玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*無常と流転

2016年07月30日 | 捨て猫の独り言

 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」これは鴨長明(1155~1216)。「同じ河に君は二度と入ることはできない。なぜならば新しい水が絶えず君の足元を流れているから」これはヘラクレイトス(紀元前540年~480年)。前者は無常、後者は流転。

 流転に比べ無常はどこか情緒的なコトバである。仏陀(紀元前5世紀)は悲哀感を止揚して、無常を宇宙の実相と考えるに至る。道元は無常を必然とした上で、刹那刹那の重要さを説くようになる。悲哀感を反転してプラス思考に結びつけようとした道元には意志の強さを感じる。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりける」には一片の我の匂いも感じられない。

 

 生物学者で評論家の池田清彦氏(1947年生まれ)のつぎの考えはとても興味深い。「人の脳は自身は無常であり、かつ有限なのになぜか不変や無限を考える。脳が考える不変の中で最も強固なものは自我である。分子や原子のレベルでいえば三十年前の私は今の私とは全くの別物である。しかるに自我は私は常に私であると主張する。自我が脳の不動点であるからこそ、それとの比較で人は無常を感じるのだと私は思う」

 自同律=わたしはわたしでないものではない=わたしはわたしであるほかない。他同律=わたしはわたしでないかもしれない=わたしは私である必要はない。「わたしとは他者です」これはランボー(1854~1891)。「自同律の不快」これは埴谷雄高(1909~1997)。自同律と他同律の二つながらもってこそいかにも真実の存在である。しかしそもそも存在とは、何がどのようにして生むのだろうか。「無のゆらぎが有をうむ」これは宇宙物理学者ホーキング。

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*気になる、あれこれ

2016年07月25日 | 捨て猫の独り言

 街中で見かけるあれは何と呼ぶモノなのだろうか。とくに子育て世代のご婦人が着用していることが多い。近くにそれを愛用している方がいないのでパソコンでいろいろ調べた。その名は「顔面サンバイザー」だった。日本のどの地域で、あるいは国外においても普及しているのかどうか知りたくもある。ご尊顔を拝したくても見えず、溶接工のマスクを連想させる。愛好者が若い方でないのがせめてもの救いだ。

 美大生が思わず写生していた玉川上水の土手のヤマユリはすでに姿を消した。それを引き継いでいるのはオニユリだ。 庭では柿の木の枝の高さまで伸びて白いユリが咲いている。今年も2m前後のものから1.5mほどのものが3本、いつもの場所に姿を見せた。鉄砲ユリと思い込んでいたのだが気になって調べてみた。鉄砲ユリについては日本の南西諸島が原産で、花期は4月~6月、丈が0.5~1mとある。

  

 空港の愛称も「えらぶゆりの島空港」である沖永良部島はゴールデンウィークは鉄砲ユリが満開だという。鉄砲ユリとの交配種が多い台湾固有種のタカサゴユリについては花期が7月~9月で丈が1.5mほどに成長するものもあるという。庭のユリはタカサゴユリと呼ぶべきだろうか。ユリは白がいちばんだが、那須高原ではスキー場のリフトから色とりどりに咲き誇る園芸種のユリを見学できるユリ園があるという。

 オープンギャラリーの鈴木さんから二年前に届いたつる性の「ウマノスズクサ」がある。ジャコウアゲハの幼虫の食草である。鈴木さんはスズクサに限らず蝶の食草を増やして地域で多くの蝶を見られるようにしたいという野望がある。そのスズクサが成長して傍にあるハナミズキの木に巻きついて空に向って伸びている。今年は鈴木さんから幼虫を3匹もらってスズクサに乗せたが翌日に見失った。その後成虫が飛来するのを見かけるが庭で育ったものかどうかわからない。

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*動物園

2016年07月18日 | 捨て猫の独り言

 新聞につぎのような楽しい投稿があった。=朝食の支度をしていると、小2の息子が「心ってバランスを取るのが難しいよね」と話しかけてきた。ドッキとしながらもさりげなく「うん、難しいよね」と返すと、息子は「最後の点々を打つ場所が難しいんだよ、ホントに」(千葉県柏市・その心は・・・・・に一安心の母・42歳) きっとすてきなお母さんなんだろう。

 日曜日に二人の孫娘と出かけたのは自宅から1時間足らずで行ける井の頭動物園だ。彫刻館や小さな遊園地などが併設されている。武蔵野市にある都立の動物園で、小さいながらも一日楽しめる。今回の私の入園料は200円で子供は無料だ。それを聞いた孫娘たちは思わずにっこりだ。かつて私の子供たちが小さい頃に一度だけ連れてきた記憶がある。おそらく三十数年も前のことだ。その時よりも今回私は存分に楽しんだように思う。

 はやる気持ちをおさえて木陰のテーブルでまずは昼食をすませる。見学で最初に目にしたのは豚とヤギとニワトリだ。これらが一つの囲いの中で共存している。どこか懐かしい東洋の風景からスタートである。つぎはフンボルトペンギン、ヤクシカ、アムールヤマネコ、ニホンアナグマ、アカギツネ、カピバラ、フェネック、コウモリ、フクロウなどがいて、それぞれ15分ぐらいは観察すればもっと楽しいだろうなと思いつつ通り過ぎる。アカゲザルのサル山ではスタッフが野菜などと一緒に氷の塊をばらまくのを見学することができた。

  

 人気者だったアジア象の「はな子」は今年の5月26日に永眠した。その空っぽのゾウ舎には、まだ異臭が漂い、そして多くの献花が残されていた。リスが放し飼いされて足元を走り回る「リス舎」は扉を押して出入りする。おなじみのコゲラなどに始まり各種のヤマドリ、そしてツミなどのいる「和鳥舎」は最近の私には興味深かった。園内には長崎の平和祈念像の作者である北村西望の作品を展示する「彫刻館」もある。作品群のなかでは異質の「若き日の母」が私の目をひいた。北村は明治37年に南島原市に生まれ昭和62年に102歳で逝去している。

 

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*花は愛惜にちり

2016年07月11日 | 捨て猫の独り言

 関東甲信地方は6月5日に梅雨入りしたと気象庁が発表した。小学校の終業式は7月20日だ。梅雨明けは一学期が終了する頃になるだろう。小学生が楽しみにしていた水泳の授業は、予定の半数以上は中止になっている。しかしこの時期の雨はクヌギの樹液の分泌を盛んにし、そこに多くの昆虫が集まる。4人の小学生たちは8時ごろに懐中電灯持参で保護者同伴を条件にクワガタとカブトムシの捕獲に出かける。その数はこれまでに20匹近くになったという。

  

 ことわざ「月にむら雲、花に風。思うに別れ、思わぬに添う」はだれしもが容易に理解するだろう。ところが私は「花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」という章句に悩まされている。これは正法眼蔵の第一巻「現成(げんじょう)公案」にある。この第一巻は道元禅のエッセンスを簡潔にしかも美しくかつ余すところなく表現していると言われている。その冒頭に「佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」とある。

 「もともと仏道はあるという立場にも、無いという立場にもとらわれないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱があるのである。しかしなお、そのことがわかっていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざかり、迷いを離れようとすれば迷いは広がるばかりである」という解釈があった。最初に私が出会ったのは「花は人生における楽です、草は人生における苦です。楽をも求めず、苦をも嫌わず」ということになります」だった。

 そうこうしているうちに中野孝次著の「道元断章」に出会った。以前に私が読んだことがある「すらすら読める徒然草」の著者である。中野氏はつぎのように述べている。「いかに生きることに執着しても、生は衰え、散り、いかに忌み嫌っても死は容赦なく育ってくる。(現代のように)いかに生活圏から遠ざけていても、決して去らないのが死である。むしろ人が死を見まいとするだけ、かえって死は容赦なくやってくる。人の意志にかかわらず必ず来るのが死なのだ」

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*国民投票

2016年07月04日 | 捨て猫の独り言

 ユリは孫娘の名前でもある。自宅近くの玉川上水のヤマユリに昨年も出会っている。いまかいまかと学校の行き帰りに柵の中のヤマユリの蕾を覗いていた。「咲いたよ!」と大きな声がして学校から帰って来た。注目のヤマユリは6月28日に咲き始めた。5本あるヤマユリはそれぞれ複数の蕾をつけ順に花を咲かせる。どのヤマユリも大きく伸びて自身を支え切れずに斜めにかしいでいる。ほのかな香りが緑道に漂っている。その翌日すこし下流で、蕾は一つずつで小さい丈の2本のヤマユリのうちの1本が咲いた。今年見つけた若いヤマユリだ。

  

 私は國分功一郎氏をよく存じ上げている。朝日新聞の6月25日朝刊では英国の国民投票、29日の夕刊では民主主義についての國分氏へのインタビュー記事が掲載された。「1974年生まれ、高崎経済大准教授。2013年に東京都小平市の都道建設の見直しをめぐる住民投票運動に参加。昨年は基地問題で揺れる沖縄県名護市辺野古を歩いた。Eテレの<哲子の部屋>などのわかりやすい語り口で知られる」(たいまつ草とチョウセンアザミ)

 

 小平在住で我家では青梅街道へ出る時に「國分邸の前を行こう」などと道標代わりにしている。高崎への通勤は自転車で新小平駅に行き武蔵野線を利用しているはずだ。中沢新一、いとうせいこう、宮台真司などを呼んだ小平の集会には私も参加したことがある。「都道建設の見直しをめぐる住民投票に住民として関りましたが、これは明確に住民からの要求によるものでした。それに対し、14年のクリミアのロシア編入をめぐる住民投票や15年の<大阪都構想>をめぐる住民投票は、権力側の道具として使われた面が大きかった」

 「今回の離脱という結果は衝撃でした。国民投票が英国にとってよかったのかどうかその判断は難しい。しかし、遅かれ早かれ、やらざるをえなかったと思います。国民からの要求で行われた国民投票だと思います。今年3月まで一年間、英国に滞在して感じたのは政治の言葉がまだ生きているということです。今回の国民投票でも、投票直前の21日の夜に、BBCの主催で6千人の有権者が参加する討論会が開かれました。政治家も有権者も自分の言葉で語る。非常に充実した議論でした」

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