玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

青春真っ只中・今は昔

2009年01月31日 | ねったぼのつぶやき

 バイタルチェック、トイレを済ませ公園迄の散歩がデイケアの日課だ。夏は墳水の周り、冬は陽溜まりに設置されたベンチで休憩をしてお喋りをする。飴玉を一個づつなめ、お茶を飲む。帰り際にラジオ体操をする。体操時、上体を反らし両手を振りかざして臨まれる青空は、吸い込まれたい!と思えるほどに深い時もある。
Peace_boat042
 ベンチに隣接している体育館の外壁は、一部ガラス仕立てになっていて通行人を映す。通学路に組み込まれている津田塾大の女子学生や、若者達がグループで踊るストリートダンスや、お年寄りとゆっくり歩く私達を映し出している。

 いつの世も若者は危なっかしいがキラキラと輝いていて眩しい。私達は未だデイケアの世界には遠いが、輝かしい若者からは遥かに遠い存在になった。夫は年末友人と鈍行列車の旅をした。その友人は同世代でありながら、同世代が忘れ去った若人の様な気分と体力を持ち合わせている。夫は彼から届いた旅のメールを次回披露したいと言っていた。乞うご期待!(船上の老若男女・太平洋上で)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*少しの違い

2009年01月27日 | 捨て猫の独り言
 違いに気付いてがっかりしたり、逆に得した気分になったりすることがこの頃多くなりました。最近のことですがJRの各駅に張り出されていた青春18切符の大型ポスターを記念に欲しくなりました。中央には自分たちが乗った久大線の列車が走り背景は由布岳の図柄でした。この特殊切符の有効期限は1月20日です。その日の直前にポスターを譲ってくれるように駅に申し出るつもりでした。ところが各駅ではすでに1月10日にはポスターを撤去廃棄していたのでした。切符の発売期限が1月10日だったからです。発売期限と有効期限の違いです。ある人の機転により小さな駅で1枚だけ手に入れることができました。

 この特殊切符はいわゆる第三セクターの鉄道には無効です。熊本から鹿児島を目指していた時のことです。時間の都合でどうしても八代と川内の区間を肥薩おれんじ鉄道を利用せねばなりません。時刻表には運賃が2550円と載っています。この特殊切符1回分の2300円より多い金額です。ところが幸運なことに特殊切符で接続する場合に限り料金が2000円と550円だけ割引になるのでした。こんな特典があることなど現地で初めて知りました。

 最近は漢字力のことがよく話題になります。自分ひとりの思いのままに振舞うことを 「独擅」 というそうです。せんの手偏を土偏と誤って生じたのが 「独壇場」 だそうです。今や 「どくせんじょう」 より 「どくだんじょう」 が主流です。子供の頃に周りの大人を含めて慈眼寺を 「じがんじ」 と呼んでいました。半世紀後に訪れた寺の案内板で 「じげんじ」 であることを知りました。
 
 まるごと一頁の東洋大学の広告が1月25日付新聞にありました。見覚えのある5人の顔写真がありました。私が暮れに参加した東洋大学の 「アジアの文化と共生のかたち」 というシンポジウムの広告記事です。その時の基調講演とプレゼンテーションとパネルディスカッションなどの要約文が掲載されていました。傍聴した当日はほとんど理解できなかったことも要約文でいくらか理解できるようになっています。おそらくひと月で各教授が推敲を重ねたのでしょう。新聞紙上でこんな後始末の報告を見るとは思いがけないことでした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輝きが増していた笑顔

2009年01月24日 | ねったぼのつぶやき
 高校時代迄近所だった2才年長のその人は昔から美しくきれいだった。上京以降は何度もお会いする機会もなかったが、先日思い立って落ち合い共に芝居見物をした。朗らかだった彼女は相変わらず朗らかで、とりわけ笑顔が印象的だった。お互いに決して豊かに育ったわけではない少女時代だが彼女はいつも弾んでいた。
 090117_005
 彼女と私の母親は親しくしておりとても仲がよかった。男兄弟3人の中に女1人という私達の境遇も似ていた。彼女の明朗さはその集落では秀でており皆に好かれていた。誰に対しても思いをかけ天性の性分のようにも思えた。久しぶりに会っていっぱい喋った。お母様は「娘が苦労している」と母に語っていらした様だが、そんな時もあった?ろうか。(焼津にて中トロ丼)
 
 「孫を含め7人が一つ屋根の下で暮らしており賑やかよ。ティッシュやトイレットペーパーなんて直ぐ無くなるの」。夫はどこそこが悪いと指を折りつつ病名を挙げ、タバコを美味しそうに吸ってるわと言う。自慢も卑下もなく有るのは爽やかさのみ。我慢を我慢と思わない性分なのだろう。それ故に”かくも美しくかつてと寸分違わぬ笑顔”が生まれるんだと痛く納得した一日だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*焼津でマグロを買う

2009年01月20日 | 捨て猫の独り言
 切符の有効期限を2日後にひかえた日曜日に2人で出かけました。目指すは日本有数の遠洋漁業の基地の焼津です。青春18切符利用は1回2300円で、国分寺から焼津までのJR通常運賃は7500円です。この差額によってささやかな幸福感に浸るのでした。

 地名にはある不思議な力を感じます。その土地の山川草木や人々の幾世代にわたり積み重ねられてきた固有のもろもろは結局は地名に集約されるしかないように思われます。各駅停車の旅は地名のシャワーを浴びに出る旅と言えます。熱海・函南・三島・沼津・東田子の浦・吉原・富士・蒲原・由比・興津・清水・草薙・静岡・安倍川・用宗と続きます。あいにくの曇り空でしたが富士山の雪に覆われた姿を間じかに見ることもできました。

 焼津魚センターは焼津駅からミニバスで十数分です。センターは潮の香りが漂う港の近くという予想は外れました。港とは正反対の東名高速の焼津ICの近くにありました。8000坪の広大なセンター内には数軒の寿司カウンターと2階には大食堂があります。またマグロ専門店が並ぶまぐろ街道という一画もあります。観光バスを降りた人たちでたいそうな混雑ぶりでした。

 数ある店の中でマルマン鷲野商店の女将の説得力は抜きん出ていました。どこにも突き抜けた人はいるものです。言われるままにミナミマグロをそこで買い、場外にあるマルマン食堂で腹ごしらえすることになりました。女将の言に間違いはありませんでした。この店以外でも、まぐろカマ照り焼き、まぐろのアゴ、まぐろ昆布、かつお若節、あじの干物を買いこみました。バスの便が少なく帰りは駅まで30分歩きました。県外への 「初めてのおつかい」 は片道4時間半の各駅停車の旅でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月恒例スポーツ実況

2009年01月16日 | ねったぼのつぶやき
 正月のスポーツといえば箱根駅伝、大学ラグビー、高校サッカーだろう。 手に汗握るTV実況放送中に選手の卒業後の進路の紹介もやっていた。勝負の決した直後の選手の姿や表情は、勝敗の涙だけでなく競技生活と決別の涙も含まれていた。
090111_008
大学進学やプロ転向者にはその後も道は残されているが、プロを目指す者にとっては厳しい選択だ。スポーツ全般そうだが、とりわけ激しいスポーツであるサッカーの選手生命は短くその後の人生が圧倒的に長い。何の補償もなくケガもつきもので、夢に託する一種の賭けのようにも思える。

 息子が高校卒業の年にプロのサッカーチームが誕生した。サッカー少年で育った彼がプロの道もあるんだよねと呟きハツとした。近年協会は、選手生活を退いても、人生をよりリセットし易くするための方策に取り組んでるやに聞いている。そういった仕組みなしにはスポーツの将来は無く、むしろ遅きに逸した感すらある。(豆スケーター達がリンク中央でジャンプを繰り返していた)

 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*日本の宝

2009年01月13日 | 捨て猫の独り言
 全国高校サッカー選手権大会の準々決勝が5日に行われ、鹿児島城西が兵庫の滝川第二に勝ちました。「大迫勇也選手は日本の宝だ」 とは試合直後に滝川第二の監督が勝者に贈った言葉です。城西のFW大迫はボールタッチの柔らかさと、相手DFを振り切るスピードそして決定力の高さはこれまで日本に存在しないタイプという評価です。
 
 悩みもがく青春時代にありながら自分の道を見つけてひたすら専念できることは素晴らしいことです。中でもある一つの世界の宝と呼ばれて期待を一身に集める人物はごくまれにしかいません。私達はこれまでの数々の辛かった思いを振り返りつつ、この宝物の順調な成長に自分の夢を託したいのかもしれません。

 「井山は日本囲碁界の宝です」 と語るのは師匠である石井邦生九段です。井山裕太八段(大阪府出身)は昨年19歳で名人戦挑戦者決定リーグ戦をみごと勝ち抜きました。史上初の10代の名人位獲得かと囲碁界が沸きました。七番勝負の結果は○○×××○×で惜しくも快挙はなりませんでした。一般に経験を積んで思慮深くなり冷静さを増すと考えがちですが、むしろ冷静さ辛抱のよさは若い時こそ発揮されるようです。その点で井山は天性のものを持っているという評価です。

 宝とはなにものにもかえがたいたいせつなものや人のことです。大切なものや才能を持っていても役立てようとしないことを宝の持ち腐れと言います。宝が宝であり続けることはそれほど簡単なことではありません。古より 「子は宝」 と言われてきました。それに近い言葉で沖縄に 「命こそ宝」 があります。これは悲惨な沖縄戦の体験からくる固い反戦の意志が秘められていると思われます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*年末の鈍行列車の旅

2009年01月07日 | 捨て猫の独り言
 年末年始の10泊の旅を終えた。帰りは年明けて5日の夜に飛行機最終便だった。年末は3泊4日で鹿児島への鈍行列車の旅だ。初日の夜に大阪で高校時代の同窓生と合流し2日目からは二人旅になった。宿泊地は大阪、下関、別府である。大阪では夜の御堂筋を散策した。それ以外の宿泊地では夕食を兼ねた酒場見学だけである。

 2時間以上途中下車した町は尾道、宮島口、日田、由布院である。尾道の駅前は見違えるほどに整備されていた。海岸沿いに歩いて行列のできるラーメン屋の朱華園に立ち寄る。11時前に着くとすでに営業していた。皆さんが朝食なのか昼食なのか判然としない。厳島神社では前回は見逃した五重塔の横の島内最大の建物である豊国神社(千畳閣)を知る。天井が張られておらず、板壁もない未完成の状態がなぜか魅力だ。

 日田彦山線(城野~夜明)の日田で降りた。日田は古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として栄え江戸時代には幕府直轄地として西国郡代が置かれていた。三隈川が流れ、そこに多くの川が注ぎ込む水郷として知られる。駆け足で町を回った。由布院では駅に近いホテルの温泉に飛び込む。運よくそこは由布岳を正面に見る見事な露天風呂だった。青春18切符のJR九州のポスターには 「由布岳の麓を走る久大本線のワンマンカー」 の図が採用されていた。期間中の1月20日までは各駅に掲示される。
 
 豊肥本線(大分~熊本)は愛称が阿蘇高原線という。豊後と肥後だから 「ほうひ」 と言うのだがその呼び名に一瞬途惑うのは私だけではなかろう。愛称の方を正式採用した方がよろしいかと考える。阿蘇の外輪山の内側をワンマンカーは外輪山の内側にある阿蘇五岳を左に望みながら横断する。二人とも前日の日田彦山線に続いてこの阿蘇高原線は初めての区間である。途中宮地駅で改札口を出たが阿蘇神社に参拝出来なかった。ところで青春18切符は始発駅でスタンプを押すことになっている。それを駅員さんが見逃したらどうなるか。その後のチエックは困難である。そんなことに気付いた。これは60代が10代に戻ることができる切符だ。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おひとりさまのお正月

2009年01月03日 | ねったぼのつぶやき

 「今年の正月は青春18切符で帰ろう」と言う。最近”のぞみ”に初乗車しその時間短縮ブリを喜んでいた身には、3泊4日のノロノロ旅行など考えられない。”夫が単身赴任で気楽に過ごしてみたかった”状態の私にとってチャンス、お一人様の年末年始到来であった。大掃除や正月料理もせず、読み易い本のみ借りた。

091220_010_2

 娘達との往来が絶えて以来、遠出もせずバッテリーは上がりカーナビも使わない。40年来東京に住みながら都区内の位置関係も判然とぜず、電車の乗り継ぎも覚束ない。街全体が静まったこの時期地図、カーナビを駆使して都区内を走ろう。前夜予定を立て帰宅後地図で道をなぞり、又明日の予定を立てる繰り返し。

 朝頭に地図を叩き込み、お気に入りの音楽をかけ時に口ずさむ。迷うと路肩に車を止め地図を開く。空いた大通りをUターンする。往来を繰り返してるうち方角が解ってくる。助手席に意見する人のいない気楽さ。車中で当直先の息子から電話を受け、状況を話したら「気をつけてね」と気遣ってくれた。昨日今日は箱根駅伝にドップリ浸かってお一人様の正月は明けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする