野外プログラムが中心の公民館講座「玉川上水の再発見」は隔週の土曜5回開かれる。2回目である23日は絶好の行楽日和だった。江戸市中の水道のために武蔵野台地を開鑿して多摩川の水を呼びこんだのが玉川上水である。その取入れ口が羽村市にある。市の小型バスに27名が乗り込んだ。羽村まで約1時間かかる。まず多摩川右岸にある羽村市郷土博物館を見学した。館長の説明を聞きながら、館内に復元された江戸時代の実物大の木造の水門などを見る。江戸市中に埋められていて最近掘り出されたという木樋(水道管)とそれらを接続して途中に設けられていた枡も展示されている。
講座に参加したから私はこの博物館を訪ねることができたと思う。博物館では改訂版玉川上水散歩マップという小冊子を販売していた。羽村の取水口から杉並区の井の頭線久我山駅近くまで約30キロの玉川上水イラストマップである。博物館を出て羽村堰下橋(人道橋)を渡りいよいよ左岸の取水口に向かう。水門近くは玉川兄弟像のある公園になっている。オープンギャラリーの鈴木忠司さんも今日は私と同じ一人の参加者である。そして鈴木さんはつぎの3回目の多摩湖見学の講師でもある。鈴木さんは昼食休憩時には公園下にクルミの木を見つけてクルミの収穫に励まれていたようだ。私達は集合時間まで堰と水門を見学する。水は堰から水門(取水口)に誘導される。堰は固定堰と投渡(なげわたし)堰で造られている。
投渡堰とは大雨で多摩川が増水して堰や水門への負担が増大した時のためのものである。桁受け丸太を折り、ピンを外して堰を支えていた丸太や木の枝などすべてが流れ去るようにしてある。左岸寄りの第1投渡堰から払われる。水位の変化を見ながら第2堰や第3堰も払う。その先に固定堰がある。後に水位が下がれば再び堰を構築(仕付け)する。1つの堰の仕付け費用は約100万円。仕付けは専門業者が担当している。第一水門で取り入れた水はすぐ第二水門で水量調節されて余分な水は多摩川本流に戻される。最近まで板を抜き差しして水量を手動で調節していた第二水門だが8年前に電動式になった。私達は再び集合して少し下流の第三水門に向かう。この水門からは地下の導水路を経て約9キロ離れた多摩湖・狭山湖に送られている。ただし東京の水道は多摩川水系は2割ほどで8割は利根川水系でまかなわれているという。
つぎの私達の目的地は取水口から2キロ下流にある1822年創業の田村酒造である。田村家は代々この地の名主を務めた旧家で9代目田村勘次郎の代に井戸を掘りあて、あまりの水のよさにこの井戸を「嘉泉」と名付け、酒造りを創めたとされる。井戸のそばには巨大なケヤキの木が4本も聳えていた。酒蔵には甘い香りが立ち込めてこれからまもなく後の試飲会に期待がふくらむ。1867年には玉川上水から田村家邸内への分水が許可された。その田村家の取水口からはかつての水車小屋跡を通り、今でも邸内に清流が流れ込んでいる。待ちかねた試飲会で出されたのは井戸水と特別本醸造の嘉泉と純米吟醸の嘉泉である。酒蔵の案内人はその昔に蔵ではダルマストーブで酒粕をあぶって肴としてふるまっていたことがあるという話をしていた。私はこの試飲会のためにあらかじめ肴を持参すべきだったと悔やんだ。