1年の内に少なからぬ人たちが入れ替わった。通所不能。施設入所。入院。死去。理由は様々。桜の花を愛でながら「来年も来れたらいいね」と祈りににてそう思う。

 帰り道、2人の中学生がギターの練習をしていた。「聞かせて頂戴」の言葉にハニカミながら、「上手く弾けませんケド・・ 」と弾いてくれた。孫、ヒョットしたらひ孫ほどの年齢の子供達の演奏は、殊更にお年寄りを喜ばせる。彼らにもメッタになかろう機会。私達が引き上げた後一体どんな会話を交わしたろうか。

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*子供達だけで行けた

2007年03月30日 | 捨て猫の独り言

 春休みの大冒険は終わってみれば何でもないことでした。世田谷から小平のオジイチャマとオバアチャマの家まで初めて子供達だけで行くことにしました。私達は年の違う姉と妹のように見えますが小学2年生の双子の女の子です。私は子供だけで電車に乗ることを心配なんかしません。体の大きなお姉ちゃんは少し心配していました。京王線の仙川の駅までママに送ってもらい、府中駅で降ります。調布や一つ手前の東府中で降りないようにとママに注意されました。

 府中駅を降りるとすぐお姉ちゃんがケータイでママに報告しました。北口改札口に行くとオジイチャマが手を振っていました。30分近く待ったそうです。「ジジに会ってからママにケータイすればよかったのに」 とオジイチャマは言いました。次からのためにと国分寺駅南口行きのバス乗り場までの行き方を2回練習をしました。オジイチャマはPASMOを見て感心していました。切符を買わずにバスでも電車でも読み取り器にタッチするだけで乗ることができます。「デンシャモバスモ~PASMO」 のコマーシャルを教えてあげました。

 バスは後ろから乗ってタッチして、前から降りるときにもう一度タッチすることになっていました。仙川のバスは前から乗ってタッチは一度だけなのに何が何だかわかりません。バスは子供料金で110円ですが春休みの特別料金で50円でした。ただし現金のみと赤字で書いてありました。オジイチャマは慌てて 「PASMOは使わない方がいい」 と言いました。タッチしないで降りました。オジイチャマはこれで大丈夫かなと乗った時のタッチがいつまでも気になるようでした。

 国分寺駅からは西武線で鷹の台駅まで行きます。キップはオジイチャマが前もって買っていたのでここでもPASMOは使いませんでした。玉川上水の踏切が見えてきました。この駅からは自分達で家の玄関まで行くことができます。もう3年生になったから300円もらって貯金箱に入れました。明日の分の300円を絶対忘れないようにします。大学生になったら千円です。オバアチャマと一緒に畑の菜を取っておひたしを作りました。思ったとおり夜ごはんはいつもの手巻き寿司でした。 

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かって 今 20年後

2007年03月26日 | ねったぼのつぶやき

 連夜、TVでフィギィアスケートを楽しんだ。ハラハラ、ドキドキしつつ酔いしれたと言った方が適切だろうか。20才に届くか届かぬ年端の乙女、青年達がかくも大勢の聴衆の前で、日頃の練習の成果を一発勝負で披露する。氷上で難度の高い技をこなし優雅に滑りながら舞う。TVの前の私も聴衆同様にたじろぎもせず見詰めた。栄冠に輝く彼らの顔は輝かしい。

070320_026

 「かって」の私達はお稽古どころではなかった。お手伝いが主で長じて自己学習による勉学、親の懐具合、もしくは奨学金をアテにした進学が関の山だった。同時代に育った仲間も似たり寄ったり。それゆえに、時代を同じくした仲間とのお付き合いは、お互いの「かって」が知れていて懐かしく響き合え、お互いを慈しみあえる。

 「今」一方では、紛れもなく20年後はこの年齢になっているであろう人々とも接している。実は自分の親は身近かすぎてこうはいかずイラダツ事も多かった。第3者として接していると客観的に看れる。彼らはこれから私達が向きあわなければならない「20年後」を日々生き、多くのことを学べと言っているようだ。

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*断食願望

2007年03月25日 | 捨て猫の独り言

 この3月は卒業式があり、その後で保護者との最後の簡単なパーティがあった。その翌日から3年生の担任グループで那須高原へ2泊3日の温泉旅行に出かけた。バイキング方式だからどうしても食べ過ぎてしまう。学年末の採点期間中だからこれは特異な計画だった。

 3月のある土曜日の終業式で生徒に挨拶した。つぎの月曜日は中高合同職員会議で退職のスピーチをし、夕方には高校食堂で退職者を送る会というパーティがあった。その翌日は、前々から決まっていた高校の同窓会があった。千葉の新浦安の個人宅に出かけた。はるばるカナダや鹿児島や神戸からの参加があり男子8名女子6名であった。散会後に私はこの家のあるじと碁を打ってほぼ徹夜状態であった。翌日同じ同窓会のメンバーは館山の保養所に投宿し同窓会は継続された。残念ながら私だけこの日は帰宅し、翌日学校に出て最後の仕事をし、その夜の数学科の送別会に出席した。

 しばらく参加していて今では活動していないソフトボールチームや今年度限りでで休会処置をとることになった囲碁クラブの送別会があり挨拶した。職場でのこのような親睦団体が姿を消しつつある。明日の学園主催の食事会で公式行事はすべて終了する。

 この3月のようにいろいろな事が重なりすぎると、思考がまとまらなくなる。自分が拡散していく感じで気持ちは不安定になるようだ。ふと考える。今後年老いて知ることがあるとすればそれは何なのか。3月の飽食の中でもがいている。今日のNHKのラジオ深夜便で芭蕉の 「さまざまのこと思い出す桜かな」 が紹介されていた。どうってことのない句のようだ。今朝は恵みの雨になった。ここらの桜はまだ蕾は固い。

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*意外な反応

2007年03月18日 | 捨て猫の独り言

 その朝の学校の前庭は冷え込んだ。学年末の高校終業式も終わりの頃に退職の挨拶した。一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ方式の挨拶を用意していてよかった。この寒さでは聞かされる方はつらい。

 私の前にセントポールズ高校(アメリカ)からの男子留学生のお別れの挨拶があった。一年間日本で暮らした。日本人の本音と建前の文化についてのコメントがあり建前がコミニュケーションを駄目にする場合があるという鋭い指摘があった。

 それを受ける形で私の番になり少しだけ余計な言葉が入った。生徒の皆さん、同僚の先生方、職員の皆さんの後に、「私は本音で申し上げたい」が急遽入ってこの学校の教師であって幸せでしたと続けた。33年にはヘー、非常勤で来ますにはナーンダと反応する。短さにおいては好評だろうと考えていた。

 この日数学科の部屋には高校2年生の大部分が春休みの宿題プリントを受け取りに来ることになっていた。そこでは今朝の私の短い挨拶について何人かが向こうから話してきた。「この学校の教師であって幸せでした」 と言う文句にぐっと来たとか、感動したとかおっしゃる。今日の先生はカッコよかったよ。これほど効果的とは予想していなかった。なるほどこういうのを殺し文句というのであるかとその時に気付いた。この古くて新しい秀逸なワンフレーズをご教授くださった方にこの場を借りてお礼申し上げる次第である。

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千代紙で番傘を折る

2007年03月17日 | ねったぼのつぶやき

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 デイケアーの日課は午前10時頃までに全員が集まり一服、バイタルチェックをした後、小1時間散歩をする。昼食後の4時までは利用者者さんの趣向に沿ってメニューは決める。趣向と言っても男女、年齢、好みは様々だから一様にはゆかず、グループが分かれることが多い。

 利用者さんは概して女性が多いので、手先を使うちぎり絵、折り紙、小物作り、脳トレのパズルや4時熟語探し、いろはガルタや百人一首などが多い。職員は介護福祉士、ヘルパーが主で、皆さん仕事熱心な上器用な人が多く、細かに根気強く教えている。必ずしも職員が教える側ばかりではなく、教わる事もある。

 先日は番傘作りに私も挑戦した。折り紙は限られた面を折ったり、開いたり、重ねたりだから1つづつの作業を丁寧にしなければ折り上がりが決まらない。「アレーッ、ソウダ、コウカナー」と眺めすかしつつ進め、ヤット出来上がった。柄を固定して上げ下げすると見事に開閉する代物で、何とも可愛らしい作品が ”ハイ 出来上がり !” どなたの顔もほころんでいた。

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「春」花のある生活(2)

2007年03月14日 | ねったぼのつぶやき

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 暖冬といいながらここ数日は寒い日々が続いた。夕方になると特に冷え込む。こんな日に花いじりせずとも数日待とうと鉢取りに行かなかった。思えばその間に私の期待値が勝手に高まっていたのだろうか。3~4日後に受け取った我が鉢には少々ガッカリした。

 その店にはいつも見事にしつらえられた寄席植えの鉢が沢山於いてある。鉢丸ごと求めたいとシバシバ思っていた。しかしそういう訳にも行かないので、注文は付けずお任せしたのだった。「これから楽しめる花を入れときました」と店主は言ったが、ヤッパリ「隣の芝生は青い」のだろうか。

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 「畑の砂をいれてはいけない」「使うなら赤玉を混ぜて使いなさい」とかアドバイスを受けてそれはそれで有難かったけれど・・。それに比べると木々の花や、地植えの花は地味ではあるが水遣りをしなくとも、栄養補給をしなくとも時期が来れば自然に芽吹き、忘れかけていた時節をさりげなく教えてくれる。

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*卒業生に贈る言葉

2007年03月13日 | 捨て猫の独り言

 卒業おめでとうございます。私がこの三年間を通して一番考えていたことを告白します。それは皆さんに気働きのできる人になって欲しいと言うことでした。心遣いとか気配りという言葉よりいい言葉だと思いませんか。

 最近私の周囲では高校時代の同窓生との交流が盛んです。途絶えていた交流がこのころになって急速に復活したのでした。不思議に強固な心地良い連帯感を味わっています。

 成蹊の良さはいろいろなタイプの人間が存在することです。ハシャグひともいればヒッソリする人もいる。部活に明け暮れる人もいれば何処かで何かをやっている人もいる。カリキュラムは幅広く卒業後の進路も幅広い。皆さんも、いつの日かこの三年間を懐かしく振り返る時が来るでありましょう。

 私も皆さんと共に卒業します。生涯最後の担任でした。次の舞台の風景は、皆さんと私とでは全く異なります。さてさて新たな楽しい思いで作りに向かって、それぞれ元気に出発することといたしましょう。

 <終業式の一、二年生への挨拶は短く>

 おはようございます。数学科の吉田です。今年度限りで定年退職します。成蹊に来て33年になりました。四月から一年間は非常勤として来ます。生徒の皆さん、同僚の先生方、職員の皆さん、この学校の教師であって幸せでした。長い間ありがとうございました。皆さんもお元気で。

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「春」花のある生活(1)

2007年03月11日 | ねったぼのつぶやき

 珍しく居間のテーブルに花束が飾られている。最後の担任をした卒業生を送り生徒さんから戴いて来たものだ。我家にはその花束を活けるに相応しい適当な器がなかった。無地の陶器製で腰高の鍋に活けてみた。スッポリきれいにはまるのだが花のほうが重く、茎の先端が水から浮き上がる。小ぶりな器で押さえとし、角度を変えて置くとそんな細工は微塵も見えずきれいに仕上がった。

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 2年前私自身の退職の時は、固辞したにも拘らず「恒例だから」との理由で送別会をしてもらった。その際抱えきれないぐらいの花束を頂きタクシーで持ち帰った。その夜はタライに水を張って水遣りし、翌日1日がかりで小さなコサージュに作り変えて、参加してくださった方にお礼の挨拶をし差し上げたのを思い出す。

 花のある生活は確かに美しくきれいだ。がその裏には、その美しさを愛でるための手入れや苦労(楽しみ)が隠されている。私自身は紛れもなく実務的な人間でその種のマメさに於いては大いに欠点がある。そんな理由で花よりも手入れは年に数回で済む木々の方が相性がいい。松の木すら自分でヤッツケル。長年の経験で腕前はプロ級だと自身では思っているのだが・・。

 それでも春先になると玄関先には何らかの花が欲しい。この時期いつもガーデニングの店に立ち寄り、1つ1つ花を選定し鉢に寄植えして楽しんでいるのだが、昨日はヤヤ大ぶりの鉢を店に預けてお任せしてみた。別の鉢にはそこにない花を植えるとしよう。仕事の帰り回って戴く事になっている。サテサテどんな寄植えになっていることだろうか。

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仏前の菜の花が伸びた

2007年03月08日 | ねったぼのつぶやき

 我が家の仏壇はお盆仕立ての簡便なものだ。小さな写真立てに揃って両親が普段着で納まりその前にガラス碗に線香を立て、お茶とほんの少しご飯を盛り、季節の花を飾る。毎朝お茶を代え手を合わせる。

 桃の花の飾りを終え、春の花に菜の花が加わった仏さん用の花に代えた。数日のうちに菜の花だけがズンズン伸びて来て、他の花とのバランスが取れないと思っているうちに、伸びすぎて途中から折れてしまっていた。

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 今まで色んな花を挿しているが、蕾が花開くことはあっても、茎まで伸びるといったことがあったかしら?ともかくその生命力には驚かされる。片隅の菜の花も花芽を出し始めた。程なく黄色の花で彩ってくれよう。若い花芽は柔らかく美味しいのでセッセと摘んで辛し和えでも作り生命力をいただこう。

 実はお盆仕立ての脇の開き戸には仏壇棚をしつらえてあるが、そこは卒業証書や免許証など学業関係の物入れになっている。又、その近くには家族のアルバムもしまっている。思えば実家でもそれらは仏壇の下に仕舞われていた。仏壇周辺は重要な場所で、御先祖様とその子孫を結びつける「要の場」といった意味合いがあるように思う。

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