玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄米兵事件

2024年07月04日 | 沖縄のこと

 沖縄の地元民放が6月25日に嘉手納基地所属の米空軍の兵長ブレノン・ワシントン被告(25)が、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み性的暴行を行ったという事件を報じた。翌26日の沖縄県内の各紙は一面トップでそのことを報道した。遅れて27日の朝日(本土紙)が、連絡なしの政府に反発する沖縄という記事を掲載、そこで私は今回の事件を知ることになった。

 米軍が身柄を確保し、県警は逮捕ではなく書類送検の手続きを取り、この事件を発表しなかった。本来なら事件が起こった直後に被害者が特定されないよう配慮したうえで明らかにすべき事柄だ。那覇地検は3月27日に起訴し日米地位協定に従って同じ日に日本側に身柄が引き渡され、外務省はエマニュエル米大使に抗議している。しかし外務省も県にこの情報を伝えなかった。

 4月には岸田首相の訪米。その後沖縄では5月17日にはエマニュエル大使が沖縄県与那国町などを訪問。6月16日は沖縄県議選で玉城知事を支持する県政与党が大敗。6月23日は沖縄慰霊の日で追悼式前に玉城知事と首相が会談。6月25日に今回の事件が発覚。6月27日の「海鳴りの島から」は「岸田・自公政権にとって、不利になる日程が終わってから公表するという政治的思惑が露骨に示されている。岸田・自公政権はどこまで腐っているのか」と怒り絶望しそして耐える。

 ところがこれで終わりではなかった。28日に地元紙が報じるまで県が把握していなかった別の事件が明らかになった。起訴状によると、5月26日午前海兵隊所属の上等兵ジャメル・クレイトン被告(21)は、屋内で性的暴行をしようと女性の首を絞めるなどし、2週間のけがをおわせた。この事件も県警は公表せず、外務省も県に伝えていない。県が報道によってはじめて知るということは、他にも公表されていない米軍の事件があるということだ。

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*全国知事アンケート

2024年04月15日 | 沖縄のこと

 4月8日の朝日新聞に、つぎのような記事が掲載された。朝日新聞と沖縄タイムスが共同で、沖縄を除く46都道府県知事に 問1沖縄の米軍基地負担は軽減すべきか 問2代執行した国の対応は適切か 問3辺野古移設計画は適切か についてアンケート調査をして集計した。問1について21人が「軽減すべき」と答えた。《無回答の多いことに驚きため息》。問3については43人が適否の判断を示さなかった。(能登地震の馳浩知事のみアンケート未回収)

 《「安全保障は国の専管事項で回答を控える」として、何らかのコメントを添えるもことなく、けんもほろろの回答は、茨城、千葉、東京、新潟、富山、京都、奈良、和歌山、山口、徳島、香川、福岡の12人》これに対して、元高知県知事の橋本大二郎氏は「国防や外交に関することでも地方はきちんと意見を言うべき」と述べている。

 さらに続けて橋本氏は「普天間飛行場周辺で住民を巻き込む事故が起きたら、沖縄の米軍基地機能だけでなく日米安保体制そのものが揺らぐ。それにもかかわらず、政府には危険性を取り除くための真剣さが見えない」と。アンケート後に、積極的な反応があった滋賀と岩手の知事に国と地方の関係などについてかさねて聞いている。滋賀の三日月大造知事は「沖縄に偏る基地のありようを何とかしてほしいと求めることは対等な日米関係として大事なこと。そういう意味で、日本はまだ独立国になりきれてないと思う」と述べた。

  

 岩手の達増拓也知事は、きわめて明解だ。「戦後79年が経ったにも かかわらず、外国軍の基地が造られることは基本的にあってはならない。移設計画は2006年の日米合意で決まったが、米側と再協議すべきだ」「代執行は非常に中央的で強権的な運用がなされた。県民や国民が納得するような政治的努力が求められるのに、行政技術論で進めてしまった」「多くの知事が安全保障は国の専管事項と答えを控えたが、もちろん、発言しない自由はある。ただ、私は選挙で選ばれた政治家として自由に発言する」かくごとき知事はたったおひとりだった。

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*主権なき平和国家

2024年03月18日 | 沖縄のこと

 どうしても一人でも多くの方に知ってもらいたいと考え、目取真俊のブログ「海鳴りの島」の記事と写真をつぎに取り上げる。

◯2月28日

 「27日の2回目の資材搬入の際、工事用ゲートの内側にいた沖縄防衛局職員の姿である。 不気味としか言いようがない」

 この日は、美謝川切り替え工事と、辺野古弾薬庫、新ゲート建設工事の様子をいつも通りたくさんの写真付きで報告があった。その最後に付け加えられていたのが上の文言だ。この基地の中の沖縄防衛局員は、職務遂行にあたり黒覆面をせずにはいられないらしい。その心情を想像するとき、暗澹たる思いになる。

  

◯3月10日

  

 この日は、陸上自衛隊ミサイル部隊の車両陸揚げ、勝連分屯地への配備に対する阻止行動があった。これらは、その最後にあった文言と写真だ。

「陸上自衛隊勝連分とん地の入り口に掲げられた絵にはあきれかえった。白頭の鷲がミサイルを抱えているが、まさに日本は米国の属国であり、自衛隊は米軍の下部組織でしかないことを示している。ここまであからさまに、米国・米軍への隷属ぶりを示すものか。米国の兵器を爆買いさせられて、庶民の生活苦など顧みずに軍事予算を増大させている日本の愚かさを見せつけている」

  

 

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*国が初の代執行

2024年01月04日 | 沖縄のこと

 辺野古移設工事は軟弱地盤の対策にコストばかりかかり、完成の目途さえたたない。玉城知事に代わって、国が設計変更を承認するという歴史上初めての「代執行」が12月28日に行われた。地方自治の理念に反しかねず、問題の多い手続きだ。首相がリーダーシップを発揮して問題に対応する気配はなく、国交省の手続きは例の「粛々とやる」以外のものではなかった。

 玉城知事は「沖縄の苦難の歴史に一層の苦難を加える辺野古新基地建設を直ちに断念し、問題解決に向け、沖縄県との真摯な対話を求める」と訴えた。普天間飛行場の返還は橋本首相が1994年4月、モンデール駐日米国大使との間で合意した。当初は5~7年で返還するという合意だった。しかし、これまでもこれからも長きにわたり普天間基地の危険性は放置され続ける。

 いまも続く普天間の危険性に取り組む政治家が見えてこない。つまりアメリカと交渉する気骨のある政治家がどこにもいないと言うことだ。政治の不作為でなくてなんだろう。10年周期で見ると安全保障環境はガラッと変わる可能性がある。普天間飛行場に比べて辺野古は滑走路も短い。前線基地に海兵隊を置いて大丈夫かという議論がアメリカでもあるという。

  

 辺野古はこれまでの米軍基地とは根本的に違う。日本人が初めて、自らの手で沖縄に米軍基地を造ることになる。それで歴代の知事は使用期限や軍民共用などの条件を求めてきた。日本政府はこれらをことごとく葬り去った。元防衛大学校長の五百旗頭(いおきべ)真氏はつぎのように述べる。「日本の首相以下が柔軟に修正を考え、米国に協力を求めれば、米国側が応じる可能性がある」「沖縄に支えられた安全保障ならば、政府は労をとらねばならないのに沖縄を放置している。日本の首相が米国に正面から要求する勇気を持たなければならない」

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*オスプレイ生産終了

2023年12月11日 | 沖縄のこと

 これまでオスプレイ関連の事故で死亡した人は世界で50人以上という。開発段階から事故をくり返し未亡人製造機などと呼ばれた。11月29日に米軍横田基地配備のオスプレイが屋久島沖で墜落し乗員8名が全員死亡した。我が家は横田基地に近い。もし住宅密集地に火の玉のような機体が落ちてきたらと思うとぞっとする。

 最初に事故について会見した防衛副大臣は「墜落」を認めず「不時着水」と強弁。その理由を「米国側から説明を受けているが、最後までパイロットは頑張っていらっしゃったということで不時着水ということだ」と主張した。こうした弱腰のもとで米軍は事故後も沖縄県普天間基地のオスプレイの飛行を1週間も止めなかった。

 沖縄の地元紙は12月8日、米国防総省が2026年に生産ラインを閉鎖し、機体の運用自体は50年代まで継続の方針であることを伝えた。ブログ「海鳴りの島から」は「結局日本以外のどこの国も買わなかったのだ。そのことは世界の軍隊がオスプレイの機能と安全性を低く評価していたことを示している。同時に米国の言うがままにオスプレイを買っている日本の馬鹿さ加減を表している」と綴った。

  

 「米国の対外政策の意志を決定しているものは、米帝国主義の資本主義体制であり、その中心を担うのが産軍複合体だ」これは多くの人に受け入れられる見解だと思う。しかし悲しいかな、生産された兵器は、消費されて初めて兵器産業が成り立つというおぞましい運命にある。そこでせめて米国との安全保障協力にあたり、未来の日本政府が独立国としての主体性だけは失わないでもらいたいと願う

 

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*目取真俊のブログ

2023年10月30日 | 沖縄のこと

 地道な辺野古新基地反対運動のレポートである目取真俊のブログ「海鳴りの島から」の10月の記事をピックアップしておきたい。

◯10・5(座り込み抗議3378日目)

前日、日本政府の圧力に屈せず、玉城デニー知事は軟弱地盤の改良工事の承認をしないまま期限を迎えた。承認と不承認の間で揺れ動く知事の心情や県幹部、与党議員、後援会、支持者などの動きを県内メディアは報じている。

 それらの前提にあるのは、今でも辺野古のゲート前や海上、安和、塩川などの現場で、市民の抗議行動が続けられていることだ。現場で目に見える形で抗議する市民の姿が消えてしまえば、新基地建設に反対する世論も衰退し、選挙にも影響する。

 行政や議会、メディア、インターネット空間だけで政治が成り立つ、と考えるなら大きな間違いだ。市民の努力が、政府の圧力にも耐え抜く沖縄の力を生み出すのだ。

◯10・7

毎週第一土曜日にはキャンプ・シュワブメインゲート近くで県民大行動が開かれる。主催者発表で900人の市民が集まったが、日本政府の圧力に屈することなく、大浦湾の軟弱地盤着工への承認を拒み通した玉城デニー知事を支持し、応援する声が次々に発せられた。

 辺野古新基地問題は「沖縄問題」ではない。日本を守るためには米軍が必要だ。だけど日米安保条約に基づく米軍基地の負担は負いたくない。だから沖縄に米軍基地を集中させて押しつけておけという醜い日本人問題なのだ。

◯10・21

1995年の10月21日は3人の米兵によるレイプ事件に抗議し、沖縄全体で8万人を超す県民大会が開かれた。

 あれから28年が経つ。「1日も早い普天間基地の返還を」と口にする自民党・公明党の政治家たちには、怒りを通り越して憎しみすら憶える。

 実際には、あと12年かかっても新基地は完成しないだろう。無駄な時間と予算を費やしても、その間に事件や事故が起きようとも、政治家も官僚もだれも責任を取りはしない。本当に腐りきった国だ。

◯10・25

 物価高に苦しみ、少しでも安く買い物をしようとあくせくしている市民は、自分たちの払った税金がどう使われているか直視しないといけない。

 辺野古新基地建設は、米軍に普天間基地を長く使わせ、ゼネコンと政治家が利権をむさぼるために長期化し、予算が増大していく。

 軍事基地は何も生産せず、新たな富を生み出さない。こんなことに予算を浪費している限り、この社会はどんどん衰退していく。

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*琉球処分

2023年08月14日 | 沖縄のこと

 琉球王国は1429~1879まで450年間存在していた。1609年薩摩藩による琉球侵攻をへて、1872年には琉球藩が設置される。1879年に琉球処分官の松田道之が無抵抗の首里城に進軍した。琉球処分とは明治政府が琉球王国を清朝の冊封体制から切り離して沖縄県として自国に編入した過程をいう。(琉球王国の国旗)

  

 それから日清戦争による台湾併合の下関条約の1895年まで、沖縄では琉球士族層によって琉球救国運動(ストライキ・サボタージュ)なるものが展開される。図書館で涼みながら世界8月号の特集「安倍政治の決算」を拾い読みした。ロイター通信の豊田裕基子が安倍政権と沖縄について述べた論の題名は「美しい国の琉球処分」となっていた。

 〈安倍政権は日本全体を守るための基地というコストを沖縄に背負わせるという構造的な差別を「国策」と明示した政権であった。日米同盟の存在が沖縄の人々の暮らしや生命を凌駕することも「正しさ」の文脈で語られるようになった。結果として日本政府と沖縄の関係は鋭い対立構造の中に置かれることになった〉なるほど、かつての琉球処分に匹敵する強権政治そのものだ。

 〈米国との約束が日本国憲法で保障された地方自治や人権を押しつぶしても先行するのは沖縄だけのようである。安倍政権が国政選挙に連勝して、多くの日本の人々はこうした状況を支持あるいは黙認してきた。自らの権力を使ってルールを変更し人々を統治することをルール・バイ・ロウ(法による支配)と呼ぶ。安倍政権が見せつけてきたのは沖縄は法による支配の対象であるとの認識であった〉しかり対外的には「法の支配」を叫びながら、これは安倍政治につきもののダブルスタンダードだ。

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*続行は誰の決定か?

2023年08月03日 | 沖縄のこと

 普天間飛行場の返還合意は1996年。県民の反対を押し切り、辺野古では今も工事が行われている。しかし埋め立てが進んだのは辺野古側のことで、埋め立て予定海域の8割超の手つかずの大浦湾側の海底はマヨネーズと言われる軟弱地盤という。だから基地完成の目途を予測できる者は誰もいない。

   

 かくして普天間飛行場の危険性は放置され続ける。軟弱地盤の技術的な解決策はなく完成自体を疑う人もいる。誰が工事を続ける決定をしているのか、あれほど予算を投入し、反対を押し切ってここまで来た以上いまさら止めると言えない。工事が進めば進むほど止めにくくなる。引き返す勇気のある政治家がいないものか。

 

 行動する土着の作家・目取真俊のブログ「海鳴りの島から」は欠かさずチェックしている。「米軍にとって辺野古新基地が完成しようがしまいが問題ではない。工事が続く限り代替施設が完成しないからと理由をつけて普天間基地を使い続けることができる。しかし完成の目途が立たない基地のために時間と予算を浪費する余裕は日本にないはずだ」私は思う、もしも普天間で大事故が起きると日米関係の根幹が揺らぐ事態になる。アメリカもそれを恐れているはずだ。

 「無理やり工事を進めても工事は延長を重ね膨大な予算が浪費されるだけ。10数年あるいは20数年後の東アジアの状況を想像すべきだ。中国に対抗すると言っても、ミサイルやドローンが前面に出る時代に滑走路の短い辺野古新基地やオスプレイがどれだけ役に立つというのか。基地利権に群がる業者と政治家は儲かる。そして沖縄住民は苦しみ続ける」私は辺野古新基地反対運動の息の長さに感動し歯ぎしりするばかりだ。

 

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*沖縄県知事の訪中

2023年07月10日 | 沖縄のこと

 沖縄県の玉城知事は7月4日、日本の経済団体と共に訪中した。国際貿易促進協議会の河野洋平元衆議院議長を団長とする知事や財界人ら77名の訪問団である。玉城知事は北京で李強首相らと会談し、琉球国墓地跡を訪問した後、6日には福建州福州市に移動した。

  

 地図を見ると福州市は台湾に最も近い大都市だ。玉城知事は地元幹部と会談し、経済交流などを促進する「福建・沖縄友好会館」などを訪れた。6月には習近平主席が「福州で働いた際、福州に琉球館や琉球墓があり琉球と深い交流があったことは知っている」と異例の「琉球」言及により今回の玉城知事の訪中が注目されることになった。

 この習主席の発言は玉城知事の訪中を強く意識したもので、沖縄と良い関係を作っておいて日本を牽制する思惑があるようだ。つまり日本が台湾問題に深く関わった場合には「沖縄の領有権を認めない」と主張する可能性があるというのだ。

 このことに関して玉城知事は、経済や観光などの分野で交流を促進し地域に平和な環境を作り出して行く「地域外交」の意義を強調した。また国の外交を補佐してゆく形での地域外交は外務省も認めているとも主張している。興味深いことに7月4日には台湾議長が与那国島に異例の訪問を行った。台湾東部から高速艇で約2時間で日本最西端の与那国島に到着したという。

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*沖縄の昔と今の話題

2020年09月10日 | 沖縄のこと

 五年ほど前に石垣島や西表島を訪れたとき、バスガイドさんから石垣市にある八重山平和祈念館の話を聞いたことがある。大戦末期に八重山諸島の住民がマラリアの無病地帯から有病地帯に避難を強いられ3600名余りが犠牲になったという。偶然にもつい最近、「戦争マラリア」についてくわしく知る機会があった。それは現地取材による「池上彰の戦争を考えるSP~感染症の悲劇~」という「テレビ東京」の番組で教えられた。

 波照間島の島民がマラリアの発生する西表島に強制疎開させられる。疎開は日本軍の命令だった。下したのは教員と名乗り波照間に来島した山下虎雄(本名・酒井清)という人物。子供たちにも慕われた顔を豹変させたのは沖縄戦が始まっていた1945年の4月のことだ。「米軍の上陸に備え疎開せよ。敵の食料になるから牛馬も殺せ」。後年わかるが、山下は陸軍中野学校出身で、離島での極秘工作を行う特務兵だった。処分した家畜は肉を燻製にして石垣島の日本軍へ送られた。

 西表島は波照間島から北の沖に肉眼で見える。その西表島に「忘勿石(わすれないし)ハテルマ シキナ」と彫られた岩が残る。そこは強制疎開先で、波照間国民学校の識名信升校長が青空教室を開いた場所。そしてマラリアでつぎつぎ児童が倒れた地。識名校長は軍部に疎開解除を訴え、帰島の際にひっそり、だが強く岩に刻み付けた。この惨禍を「けっしてわすれることなかれ」と。石垣島でも強制疎開が始まる。しかし軍が指定した避難場所は島内のマラリアが発生する山地だった。(オープンギャラリーが駐車場に、駅前の銀行を解体中)

 

 朝日新聞の土曜版「フロントランナー」を読んで、凄い奴がいるもんだと感心した。サッカー日本代表として活躍した静岡生まれの高原直泰(41歳)は、「沖縄に骨を埋める覚悟」で2016年に沖縄に居を移した。国の沖縄総合事務局から、観光、IT産業に次ぐ3本目の柱としてスポーツ産業を創出したいと誘われたのだ。J1から数えると5部にあたる九州リーグに属する「沖縄SV」のオーナー兼選手だ。沖縄の農業は耕作放棄地の増加や深刻な担い手不足。クラブとして農業に取り組み、雇用も生み出せれば直接、地域に貢献できる。コーヒーはクラブの主要事業となり、初めての収穫は2年後という。この事業が自前の収入を生み、引退後の選手の雇用先にもなる。OSVを応援しよう。

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