玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*修行と心得よ

2010年05月30日 | 捨て猫の独り言

 アメリカに住んでいる娘が2年ぶりに2才と4才の女の子を連れて一時帰国するという。男親の転職のため、最近この家族は州をまたいでの引っ越しを敢行したという。その機会をとらえての帰国である。遠く離れて暮らしていると、こちらに勝手に心配の気持ちが働いて帰国の計画を要求通り受け入れた。なんだかんだで我が家に滞在する期間は3カ月半となった。この3カ月半という期間の重大さを軽く見たのはなんとも軽率だった。

 孫は来てよし帰ってよしという場合の期間はせいぜい2、3日が相場ではないか。それが3カ月以上も続くのは特異なことだろう。一時帰国による仮の生活には不安定さもつきまとう。今年からは毎日静かな暮らしが始まると思っていた矢先に見舞われた思わぬ生活の変化である。この間は静寂の中の生活は絶望である。離れようとしても押し寄せてくる。係累を断ち切れない自己の凡庸さを思い知る。

 独居老人の死というものがマスコミでは悲観的に取り上げられるが果してそうだろうか。おひとりさまの状態こそ静寂の生活には絶好の環境ではないか。自然の変化とともに生きるには十分に孤独であることが望ましい。独居であればこそ、人は自分が自然の一部として生きていることを感得する機会に恵まれるはずだ。

 自らの甘い判断により招いた現在の生活状況はなかなか苛酷である。人が人になる前のヒトに翻弄される日々が続く。これを乗り切るには覚悟が必要である。あるがままを受け入れるためにいつもよりおのれを寛大に保つ必要がある。大げさにいえばおのれを無にするということだ。そして三度三度の食事は重要である。これではまるで禅寺における修行のようなものではないか。禅寺に修行に入ったことはないがそんな気分で生活しないとこの難局を切り抜けられそうもない。

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*コゲラ

2010年05月24日 | 玉川上水の四季

 オープンギャラリーの鈴木忠司さんは温厚な方だ。四季の変化に驚くことのできる人だ。鈴木さんはその変化にシンクロするあまり、いつも忙しく立ち働いているように見える。撮影や写生のための大型機材を自転車に満載して移動中の鈴木さんと最近よくすれ違う。これまでも永年の間にはこの地域で何度かすれ違っていたかもしれない。お互いに認識することがなかっただけだ。昨年の立春に68歳で始めたオープンギャラリーも2年目を迎えてますます地域に浸透してきた。夜間でも出入り自由の展示物だが被害にあったという話は聞かない。

 私は先週の月曜に思いがけなく鈴木さんから電話を頂いた。明日の火曜の朝8時30分にギャラリーに集まりコゲラの子育ての観察に行くという連絡だった。つぎの日曜の例会までには巣立ちが終わってしまうからそれまで待てないとのことだ。もちろん喜んで参加することにした。当日集まったのはいつもの例会よりかなり少ない人数だった。巣の場所がクチコミで広まると撮影に支障をきたすので人数限定にしたということだ。それでも主人が行きたいというので連れてきましたという人がいて総勢7人だった。

 コゲラはキツツキの一種で全国に分布していて、小平市では玉川上水付近によく見られる。そこで小平市の市の鳥はコゲラである。飛びながらギイーとなく小型の留鳥だ。冬はまゆみの木の実を餌にしているという。だからまゆみの木のあるところコゲラの巣がある可能性が高いのだという。それより巣を見つけるのに一番大事なのは鳴き声を聞き分ける耳だという。中学や高校生の登校時刻と重なったので、それを避けて玉川上水の右岸を上流に向かう。途中ノイバラを見かける。現在のギャラリーの展示写真の中にもあった。玉川上水で見かける動植物と展示物との同時性は鈴木さんの自負するところでもある。

 私は8倍の望遠鏡を持参していた。コゲラの巣は美術大学の学生の通学路にもなっている人通りの多い児童公園の中にあった。最初は鈴木さんから狭い範囲内にある数本の木のどれかに巣があるというヒントが出されたが誰も見つけることができない。それは一本のコナラの木のやや細い枯れた幹の部分にあった。私は人より遅れて巣穴を視野に入れることができた。まことに感動的な風景だった。みごとなまでに円形にくりぬかれた巣から雛鳥が一羽ずつ交互に顔を覗かせている。30分ほど待つと親鳥が飛来して幹に縦にとまって餌を口移ししてすぐに飛び去る。私はあの翌日にもう一度コゲラの子育てを確認にでかけた。そして昨日の日曜は雨のために例会は流れた。おそらくあの巣はすでに空き家になっていることだろう。

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ミニミニ菜園の気がかり

2010年05月19日 | ねったぼのつぶやき

 マメを摘んだのは今年が初めてだった。近くのマーケットで2~3本着床していた苗床2鉢を求めて植え込んで置いた。ツル科の植物は這わせる工夫が要る。プリプリとした歯ごたえが良く、甘い香りを放ったスナップエンドウ。何せ初めて対面する”私の野菜”ゆえ、花 ~実 ~膨らんで摘み頃になる過程を日々愛でた挙句の味わいは、絶妙だったのは言うまでもない。

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 同時に求めたレタスを含むサラダ菜も、すこぶる元気がよく勢いがあって2人の口では消化しきれない。外周の葉を剥ぐように摘んでゆくので、中心部の生育がはやい。夏物のとりわけ葉っぱ物は虫が付きやすく目が離せない。今のところ無事に済んでいるが狭~い畑なのにアレコレと欲が出てつい植え過ぎてしまう。隙間に後から植えたオクラやピーマンが一向に伸びず、太らないのはキットそのせいだ。

 これから虫対策、といっても観察と摘みとりしかないのだが忙しくなるだろう。加えてもっと強力な難敵が現れる。「聞き分けの難しい年頃のギャング」到来である。果実のもぎ取りを楽しませてあげたいが、全く未体験のギャング達にとっては何よりも面白い遊びとなろうし、とりわけ2才児がどれだけ聞き分けてくれるか今から悩ましい限りだ。これを機にもっと野菜を食べるようになってくれればこれに優るチャンスはないけれど。

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*使いこなすのは大変

2010年05月16日 | 捨て猫の独り言
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 テレビのアナログ放送打ち切りの期限が迫り、デジタル仕様に切り替えたのが昨年の暮れだった。鮮明な映像に感動したものだった。もはや夜遅い番組には付き合いきれない体力なので、このたび新しく録画機を購入することにした。店頭にはDVDレコーダーとBD(ブルーレイ)レコーダーが並んでいるが、この二つにはかなりの価格差がある。低価格のDVDレコーダーで十分と判断した。なぜか品物が届くまで10日ほど待たされた。アンテナ接続などが十分理解できず、やっとの思いで番組表からワンタッチ録画できるようになった。できてしまえばなんだこんな単純なことだったと気付く。ところで今朝の新聞のチラシでは、もはや低価格のDVDレコーダーはチラシから姿を消してBDレコーダーだけの掲載になっていた。

 無味乾燥ともいえる言語を学習した。●DVD=Digital Versatile(用途の広い) Disc ●HDD=Hard Disk Drive=補助記憶装置  レコーダーとテレビの接続の途中であわてて買いに走ったのが初めてその名を聞くHDMIケーブルだった。高画質で見るためにはこれ一本を接続すべしとある。●HDMI=High Definition(鮮明) Multimedia Interface(接続)  たしかにこのケーブルで接続してDVDを再生してみたら以前より高画質で見ることができた。家電製品の進歩あるいは変化のスピードについていくのは大変だ。

 ミニコンポが故障し処分してから2年近くになっていた。この間ほとんど音楽なしで過ごしていたことに気付く。そこでこれもつい最近のことだがシステムコンポを新たに購入した。この種の機器の設置は簡単で何の苦労もない。本機のスピーカーは、原音を忠実に再現するためにキャビネットと振動板に天然木を使用していますとある。値段は4.5万円で分相応だろう。設置するまではFMやAMのラジオのアンテナが気になっていたが窓際のカーテンに隠れて目立たない。

 うれしいことではないが機器の使い方の学習に追われる日々が続いていた。録画機のつぎはカーナビだった。車の運転から遠ざかって久しい。片方の眼の視力が落ちたせいもあって最近は車に乗る時はもっぱら助手席である。ところが近いうちにわが娘とその小さな子供たちを成田空港まで出迎えに行くことになった。助手席の私が間違いのない操作をして、カーナビに地図や音声による案内をさせねばならない。この習得にもかなり時間がかかった。ついでにETCカードについても調べた。これまでETCカードを所持はしていたものの実際に使ったことがなかった。カードの使用期限は今年の11月だった。何とか空港にたどりつく目途をつけたつもりだが、はたして本番はどうなることか。

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再度数独病が私を襲う

2010年05月13日 | ねったぼのつぶやき

 困ったもんだ。暫く遠のいていたのに・・。これはもう完全に病気だ。又しても獲り付かれてしまった。始めた頃は別紙に転記して紐解いていた。今回は直接本に記入する。転記の手間が省けた分簡単に取り組める。3月中旬「ナンプレDELUXE200」入手以来、一つの用事が済む度に私の気分はそちらに向かう。早く向かいたくてそそくさと用を済ませるといった方がより正確かもしれない。

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 縦横9X9=81コマの枠。うち28~22コマに単数字がランダムに書き込まれている。数が少ない程難易度が高くなる。縦横各列行の空きコマに1~9の数を記入するが、同じ数字を重ねてはいけない。現在24コマ埋まったページに挑戦している。1回目で完成する確率は少ない。たいていは2~3回かもっと困難例もある。

 完結すると次こそはと即移行したくなる。この終わり時が難しい。多くは何度もやり直すことになり手詰まり状態になって諦める。したがって未完成の状態を引きずってる気分がイヤで再度挑戦したくなるのだ。次週より「ちびっこギャング」が長滞在することになった。当分それどころではなくなるだろう。その分今やっとかなきゃ・・・。

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*卯の花

2010年05月10日 | 玉川上水の四季

 柿の若葉が他のどんな若葉より黄色味をおびて輝いている。9日の日曜日は年に一度の市民囲碁大会の日でもあった。少し迷ったがオープンギャラリーの例会の方に参加することにした。鈴木忠司さんの立夏の唄は「ミズキ、ウツギ類咲いた。グリーンロードを歩こうよ。イネ科が繁茂するね。ヤマガラ、コゲラ、シジュウカラ巣立ちが始まった。ノイバラ、エゴ咲くね。フタリシズカ見つけた。歩こうよ、ゆっくり歩こうよ」とある。この日のミニ観察は「コゲラの子育て」がテーマである。鈴木さんが探したコゲラの巣に案内してくれるというのだ。

 ギャラリー出発の前に2つの唱歌の紹介があった。文部省唱歌の「茶摘」である。「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る」 明治43年から昭和19年までに作られた、いわゆる文部省唱歌は作詞・作曲者名を知ることができない。名は公表しないという作者との契約だったという。国が作る歌としたかったらしい。八十八夜とは立春から数えて88日の5月2日のことだ。そして5日は立夏である。あと一つは「夏はきぬ」だ。「卯の花のにおうかきねに 時鳥(ほととぎす)早もき鳴きて」 作詞者は国文学者で歌人でもあった佐佐木信綱だ。私は「卯の花」が「ウツギ」だということをこの日はじめて知り、恥じ入るやら嬉しいやら複雑な思いだった。

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 ウツギにはいくつか種類があるという。玉川上水の右岸を歩きながら左岸の崖を覗くと、川面に覆いかぶさるようにマルバウツギの白い花が咲き乱れている。北側の崖の方が日当たりが良いからだという。普段は左岸ばかりを歩くのでウツギがこんなにもたくさん咲いていることに気付かなかった。茎が中空のため空木と呼ばれる。また卯月に咲く花だから卯の花ともいう。鈴木さんの話では、以前この辺りは麦畑が広がりその畑にはウツギの生垣があった。そして麦畑が少なくなりヒバリが姿を消してしまったという。

 ムクドリが地表に降り立って青虫を集めている姿を見かけた。よく見た光景なのだが私にはムクドリのくちばしの先の青虫はこれまで見えていなかった。そして生まれて初めて私はシジュウカラの親が巣箱に餌を運び込み再び飛び立つのを目撃した。いずれも人通りの多い場所なのに小鳥たちは平然とそれぞれの生活に忙しい。教えてもらったコゲラの巣は高い木の一部の枯れ枝の先端部分にあった。双眼鏡を覗いて丸い穴を確認する。枝に沿って下に彫り進んでいるのだろう。しばらく待っても巣の持ち主の姿を見ることはできなかった。(写真は庭のヒメウツギ)

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合言葉「昼・何食べる?」

2010年05月07日 | ねったぼのつぶやき

 かってゴールデンウィークはとても貴重であった。共働きの最中は、自分のまとめた用事や子供の行事に付き合いや、足の健在な郷里の両親を迎えていた。次いで孫達の遊びに付き合う様になり、それも間遠うになった今は、ツレアイの定年初年とあって毎日がゴールデンウィーク状態になった。

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 週の半分は外に出ている私にもソレは用意されている。この春は例年になく用事が立て込んで多忙であった。その反動という訳でもないけれど、庭作業(冷え込んで未完のまま)以外にはコレといった用事は入れなかった。そんな折の黄金週間。”夕食は自宅で入浴後パジャマの儘で”を旨としている我家では「昼・何食べる?」が合い言葉になった。代り映えのしない日々の「外食ランチ」は気分転換にもってこいだ。(写真は発展著しい立川とモノレール。映画オーケストラの後)

 外食のついでに近場の電気店や家具雑貨店を回って見る?となった。その結果、冷蔵庫、洗濯機、録画機、音響コンポ等など次々新製品が我が家に闖入して来た。少し前に地デジ対応型のTV2台を買い替えていたから、概ねの電気製品を買い替えたことになる。先日TVで「今時栄養失調ッ?!」をやっていた。動物性の蛋白質(肉)不足らしい。せめてランチタイムに肉を食べて、電気器具に付き合える長寿を目指すことに致しましょう。

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*ひゃくにんしゅ

2010年05月04日 | 捨て猫の独り言

 外に働きに出なくてもいい境遇になるとつぎのようなことも可能になる。「田辺聖子の小倉百人一首」という本を四日ぐらいで読み終えた。象牙の塔のどんな学者が書いた百人一首より面白いものだと直観した。この本(角川書店)の裏表紙の表につぎのような文句が印刷されていた。「百人の歌があれば百人の作者の人生があります。その運命に興味を寄せられたら、もう一歩深く、その作者の人生の周辺に踏みこんでみられるのもいいでしょう」 もちろん踏み込んでくれたのは田辺聖子その人である。その率直な踏みこみが読者にはとても面白かった。百人のうちの何人かは私の眼前に生き生きとよみがえったのである。

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  恋のいのちの無常を知りつつ恋に賭けねば生きられない淋しがりやだった和泉式部。少女時代に同性の友情に恵まれたことが内向的で粘液質な心を深く耕し、人生を男性の眼と女性の眼と複眼で見ることができた紫式部。愛すべきやんちゃでイキイキと弾力ある手応え十分な女の清少納言。生きることの慈味をうたわざるをえない人であった西行。京都歌壇にあこがれつつ体は鎌倉に縛られていた源実朝。ケタはずれの遊び人で、天皇親政を夢みて倒幕の志を抱き、あえなく敗退(承久の乱)して隠岐に流された後鳥羽院。

 王朝は角張ったいい方をせずやわらかい発音を好むので「百人いっしゅ」が「ひゃくにんしゅ」になる。「舌つづみ」は「舌づつみ」となると、この本の中にあった。いつの頃からか私の本棚に高校生向けの副読本が4冊ある。新詳高等地図(帝国書院)、図説世界史(啓隆社)、新詳日本史(浜島書店)、新国語図説(京都書房)である。今回の読書では日本史と国語古文編がおおいに役立った。この参考書を実際に使っていると高校生時代に戻った気分になっていた。これらは深みや面白みに欠けるが知識の整理には便利である。

 最近の私の関心事である「年をとる」ということに関して著者が述べていることを抜き出しておこう。「若い時というのは物事が杓子定規にきちんと進行しないと気になってならぬ。偏狭で依怙地なところがある。当人は純粋だと思っているが、ナニ、それはただ人間の幅がせまいだけである。トシを重ねるということはたぐいもなく嬉しいことだ。いままで見えなかったものが見え、こぼしつずけていたものを拾いもどすことができる」 なんのはずみかふらふらと百人一首の世界をのぞくことになったが、いろいろある中で田辺聖子の本に出会ったのは幸いだったと思う。(写真はキンラン)

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