玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*とりとめなく

2007年12月31日 | 捨て猫の独り言

 この夏の終わりにある先輩から単行本を一冊もらった。東野圭吾の 「容疑者Xの献身」 であった。しばらくそのままにしていたがいつまでも放置できない。作者は大阪生まれの直木賞のミステリー作家である。エンジニアでもある。主人公が高校数学教師であることから私が貰うことになったということが判明した。自分のぶらり旅であれ何らかの因果をもたせて楽しむ癖のある先輩らしい。

 その乗りでこの師走に二つの 「半落ち」 を夜遅くまで見ることになった。一つは渡瀬恒彦が主演のテレビドラマであり、一つは04年映画の再放送で寺尾聡の主演である。容疑者Xの献身も半落ちもいずれも献身的な殺人が発生する。なぜ人を殺してはいけないのか。作品の出来はこのテーマをどこまで追求できるかにかかっている。

 私は 「はぐれ刑事純情派」 を良く見る。藤田まことの安浦刑事は亡き妻の連れ子の二人娘と生活している。血の繋がらない親子が同じ屋根の下で暮らす。ドラマの最初や最後にこの三人が登場する。この設定が安浦刑事への共感に繋がっているのではないか。

 この春に友人から読んでみたらと五木寛之の 「大河の一滴」 を渡された。私は人生を地球上の水の循環に例えたと読んだ。これに関連した別人の文章に最近出会った。「人はただ生きているただそれだけで値打ちがあると思うのです」 とタクシーの窓にステッカーが貼ってあります。五木寛之さんの 「大河の一滴」 の広告なんですけど、ただ生きている、それだけで値打ちがあるというセンテンスはこれだけでは論理的におかしいですね。存在と価値。考えるほどおもしろい。つまりわからない。絶対不可解、言語道断の存在において人生が存在するわけです。この剛毅な文章の主はこの二月に死去した池田晶子さんである。 

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眩しい光・水の音・啼声

2007年12月25日 | ねったぼのつぶやき

 第二子出産を控えた母親は、前にも増して吾子を親に託すようになった。目の前で親にバイバイするせいもあって気楽なものだ。空腹や入浴はバアバの出番としても、ホイホイとこれまた嬉しそうに預るジイは、当然の事として夜泣きや早起きのお相手と相成る。

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 目ざめた1才半の彼女とジイは一番にブラインドを開ける。肩に頭を預けながら眼をこすりつつ小鳥の姿を求める。チィチィと音がすると目を凝らし指さす。食卓での定位置は朝日の差し込む東向きなのだが、日の出に向かって変化する空の色を見逃さない。いよいよ陽光が差し始めると眩しいと手かざししてニッコリだ。

 部屋遊びに飽きたら散歩だ。「行きましょか~」の掛け声に玄関へ走り出す。靴を履くのももどかしく外へ飛び出す。手つなぎの手を振りほどき上水路へ走り出す。水の音に耳を澄まし小橋の方へ駆け出す。葉っぱを拾って川へ投げ込む。川面に乗って流れる葉っぱにバイバイする。子犬に近づくが大きめはコワイ。鳥の啼き声に木々を仰ぎ、語りかけてくれる人に笑顔を見せる。

 そして寝物語は決まってバアバと「お散歩物語」。”サラサラァ~と川が流れ、葉っぱをパァ~と投げてバイバ~ィしたねぇ~。ワンちゃんもお散歩していて、小鳥さんがチチーチッて啼いて飛んでたねぇ~”。”サッサァ~、バイバ~ィ、チッチ~”となぞっていた声も小声になり次第に寝息に変わってゆく。

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*主催は奉賛会②

2007年12月19日 | 捨て猫の独り言

 壇上には発言順に左から原口泉(鹿児島大教授)、加藤紘一、佐高信、西郷隆文(西郷隆盛の曾孫)が並んだ。司会者は事前に四人のパネラーにそれぞれテーマを課していたようだ。すなわち学者、政治家、思想家、生活者としての西郷というわけだ。残念なことに年長の加藤は遅れて原口の話の後に到着し、佐高の話を聞き終わると早々と帰ってしまった。原口は私とは三つ違いの高校の後輩だと知った。面倒見のいい売れっ子教授というところだ。NHK大河ドラマ 「翔ぶが如く」 や 「琉球の風」 来年の 「篤姫」 の時代考証を担当した。西郷は2度にわたり合計して5年間の奄美での生活で儒教、陽明学、老荘の漢書を読むなどの機会を得た。また西郷と確執のあった久光はすごく学問に熱心であったとの発言があった。

 加藤は山形県鶴岡の生まれである。家の本棚に南州翁遺訓があり、なぜ薩摩の人のことがと不思議に思ったという。庄内は台風や冷たい風の被害がなくお米が良く取れる。とにかく生真面目一方の風土である。武装解除される側にとって薩摩軍は堂々として寛大であった。このことは庄内にとってはカルチャーショックだった。酒田には南州神社があって今でも月に一回の勉強会が開かれている。母に聞いた話だが父の清三が内務省時代に鹿児島県衛生部長として派遣され、幼児期の一年間を鹿児島で過ごし、その後青森に移った。親戚に昭和史に足跡を残した軍人の 「石原莞爾」 という男がいるがその評価については今でもいろいろな議論がある。加藤は西郷と石原の比較において何かを言いたかったのだろうか。私には未知の分野だ。 

 佐高は山形県酒田の生まれである。昨日も鹿児島でのシンポジウムに参加したばかりという。鶴岡が京都ならば酒田は大阪といえる。本棚に南州翁遺訓はなかった。西郷は勝者にして敗者だ。絶対値の大きい人だ。完成された人のごとくに扱うのは誤りだ。西郷と似ても似つかぬ人が西郷を称えることがよくあると田中秀征が言うのを聞いたことがある。教師は待てない。答えをすぐ与える。沈黙に耐えられない。西郷はそれができる人だった。斉彬に死なれて以後の西郷は死に場所を探し求め続けていた。そして僧の月照や相楽(さがら)総三のことは常に念頭にあったと思われる。

 西郷隆文は奄美での愛加那との子である菊次郎(京都市長)の孫である。それらしき風貌の持ち主だ。鹿児島県日置市の陶芸家だ。昨年NPO西郷隆盛公奉賛会が立ち上げられてその理事長に就任した。9月24日の命日にちなんで毎月24日に鹿児島市の南州墓地の清掃を行っている。文字通り奉賛会である。南州翁遺訓の青少年版である小冊子「西郷(せご)どんの教え」がこの11月に出版された。このように最近活動が始まったばかりのようだ。それで今回の東京でのシンポジウムの開催となったと思われる。最後に薩摩には現に西郷や大久保が存在していたから遺訓なんて必要なかったのだと庄内藩を意識した年輩者の声が響いたのはご愛嬌だった。参加者は約500名と見た。

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X’masにハーモニカ奏

2007年12月17日 | ねったぼのつぶやき

 X’masのシーズンがやってきた。プレゼントの買出しに出かけたデパートはX’mas一色だった。15分の距離を自転車通勤していた頃はソチコチで電飾の飾り付けを目にしていたが、近隣ではサッパリ見かけなくなった。飾り付けを待ち望み喜んでいた子供達が皆育ち上がり、押入れの中か我が家同様処分されたのだろう。

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 先日保育園に通う孫のX’mas会に行った。「3才児が年長さん」の園なので出番は年長さんのみだった。最後に顔一杯にお髭をつけたサンタさんが大きな袋を担いでやってきた。昨年は怖くて泣いた。今年は・・?プレゼントを待っている風だったが、イザ目の前にオヒゲのサンタがやってきたら、泣き叫んで必死になって私の膝をよじ登ってきた。

 私の手伝っているディサービスでもこの一週間連日催しが行われた。ゲストを迎え声楽、アンサンブル、手品、朝鮮の舞踊を楽しんだ。職員の出し物はギターとハーモニカで利用者さんの歌や合奏に合わせた。普段から時に皆さんの歌声に合わせてハーモニカ伴奏はやっているが、他楽器との合奏は初で合同練習も一回やった。来年あたり単独で伴奏を入れながら吹けるかナァ!

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*初めて知る草花

2007年12月14日 | 捨て猫の独り言

 最近は図鑑やパソコンなどで情報を得ることは容易だが、それだけで私達は満足できるわけではない。このような情報では曇りガラス越しに見るような、あるいは何かフィルターで遮られているようなもどかしさを感じる。直接体験は大切だ。例えば草花は自分の目で見、鼻で嗅ぎ、手で触れることで、愛着も湧き、その名を記憶するようになる。感謝すべきことに今年は幾人かの同窓の友人のおかげで、草花において私は視野を広げることができた。先ずは花オクラだ。初めて見る花野菜である。八月は毎日のように庭の花を収穫しておいしく頂いた。さて来夏はどうなるのかとどこまでも他力本願だ。

 今週の月曜日に同窓の忘年会の席で参加者全員に水仙が配られた。持ち帰られた水仙は居間の三メートル四方に芳香を放っている。香りは凛として素晴らしい。ひがんばな科すいせん属だそうだ。これだけはさすがに知ってはいたが、香りをこのように胸いっぱい吸い込んだのは初めてのことである。配った人は過去にこの鮮明な香りに驚いたことがあるのだろう。そして多くの人にこの香りを知って欲しかったのだろう。

 10月の中旬にご本人がわざわざ庭先までネリネを届けてくれた。彼岸花に似たピンク色の花を咲かせている。花びらに光が当たると宝石のようにきれいに輝く。ひがんばな科ネリネ属だそうだ。これまたはじめて見る花だ。彼岸花の後で10月から12月にかけて咲くという。葉と花が同時なので彼岸花と間違うことはない。別名ダイヤモンドリリーという。12月中旬の今でも葉の茎がすっと伸びて先端の花が可憐である。

 ネリネと同時に届いたのが風ランである。山野の高い樹の上に着生しているため、野山を巡ってもなかなか見つけられないという。小さな木製の鉢におさまっている。夏に花が咲き、香りを楽しめるという。しかし今は細い葉が伸びているだけだ。本当に花が咲いてくれるのだろうか。来年の夏まで待たねばならない。待つ楽しみといえば今年の春に農家で買って植えた名高き沈丁花がある。それぞれ来年の春と夏に咲くことの保障を貰ったわけでないので少し不安である。

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*主催は奉賛会①

2007年12月11日 | 捨て猫の独り言

 奉賛会とかシンポジウムという言葉を聞くとなんとなく落ち着かない。意味を半端な理解のままに放置してあるしっぺ返しだろう。西郷隆盛公奉賛会主催の「シンポジウム・これからの日本西郷精神を現代に生かそう」 の開演2時間前に最寄り駅の四谷に着いた。せっかくの機会に四谷駅週辺を散策しない手はない。上智大学のキャンパスに沿って細い道をホテルニューオオタニの方に向かう。ここらは江戸城の外濠区域にあたるのだろう。かなりの量の土が盛られた堤が400メートルほど続く。堤に上がるとはるか右下には大学のグランドが見えて、その向こうを中央線が走る。来年の春にはここの堤の桜を見たいと思った。ニューオオタニの裏手にある日本庭園に迷い込んだ。誰でも立ち入り可能だ。いくつかの巨大な石灯篭と料亭が配置された庭園だ。この地域は紀伊、尾張、井伊の3大名の屋敷跡にちなんで明治5年に紀尾井町となったと案内板に記されていた。気負った命名だと思う。後で気付いたことだが西南戦争の翌年の明治11年にニューオオタニ前の紀尾井坂で大久保利通は暗殺された。

 12月3日の会場となったカトリック系上智大学は、この日はザビエルの祝日として休業し各種の催しが行われるのだという。大学は紀尾井町の土地を購入して1913年に開校しているが、高島鞆之助(薩摩藩出身の陸軍大臣、追手門学院創立者)とゆかりがあるという。今回のシンポジウムでは初めて耳にする人名がいくつかあった。高島鞆之助はその一人だ。他には重野ヤスツグ(薩摩の漢学者、歴史家で奄美で西郷と会う)、相楽(さがら)総三(赤報隊を率い年貢半減を布告しながら進軍したが偽官軍として処刑さる)等があった。私には好都合なことにシンポジウムとは名ばかりで大衆討論は皆無であった。そもそも私の参加は加藤紘一や佐高信の肉声を聞きたいというミーハー的な動機からである。会場入り口で 「南州翁遺訓」 とそれをもとにNPOが子供向けに編集した 「西郷(せご)どんの教え」 という二つの冊子を受け取った。うかつにも私は 「南州遺訓」 が庄内藩によって刊行されたことさえ知らなかった。次回は4人のパネラーが何を語り何を語らなかったかを振り返っておきたい。私は購入しなかったが、会場入り口では佐高の「西郷伝説」、加藤の「強いリベラル」が販売されていた。

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紅葉の都・京都に酔う

2007年12月06日 | ねったぼのつぶやき

 独身を謳歌していた頃5~6年間京都に住んでいた。若くて元気盛りのその頃は世界に誇る古都といえども、特別の愛着も覚えずよりよく知ろうとの思いも湧いてこなかったけれど、近年は年毎に愛着を覚え、訪ねる毎に惹きつけられる。今年の紅葉は時期を得て又格別であった。(土手まで落葉に染まる鴨川・洛北に向かって)

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 月末から3日間、高校の同期会の下見という名目で秋の紅葉を愛でる企画に参加(20名近く)した。幹事さんは超多忙である企業の社長職ながら、現役から閑職に退いた大方の参加者を仕切ってくれた。私は都合で翌日の観光には参加しなかったが、旅行社のツアーと違い三々五々お喋りに花を咲かせる同期生達は、宴会の流れで賑やかだったろう。事後談に「本番では旗が必要?」との報告を見ると、大混雑の時期だけに幹事さんの大汗を容易に想像出来た。

 早めの帰京の必要があった私は前日から1人観光し、丸2日レンタサイクルを使った。思いのままに探索した勝手知ったる街。碁盤目の京の街は迷いようもなく地図を片手に、路地や川原を爽快に走った。案じていた以上に温暖な日々ながら陽がかげると急に寒くなって風邪をひいた。遊び呆けて後の風邪。しばらく大人しくしなくっちゃ!去年の今頃入院騒ぎもしたことダシ・・。

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*小人閑居

2007年12月01日 | 捨て猫の独り言

 いつも週末には来ていた娘も風邪のために家族で寝込んでいるという。同居人が小旅行に出てここ3日ばかり静かな一人暮らしだ。私も鼻水が出て少し咳も出る。2学期の授業がすんで期末テストの採点を残すだけである。それで気の緩みが出たようだ。5日はインフルエンザの予防接種を申し込んでいるのに困ったことだ。

 近くの生協から5%引き(一日限定)、クリーニング店から20%引き(4回限定)の葉書きが送られてきていた。生協は明日が締め切りである。米、酒、マヨネーズ、酢等を買うために出かけた。並んでいるものの中からここぞとばかり高価な方を選んでカゴに入れた。よく考えると今回の5千円の5%引きとは250円引きである。それほど勇んで決起するほどのことでもない。馬券の損失にくらべれば何ほどのこともない。おっとこれは次元の異なる話であった。客寄せのうまい手口と改めて思う。悲しいかな普段クリーニング店に世話になる機会は少ない。しかし行動を開始した。娘が使うかどうかもわからないまま我が家に放置しているロングコートがある。それと自分のズボンをこれまた葉書きにつられて店に持ち込んだ。

 最近の賞味期限問題で商品の表記に目が行くようになった。今日はそれらに目を通した。賞味期限の日付はどうでもよかった。商品には品目と製造者名とその住所が明記されている。活きあさりは千葉県漁連あさり事業所で木更津市であるが、静岡県産との表示がある。これはちょとした不思議だ。マヨネーズは名称が半固体状ドレッシングとなっている。日本酒が飲みたくて生協の生貯蔵純米酒 「虹の宴」 を求めた。180mlで1280円である。品目(清酒)原材料名(米、米こうじ)アルコール分(15度以上16度未満)精米歩合(67%)日本酒度(+1)酸度(1.5)製造者(東亜酒造、埼玉県羽生市)とある。私には安くてしかも飲みやすい。

 木曜の夜だけは退屈しなかった。NHKの 「風の果て」 を見ていた。今年は中日ドラゴンズが日本一を決めたのも木曜の夜だった。完全試合騒動はあとで聞いた。以前NHKの 「蝉しぐれ」 の放送の時も毎週楽しみに待った。これから先に私には藤沢作品を読む楽しみが残っているといえる。現在私の手もとには文春ムック 「蝉しぐれと藤沢周平の世界」 オール読物責任編集という雑誌があるだけである。いけない少し熱が出てきた。飲んで早めに寝るにかぎる。

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