玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*目黒駅から田町駅へ

2016年04月28日 | 捨て猫の独り言

 たまには都心に出かけてみようと思い立った。美術館巡りなどでなく歩け歩けの街並み探検だ。曇り空の23日の土曜日に出かけた。行き先は出かける直前に決めた。分厚い地図帳から行き先部分の2ぺージをコピーして予定コースに印をつける。JRの目黒駅から田町駅を目指して歩くことにした。遅まきながら目黒駅は品川区の上大崎にあり、山手線の内回りは反時計回りであることなどを確認する。

 まずは目黒駅の近くにある「庭園美術館」に入る。庭園は一部整備工事中だった。そこの本館(旧朝香宮邸)の玄関ホールは覗いた価値があった。目黒通りを歩き、途中にある「八芳園」の中に立ち入り駐車場スペースをぐるりと回り、今回の主な目的地の一つである「明治学院白金キャンパス」にたどり着く。そこの正門では「明治学院文化財ガイドブック」という立派なパンフレットがもらえた。

  

 正門からはすぐ小さな坂になる。その坂をはさんで左に礼拝堂、右に明治学院記念館という眼を見張るほどの風景に出会う。江戸時代末期に来日しヘボン式ローマ字で知られる米国の宣教師ヘボン博士が横浜に塾を開設したのが明治学院の起源だという。ヘボン博士の胸像や島崎藤村の校歌碑があった。校歌碑にはあえて1937年という西暦年号が彫り込まれてある。昭和12年のことだ。

 

 国道1号線(桜田通り)沿いの明治学院を後にして、高輪の「泉岳寺」の「赤穂義士墓」に初めて参る。国道1号と第一京浜に挟まれた通りにある伊皿子(いさらご)坂を上り、聖(ひじり)坂を下る。遅い昼食となったが、体力が回復した後に「慶応義塾三田キャンパス」を訪ねた。ここには福沢諭吉と小山内薫の胸像がある。西郷隆盛と勝海舟が江戸開城で会見した薩摩屋敷跡地は田町駅のすぐ近くだった。

 

 

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*手づくり郷土賞

2016年04月25日 | 玉川上水の四季

 市報(4月20日号)によると「小平市グリーンロード推進協議会」が国土交通大臣表彰の第30回「てづくり郷土(ふるさと)賞」を受賞した。グリーンロードは小平市をぐるりと囲むように一周している緑道だ。玉川上水緑道9キロ、狭山・境緑道6キロ、野火止用水緑道6キロのおよそ21キロである。協議会は平成10年に設立されている。

 現在84人の会員が5つの部会に分かれ、草花の手入れやブロンズ像の管理、市内のイベントでのグリーンロードのPRなどを行っている。ほたるの夕べや灯りまつりや収穫祭などのイベントを主催するとともに、自然と潤いのある街づくりを目指し、オープンガーデン事業の推進も行っている。5つの部会の一つの部会が管理しているのが商大橋から桜橋までの玉川上水沿いの自生野草の保護ゾーンだ。我家から近くにあり、早春の時期ここに自生しているヤブカンゾウをお浸しにして食することを教えてくれたのはオープンギャラリーの鈴木さんである。

 

 狭山・境緑道は多摩湖から境浄水場までの水道管を敷設した道路を緑化したものだ。東大和市から西東京市までの10.5キロの自転車・歩行者専用道路が一直線に伸びている。小平市内の狭山・境緑道には多くのブロンズ像が設置されている。この機会に作者について調べてみた。それは小平市に30年ほど住んだ彫刻家の斎藤素巌(そがん)(1889~1974)だった。代表作に兵庫県の湊川公園の「大楠公像」、赤坂の高橋公園の「高橋是清翁像」があるという。

 

 じつは協議会は平成21年度の「地域づくり総務大臣表彰」を受賞している。その時も市報で報告記事が出た。その切り抜きを私は保存していた。代表として表彰式に臨んだ鈴木さんの写真が掲載されていたからだ。記事には二枚の写真があり、一つは式典終了後の会場で撮影したスーツ姿の男性二人の写真で、もう一つは表彰状の写真だった。表彰状の日付けは平成22年1月12日で総務大臣名は原口一博とある。鈴木さんがギャラリーを開設した翌年のことだ。

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*四苦八苦

2016年04月18日 | 捨て猫の独り言

 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 これは良寛さんが親しい人へ宛てた地震見舞いだという。自然の摂理というものをわきまえて心を定めていることが災難というものをのがれる唯一の方法ということだろうか。地震災害の発生の時や、海の見えない巨大な防潮堤建設問題の時に私は良寛さんを思い浮かべる。

 四苦八苦とは仏教の苦の分類だ。「生老病死」の四苦と、それに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」を加えた八苦である。ここで「苦」とは「苦しみ」のことでなく「思うようにならないこと」を意味するという。「生苦」とは生きていることは自分の思い通りになることよりも、自分の思い通りにならないことがはるかに多いという指摘だ。(小金井公園にて)

 

 「五陰盛苦」の「五陰」というのは「色・受・想・行・識」で、その中の「色」は「肉体」で「受想行識」は「精神作用」という。だから「五陰盛苦」とは人間の肉体と精神が思うにならないということになる。「この人生は苦である」という真理を腹の底から悟った瞬間、その人は苦から解放されるという。苦から逃げようとすると苦は追いかけてくる。(桜餅を包むオオシマザクラの葉と庭の梅の木の窪みに咲くスミレ)

  

 歌人の河野裕子さんは「人間を含めたすべての生物が宿命的に逃れられないのが三つある」と言った。はてなと考えて一つだけはすぐに思いついた。歌人が言うには「生まれ合わせた時代から逃げられない。自分の身体の外に出ることができない。必ずいつかは死ななければいけない」だった。身体の外へ一歩も出ることができないのは「心(精神作用)」のことだろうか。

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*清明の観察会

2016年04月14日 | 玉川上水の四季

 ある日の夕刻にギャラリーの前で鈴木さんが携帯用の椅子に一人で腰かけていた。近くのクヌギの高木にツミがカップルで止まっているのを見かけて先ほどから監視を続けているところだという。ツミは食物連鎖の頂点に君臨する猛禽類だ。そのツミがあの木に巣を作るのではないか。しかし近くにはカラスが巣作りを始めていて、縄張り争いの騒動が起きるかもしれないという。

 それから後の10日の日曜日の清明(4/4~19)の観察会に参加した。先に集まった面々がまだ裸の高い木の枝を見上げている。視線の先にあるのは一羽のツミだった。参加者は鈴木さんに教えられなければ誰も気付くことはない。若葉が巣を覆う以前から追跡していなければツミの子育て観察は不可能だろう。巣の場所を捜しあてることから観察は始まる。果たしてツミはあの木に巣をつくるのだろうか。

 公園のフジ棚に案内された。何事が起こるのか私には見当もつかない。成虫越冬したウラギンシジミはフジが花を咲かせる前の蕾に卵を産み付ける。その幼虫は花を食べて育つという。フジの蕾が動物の尻尾のように頭を持ち上げているのを私は初めてをマジマジと見た。そのフジ棚でたまたまウラギンシジミが一羽飛んで、鈴木さんは参加者のためにその幸運を祝福した。

 小川水衛所から下流にはシャガ、フデリンドウ、チゴユリ、ニリンソウ、イチリンソウなどの野草が群生する場所があり、玉川上水の両岸にはヤマブキが咲き乱れている。留鳥の中で子育てが一番早いエナガの雛が誕生したという。雛が誕生すると親鳥は必ず二羽で行動する。この日は2か所のエナガの巣を教えてもらった。餌を運ぶ親鳥は巣に帰るとすぐには巣に入らない。かならず一羽が警戒に当たり、安全を確かめて一羽が入る。その様子を首が痛くなるのを忘れて「あっ、いま入った」と声を上げる。(フデリンドウ、イチリンソウ、チゴユリ)

 

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*漱石のことなど

2016年04月11日 | 捨て猫の独り言

 樹木の新芽が出始めて、あたりの景色が日を追うごとに変化してゆく。四月初めのこの時期ならば小学生であれ大学生であれ新一年生はすぐにそれだと分かる。彼らとすれ違いながら、新たなことが始まるという予感にこちらも少しこころ揺さぶられる。つまり日々新たに過ごしているかと反省したりする。

 武蔵野美術大では、学生の卒業制作を展示する「優秀作品展」が4月4~29日までキャンパス内の美術館で開かれている。美術館では年間を通じて無料で多くの作品展が開かれる。自宅から徒歩15分の距離に芸術作品を鑑賞できる場所がある私は幸せ者だ。どの展示室にも係り員が配置されている。

  

 現在購読している朝日新聞は夏目漱石作品を復活連載している。私はこれまで国民的な作家である漱石の作品をまともに読んだことはなかった。きっかけは先月の「夢十夜」の連載からである。夢を記録したかのような掌編集だが、もちろん本当の夢とは異なる。第一夜の女の墓の傍らで百年待つ男の話は特に興味深く読んだ。今月は「吾輩は猫である」を連載中だ。またこの機会に夏目紳六著「父・夏目漱石」を大活字本で読むことにしている。

 

 漱石は落語や講釈を好み、子供のころからよく寄席に通った。漱石と鏡子夫人の間には五人の女の子と二人の男の子がいる。この事実を知り私は漱石に親しみを覚えた。40歳で朝日新聞社に入社。46歳で強度の神経衰弱を再発。今の言葉でいえば適応障害だろうか。ついでながら8日の朝刊に、アルバイト唯根孝一(茨城県58)さんの投書があった。「僕は総合失調症だ。実はこの呼び方を気に入っている。ぼくが発症した40年ほど前には精神分裂病と呼ばれていた」とあった。

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*シンギュラリティ

2016年04月07日 | 捨て猫の独り言

 「最強棋士が囲碁の人工知能に敗れた」というニュースが世界中を駆け巡った。通算成績は1勝4敗だった。人工知能(AI)との対戦ではチェス、将棋で人間が敗れ、最後の砦といわれていた囲碁が、これほど早く陥落することを予想する人はいなかった。囲碁のプロに勝つには10年後と言われていただけにその衝撃は大きい。この対局を解説していた高尾紳路九段が日経ビジネスに緊急寄稿している。(4月2日は 自転車で立川から国立へ)

 

 その記事のタイトルは「高尾九段の見たシンギュラリティの風景」となっていた。ネットで技術的特異点(シンギュラリティ)を調べると「人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事」とある。手もとの日本語辞典で「特異点」を引くと「数学で曲線・関数・微分方程式などにおいて他にくらべ特異な形態を示すところ」とある。また科学雑誌で「密度が無限大となるブラックホールの特異点」という文言を見ることがある。

 高尾九段は「素直に人工知能が人間を超えたと言ってよいと思う。しかし人工知能が必勝法を発見できたわけでもない。アルファ碁がくれた人間の固定観念になかった発想は、大きな刺激となった。我々は囲碁の真理に近づくのと同時に、人工知能の隠れた弱点をさらに引き出し、改善してもらうことができる。お互いに切磋琢磨してより高次元の勝負をみせられるようになればよい」と寄稿している。

 また高尾九段のブログ「たかお日記」には「五番勝負をリアルタイムで見ていて、一手一手、こんなにドキドキしたのは初めて。アルファ碁の独創的な手に、ワクワクしたし、李九段が身を捩じらせながら決死の覚悟で戦う姿に、胸を打たれました。プロになって、はや四半世紀、何となく仕事として、惰性で碁を打っていたかも。碁は、こんなにも楽しくて、魅力あるゲームなんですね。忘れていた感覚が少し、よみがえりました」と記している。

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*高血圧症

2016年04月04日 | 捨て猫の独り言

 日本では成人の三人に一人は高血圧症だそうだ。私も65歳を過ぎたあたりから血圧のことが気になり始めた。変調に気付いて近くの医院で降圧剤を処方してもらい、しばらく服用すると元の調子に戻る。できるだけ薬の服用は止めようとして中断すると変調が訪れる。最近までその繰り返しだった。あるクリニックでのアドバイスで腹が決まった。

 「血圧が高いと血管などの臓器に負担がかかる」ということを軽視していたのだ。降圧剤を目の敵にすることがどれほど愚かなことか自覚した。この暮れに72歳ということを素直に受け入れて、これからは毎日きちんと服用することにした。薬と上手に付き合うことにした。服用を開始して一週間ほどだが135/100が125/90になった。まだ下(拡張期血圧)が高いが服用の効果ありだ。

 血圧とは別問題だが、半年に一度の内科検診を失念した。気付いたのは予約日から2週間後だった。甲子園高校野球の休養日の29日に再予約の為だけに武蔵野赤十字病院に出かけた。しかし今の季節ならそれほど無駄骨とは思わない。なぜなら自転車で行く病院までは玉川上水沿いの草花を観察する楽しみがある。また途中には桜並木(小金井桜)が続き、都立公園最大規模の小金井公園がある。

 行きに玉川上水の土手にニリンソウが咲いているのを見つけて撮影する。イチリンソウはこれからのようだ。帰りに小金井公園の中にある桜の園に立ち寄る。すでに大勢の花見の人たちでにぎわっていた。公園内のポストで「桜の園マップ」というA4サイズの一枚の労作を手に入れた。桜一本ごとの場所が克明に記されている。私が注目するのは遅咲きで花の香りが強いという「駿河台匂」で4月中旬の開花予想だ。桜の園には菜の花とカントウタンポポが彩りを添えていた。4月2日と3日の桜まつりは大混雑だったことだろう。

 

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