勤労感謝の23日に地域友好・感謝の集いに出かけた。隣家からのお誘いを断ってばかりもおられなくて前日に入場券を1枚届けていただいた。私が参加することで一つの義理が果たせる。会場は西東京代表としてこの夏の甲子園に春夏通算8度目の出場をした創価高校の講堂である。創立40周年記念行事という。私といえば小平のこの地に来て32週年である。
事前の案内では富士交響楽団による演奏会ということだけであったが、演奏の前に学園の歴史を紹介するビデオを見せられた。それによると学園を創るにあたり場所の選定には富士山が見えること、近くに清流が存在すること等が条件として上がったという。言われてみれば冬の晴れた日に畑中を走る電車の窓から富士が見えることに気付く。夏のかんかん照りの時玉川上水の緑がそこだけは涼しくする。しかしこの近辺の玉川上水は清流と呼ぶには水は目立つこともない深い所を流れてその量も少ない。
20年以上の前のことだが、今回と同じような地域友好の会に出たことを思い出した。金日成の肖像のある朝鮮大学の講堂で民族舞踊を見た。その時は地域の各家庭のポストにどなたでも歓迎のチラシが配布された。朝鮮大学は1959年に小平に移転して来た。美濃部革新都政の頃である。北朝鮮の今の状況では何年に一度かの地域友好の集いもままならないという印象である。
演奏会はアイネクライネナハトムジークの第一楽章に始まり広く親しまれているものばかり全8曲であった。ほど良い時間で切り上げられた演奏会の帰りに政教分離という言葉が浮かんだ。ある宗教が学校を創ることは現実に数多く見られる。社会における学校という装置の存在意義は私が感じている以上に大きいのかもしれない。宗教の位置づけなどを私には語る資格はない。しかし国家権力による宗教的活動が禁止されていることぐらいは知っている。先日西郷隆盛公奉賛会という組織からシンポジュウムのお知らせが舞い込んだ。パネラーの顔ぶれが気に入って参加を申し込んだ。その案内文に西郷は若者を育てることを目的に私学校を開設したとある。