玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

干し野菜は美味で重宝

2007年11月28日 | ねったぼのつぶやき

 この時期をはずすと手に入らない野菜がある。野菜といっても必ずしも八百屋で見かけることはない。むしろ畑の傍らの野菜売りスタンドや、農家の玄関口でにわか売りだったりする。  だから目を見張っていなければ買いそびれてしまう。

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 ハーモニカの練習は車を要する距離にあって途中に農協がある。ここなら!と立ち寄るとあった!。車なら沢山持てると両腕で抱えるほど求めた。茎に水分を含む「ずいき7束」はズッシリと重い。皮をむき10本位を1束にして括り干す。空を見計らいながらさながら紐状になるまで天日に当てる。(松の木が竿代わり、干大根も)

 かって縁側がどの家にもあった時代、軒下の物干しに大根や柿、ずいき等が吊るしてあった。出来上がった干野菜は忙しい女達に重宝され、冬の食卓を賑わしていた。決して上等の食材ではなかった筈だが今では「格別の味わい」でごちそうだ。あれ程抱えてきたのに干上がり途上で細り心細い限り。コリャ足リン!かくして買い足すのも毎年の慣わしとなっている。

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*地域友好

2007年11月26日 | 捨て猫の独り言

 勤労感謝の23日に地域友好・感謝の集いに出かけた。隣家からのお誘いを断ってばかりもおられなくて前日に入場券を1枚届けていただいた。私が参加することで一つの義理が果たせる。会場は西東京代表としてこの夏の甲子園に春夏通算8度目の出場をした創価高校の講堂である。創立40周年記念行事という。私といえば小平のこの地に来て32週年である。

 事前の案内では富士交響楽団による演奏会ということだけであったが、演奏の前に学園の歴史を紹介するビデオを見せられた。それによると学園を創るにあたり場所の選定には富士山が見えること、近くに清流が存在すること等が条件として上がったという。言われてみれば冬の晴れた日に畑中を走る電車の窓から富士が見えることに気付く。夏のかんかん照りの時玉川上水の緑がそこだけは涼しくする。しかしこの近辺の玉川上水は清流と呼ぶには水は目立つこともない深い所を流れてその量も少ない。

 20年以上の前のことだが、今回と同じような地域友好の会に出たことを思い出した。金日成の肖像のある朝鮮大学の講堂で民族舞踊を見た。その時は地域の各家庭のポストにどなたでも歓迎のチラシが配布された。朝鮮大学は1959年に小平に移転して来た。美濃部革新都政の頃である。北朝鮮の今の状況では何年に一度かの地域友好の集いもままならないという印象である。

 演奏会はアイネクライネナハトムジークの第一楽章に始まり広く親しまれているものばかり全8曲であった。ほど良い時間で切り上げられた演奏会の帰りに政教分離という言葉が浮かんだ。ある宗教が学校を創ることは現実に数多く見られる。社会における学校という装置の存在意義は私が感じている以上に大きいのかもしれない。宗教の位置づけなどを私には語る資格はない。しかし国家権力による宗教的活動が禁止されていることぐらいは知っている。先日西郷隆盛公奉賛会という組織からシンポジュウムのお知らせが舞い込んだ。パネラーの顔ぶれが気に入って参加を申し込んだ。その案内文に西郷は若者を育てることを目的に私学校を開設したとある。

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吸い込まれそうな青空

2007年11月22日 | ねったぼのつぶやき

 散歩先で一服したあと10名弱のご老人達とラジオ体操をする。両手を伸ばしたり上体を回転させながら振り仰ぐ青空は、どこまでも高く遠く広く澄み切っていて気持ちがいい。この空は誰のものでもない皆のものだ。

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 かって訪ねた豪、米、伊、欧の空や、船旅で巡ったどの国の空も晴れ渡っていた。空を見上げる時、決まって今夏20年振りに再訪してスッカリ変貌した中国の曇った空が頭を過る。シンガポール訪問予定の福田さんは取り急ぎアメリカ行きを先行させ、シンガポールへ向かった。予定を消化した後現地で内外の記者を相手に会見をして、アジアのリーダーとして諸問題に貢献すると力説していた。

 TVでみた「地球の入りや出」では、かって月から交信されたように「地球は青かった」と同様だった。何かと騒動の多い世事ながら、少なくとも青い地球だけはソックリ後世に残すのが私達の務めだろう。そして「私に出来る事は」と・・・しばし思考が止まる。

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*棋譜を並べる

2007年11月19日 | 捨て猫の独り言

 朝晩の冷え込みが厳しい。月曜は一人だけの休日を迎える。この週末にも孫娘が泊まって昨日は大わらわであった。それだけに今日の静けさが際立つ。疲れる騒ぎもいいものだ。静かな日だけが続いたらどうしようか。今日は小春日和となって陽光が心地よい。日照が短いだけにことさら陽光が貴重に思える。

 窓から差し込む陽光で首すじが痛いほどだ。久しぶりに碁盤を持ち出してある棋譜をならべてみることにした。なんとアマの対局が10月31日の毎日新聞夕刊に大々的に掲載されていた。並べてみようと拡大コピーしておいた。黒番が与謝野馨前官房長官で白番が小沢一郎民主党代表である。その数日後に自民党と民主党の大連立騒ぎが起きる。

 結果は盤面9目の差で小沢さんの勝ちとなって、あとで接待碁だとの声もあがった。私の棋力は初段である。やっと 「劫」 という戦法を理解し始めたばかりのひよっこである。この2人の棋力はアマでも最高レベルに位置する7段ほどであることをこの記事で知った。

 石を並べることと政局とは何の関係もない。アマの最高レベルとはいかなるものか。私にはその興味があるだけだ。その記事によると与謝野さんは木谷道場というプロの胸を借りて学んだ本格派で、小沢さんはここ5、6年毎週のように囲碁サロンに通い実力をつけているという。午後3時にもう陽が翳りはじめた。今夜も冷え込みそうだ。碁石は孫達の遊び道具である。そのせいでいくつかの石は傷んでいる。あのぶつかり合う音がいいのねとある人は言う。

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メンテナンスあれこれ

2007年11月16日 | ねったぼのつぶやき

 在職中であれば、職場毎に集団検診という儀式があって通過してこられた。そこから離れれば当然の事ながら全て自己責任の名において、自分のことは自分で取り仕切らねばならない。かくて市主催の検診に参加することになった。

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 基本(内科)検診の他に胃がん、大腸がん、子宮がん、乳がん、肺がん、肺結核、歯科とあり、漏れなく終えようと思えばかなりの時間と忍耐を要求される。胃、大腸がんと肺結核、肺がんはそれぞれ同一日に実施できるものの、要精検となれば更に受診の段取りが必要になる。

 ツレアイの眼疾患の経験から今年は更に眼科受診が加わり大わらわ。今日は眼底検査、次回は眼鏡が合ってないから視力検査も必要で、緑内障の検査は別途視野検査でと段取りを迫ってくる。たまらず「時間がかかるのは構わないから同じ日にまとめて欲しい」と申し出てヤット折り合いをつけた。アチラの人だった私ですが「健康に生きたいけれど健康のため生きているのではない」・・のですぅ。

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*3泊4日

2007年11月13日 | 捨て猫の独り言

 おさなごが発語をし始めた。右手の人さし指で指しながら言葉にならない言葉をかなりの速さで発語し続けることがある。発語しているのだがこちらはその意味を汲み取ることはできない。その真剣さが笑みを誘う。私は笑いながらもどこかでヒトの能力に感動している。

 おさなごが眠りに落ちる前にむずがるのはなぜだろう。眠りから覚めることがないのが死であると解釈するのは魅力的だ。私も床についた後でまどろみの中を何かにもがいたという経験が一度や二度はある。眠りとは再生の儀式であると同時に死の疑似体験であるとも考えられる。

 以前は週末にわが子と一緒に寝泊りしていた母親が第二子の出産を来年一月に控えて子供を預けて自分は帰宅することが多くなった。ジジババがそれを望んでいると勝手に解釈しているようだ。この週末はその若夫婦の一泊旅行ということでおさなごが我が家に3泊することになった。夜はジジババと3人で川の字になって寝る。終戦直後の幼児体験や自分の子育て体験がよみがえる。一つの部屋に大勢で寝ていたものだ。決まって深夜2時頃に泣き出す。最初は抱き上げていたがこれが逆効果だったようだ。泣くに任せたら短時間で泣き止むことが解った。半睡半覚のこの夜泣きは眠りに落ちる前のあの恐怖を無意識のうちに再体験しているのだろうか。夜泣きなどのために核家族の中で母親が育児ノイローゼになるのも理解できる。

 子守は疲れることも多いが言葉を覚え始めたこの時期のおさなごに興味はつきない。女性の方がしつけに厳しい。叱ると相手の顔色を素早く察知して泣き出すことがある。その時に 「ゴメンナサイ」 の言葉を催促する。激しく泣きながらたどたどしく 「ゴメン…」 と言う。こちらはその姿にたまらなく切なくなり思わず抱きしめる。おさなごにすぐ笑顔が戻る。急展開の連続である。もちろんゴメンナサイと確実に言えるようになったわけではない。

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アフタヌーンコンサート

2007年11月08日 | ねったぼのつぶやき

 長らく当市が主催する音楽ホールの会員でいたけれど、毎月ウイークデイの午後開催されるアフタヌーンコンサートに参加したのは、先月が初めてで今日が2回目だった。地下のミニホールで200席もあろうか。演台も低く演奏者と向き合う形で聞くことができ、ブレイクタイムにはコーヒーとクッキーまでついて1500円だ。

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 先月は東欧の女性が、日本のハープに似て倍も弦の多い民族楽器を奏でながら、ソプラノよりも一段高いソプラノで歌い聴衆を魅了した。今日はチェロの演奏会だった。オーケストラとは違って唯一ピアノだけを伴奏に聞くチェロは哀切な響きを帯びて胸に染入って来た。又、演奏の合間には演奏者自身が、曲の生まれた背景や時代などの解説をして理解を深めてくれる。

 中々会えない友人や落ち込んでいそうな友人を誘って、昼食をしながらおしゃべりした後コンサートを楽しむ。少々家人や本人の体調が悪くても、昼間なら出れる。帰ろうと思えば明るい内に帰り着く。いい音楽は薬以上だ。今日の男性演奏者は良かったナ。若くてハツラツとしてこよなく音楽を愛している風がみてとれつくづくとミトレテシマッタ・・ヨッ。(一ツ橋大学祭と国立祭)

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*庭木

2007年11月05日 | 捨て猫の独り言

 永年住むことになるであろう住居の間取りは全て他人任せであった。起きて半畳寝て一畳ではないかとばかり無関心だった。生活者意識が薄いとしか言いようがない。日当たりは良い方がというぐらいの希望だけはあった。外回りの塀や庭木などについても同じだった。住居に関することは私が関与するまでもなくつぎつぎに事は運んだ。だいぶ過去の話だがこんなことはそれほど珍しいことではない。

 庭木についてはもちろん造園業者が入った。近くに住んでいるKさんだった。大地主で男衆を二人ほど抱えて経営していた。俳優の高橋英樹に似ていて、地下足袋に半てん姿が粋だった。結婚していたが子供はなかった。郷里の義兄にも似ていて、私の子供たちとも馴染みになった。私より少しだけ年上だったが二年ほど前に病死した。石の配置や庭木の選択はKさんの考えである。

 庭木の手入れが、全くというほどなされていない家を見かけることがある。南側の二本の大木が繁りすぎて通りからは屋根も見えない。部屋は以前より薄暗いはずだ。道路に面した車庫の重そうなシヤッターを持ち上げて老人が出てきた。車庫に車はない。老夫婦は事情があって庭木を暴れるにまかしている。そのうち街中でこの一画だけが木々に覆われてついには薄暗い森となり人も建物も全てが土に帰る。それはそれで自然なことだという思いにかられた。

 人生とは暇つぶしと言えなくもないという意味で、庭木の手入れは結構な暇つぶしになる。落葉樹といえども枝おろしは必要だ。まだたくさんの葉の繁っている時にばっさりと切る。これが正しい剪定なのか私にはわからない。常緑樹なども丸裸にする。そんな時の私の任務は上空から打ち捨てられる枝葉をかき集め、束ねたり袋詰めしたりすることだ。これは家の中の食器洗いと同じで決して生産的な作業ではない。しかし誰かがやらねばならないことである。自分達だけで庭木の手入れが続けていけるならば、これは幸せなことだ。

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あ~捨ててサッパリ!

2007年11月02日 | ねったぼのつぶやき

 外は少々片付いた。次は室内の番だ。前々から捨てたくても捨てられなかったアレコレ。ヤッパリと戻し置いた服を衣替えを機に今度は処分しようと大決心した。

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 母の形見がてら残しても着ない服、着れない訳ではないけれど手を通す頻度の少ない服、ウエスト周りが窮屈になってもお気に入りで捨てられなかった服など。ツレアイも処分用に用意したビニール袋の大きさから観念したか、「任せる」といい、半減させたシャツ類の中から1枚だけ引き出していた。

 それでもサッパリ少ない息子の服は捨てがたく1枚のシャツは夫へのお下がり?とした。一方娘の方はヤタラかさばるコートなど、何枚も置いてけぼりにして吊るしている。洗わず吊るしているのはカビまで!今度来たら持ち帰らせるか処分させるかしなくっちゃ。

 かくて2つのクローゼットはいくらかスッキリし、タンスには隙間すら生じた。しかしご用心!ネコ殿は隙間潰しの名人!セッセと本や物を購入し、自分用のクローゼットにセッセと備蓄に走る人種なので、「買ってもいいけど、事前に相談して!」と厳命したのですが、聞こえましたヤラ?!(写真は今は亡きKumarと母イシ)

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