玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

「グァンバレ!土さん」

2007年04月27日 | ねったぼのつぶやき

 実用も兼ねて柿、梅、キンカン、イチジクと植えている。収穫を望むには剪定法に従う事が必須。柿の木は枝が伸びすぎる。梅の木はトゲが多く剪定が苦労。キンカンの実はなり放題で落下。イチジクは大好物で毎年果実を数え収穫を楽しんだ。

 イチジクの葉は大きく日陰も作り夏の日射から車を守ってくれた。しかし樹液が多く車の上にポタポタと落ち、加えて鳥までやってきて液やフンで車を汚すことこの上ない。場所を変える余地もなく迷った挙句切った。

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 新緑の木々は日毎に萌え繁茂に向かっている。数年前に配置換えのため、猫殿がウンウン言って移植した常緑樹の金木犀の葉は、昨秋に枯れ始めて今年は新芽の兆しすら見えない。大きくなりすぎたので移植後に剪定したのがやり過ぎた?「枯れたようだから撤去だ」と何を急ぐのか猫殿は言う。枝木は生の部分もあったのに、お天気のいいある日帰宅してみたら哀れ金木犀は根こそぎ抜かれて横たわっていた。

 目一杯菜の葉の収穫を楽しんだ畑はコンポストの土を入れて耕した。頑張った土は今休息中。夏の葉物は未経験。虫との闘いになるのだろうが片隅にヤッパリちょっとはやってみたい・ナァ。「土さん、次いくよ~」

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曼珠沙華太平洋を渡る

2007年04月25日 | ねったぼのつぶやき

 先日某国からやって来た旧友の言葉につられて「曼珠沙華」の球根を上げた。原産地は東アジア周辺なので彼の地には見かけないらしい。彼女は喜んでくれたものの、サテどうやって連れ帰ろうかと思案したようだ。

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 ムリだったら捨てても構わないからと言いつつ渡したものの、余計なお世話?と気になっていた。猫殿の顔は明らかに「余計なことをして・・」と言っていた。彼女は1ヶ月間日本で大事な打ち合わせや観光、旧友知人との邂逅に飛び回り爽やかに帰国した。

 帰国報告にかの「球根運びの奥の手」が語られていた。時節柄売り出されていた筍の糠からヒントを得て糠にまぶし、らっきょう、奈良づけなど臭いの強い漬物類を買い込み、ギューギューに詰め込んで運んだが・・。

 案の定税関でひっかかり、知恵を働かして東洋系の男性の係官の列を選んだ。万一に備え準備怠りなく堂々と振舞い、らっきょうなどと違いニョキニョキ髭根の生え出していた球根を「私の故郷ではこういった方法で塩漬けするの」と説明して通過した・・という。曼珠沙華万歳。日本女性バンザイ。(写真は姫ウツギ)

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*よく仕込まれたもの

2007年04月23日 | 捨て猫の独り言

 これまでもそうであったが、自分は行き当たりばったりに生きているのだということを、最近ことさら強く感じるようになってきている。そしてそれは外からの働きかけによる場合の方が多い。職場の知人に復元酒というものをいただいた。その小瓶のラベルによると江戸時代の文献をもとに島根の酒造好適米五百万石を原料米に出雲杜氏の吉岡光雄が復元したものであり、どうぞ江戸時代の食文化をお楽しみ下さいとある。松江市にある李白酒造が出荷したものである。

 この登録商標にある 「李白」 は8世紀の唐文化の爛熟期に生まれ中国最高の詩人として杜甫と並び称せられ詩仙または酒仙と呼ばれる。一説に酒に酔って水中の月を捕えようとして溺死したという。さて復元された江戸時代の酒は酸味があり、黄褐色を呈している。ぐびぐびと喉を通る。貴重な液体をありがたくありがたくいただく。それは紹興酒に似ているが、なにやら紹興酒よりも澄み切った味と言えようか。

 これまた職場の別の知人に 「立川志の輔」 独演会のチケットをいただいた。男二人で行くつもりだったが、自分は義母の葬儀で行けなくなったから代わりに行けと言う。そして私が先の復元酒を味わいながら飲んだのは、この独演会に出かける前であった。開演は金曜日の夜の6時半だ。会場で隣に座った男はもちろん私の知人でもある。帰り際に聞いたところによれば、その男も日本酒を二合をほど入れてきたという。落語を聞くには連れのある方がいい。

 志の輔も取り上げていたがこの大ホールは落語をやるには広すぎる。2階席のお客などは気の毒だ。それでは中ホールで三回の公演をやるかといわれたら大ホールで一回で良いと言うだろうと正直だ。面白くないからもう落語を聞きに行かぬとなればこっちは他の地方に出かけるまでのことと笑わせる。欧米のトークショウと落語の違いを強調していた。落語には情があるという。喉の擦れが気になったりしたが、師匠の立川談志の影を色濃く感じた。芸の道とはかくのごとくに伝承されていくものだ。さすが真打である。テレビ番組ためしてガッテンとは異質の圧倒的な迫力で時の経つのを忘れさせてくれた。

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3月~4月この一ヶ月

2007年04月18日 | ねったぼのつぶやき

 この1ヶ月は年度替りと重なる。学齢期の孫は春休みに「2人だけのお泊り遠出」でやって来て、3年生になったと自分用の貯金箱にジィから手にした300円づつ入れた。8ヶ月で未熟児として誕生した双生児の成長は何より嬉しい。猫殿は定年を迎え、担任なしの教科専任で持駒半分の身軽な勤務となった。

 定年の区切りとして義父母への挨拶とひ孫との初対面をし、私の両親へも墓前で報告と対面をし、両親が特別気掛かりにしていた弟の退職報告もした。3月中旬から始まった旧交を暖める会は千葉、浦安、鹿児島と所を代え続き、メンバー1人の帰国でツイ先日終わった。

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 続いて船旅の同航会が那須で行われ、互いの健康を祝し、盛りだくさんのメニューを楽しんだ。最終日の朝は東京でも今年はツイゾ見かけられなかったミゾレ、小雪に遭遇した。イツニナク行事や移動の多かったこのひと月だった。(今が盛りの那須高原の桜)

 ソレもコレも健康あればこそといつものように感謝しつつ帰宅する。手にした夕刊は米国での「学内銃乱射32名射殺」のニュース。続いてTVでは「長崎市長銃撃の現場中継」放送。瞬時に凍る心地となった。

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*生命ある限り

2007年04月16日 | 捨て猫の独り言

 いい番組に出会った。15日の日曜日の夕方に放送されたドキュメンタリー番組TBSテレビの 「報道特集」 がそれだ。JR福知山線脱線事故に会い、死の宣告を受けながらも奇跡的に回復を見せつつある32歳の女性についての記録である。2両目に乗っていた鈴木順子さんは脳のダメージがひどく5ヵ月後にやっと意識が戻る。あれから2年だ。父母や姉などの介護のもとで自分の名前を漢字で書けるまでに回復した。

 人体に備わる自然治癒力は驚異である。そして治癒力が発揮されるためには、それなりの環境も必要だった。鈴木さん家族は自宅を改造して、早い時期に病院から自宅での介護に切り替えた。この番組で私は事故の背景などよりも回復する生命に圧倒されていた。

 ところで最近の自分の体はどうか。スポーツで汗を流した後での爽快感など忘れたに等しい。慢性疲労をなかなか脱却できないというもどかしさの中にいる。かろうじて湯船の中で温まったり、浮力を感じたりして何事かを錯覚したりしている。このままの体力状態を続けていくことは駄目だと感じてはいるのだが、なかなか転換できない。

 父が大病してから11年が経過した。血圧をコントロールしつつ生き生きてまもなく卒寿を迎える。なんとその節制ぶりは私には真似できそうにもない。この4月の4泊5日の帰省で、0歳の女の子のひ孫と、私の父母との初めての対面が実現した。帰京する日に、0歳と90歳がおでこを合わせてにらめっこしていた。その光景が目に焼きついている。

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ハナミズキが開花した

2007年04月14日 | ねったぼのつぶやき

 1週間の留守の間に上水の芽吹きは勢いづき、その下をお迎えに来た母親と一緒にピカピカの1年生がランドセルを揺らして下校している。妹や弟を乳母車に乗せた母親の歩調もユッタリとして、母親どうし語らう表情はイズレも晴れやかに見える。

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 木立の中からはウグイスの鳴き声が例年になく多く聞かれる。あまりの鳴き声に歩行中木立を仰ぎ見る人や、指さす人もいて昨日は指差す方向に小さな姿を見つけた。遠目で色、形までは見えない。警戒心が強く「声はすれども姿は見えず」で、別名春告鳥とも呼ばれている。

 庭先のアメリカ・ハナミズキも、白の花弁は蕾で固いがピンクの花弁は日毎に増える。この花は日本からアメリカに桜を贈ったお返しと聞いた。1つ年長の庭師は珍しいのでと言いつつ小さい苗木を植えた。手入れしていた彼が没して1年たち、アレから30年過ぎて大木になった。公園、街路樹、家庭で多く見掛けるようにもなった。秋の赤い結実も捨て難く2度楽しめる木である。 

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いっぱい ありがとう

2007年04月12日 | ねったぼのつぶやき

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 この3週間は家族、親戚、かっての学友達とアチコチを動き回りました。共に旅し、語らい、食べ、飲み、唄い、年甲斐もなくハシャギ疲れもしました。一方では病を得た旧友の様子を憂え快癒を祈りました。疲れと祈りは誰しも同じだった事でしょう。(空港で足湯)

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 私自身が患ったことがあるので旧友の回復を切実に願っています。今や世界一長寿を誇るこの国において元気に老いなければツライ。自分の体は自分が守る。自己管理能力を鍛えましょう。ppkという言葉をご存知でしょうか?その意は宿題として本当にそうありたいと願っていますが、長寿を楽しんだ後でソウありたい。

 浦安、館山、鹿児島では同期生にいっぱいお世話になりました。鹿児島では沢山集まって下さってありがとう。美味しかったね。楽しかったね。元気を保って楽しみましょうね。あなたも。私も。み~んなも。病が癒えて加われるよう希望を持ってね。(見事なナニワイバラ)

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*ロタウイルス

2007年04月03日 | 捨て猫の独り言

 赤ちゃんの様子がいつもと違っていた。いつもなら抱いて仰向けに腕の中で寝かせようとすると起き上がろうとして抵抗する。赤ちゃんに眠りに落ちる恐怖のようなものがあるのだろうか。ところがその日は、なされるがままにお昼寝に入った。夕方になって赤ちゃんが2度ほど吐いた。ぐったりして我が家を去った。

 翌日の月曜に娘に連絡を取るとロタウイルス下痢症と診断されたと言う。オムツが間に合わないほどの下痢だ。その日の夜に学園の退職者送別会に出た。普段口にすることのないフランス料理だ。今にして思えばその時すでに私の体内にロタウイルスは侵入していた。そのうちに赤ちゃんの母親である娘にも下痢が始まったと知らされた。その週には双子の小学2年生が泊りがけで我が家に来て、その翌日は立川で映画を見ることを予定していた。それが済んだら下痢で苦しむ2人の応援に駆けつけようと考えていた。

 この下痢は、生後6ヶ月から2歳ぐらいまでに必ずといっていいほどかかるという。水のような多量の下痢便が特徴で便の色も白っぽいことから白色便性下痢とも言われる。下痢は1週間ぐらいでおさまる。ウイルスが原因なので特効薬はない。下痢で失われた水分を補うことが肝要である。1~3日の潜伏期間がある。

 私の潜伏期間は6日であった。娘の応援どころではない。年をとると何事にも反応が遅くなる。赤ちゃんの父親と、赤ちゃんの母親の母親に今のところ異常はない。予防には手洗いしかないそうだ。ぐったりした時からちょうど一週間して赤ちゃんが我が家に姿を見せた。やつれているが普通の便に戻った。これが何より嬉しい。定年退職の報告と、ひ孫を見てもらうために故郷行きを計画した。丁度一年前の鹿児島での婚礼の時にはお腹の中にいた。その赤ちゃんを連れて4人での鹿児島行きが4月4日だ。私の下痢発症1週間後に当地で同窓会もある。予想に反して私の下痢も終息に向かいつつある。万全の体調ではないが予定通り飛行機に乗る。

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菜の花を摘んで食べる

2007年04月02日 | ねったぼのつぶやき

 夕刻になると毎日菜の花を摘む。摘んでも摘んでも翌日はもう蕾が膨らんで摘んでもらうのを待っているかのようだ。昨年は一面に開花したが今年は開花に至らない。小さな「菜の花畑」も風情があるが毎夜の皿の上に乗る「お浸し」には敵わない。

_006_1  春休み。1泊2日でやって来た新・小3年生も摘んた。ブーツが汚れやしないかと気にしていたけれど、夢中になって小さなボールに一杯づつ摘んだ。洗って湯がいて水洗いして全部子供にさせた。色鮮やかに仕上がったお浸しは、甘く美味しくて「菜の花の印象が変わった」と妙に大人びた口調で言った。

 翌日両親が迎えがてら来て、また菜の花を(お持ち帰りの分まで)摘んで子供らが料理した。そして自分達が摘んで料理したのだと得意になって出した。「特別に美味しい」と両親は満足の表情で頬張った。お家でお浸しを食べながら「貴方達のパパの初めての遠出」の寝物語や、映画「バッテリー」など2日間の様子はどんな風に報告されたのだろうか。畑の中央には大きな穴ぼこが出来てしまったケレド・・。

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