玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*年末の大風呂敷

2008年12月30日 | 捨て猫の独り言

 殺風景の庭にネリネと山茶花だけが艶やかです。「アジアの文化と共生のかたち」 という新聞広告が目に入りました。東洋大学では共生学の構築という研究プロジェクトを設置し、共生の原理・理論、共生をめぐる諸問題の分析、共生社会実現のための方策の検討などを総合化した 「共生学」 の確立に力を尽くしてきました。東洋の思想の中に流れる自然、融和、仁愛、あるいは慈悲などの精神を 「哲学」 にまで高めて、共生のあり方を探ろうと活動しています。20日の午後1時からの会に参加することにしました。よくも大風呂敷を広げたという印象をもちました。

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 午前中は巣鴨のとげぬき地蔵と六義園を見物することにしました。おばあちゃんの原宿は年寄りグッズの揃った商店街でした。とげぬき地蔵尊があるのは高岩寺という曹洞宗のお寺です。本堂には一月に封切られる道元を主人公にした 「禅」 という映画のポスターが掲示されていました。境内には洗い観音を白い布で洗う人の列が目立ちます。六義園(りくぎえん)は江戸時代に作られた和歌の趣味を基調とする回遊式築山泉水の大名庭園です。明治になって三菱の岩崎弥太郎の別邸になり昭和13年に東京市に寄付されています。兼六園とは異なる方式の雪吊りがありました。

 東洋大学の創立者が井上円了であることを知りました。勝海舟は哲学の大学を創ろうとする円了の情熱に百円もの大金を寄付し、その後も亡くなるまで円了への激励や支援を惜しまなかったといいます。また円了は明治時代の迷信が近代化の妨げになることを憂慮し、当時の日人々が理解できない不思議な現象を調査、研究して 「妖怪学」 を確立しました。輸入学問でない哲学を教えたいと思っていたようです.

 シンポジウムは基調講演をロベール教授(フランス国立高等研究院・仏教思想史)が40分行いました。15分休憩のあと、シルク教授(オランダのライデン大・仏教学) 馬渕教授(学習院大・儒教) クリーマン教授(コロラド大・道教) 渡辺教授(東洋大・インド哲学)の4教授からそれぞれ20分の講演がありました。どの論者も共生というテーマには四苦八苦していると感じました。人を煙にまくためにはより饒舌になることが必要と思いました。ロビーで20分のお茶の休憩のあと、アンケートをもとに総合討論に入りましたが短時間で終わりました。優秀な進行役も会を締めくくるのには苦労されていました。年明けの私の読書は仏教関係になりそうです。

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手を休める年末大掃除

2008年12月26日 | ねったぼのつぶやき

 恒例の年末大掃除の季節である。例年の様な大掃除に至ってないのはボツボツやって来た事と、その作業の領域を狭めたせいだ。それでも溜め込んでいた電気機器の補修や手入れ、電池交換など主婦が苦手な領域は男頼みとなる。

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 高度成長の波に乗って電気製品が一つ増えるごとに、仕様書を読み使い慣れてきた。今や生活用具機器、娯楽コミュニケーション用機器、風呂、家本体すら全て電気でコントロールされている。修理は四苦八苦しながら取り組み、手に負えない段階で業者頼みとしている。男手がなくなったり、対応力がなくなったら?”業者一覧表”の必要アリ? とりわけ最近急速に日々の暮らしに進入してきたIT機器は、有益ながら多機能過ぎて使いこなし一つにしてもにウンウン唸るばかりダ。

 幼かった頃、電気といえば電灯、懐中電灯、ラジオ位だった。電球や電池さえ交換すれば良かった。シンプルな生活で不便とも感じなかった。便利で快適な生活を享受している今最早これらの電化製品は手放せない。世代順送りで子供達をアテに出来る時代でもなくなった。「私達に出来る範囲は?」と越年毎に老い一直線上にある身を自覚するこの時期、しばし手を休める。

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*ものぐさライフ

2008年12月23日 | 捨て猫の独り言

 長い間使っていたCDのプレイヤーが故障して放置していた。聞こうと思えばパソコンでも聞けるのだが最近CDを聞いていない。その代わりに以前熱心に録音したカセットテープをラジカセで聞きなおしている。デジタル音楽再生手段にはMD(ミニディスク)とかMP3とかもあるらしい。アナログは急速に衰退しつつある。カセットテープをディスクに変換できるそうだがカセットテープのままで良い。LPレコードのオーディオ装置はかなり昔に屋根裏部屋入りしたままである。

 2年ほど前に腕時計を紛失してから腕時計なしで暮らしている。駅には必ず時計はあるし公園でさえ設置されている場合もある。私の境遇では腕時計がなくても困らない。ついでに告白するとケータイも持たない。連絡取り合う場合は相手はケータイをお持ちだから私の方から頻繁に電話すればよい。まだテレホンカードが5枚も残っている。

 パソコンのDVD再生機能が半年前に故障したが放置していた。我が家にはテレビの下にはビデオカセットレコーダーしかない。そういえば娘達が旅立つときに何か機器を残していったことに最近気付いた。配線を接続するとビデオカセットテープもCDもDVDも再生できるようになった。これで友人が贈ってくれた好意のDVDがやっと陽の目を見ることになる。

 車庫用はね上げ門扉「オーバードア(電動タイプ・直昇型)」が故障して1年以上も放置していた。道路に面しているので部外者はそこから自由に庭に出入りできる状態が続いていた。最初に設置してくれた老人に修理を頼んだが偏屈者でいつまで待っても来てくれない。突然だがこの師走に製品の製造元であるTエクステリアから 「車庫用門扉オーバードアに関する無償改修のお知らせ」 というものが届いてあっという間に修理は完了した。原因はナメクジの侵入によるものだという。見事なアフターケアだった。あの老人が私の依頼を放置してくれたのが幸いした。

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やって来た駅伝の季節

2008年12月22日 | ねったぼのつぶやき

 私はTVでマラソン(駅伝)とサッカーを好んで観ている。昨日はその2つがダブルヘダー様に2つづつあり、テレビ漬けの一日でスッカリ肩を凝らしてしまった。女子の高校駅伝に続き男子駅伝と、サッカーのクラブチーム世界一を決めるトヨタ・クラブワールドカップの3位決定戦と優勝戦である。

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 サッカー漬けの息子がいたからサッカー好きは当然といえる。彼は左右の足を骨折し、成人後左右のアキレス腱の縫合術をしてもなお実践怠りない。野球と異なり審番まで走り回っているあのスピード感がいい。今日のG大阪には、全日本にないクラブチームの利点が見えた。(京都・木屋町沿いの高瀬川)

 長い距離をただひたすら走るマラソンもいい。タスキをつなぐ駅伝はタスキにかける思いの強さもあってとりわけ力がはいる。正月の定例行事である箱根マラソン視聴なしには私の正月は明けない。芦ノ湖まで泊りがけの応援に出かけたこともあった。マラソンを見届けている私を見て、目の青い婿殿が「何がおもしろいのだろうね?」とかって娘に問うた話を思い出して可笑しかった。

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*初の青春18切符

2008年12月17日 | 捨て猫の独り言

 1日め・・立川(6:46)→甲府→塩尻→中津川→名古屋→大垣→米原→大阪 青春18切符とはうまく名付けたものだ。大阪駅中央改札口を右へ行くと大きな砂時計があるからそこで待てという指令である。

 2日め・・大阪→相生→岡山→新山口→下関 まず駅から3分のビジネスホテルに飛び込む。部屋を確保したら近くの飲食店街の探索だ。

 3日め・・下関→小倉→日田→由布院→大分→別府 日田彦山線と久大(久留米と大分)本線に乗る。日田と由布院は途中下車して散策する時間がある。さすがに別府は湯の町だ。予約したビジネスホテルでも温泉大浴場や露天風呂ありという。湯上りに地酒と少しのうまいものがあればいい。

 4日め・・別府→大分→宮地→肥後大津→熊本→八代→鹿児島中央(19:48) 豊肥(豊後と肥後)本線に乗る。別名阿蘇高原線という。八代では95分の乗り継ぎ時間がある。帰京は航空最終便を予約した。青春18切符は1日分を残すことになる。有効期限は1月20日まで。干物を買うため沼津に出かけるつもりだ。

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大小2つのおもてなし

2008年12月14日 | ねったぼのつぶやき

 日々緩やかに過ごしているのだが、この約10日余りは丸で駆け足をしていたかの様に足早に通り過ぎた。小さなおもてなしをし、次いで大きなおもてなしを受けその余韻と溜め込んでいた用事をこなした。

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 小さなおもてなしを待つ間のささやかな準備は心踊る。リビングの前から望める錦木に、その真っ赤な紅葉を保ってておくれと願い、かって客人がもたらしてくれ2度目の開花を迎えたネリネに、目一杯咲き誇っておくれと願う。緑道は木の葉を舞わせ、ずいきも干し柿も出番を待っている。僅かな時間を共に歌い語らうため友は空路や新幹線で来てくれて嬉しい。 

 次いで京都で大きなおもてなしを受けた5年毎の同窓会。両手に余る物故者に黙祷をささげ、病を抜け出し言葉を詰まらせた関係者の挨拶は皆の心を打つ。集いの時をもてた参加者は健康を祝し乾杯しあう。同郷、同窓という繋がりで話が通じ合う不思議。2泊の後5年後又地元で会える事を切に願い別れた。(京都・Lunchに立ち寄ったレストランの由緒ある前庭)

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*わび住まい

2008年12月09日 | 捨て猫の独り言

Photo_2  気心の知れた人達が久しぶりに集まった。集まりを始める前にメンバーの一人が最近偶然知り合ったという我が家の近くの個人宅に山野草盆栽の見学に連れ出してくれた。近くに住みながら私はこのお宅に気付いていない。2名は日が暮れて駆けつけることになっているので見学できたのは6名である。バス道路に面したお宅の敷地一面は数え切れない山野草で埋め尽くされている。四方のブロック塀の上も、南に面した一部屋も山野草に占拠されている。

 私の知らない世界だった。山野草を育てているのは私達と同年輩の女性だ。関西から引っ越してきたこの家は借家だという。特に畳の部屋にある作品群は見事だった。招き入れられて菓子と抹茶をいただく。種苗を欲しがる者には封筒にその山野草名を記して渡してくださる。無報酬でもてなしてくださる女主人が不思議に思える。山野草を育てている長い静かな彼女の時間のことを思った。そして時折訪問客を迎え入れるのだ。

 清々しい気分で引き揚げてさっそく宴の準備が始まった。持ち寄った食材が多すぎて混乱している。手持ち無沙汰の男どもは祭りでも宴でも始まるまでのこの時間がいいのだなどと言い合っている。そしてそれもいつか終わる時が来るのだと感傷的な物言いをしながら待つ。

 このように年に二、三回集まるメンバーがいることはありがたいことだ。そうしたにぎやかな談笑の後で我が家に一人だけ取り残されて夜を迎えた。さすがにその落差に戸惑う。以前は祭りの後などは寂寥感にさいなまされることなどあったが今はそのようなことは無い。一人だけで静かに過ごす時はいいものだ。西行や円空や芭蕉や良寛さんなどはわび住まいの達人ではないかと考える。わび住まい良きかな。山野草を育てる心も少しはこのこととどこか通じているような気がしている。   

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*廃仏毀釈とは?

2008年12月02日 | 捨て猫の独り言

 展覧会を見て気になることが生じた。平櫛田中はなぜ岡倉天心胸像(ブロンズ)を創ったのか。しかもなぜ派手な金箔にしたのか。江戸初期の円空仏のどこが良くて注目されるのか。慶応四年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)は変革期の奇妙で逸脱的な一エピソードとして軽んじていいのか等々である。今回廃仏毀釈について安丸良夫著「神々の明治維新」を読んだ。30年前の岩波新書だ。興味深い箇所を書き出すことぐらいしかできなかった。

 キリスト教≧一向宗・日蓮宗≧流行神や御霊≧民俗信仰≧仏教一般 これは幕藩制下の宗教的世界の危険度ランキングである。明治政府の指導者が確保したいのは天皇を中心とする新しい民族国家への国民的忠誠心だった。

 急進的な廃仏毀釈を推進したのは水戸学や後期国学の影響を受けた人々だった。『キリスト教や仏教などの異端の教えは来世と魂の行方についての妄誕を教えることで人心をとらえているのだから、それに対抗するためには、死者の魂の行方をあきらかにして「幽明」を治める「祀礼」が国家的規模で確立されねばならない』

 廃仏毀釈に一貫して抵抗したのは東西本願寺派に代表される真宗だった。『日本でキリスト教に対比しうるほどに近代的なのは一神教的な真宗だけであり、開帳・祈祷・卜占を仕事にしている真言宗や法華宗は叩きツブスことが肝要、禅宗・天台宗は学問で宗教とはいえず、やおよろずの神を信ずるという神道にいたっては未発達な原始的な宗教に過ぎない』 

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