玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ニヒリズム

2021年02月25日 | 捨て猫の独り言

 ドイツ文学などこれまで読んだこともなかったが、ある本を読んでいてニーチェの「ツァラトゥストラ」とはどんなものか知りたくなった。そこで手にしたのは中央公論社の世界の名著シリーズにある手塚富雄訳(1966年)の「ツァラトゥストラ」だった。私が興味深く読んだのは、本文に先立って訳者がニーチェの人生を紹介し解説した部分だった。本文の方は第一部のみ読んでそれより先に進むことなく終わった。

 別刷りに、訳者と三島由紀夫との対談がある。「素質的にわれわれは終末観とか、最後の審判などの直線的な時間観念には親しみにくい。ニーチェの永劫回帰の思想には、瞬間を永遠にしようという決意がありますね。東洋の考え方とほとんど同じところにいくんですけど、東洋ではああいうふうには言わないですね(手塚)」

 ああいうふうとは「人生は、そのあるがままの姿において、意味も無く目標も無く無への終曲も無く、しかも無可避的に回帰する。すなわち意味無きものの永遠」というニーチェの言葉だと思われる。「なんかそこまで言っちゃっちゃ、おしまいみたいな気がして・・・。ニーチェがキリスト教に反対しただけじゃなくて、プラトニズムまでひっくるめて否定しちゃったということは爽快ですね。やはり西洋というものは、そういうふうにニーチェ的に要約されてよくわかるような気がします(三島)」

 

 ニヒリズムとは「虚無主義」と訳される。その代表がニーチェであると言われている。ニーチェが説いたのは「無意味な人生を既成の価値観にとらわれることなく創造的に生きる人生にこそ人生の意味がある」ということで、言うなれば積極的ニヒリズムということのようだ。また同じく負のイメージをもたれているアナーキズムは「無政府主義」と訳されるが「権威からの自由を目指す生き方」と解釈することができる。 

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*人のつながり

2021年02月22日 | 捨て猫の独り言

 ある金曜のよる9時に高橋源一郎の「飛ぶ教室」を聞いていた。雑誌に応募した小説を、吉本隆明が高く評価したことがもとで高橋の小説が刊行された。またこの日の飛ぶ教室のゲストである穂村弘の第一歌集を、高橋が「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と評したという。そんな三人のつながりを知った。(小金井公園の梅林)

  

 つながりということで決まって思うことがある。最近話題になった森喜朗のことだ。1969年の衆議院選挙に旧石川1区から立候補。この選挙は10人が乱立する混戦模様で実際、田中角栄自民党幹事長は森を「泡沫候補」と呼んで公認を与えなかった。 出馬に際し、岸信介元首相による応援を要請。岸は森の要請を快諾し、はるばる石川まで応援に駆けつけた。下馬評を覆してトップ当選した。

 森は、無名の泡沫候補に過ぎない自分の応援のためにわざわざ駆けつけた岸に対し、終生恩義を忘れないと公言してはばからない。後年岸の外孫である安倍晋三が首相に就任した際は、後見人として安倍を支えることになる。森内閣のあとは小泉内閣になるのだが小泉劇場の主演女優は田中真紀子だった。森の「田中真紀子の外務大臣だけはやめておけと」という小泉への助言は実現しなかった。そして田中は外相に就任したが官僚との対立で更迭される。

 「3本の矢」「地方創生」「一億総活躍社会」「働き方改革」「人づくり改革」など地道な達成よりもめぼしい政策課題を食べ散らかしてきた安倍内閣。新しい看板をつぎつぎに繰り出すから国民は失望する間もない。関心も持続しない。その政権の後見人とおぼしき人物が森喜朗である。2020・東京オリンピックに岸ー森ー安倍のつながりを見てしまう。そしてしがらみに殉じることを美徳とする、閉鎖的な日本の政治風土を一人嘆く。

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*小平市長選挙

2021年02月18日 | 捨て猫の独り言

 核兵器の存在を史上初めて違法と定めた核兵器禁止条約が発効したのに唯一の戦争被爆国である日本政府は、米国の「核の傘」への依存を理由に署名に参加していない。それに対し「日米安保条約には核兵器については触れてはいない、法的に禁止条約に参加できないのではなく米国の顔色をうかがっているだけで主体性がない」と元外相の田中真紀子氏(77)は言う。

 「被爆国だから核廃絶を目指すと訴えながら、自分の国は禁止条約には入りませんというのは論理が破綻しています」さらに「人には器というものがあります。安倍晋三前首相も菅義偉氏も絶対にウソやごまかしを言わないという人間としての基本がまったくできていない。その上、あの言語能力では基礎学力を疑われても仕方がないですね」と手きびしい。

 

 小平市は戦後60周年にあたり2005年6月7日に「非核平和都市宣言」を行い、その10年後には市庁舎前に宣言文の常設案内文が設置された。代々続いた自民系の市長のあと、2005年から非自民系の小林正則氏(68)が市長を4期務めている。その後任を決める市長選挙が4月4日に予定されている。

 いち早く立候補を表明したのは非自民系の女性候補だ。2011年小平市議会議員に初当選し、3期10年目を迎える1973年小平市生まれの小林洋子氏(48)である。偶然にも現市長と同姓である。野菜・イチゴ農家の夫・母・子ども4人の3世代同居、武蔵野市の女性市長と並んだポスター。国連が実施する計画の束SDGs(エスデジーズ)の中の一つ「性別にとらわれない平等」の達成は公約の一つ。対抗馬は自民系で現市議会議長の男性(41)だ。

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*暦と運勢暦

2021年02月15日 | 捨て猫の独り言

 伝統的なカレンダー(暦)が新しく我が家にお目見えした。今年は令和3年だが平成33年・昭和96年などの記載は目新しい。また不明なことも数多くあった。たとえば2月12日の枠の中には「旧1月1日」「先勝」「かのと う」「一白」とある。欄外には「農事暦」がある。また2月の「大安」は5・11・16・22・28日とか、それとセットで「一粒万倍日」「不成就日」「三りんぼう」などがある。

 2月の農事暦には、農=麦の踏圧、土入れ、追肥など。趣=シクラメンの移植など。花=椿、白梅、紅梅、金せん花。釣=クロダイ、アイナメなどと書かれている。あるとき夕刊が配達されない日があった。翌日に電話すると、さっそく配達の方が昨日の夕刊を届けにきた。お詫びのしるしと受け取ったのは、「令和三年・運勢暦」だった。なんと、この本でいくつかの暦の謎が解決した。さらに運勢暦には百円ショップの大創出版と、神宮館の千円のものがあることも知った。内容はほとんど変わらないという。この値段の差はどうしたことだろう。

 運勢はともかくとして、まず「十干十二支」を組み合わせた六十干支は年ばかりでなく月や日までにも割り振られている。つまり干支には月の干支、日の干支があるのだ。2月12日が「かのと(辛) う(卯)」なら13日は「みずのえ(壬) たつ(辰)」となる。干支とは六十干支が順番に割り振られ、最後までいったらまた最初に戻るという繰り返しだが、理解し説明するのは意外と難しい。(写真は国分寺崖線あたり)

 

 「二十四節気」の他に、節分、初午、彼岸などの「雑節」があり、さらに吉凶の判断を行う「選日」があるという。その一つである「三りんぼう」はこの日に棟上げ、建築を行うと向こう三軒両隣まで焼き滅ぼすという大凶日だ。よく目にする「先勝→友引→先負・・・」などは江戸末期ごろから流行して「六輝」と言うのだそうだ。「一白水星」「二黒土星」など「九つの本命星」に分けられて運勢は決まる。九つのグループごとに年間の「毎日の運勢」が一冊にまとめられたのが「運勢暦」である。

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*辺見庸を読む

2021年02月11日 | 捨て猫の独り言

 存命する作家の中で気になる作家の一人は辺見庸である。野球帽を目深にかぶった姿が印象的だ。早稲田大学卒業後に共同通信社に入社、外信部のエース記者として知られ北京、ハノイ特派員などを務め、1956年に退社して執筆活動に入る。2004年に講演中に脳出血でたおれ、翌年には大腸癌に冒される。今回読んだ本はその直後の2006年に出版された「自分自身への審問」だ。幸いにもその後も生きて処女詩集を出すなど活動している。

 

 《第一章》には伊藤博文が登場する。日露戦争に勝利した日本が韓国に強要して条約を締結し、韓国は日本の「保護国」とされ朝鮮への専制支配が進められていった。ところが日韓併合は韓国側の求めに応じてなされたと与党幹部まで言い放つようなご時世になった。他方、日本人拉致問題はメディアで連日連夜流される。かつてアジアの人々に到底癒しがたい恥辱を植えつけ、そうすることにより自らも深い恥辱の底に沈んだこの国はもはや、恥辱とは何かについて考える力さえ失いつつあると述べる。

 《第五章》の「自分自身への審問」は東京信濃町の病院のベッドの上でパソコンに打ち込まれた。医師からは文章表現はもう無理といわれたこともあったようだ。あとがきに「独り黙(もだ)していては到底堪ええない、血も凍るような不安と恐怖ではないだろうか。それらを私は文に転嫁しようとしたのである。神意のこれが正体だ。つまり臆病者の無神論者だからこそ、入院しても落ち着きなく文をこしらえたわけである。拙文がもしもいささか遺書めくとしたら、これも運命への畏れで内心狼狽しているからだろう」と書く。この第五章はドストエフスキーの文体を思い起こす。

 「・・黙秘したい。少し疲れてきたようだ・・」ーそうくると思ったよ。肝心な問題になると逃げをうつ。お前という男はひたひたと近づいてきた自分の死期という、じっと黙すべき生の夜陰の時さえ、誰かに衒って見せたいという手のつけられない性格の持主なのではないか。世界は善も悪も神も戦争も、なんでもためらわず購う単一の市場と化している。とお前は言うが、おまえ自身病をあれこれ衒い、知死期のありようさえ文にして売るかのような自己商品化を地でいっているではないか。お前のいうことはでたらめだ。

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*経済の本を読む

2021年02月08日 | 捨て猫の独り言

 降旗(ふりはた)節雄の「レクチャー現代資本主義」を読んでみた。細川内閣の非自民連立内閣が成立して55年体制が崩壊した年に出版されている。今から26年前だ。マルクス経済学を原理論(マルクスの資本論)、段階論(レーニンの帝国主義論)、現状分析の3つに分けて独自に体系化したのが宇野弘蔵(宇野学派)だ。その直弟子が降旗節雄である。

 

 現代資本主義をとらえるためには、クルマ社会と南北問題と国家による経済の組織化という三点に分析の焦点をしぼるべきという論旨が貫かれている。現代資本主義の構造と運動が統一的に把えられ、私たちを支配している国家と資本の奇怪な結合体のイメージを明瞭にえがいていただけたら幸甚のいたりと述べている。種々の問題の中で私の第一の関心は「農業問題」だった。

 人間は基本的には自然と切り離すことができないという構造をもっており、人間はそれを農業を通して維持してきていた。農業をやることによって自然的環境が保たれる。単純な商品の経済的合理性の問題だけではない。日本の経済と風土、地域、人間とのかかわりをどうすべきかを構想することが、今日の社会主義の主要な内容をなすのではないか。

 マルクスにもエコロジー的視点があったと強調する論者がいますし、それもたしかに否定できません。しかしその点でマルクスを買いかぶるのは贔屓の引き倒しになるおそれがあります。マルクスの時代に制約されたマルクスの思想の守備範囲をきちんと確認しておき、マルクスより後に出てきた問題についてはマルクスの考えを前提にしながら我々が考えていかねばならない。

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*玉川上水を歩く

2021年02月04日 | 捨て猫の独り言

 私の東西南北の四つの散歩コースのうち、あまり知られていない西のコースを写真を多用して紹介したい。西武国分寺線の「鷹の台駅」のすぐ近くに玉川上水に架かる「鷹の橋」がある。そこから左岸を上流に向かって歩き出す。目的地は「金毘羅橋」で全行程約5㎞なのでたっぷり1時間はかかる。創価小中高、白梅中高の先には上水公園がある。朝鮮大学の先には、きつねっぱら公園。公園の北側に上水と交差する幹線道路が最近開通して橋は「百石橋」と名付けられた。

 

 小平西高の先の「東小川橋」を右岸に渡ると、上水新町地域センターがある。ここの館内で鈴木忠司著の「玉川上水四季さんぽ」を見ることができる。

 

 左岸に戻って先に進むと、ごみ焼却場に隣接して「こもれびの足湯」がある。まもなくして水道局の小平監視所がある。ここから下流は長い間水は流されず玉川上水は荒れるがままに放置されていた。1986年に清流復活事業で処理水が放流されるようになる。放流地点には「上水小橋」が設けられ、ここは本流まで降りることのできる数少ない場所だ。

 

 監視所から上流は幅8メートルほどの昔ながらの上水路で、のり面は整備され水底には小石が敷きつめられている。出発から40分ほどで西武拝島線と多摩都市モノレールが直角に交差する玉川上水駅に着く。監視所から金毘羅橋までは立川市になる。左岸の私立の国立音学大学の近くの橋が「千手橋」だ。反対側の右岸にある、かまぼこ型の建物はインターナショナルスクールだった。明治初期に2年間ほど玉川上水に船が浮かんだことがある。つぎの「宮の橋」近くには船着き場の跡と思われる土手が見られる。「金毘羅橋」の交通量はかなり多く、交差点には馬頭観音が鎮座している。

 

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*資本論

2021年02月01日 | 捨て猫の独り言

 経済の本を読んでみようかと思った。図書館の本棚を眺めて、出版社や装丁などから相性の良さそうなものをさがした。選んだ一冊は日本評論社の[レクチャー現代資本主義]「日本経済の構造と分析」だった。著者は降旗節雄で2009年に78歳で死去している。幸いにも最後のページまで読んでやろうという気にさせる本だった。

 まだ途中までも読み進んでいない。そんな折「100分de名著」の1月は「カール・マルクス 資本論」だということを知り、あわててテキストを買いに走った。講師は「人新世の資本論」などの著者1987年生まれの斎藤幸平という。なんと今、書店に多数の「資本論」関連の本が並び、若者が手に取る姿が見られるそうだ。

  

 人類の経済活動が地球のあり方を根本的に変えてしまったという事実を強調するために、「人新世(ひとしんせい)」という地質学の概念が、さまざまな分野で使われるようになったという。こちらのNHKテキストの方を先に読み終えた。番組の第3回で取り上げられた具体例、学校給食の「自校方式」と「センター方式」の解説には大いに納得する。

 番組の第4回のキーワードは「コモン」だ。コモンとは共有財産のこと。水や森林、あるいは地下資源といった根源的な富は「コモンとして」みんなで管理していこう。そこで取り上げたのは2018年種子法廃止(その理由はさらなる民間参入促進)。ついで2020年種苗法が改正され、種の商品化が進むことを危惧する。そして脱成長型の街作りに舵を切ったアムステルダムが紹介されていた。

コメント (2)
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