玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*この週末

2009年05月25日 | 玉川上水の四季

 オープンギャラリーの鈴木忠司さんに触発されて玉川上水への認識が深まりつつあります。鈴木さんの記事では写真の撮影場所が○○橋近くの右岸というような示し方になります。玉川上水にかかる橋の名を自然と覚えることになります。私がこれまで注意しなかった通勤時に渡る橋の名から始まって次第にその数は増えつつあります。土曜日のお昼過ぎは強い風が吹いていました。小松橋近くで小学校の低学年の子供たちに上水観察を指導している鈴木さんを見かけました。ユネスコ協会と年に4回ほど開く大人向け自然観察会には、この日のように一般の方と共に先生も生徒を連れて参加することがあるようです。市報によると他にも 「親子で玉川上水ウオッチング全6回」 などの企画があり大忙しです。

 日曜日の早朝ラジオで野鳥の声が流れていました。ホトトギスは星空の日に星に導かれて南から飛来して繁殖し、秋に南に帰るといいます。ホトトギスの鳴き声をまもなく聞くことができるかもしれないのです。あきれたことにホトトギスはウグイスの巣に卵を産み、ウグイスに子育させる托卵という習性があるといいます。上水の藪は刈り取らないほうがいいのか最近私は鈴木さんにお聞きしたことがあります。藪はウグイスが巣作りする格好の場所なのだそうです。私はちょっぴり恥じました。殺風景と感じた藪もそれなりの存在意義があるのです。

 日曜日の午後はYさんによるパソコンの訪問指導を受けました。連れ合いが熱心に質問し私は見守る側です。私が完全退職する1年後には主体的に取り組んで家で2台のパソコンが動いている状態にしたいものです。パソコンは人の欲するあらゆることに応えてくれるといっていいほど奥が深いとYさんは言います。メーリングリストによって以前では考えられなかった交流が生まれています。路線図は目的地に着くには何時に玄関を出ればよいか教えてくれます。まだ実行していませんが囲碁の腕前を上げたいと望めばパソコンがいくらでも応じてくれるでしょう。

 昨日に続き今朝の 「ラジオ深夜便の心の時代」 は五木寛之の 「わが人生の歌語り」 のアンコール放送でした。1972年の折鶴が最後に流れました。つい最近Yさんにその存在を教えてもらった歌です。歌謡曲の本流から少し離れた端正な歌で、時代の先端を行くあの安井かずみが作詞し、浜圭介とのコンビも珍しいとの話がありました。この番組の本放送は毎月末の日曜日にあります。この放送に匹敵すると思われるのがありました。これもYさんからですが、ブログの 「二木紘三のうた物語」 がそれです。各歌についての記事があり読者のコメントが楽しめます。まだの方は検索なさることをおすすめします。

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国事犯宮城開発に貢献

2009年05月23日 | ねったぼのつぶやき

 西南戦争(1887年)に従軍して投降した薩摩軍兵士約2700人が、国事犯として北海道外の全国の監獄署に配置された。仙台には305人が送られうち13人が病死。6人は遺族に引き取られ残り7人の墓が同市の瑞凰寺に残った。1970年代に七士の墓保存会として「みちのく宮城鹿児島県人会」が発足し、整備と墓参をしている。

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 各墓には以下のように刻まれていた。土岐丑之助1878年死去25歳。長井弥藤太78年47歳。寺田泰介79年33歳。有馬儀定78年23歳。橋口仲二郎79年36歳。米良佐平太79年40歳。有馬純俊78年25歳。国事犯となって2年以内の死去である。 

 彼らは厳寒の地で開墾、石盤採掘、築港、道路工事など明治初期の疲弊していた宮城県開発に大きな役割を果たした。消火作業での勇躍や民家を借りて学校を開き住民と勉学をしたとある。長井は農業改良などを指導して妻帯を許され、一軒家に住んで出入り自由と厚遇され、有馬純俊は「脚気症により去る26日死去」と報道されるなど、仙台市民と彼らは友好的であった。それ故に七士を藩祖伊達正宗公をまつった瑞凰殿の入り口にある寺へ埋葬したのでは?と郷土史家は語っている。

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仙台と「薩摩七士の墓」

2009年05月21日 | ねったぼのつぶやき

 仙台で行われた第4回同艇会の最終日は市内観光した。レトロ感溢れる観光バス「るーぷる仙台」は、杜の都に相応しく新緑萌えたつ街並みや大学を縫って走り、20分おきに小1時間かけて市内を循環していた。青年運転手の車内案内は快活で運転は注意深く、往復とも同様であったから観光都市の施策の一環と思われた。

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 伊達政宗公を祀る瑞鳳殿と、空襲で焼失した藩主三代の霊屋の再建時、発掘調査された際のビデオや遺骨や副葬品など展示された資料館を訪ねた。木立に覆われた参道を登り始めた処に掲示板があり、[鹿児島県人七士の墓」とあった。急いで左側に数段の階段を上ると日照りの中に墓があった。

  時を経た合同碑と一人一人の墓碑。思いがけず出合った故郷の古人たちは緑多いこの異郷の地で太陽に晒されていた。汗ばんだ暑い一日。せめて一本の落葉樹で覆ってやりたいと思った。帰宅後その経緯を調べ、しばし歴史の中に佇んでいた。(写真上でクリックすれば拡大します)

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*強風の日曜日

2009年05月18日 | 捨て猫の独り言

 東京地方は17日の日曜日に風速毎秒7メートルの南からの強風が吹き荒れました。今にも雨粒が落ちてきそうな空模様で湿度は70%に達していました。玉川上水緑道の木々の葉はあおられて裏返しになって白く、そのざわめき音が鳴り止みません。足元には小枝が散乱し、強風に驚いた橙色の口ばしのムクドリのつがいが地表まで舞い降りてきたりしていました。

 この日は渋谷で第12回渋谷・鹿児島おはら祭が開かれました。午後から道玄坂通りと文化村通りの交通を規制しておよそ50の踊りの団体(連)がパレードします。私の同窓生の参加もあり、昨年初めてこの祭を見学しました。今はアメリカに住む孫を抱きかかえながら強烈な日射しの中での見学でした。鹿児島のおはら祭が渋谷で、阿波踊りが高円寺で催されるなど各地方の祭が再度東京で開催されるという現象が見られます。

 心残りでしたが、渋谷の祭り見学を今回は見送り強風の中を中央図書館へと向かいました。「翁童論」という本をさがすのが目的でした。3年前に亡くなった歌人の山中智恵子が紹介していた本です。パソコンで検索すると地下の書架にありました。著者は国学院大学教授の鎌田東二で88年に新曜社というところから出ています。500頁以上もある分厚い本で、最初のページに 「かつて人は、老いの中に若あるいは童に通じる命の循環を見た。だが今日、多くの人は、老いの中に若さの消滅あるいは衰弱をしか見ない」 とあります。

 新着本コーナーの側を通りかかった時に目に飛び込んできた輝く本がありました。「羽化堂から」 がそこにあったのです。昨春に亡くなった歌人の前登志夫のエッセー集です。NHK出版からこの4月20日に出ていました。NHK歌壇やNHK短歌に5年間にわたり掲載したものを再編成し、編んだものです。あとがきに 「おのれを限りなくむなしうして、こころとかたちのすべてをおおらかな世界の基層ゆだねるという伸びやかさと自在さ」 と歌弟子の一人が書いています。「翁童論」 よりもこの本に出会えたことでこの日しばらくわくわくしていました。

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英語レッスン・アレコレ

2009年05月17日 | ねったぼのつぶやき

 公民館で断続的ながら英語レッスンを始めて何年になるかしらん! 時間の割にはかばかしくなく、さりとて止めようとも思わないのも不思議と言えば不思議な事だ。テキストに基づき、宿題があり、予習も必要で少なくともその為に1~2時間は要求されるのに・・・なぜ?

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 「やめるには惜しいし・・。も一つ乗り越えたら楽になる? 折角だから実用化できたら」と引きづって来た。タマに必要にも迫られ、継続は力なりと独りごちる。限られた時間ながら英語のシャワーを浴び、一歩踏み出すべく発語せんと踏ん張ってみる。TVは一定の期間ごとに趣向を変えて楽しい。(かって通った浴場は健在だった)

 英語クラスは流動的で欠員が生じやすい。会計担当時は必死だった。今は気楽だが人を誘うのはやはり難しい。やりたいと念願している人ならラッキーだが、イキナリの誘いは唐突ではないかと思えてしまう。相手のレベルも解からないから適応性の問題も発生し得る。何より自分がその中にあるのを表明することになり気恥ずかしい。

 

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上手くゆくかな夏野菜

2009年05月12日 | ねったぼのつぶやき

 今年はやっと野菜の苗を植え一息ついた。連休の後半から小雨続きで、植え付け前に済ませておきたい樹木の剪定が遅れたのだ。茂った木々は狭い畑の日照を妨げる。その間ポット植えのまま放置されたきゅうり一本は重さに耐えかねて首が折れていた。

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 例年通りトマト、ミニトマト、なす、きゅうり、にがうりと欲張った。畑は石灰を撒き、腐葉土や肥料を混ぜ天地返しをしておいた。にがうりの収穫は上々だがトマト、きゅうりは程々でなすは成功した試しがない。トマトの脇目摘みはた易いが、簡単だというなすは上手くゆかない。

 昨秋種まきした小葱は今は盛りで、ミツバも毎年律儀に顔を出す。山椒は鳥が種を運んでくれたか3本アチコチに芽吹き、幸い吸い物の香味は賑わっている。例年芽吹く青じそは今年は出ずパセリと一緒に苗を求めた。茗荷が小竹を思わせるようにツンツンと突っ立ち始めた。夏の麺の薬味はこれで叶う。今は若い蕗の茎や葉を日々食卓に乗せるのに忙しい。

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*MLB

2009年05月11日 | 捨て猫の独り言

 職場の机に座ってまずやることはパソコンを立ち上げることです。ニュースの項目をチェックしてつぎはMLBの試合速報に移ります。ほぼ14時間の時差があるMLBの全試合が速報されています。不謹慎なことに仕事中にお目当ての試合を選んでリアルタイムで一球ごとの試合経過を知ることができます。こんな環境ですから一昔前より仕事に取り組んでいない時間が増えていることは間違いないところです。

 テレビでは連日衛星放送で映像を楽しめます。午前中は完全中継があり、午後9時半からはMLBハイライトがあります。日本人選手の所属するチームを中心とした番組編成です。アメリカンリーグの東地区がよく放送されます。いつしか私はその中のボストンレッドソックスのファンになっていました。基本に忠実で個性的な選手が多くバランスがとれた伝統のあるチームです。

 シーズン前にWBCの試合が組まれています。日本が2連勝しましたが、それに出場した選手の中から故障者が続出しました。私には無理な企画に思われてなりません。不参加を表明する選手が多く出てくることを期待しています。アメリカではボストンレッドソックスのペドロイヤとユーキリスが賢明にもWBCの途中で故障を理由にチームから離脱しています。

 日本ではドーム球場が多くなってきていますが、ニューヨークにあるヤンキーズの今年オープンの新球場はドーム球場ではありません。野球が青空のもとでできることが保証されたことを喜びたいと思います。そのヤンキーズは新球場で迎える今年のWシリーズ制覇を狙って、補強に大金を費やすことをいとわない姿勢を見せて話題になりました。しかし現在の成績は低迷しています。かつて日本の読売巨人軍が他球団の4番バッターをかき集めながら不振だったことを思い出します。

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*対照的な2冊

2009年05月04日 | 捨て猫の独り言

 新緑の中を自室で何するでもなくぼんやりしていると、ふと 「人は自分にとってよいと思われることをする」 という文句が浮かんで池田晶子の 「14歳からの哲学」 を引っぱり出してきて何度目かの拾い読みをしました。著者の断定を理解しきれないでいるのでしょう。

 ≪自分の外側にある道徳や法律がよいとし、また悪いとすることがよいことや悪いことなのでは決してない。よい悪いと判断する基準は、自分の内にしかない。「よい」 という言葉があり、「悪い」 という言葉がある。そしてそれらの意味をすべての人が知っているということは絶対的なことだ。「善悪」 という言葉を知ってしまった限り、人はよいことしか為すことはできない≫

 上の気がかりな文句とほぼ同時に 「人に知られるよりも死んだほうがましと思うような秘密がだれにも一つはある」 というのも浮かびました。これは遠藤周作の 「私にとって神とは」 の中にあります。これもまたパラパラとめくって、その箇所をさがしにかかりました。好対照な2冊ではないかと思われます。

 ≪普通の人から見たらなんでもないかもしれないけれども、親兄弟にさえ知られたくない秘密、それを知られたら死んだほうがましだという秘密はどんな人間にもある。その死んだほうがましだという秘密を、夜中に目覚めてかみしめたりすることがあるでしょう。昔子供の時、お手伝いさんなんかのものを悪気なしにとったことがありました。それが彼女にとってはとても大切なものだったのに、私がひきょうなため、自分がとったのにおれは知らんと言って逃げ回ったことがあります。・・・≫

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パンドラの箱が開いた

2009年05月01日 | ねったぼのつぶやき

 新聞やTVを繰るたびにNEWSが飛び込んでくる。日を追うごとに国の数や罹患者は増え、予想されたこととはいえ遂に日本にもやって来た。今朝厚生大臣の記者会見の様子をTVでみたのだが、時間は午前一時と報じていた。

Balloon

 かってTVタックルで親しんでいたあの顔を、凡そ180度反対の場面で見るようになって久しい。年金問題では釈明とお詫びに再々登場し、C型肝炎も同様であった。今また世界的大流行の様相を呈してきた新型インフルエンザ問題である。目が血走ったように見えたのも致し方ない。一方、麻生氏は最近何やら余裕ありげな表情をみせ、外交時の報告は一入軽やかだ。今回も、口調も語尾が長く尻あがりになって聞き苦しい。時に消音にしフリップだけで見ている。

 短い時間の中で、呼称が豚から「新型インフルエンザ」に変わり、警戒レベルは「フェーズ5」へ引き上げられ、横文字のパンデミックは日本語として定着しつつある。グローバル化の時代。人みな不景気の波を被り、時を待たずインフルエンザの波に襲われている。次なる波は?と一抹の不安が過る。

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