玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*いろりの里が閉店

2023年06月19日 | 玉川上水の四季

 日本料理の「いろりの里」が5月で閉店した。小平名物がまたひとつ姿を消した。北は玉川上水緑道に面し、南はすぐ近くを五日市街道が東西に走る。門前の小松橋を渡りしばらく歩くと平櫛田中彫刻美術館がある。コロナ禍で長期休業に入り、つい最近営業を再開したばかりで突然の告知だった。

  

 打ち水をした受付のそばには大きな水車が回り、夕暮れの竹林越しの和室では和服の女性が琴を演奏して迎えていた。日本庭園の中に個室が並び、ミニSLが引っぱてくる貨車から子供たちは自分たちで扉を開けて料理を取り出す。出発の時は汽笛が鳴り響く。

  

 小平市のオープンガーデンに指定され、いろりの里の庭園には自由に入ることができた。かつて鈴木忠司さんの玉川上水観察会のメンバーたち、あるいは遠来の友人たちと庭園を訪れたことがある。閉店後はどうなるかだが、竹林を含めた日本庭園は残して欲しいものだ。

 閉店と言えば、今から6年ほど前の欧風料理「マ・メゾン」のことが思い出される。いろりの里の近くで、五日市街道沿いにあり、アルプスの山小屋風の建物にワイン樽が並べられ薄暗いランプ照明の雰囲気のある洒落たレストランだった。これで遠来の友人をもてなす自慢の店が我が家の近くにはなくなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*進取の気性

2022年09月29日 | 玉川上水の四季

 日本テレビ「満天・青空レストラン」という30分番組が9月17日にあった。埼玉県日高市で「金ごま栽培」をしている鈴木香純さんが登場する。番組の前半ではゲストの牧瀬里穂さんらが作業着姿で胡麻畑に現れて、3人が畑で作業しつつ、現在に至るまでの香純さんの軌跡を紹介する。自然食品の店で働いていたときに農業に興味をもち7年前に21歳で、小さな畑を借りて一人で金ごま栽培を始めた。

 ごまを作っている人がいないので栽培マニュアルはない。本屋さんに行ったり、インターネットで調べたりした。鹿児島の喜界島でごまを作っていると聞いては、ごま作りを教えてくださいと電話をかけたりした。そのようにしてこまかい情報を集めて独学で始めた。ごまは種まきから100日で収穫となる。今は10か所の約7500坪の畑を借りて栽培している。

 オクラに似た1つのサヤに80粒のごまができる。大人の背丈以上に伸びた1茎から1~3万粒採れる。最初は刈り取りも1本ずつはさみで切っていたが、そのうち自分で機械を作り、改良を重ねた。収穫は緑のまま刈ってビニールハウスに立てかける。他の植物だと熟成しても簡単に落ちないが、ごまは畑だと弾けてロスになってしまうのだ。ハウスの中で耳を澄ますと、サヤが開く「ぱちぱち」いう音がかすかに聞こえる。(週に3日しか開かない花屋さん)

 

 2021年にIT関係に勤める早川雪舟さんと結婚してごま作りの協力者もできた。さらに小麦も作り始めて、昨年からはうどんの販売も始めた。番組の後半は金ごまを使った創作料理がいくつか紹介され参加者全員が舌鼓をうって終わる。その後私は ”国産ごまと小麦の「香胡園」” というブログの存在を知った。退職金を叩いて2009年から10年ちかく玉川上水に「オープンギャラリー」を開設した鈴木忠司さんのお孫さんが鈴木香純さんである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*二十四節気・白露

2022年09月19日 | 玉川上水の四季

 沖縄県知事選では玉城氏が再選された。政府は辺野古移設について「辺野古移設が唯一の解決策」と改めて強調した。現職知事が負けていれば「新基地容認が民意だ」と強弁していただろう。近頃は「アベスガに比べりゃマシの期待消え」の川柳に共感することが多い。

 

 朝夕に涼しさを感じるようになった。古くはとんぼを、あきつ、と呼んだ。秋の虫という意味。そして日本の国の名前も秋津洲(あきつしま)だった。白露の半ばの頃、久しぶりに玉川上水でスケッチを始めようとしていた鈴木忠司さんに出会って話をした。そして数年先の鈴木(81歳)さんの夢のプランを聞いた。

 これまで何度か姿を拝見していたが、スケッチを邪魔しないようひかえていた。近くに鈴木さんの自転車はなく、代りに箱型で車輪のついた木製工作物がある。その中から小型の折りたたみ椅子、魔法瓶とコップを取り出す。いつのまにか箱はテーブルにと変化していた。木陰でお茶会という趣向である。こうして顔なじみと話すのだという。

 鈴木さんには孫の鈴木香純(1994年生まれ)さんがいる。高校時代に拒食症を経験したことから農業に興味をもつようになる。そこで行き着いたのが「ごま」だった。胡麻は99.9%を輸入に頼っているという。国産胡麻をどんどん広げてゆくのが香純さんの夢だ。埼玉県日高市で2020年に「香胡園」を立ち上げ金ごまの生産および商品開発・販売に取り組んでいる。応援したくなる話だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*芒種から夏至へ

2022年06月27日 | 玉川上水の四季

 関東地方には芒種の初日6月6日に梅雨入り宣言が出た。今年の梅雨明けはいつになるだろうか。例年だと7月20日前後という。明日から夏至だという6月20日に玉川上水沿いを上流に向かって歩いた。自宅近くの緑道のど真ん中にあるナラ枯れしたクヌギの大木の撤去作業に出会った。作業は通行人をときどき止めて行われていた。

 緑道で出会うのは群れ咲くアジサイ、ヒメジオンそれにホタルブクロ、ノカンゾウなどだ。いつも通りひと気のない金毘羅神社の境内にはハギ、クチナシの花がひっそりと咲いていた。帰路も大木の撤去作業は続いていた。とても蒸し暑い日で、びっしょりぬれた肌着を急いで脱ぐ。この日の歩数は15000で、久しぶりに大汗をかいた。

 

 小平生まれの鈴木忠司さんの、芒種のパンフレットを取り出して眺めてみた。「芒種の芒(のぎ)というのは、稲などの穂の先についているトゲの部分を指します。芒種とは、この芒がある穀物の種子を播く時期の意味です。昔から、小平では田植えなどの光景に出合うことがなく、むしろ、麦刈りと梅雨入りが記憶に強く残っています」

 

 そして鈴木さんは、ムラサキシキブの秋の「紫の実」だけではなく、この芒種の時期の「花」にも注目すること勧めている。拡大鏡を片手に我が家のムラサキシキブを観察して、「花は四弁で中心には四つの黄色い雄花があり、雄花の横から一本背の高い雌花が伸びている」という鈴木さんの解説を確認した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*卯の花の季節

2022年05月05日 | 玉川上水の四季

 5月5日は二十四節気の立夏。「卯の花~匂う垣根に 時鳥 早も来 鳴きて」の唱歌「夏は来ぬ」を私は、卯の花やホトトギスがどんな姿をしているのか知らずに口ずさんでいた。私が卯の花を認識できたのは、驚くべきことに玉川上水のあたりに移り住んでからのような気がする。

 5月1日の散歩は、東へ小金井公園まで往復し15500歩だった。この時期の玉川上水はマルバウツギの白い花が盛りである。旧暦の卯月(4月)に咲き、古くから初夏のシンボルとされてきた。中空の枝をもつ植物は神との絆が強いとされ「○○ウツギ」と名のついたものがやたら出来たという。(ミズヒキ、ミズキ、キンラン)

 

 庭にあるヒメウツギはアジサイ科、箱根ウツギはスイカズラ科という。ヒメはもう散り始めた。ハコネは6月にかけて、漏斗状の花を咲かせ白い花が次第に赤い花へと変化する。枝がよく生い茂るので、わが家では花の咲く前に無残にも剪定する。久しく花を見ていない。そこでハコネを見たくなった時は近くの農家の畑地に出向くことになる。

 「桜橋」は西武多摩湖線と玉川上水が交差する地点にある。その下流左岸に「桜橋バタフライガーデン」なるものが出現していた。ここで自生野草保護観察ゾーンに蝶の食草を育てるという取り組みが始まったようだ。説明会を開いて参加者を募集するという。小平市の「観光まちづくり協会」主催である。その告知板のメンバーの写真の右端に鈴木忠司さんの姿があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*南コースを歩く

2021年12月20日 | 玉川上水の四季

 できるだけ週に一度は一万歩以上歩くことを心がける。旧式の登山靴で歩く。ふだんのべったら靴と違って確かな足応えがあり、気が引き締まる。中身が水道水のペットボトルとささやかながら2キロの重しの入ったリュックを背負う。最近は特段意識することなく、伊能忠敬(江戸人)の歩き方「ナンバ歩き」になっている。

 南のコースは国分寺市内の「新府中街道」の予定地を横切る。住宅が撤去され電柱が林立するのが見える。新府中街道とは府中市から小平市の小川町交差点まで全長8キロの4車線道路だ。府中市からJR中央線を国分寺陸橋で越した地点まで完成している。府中街道とせまい間隔で並行して走る道路だ。新は関戸橋を旧は是政橋で多摩川を渡り、どちらも川崎街道につながっている。

 南の国分寺市にくらべて北の小平市は用地買収など難航している。いつの完成になるか誰にも分からない。てくてく歩いて武蔵野線の西国分寺駅の横を、東西に走る中央線の陸橋を越えると武蔵国分寺公園だ。広々とした円形広場では保育園児たちをよく見かける。国分寺崖線を下ると湧水の里に出る。その崖線に沿った散歩道が「お鷹の道」だ。

 

 国分寺駅に出ると、北口に広々した空間に交通広場が今年の1月に完成して各バス会社が乗り入れている。その地下にある3000台収容で2時間無料の自転車置き場ができている。自宅に向かって玉川上水を歩いていると大きなキャンパスを前に冬木立を写生している鈴木さんに出会った。集中を邪魔しないよう、声をかけずにその場を立ち去ることにした。この日は16000歩といつもより多く歩いていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*小平アートサイト

2021年11月29日 | 玉川上水の四季

 小平中央公園の野外展示をメインに、武蔵野美術大学と小平市が共同で行っている「小平アートサイト」が20日から29日まで開かれた。鷹の台駅の地下通路や周辺のカフェにも作品は展示されている。1988年から続いているアートプロジェクトだ。まずは地下通路の2作品から。視覚伝達デザイン学科の平面の布に描かれたものが浮き出て見える「瓦の美意識」。油絵学科の「夢と欲望」。

 

 鉄の彫刻2題。多摩美術大学3年「朽」と東京芸術大学2年「SPACEーEXPANSION」

 

 コロナの世相を反映した2題。不織布マスクの傘で「止まない雨はない」と、呼吸をモチーフに「緑屋」。

 

 インド半島に生息し、ウシ科の動物だがカモシカのようでもある<ニルガイ>。作者はその神聖な佇まいに感動したという。紙と針金の作品「LEAST CONCERN」

 

 51の作品が展示され、他大学から例年より多くの出展があった。「童瞳」「繋」「keep changing」

  

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*金毘羅橋

2021年11月11日 | 玉川上水の四季

 久しぶりに我が家から玉川上水を西へ、つまり上流に向かって歩いた。目指すは金毘羅橋である。往復で11.5㎞、約1.5万歩と歩数計は示していた。時間にして2時間半かかる。何年か前の春分の頃に、鈴木さんに金毘羅橋付近の右岸にヒトリシズカの群生があると教えてもらって一人で出かけたのが最初だった。

 我が家の近くで、毎年見かけていたモミジイチゴやヤマユリが季節が来てもその姿を見せなくなった。盗掘にあったと思われる。玉川上水の山野草は減少している。一度しか見ていない金毘羅橋のヒトリシズカは無事かどうか来年の春分には最終確認するつもりだ。金毘羅橋の名の由来である「金比羅山」の存在に初めて気づいた。

 

 「金毘羅山」は最初は富士塚として造られたようだ。公園で見かける築山のように土を盛ったもので、年月を経てこんもりと木が繁っている。頂上に富士浅間神社、中段に金毘羅神社、下段に秋葉神社が勧請されている。さっぱりと整備されて地域の人たちに大切に守られていることが伝わってきた。毎年お祭りも行われているという。三つの社のうち秋葉神社というのは、馴染みがなかったので調べてみた。

  

 秋葉神社の祭神は神仏習合の火防(ひよけ)、火伏せの神として信仰された「秋葉大権現」である。神社本庁傘下だけで全国に400社あるという。ついでに千代田区にある「秋葉原駅」の名の由来を知ることになった。駅開設に伴いこの地にあった秋葉神社は台東区の松が谷に移転したという。そして意外なことには、立川市砂川町3にある「金毘羅山」はどの地図にも記載されていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*小満の頃

2021年05月24日 | 玉川上水の四季

 ようやく、電話とインターネットによるワクチン接種の予約受付が始まった。集団接種と個別接種がある。先ずは75歳以上を対象に受付は5月17日から、接種は24日からである。65歳~74歳の受け付けは6月3日から。予約枠は初日に瞬時で埋まったという。「早い者勝ち」というのも切ない。トイレットペーパー騒ぎを思い出す。

 この頃は決まってラジオ体操の時間になると、若いムクドリが庭の芝生に飛来する。歩き回って芝生のアリをついばんでさっさと立ち去る。鈴木忠司さんの「小満」の冊子を開くと、「ムクドリの巣立ちの時期」とあった。営巣場所は空き家などの戸袋とあるが、そんな場所も少なくなっている。ムクドリたちは今、どうしているのだろう。

 冊子にはハルジオン(春紫苑)とヒメジョオン(姫女苑)の解説があった。なぜか通称名が「貧乏草」で、道端に群生し雑草扱いされている。前者は4~6月(春)に後者は5~8月(夏)に咲く。だから小満の頃は同時に見ることができる。両者の見分け方は葉の付き方を見るのが一番わかりやすい。葉の根元を見て、前者は葉が茎を抱くように付く、後者は葉が茎にチョコンと付く。

 

 両者を観察しようと散歩に出た。ハルジオンは花びら(専門用語で舌状花冠というらしい)を散らし始めていた。たしかに葉が茎を抱くように付いている。残念ながらヒメジョオンは発見できなかった。両者は北アメリカ原産で明治から大正にかけて観賞用として導入されたという。ただの雑草ではない?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*ナラ枯れの発生

2021年05月17日 | 玉川上水の四季

 若葉が繁る前の冬木立の頃に、近くの玉川上水の緑道で木の根元あたりに白い粉を噴き出しているコナラの木を2本ほど見たのが始まりだった。ナラ枯れ病発生の張り紙があったがそれほど気にも留めなかった。それから数か月後にこれまで見たこともない光景に出会うことになった。

 

 場所は津田塾大学のあたり、木の根元近くをテープで巻かれたコナラの木が9本もあった。「ナラ枯れ病拡散防止」のためトラップだという。見上げて見ると、テープの巻かれた木は無残にも真っ黒に立ち枯れている。なんとも不吉な光景である。

 緑道では他にも、死に絶えてテープを巻かれたコナラの木をぽつぽつ見かけるようになった。衝撃は原発事故、大震災、コロナ禍ほどではないが、しばらくは緑道を通るたびにこの光景を目撃せざるを得ない。ナラ枯れの原因は「カシナガ」という虫が木の中に運び込む通称「ナラ菌」が繁殖して、水の吸い上げを阻害することによるものであることが分かっているという。

 日本で代表的な樹木病害であるマツ枯れが戦前から記録が残り、原因究明が進められていたのに対し、ナラ枯れの歴史は浅く被害の顕在化と本格的な研究は1980年代に入ってからという。また近年、全国各地でナラ枯れが増えている原因は、炭焼き産業の消失などでコナラが高木になるまで放置され(ここでも高齢化?)てカシナガにとって繁殖しやすい森林が増えたためという説が有力という。身近な緑道で、コナラの大量伐採が起きないことを願っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする