玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*小説・伊豆の踊子

2022年06月30日 | 捨て猫の独り言

 先日の旅行で、下田港の岸壁に「伊豆の踊子」の小さな案内板が建っているのに気づいた。その案内板の前で雨宿りをしたことを思い出す。踊り子の時代はここから霊岸島(隅田川河口・中央区)まで定期船が出ていた。「はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊り子が白いものを振り始めた」

 私が最初に人の別れの切ない感情を覚えたのは、南の島の出船の時だったような気がする。はしけの時代のあとの話だが、合図の銅鑼がなり岸壁から汽船が離れだし、五色のテープが飛び交い、たがいに呼び叫ぶ歓声が起き、蛍の光がいやがうえにも人々の感情をたかぶらせた。かなり後になって、青函連絡船が運行されていた北海道の旅でも似た想いをしたことがある。

 

 伊豆の踊子では「鳥打帽」と「一高の制帽」がキーワードだ。峠の茶屋の婆さんは一高の制帽姿の私を「旦那さま」と呼び旅芸人たちを「あんな者」と呼ぶ。身分制度の名残りがまだ色濃く残っていた。だから私は湯ケ野で鳥打帽を買い、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んで旅を続けた。

 しかし、いい時代でもあった。土方風の男がはしけに乗ろうとする私に近づいてきて、「学生さん、あんたを見込んで頼むんだがね」と言う。「孫を三人もつれた婆さんを、霊岸島に着いたら上野へ行く電車に乗せて欲しい」と頼む。「五六人の鉱夫が婆さんをいたわっていた。私は婆さんの世話を快く引き受けた」

 

 

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*芒種から夏至へ

2022年06月27日 | 玉川上水の四季

 関東地方には芒種の初日6月6日に梅雨入り宣言が出た。今年の梅雨明けはいつになるだろうか。例年だと7月20日前後という。明日から夏至だという6月20日に玉川上水沿いを上流に向かって歩いた。自宅近くの緑道のど真ん中にあるナラ枯れしたクヌギの大木の撤去作業に出会った。作業は通行人をときどき止めて行われていた。

 緑道で出会うのは群れ咲くアジサイ、ヒメジオンそれにホタルブクロ、ノカンゾウなどだ。いつも通りひと気のない金毘羅神社の境内にはハギ、クチナシの花がひっそりと咲いていた。帰路も大木の撤去作業は続いていた。とても蒸し暑い日で、びっしょりぬれた肌着を急いで脱ぐ。この日の歩数は15000で、久しぶりに大汗をかいた。

 

 小平生まれの鈴木忠司さんの、芒種のパンフレットを取り出して眺めてみた。「芒種の芒(のぎ)というのは、稲などの穂の先についているトゲの部分を指します。芒種とは、この芒がある穀物の種子を播く時期の意味です。昔から、小平では田植えなどの光景に出合うことがなく、むしろ、麦刈りと梅雨入りが記憶に強く残っています」

 

 そして鈴木さんは、ムラサキシキブの秋の「紫の実」だけではなく、この芒種の時期の「花」にも注目すること勧めている。拡大鏡を片手に我が家のムラサキシキブを観察して、「花は四弁で中心には四つの黄色い雄花があり、雄花の横から一本背の高い雌花が伸びている」という鈴木さんの解説を確認した。

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*湯畑から西の河原へ

2022年06月23日 | 捨て猫の独り言

 旅の2日目は快晴に恵まれる。なにはともあれ白日下の湯畑に出かける。ホテルから15分なので徒歩にて行く。二次元の地図では体得できないのが地形の高低である。湧き出る熱湯を木製の桶に掛け流して湯の華の採取や温度調節をする。その湯畑の斜面は南から北に向かって落ち込んでいた。そして湯畑の北端から東には「滝下通り」がのびている。

 

 ひょうたん型に仕切られた湯畑と、その周辺の「遊歩といこいの場」は岡本太郎が全体デザインを監修したという。瓦を埋め込んだ歩道や壁画は目新しい。また湯畑を囲む石の柵には、訪れた著名人百人として源頼朝、日本武尊、行基菩薩などの名が刻まれている。頼朝という店の温泉卵を広場で食した。

 

 湯畑の北端から西へは、「西の河原通り」がのびている。温泉まんじゅうや漬物、ガラス細工の店などがたちならびゆるやかな上りが続く雰囲気のある通りだ。その先にあるのが「西の河原公園」である。ここも源泉の一つで大露天風呂がある。荒涼とした河原には足湯があちこちにある。足湯につかっていると上着を脱ぐぐらいの陽気だ。

 

 旅の途中や後で知ったことが多々ある。ホテルの前の幹線通りは「ベルツ通り」という。草津にはベルツ記念館もある。明治政府に召喚されたドイツ人医師で草津温泉の泉質と環境を広く世界に知らしめたという。また長野原草津口駅は、あの「八ッ場ダム問題」による線路の移し替えなどにともない2013年に新駅舎が完成した。 

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*草津温泉

2022年06月20日 | 捨て猫の独り言

 江戸時代の温泉番付には、東西の大関に「上州草津の湯」と「摂州有馬の湯」の名が見えるという。江戸初期には草津に湯屋(宿)が60軒もあったと伝わる。大勢の庶民に難儀な山奥の温泉場まで足を運ばせたのは驚異的な「温泉力」、湯の効き目だったろう。

 上野発の特急「草津3号」に乗車、高崎の先にある渋川まで1時間20分、そこから我妻川沿いに終点の長野原草津口までさらに1時間かかる。その先はJRバスで標高1200mにある草津バスターミナルまでは約30分である。今回も2泊3日の旅だった。

 草津のいくつかの源泉から湧き出るお湯の量は日本一という。名物の「湯もみ」とは高温の湯を泉質を落とさずに冷ますためのものだ。チェックインして待望の草津の湯につかる。かぶり湯を30杯という。かすかに塩っぱく、硫黄の香りがする。

 夕食後にホテルのシャトルバスで「湯畑」の散策に出かける。幸運にも朧月夜だった。湯畑は温泉街の中心部に湧く源泉である。囲いの内側にある湯桶から湯気が立ちあがる夜景は幻想的である。湯畑に面して、あれが十返舎一九が滞在した「山本館」その奥にあるのが「奈良屋」である。

 

 

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*小説・野菊の墓

2022年06月16日 | 捨て猫の独り言

 難渋した「たけくらべ」と違って、短時間で一気に読み終えた。正夫の2つ上の従妹の民子が死んでしまう。正夫の母が「民子は私が手をかけて殺したともおなじ。どうぞかんにんしてくれ正夫・・・私は民子のあと追ってゆきたい・・・」

 「私は正夫・・・民子にこういったんだ。正夫と夫婦にすることはこの母が不承知だからおまえはよそへ嫁にいけ」母はもうおいおいおい声をたてて泣くばかり。ここまで読み進むと私の中に、いつもは経験したこともない感情がわき起こって始末に困った。(東村山市の北山公園の菖蒲祭り)

 

 母の計らいで、二人だけで遠くの山に実った綿を摘みにでかける。山にはタウコギ、水蕎麦、蓼、都草、春蘭などが生え、野葡萄やあけびが実っている。そばの花が薄絹をひきわたしたように白く見える。「しかし民さんが野菊で僕がりんどうとはおもしろい対ですね。ぼくはよろこんでりんどうになります」

 小説の書き出しは「後の月という時分がくると、どうも思わずにはいられない」である。十三夜と十五夜について調べた。陰暦の8月15日=十五夜=中秋の名月=今年2022年9月10日でこれは中国由来だ。後の月=陰暦の9月13日=十三夜である。この頃の方が天候も安定して、日本人は満月の直前を愛でたようだ。木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」を見たというおぼろげな記憶がある。

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*小説・たけくらべ

2022年06月13日 | 捨て猫の独り言

 樋口一葉の「たけくらべ」、伊藤佐千夫の「野菊の墓」、川端康成「伊豆の踊子」の文庫本を借りてきた。これらは純愛物語として名高いのだが、これまで読んだことがなかった。この順に読むことにして、最初の「たけくらべ」で躓いた。

 

 同じ明治時代の擬古文でも夏目漱石の作品より読みずらい。やさし気な、ひらがなの題名にも惑わされたようだ。文がいつ終わるとなく読点「、」だけで続き、最後の最後に句点「。」一つで終わるというような章が続く。般若心経を読むような感じである。

 ところどころに*印のついた語句があり、そのつど後ろにある「注解」をめくる。辛抱して読むうちに少しずつ文体に慣れていった。それでも一字一句を読みつくす根気はなかった。だからであろう何人かによって「たけくらべの現代語訳」が出ている。

 収穫は樋口一葉の人生を知ったことだった。貧困にあえいだ一葉は晩年の一年に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を発表し結核のため24歳で亡くなっている。これは「奇跡の一年間」と呼ばれているそうだ。

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*物語の世界へ

2022年06月09日 | 捨て猫の独り言

 飲酒しない日はないが、読書しない日が続いた。すぐに目が疲れてしまうのが主な原因だ。しかし眼で活字を追わないことにもそろそろ飽きてきた。凡人には何事か一つのことに集中して、それを持続することなどできないものだ。(6月になるとハギが咲いた)

 

 私の読書傾向は、これまで随筆や評論の類が多かった。それにもまた飽きたので読むなら物語(小説)にしようと考えた。それも長編でなく短編か中編がよい。私の歳に相応しいテーマで、あまりにも知られているのにいまだ読んだことのなかった川端康成の「眠れる美女」と谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」を読むことにした。

 エログロナンセンスをデカダンにまで昇華させたいう文豪の技とはこういうものかと感心する。川端は一休禅師の「仏界は入り易く、魔界は入り難し」の言葉をよく揮毫したという。「眠れる美女」も美女に導かれての魔界巡りといったところか。

 「瘋癲老人日記」はカナ書き日記体でやや読みずらい。77歳になる督助は息子の嫁の颯子(さつこ)の足の拓本をつくり、それを仏足石にかたどって墓石にし、その下に骨として眠ろうと計画し実行する。ついでに随筆の「陰翳礼賛」を読んだ。暗がりの中に美を求める傾向が東洋人にのみ強いのはなぜであろうかと問うていた。  

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*新聞切り抜き

2022年06月06日 | 捨て猫の独り言

 古新聞(朝日)の回収日が近づくと、あわてて切り抜き作業が始まる。いつもはスポーツ面にまず目が行き、4コマ漫画から社会面へと流し読みする。むしろ切り抜き作業のときのほうが読みふけることが多い。日曜の歌壇・俳壇では私の知る郷土・鹿児島の二人の作品が最近掲載されていない。

 

 夕刊に5月16日から野上隆生記者の5回連載の「命かがやけ!大浦湾」があった。当初は見逃がしていた。作家の目取真俊氏や大浦湾周辺で生活する人々が登場する。防衛省は環境保全措置として珊瑚の移植を行っているがつぎつぎに死滅しているという。欺瞞の移植が空しい。

 一面の「折々のことば」にも注目している。例えば4月27日「節制も勇敢も過重と不足によって失われ、中庸によって保たれる(アリストテレス)」のあと鷲田精一の170文字の文章が続く。それを伏せて自分だったらどんな文章を添えるかを考える。自分では何も浮かばず、ただ鷲田氏の学識の広大なるを知るばかり。

 編集委員の高橋純子の月一度の「多事奏論」も切り抜く。「歴史を振り返っても当世を見渡してもこの国のブレーキは大変に利きが悪い。答えを急がず、歴史を参照し、異なる意見を聞きながら迷ったり悩んだりする姿勢こそブレーキの役割を果たす。その姿勢を崩さぬ人はきっと、愚鈍な臆病者とそしりを受けるだろう。結構毛だらけ、私はそんな臆病者として生きたい」

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*人工授粉

2022年06月02日 | 捨て猫の独り言

 カボチャの苗を一つ買ってきて植えた。キュウリの花が咲くとモンシロチョウが毎日飛んで来る。トマトもキュウリもほっておいても実をつける。カボチャはそうもいかないようだ。カボチャには西洋と日本の2種類あるという。ところが買ってきた苗がどちらなのか判然としない。親ずるにつく雌花を育てるという。親ずるは摘心して、子ずるは伸ばすと図で解説してあるがよく理解できない。

 つるを摘む作業などの前に花が咲いた。人工授粉しようと思ったが花は一つだけで受粉させようがない。何日かのあとで花が同時に二つ咲いた。勢い込んで受粉させた。昨日の大雨のせいかと思ったが様子がおかしい。雄花と雌花を取り違えて作業していたことに気づいた。その瞬間にストレスは最高潮に達した。(間違える前の雌花と雄花の記念撮影)

 

 専門家にじかに教えを請いたいのだが、カボチャを栽培している畑地は近くにはない。この先再び花が咲いてくれるかどうか。ごみだめに捨てた種から多数カボチャの芽が出てきた。その中の双葉を一つだけ残しておいた。買ってきた苗に遅れて、その横で順調に育っている。この予備のカボチャにも期待しよう。

 解説書には「実にまんべんなく日光が当たり、全体が均一に生育して緑に色づくように、ときど実の座りを直したりする<玉直し>を行います」とある。つるは斜めに少し浮かした細い一本の棒に這わせている。実を地べたにおくわけにはいかない。藁は手に入らないだろうから、敷物はマルチと考えている。はたして今後玉直しができるまで、たどり着けるか悲観的だ。

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