玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

近くのAT&T社を覗く

2014年08月28日 | アトランタ便り

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いつも、散歩は午前中の用事を終えた後している。近くの「AT&T」社は、ガラス窓が張り巡らされているが特別仕様なのか中は一切見えない。本社?と思える程に広~い敷地に何棟もの同じマークが記された建物が見える。その日思い切って、エイッとばかり主棟風の重い表玄関のドアーを開けた。ドアは重厚で重く体ごと押し、内ドアを更に一枚開けた。丁度ランチ時で、出入り口の横手にあるダイニングルームに多くの人が行き交っていた。

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私は天井の高いエントランスホール内や、眺望のいい外を眺め回した。ジーンズの人はいたが皆ビジネス向きの服装だった。館内で10人程度のグループに何やら説明をしており、終わると派手な拍手が湧いた。その会社が扱っている機器の陳列室も見えた。ドアーを押してみたが開かない。人々は働き盛りの年代層で、肥満傾向の人は見かけたが、超肥満の人は皆無だ。女性は街行く人々と同程度に可成り際どく胸を露出させていた。最後に興味深いダイニングルームに入った。

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何処に行っても、食に関する場所は見るだけでも楽しい。そこはバイキング形式になっていて、3方の囲いは内側に料理人や店員がいて注文に従っていた。中央2列はバイキング式のコーナーで、各自がかなり大きなパックに、好みに応じて食べ物やドリンク等取っていた。そこで働いている人達ばかりでなく、研修や見学など訪れている人もいるような雰囲気で、多様な食物も用意されていた。握りずしと書かれたメニューがあり、簡素ながらそれらしく設えられ、日本人のコックさんが立っていたが、生憎並んでいる客は少なかった。これだけの人が車で集まる出勤風景が見たくて、昨朝時間を見計らって外に出た。どの車も、信号の少ない道路を、ビュ~ンとスピードを出して走る。歩行者なんていやしない。会社の前でややスピードを落とし、次々と駐車場に吸い込まれて行く。スピーディな流れはまるで映画のシーンさながらだった。

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日本語を話し読み書く

2014年08月26日 | アトランタ便り

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昨夜、娘の会社の社長氏と再度夕食を共にさせて頂いた。事情が重なって子供連れになり、それでもいらっしゃいと言って頂いた。帰国されて間もなくで、広島の惨事や元野球部だったという彼は、甲子園がらみの高校野球を熱く語られた。甲子園物語が、日本の一つの風物詩と読んだことがあるが正にそうで、夏休暇をこの時期に合わせ帰国される心情が、私の心を又熱くさせた。3人のお子さんは米国生まれだが、夫々の受験の都合で帰国され10年近く単身赴任だという。外国で日本語学習を継続する困難さも重々語られた。

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過日私がちょっとだけシッターをしたお子さんは現在小学2年生。年中の妹や母親との日常会話は父親不在の時間は全て日本語だとその知人は言っていた。我が家の場合日本にいる姉妹間は日本語にしてと言ってはみたがすぐ英語に戻っていたし、ひらがながやっとの孫には漢字はいいから平仮名を覚える様に言ってもいた。当のお子さんは週末には日本語学校に通っているといい、ここで宿題の漢字を書いていた。書順も間違わない。うちの場合平仮名でさえ書順は怪しい。言い過ぎても返って苦手意識に通じそうだし、一度覚えてしまっている物の訂正は難しい。上記の社長も、滞米中の奥様の学校に関する苦労は、奥様に任せるしかない中で大変だったと述懐し、妻は6才年下だが私の方が「今も全てハイですよ」と笑われた。

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娘が来米した際、最初の職場がノースカロライナの週末の日本語学校だった。そこは週末だけの為現地校の一部を間借りしていたし、かなり広範囲から時間をかけて親子で通学していた。娘には大学在学中に教員免許だけは取っとくように言い置いたのだが、本人には母親の思いは伝わらなかった。教員は勤務時間数も少なく、事務職の方がいいのだと強がったりもした。兎も角当時から私も、週末日本語学級やそこでの運動会を訪ねており、当事者の負担度を感じさせられてもいたので、専業主婦でない娘に今以上望むのはムリと観念している。かって物を書き始めた岸恵子さんが、翻訳した絵本の読み語りを私の居住地でなさったことがある。自分が書いたものは誰よりも娘に読んで欲しいのだけど、喋る事は出来ても、読む事が出来ないのは何とも悲しいと洩らされていた。

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*訃報届く

2014年08月24日 | 沖縄のこと

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 だいぶ前のできごとのように感じていたが、よく考えてみるとまだ二年も経っていない。君が沖縄旅行を提案し、それがおなじ職場の退職四人男の旅行として実現したのは一昨年の十一月だった。四人の中で沖縄がまるで初めてだったのは君だけだった。君は沖縄に多少の縁のある僕に旅程の作成を指示し、レンタカーの運転は俺に任せろと言った。僕はこれまでも幾度となく君の家に上がり込んで飲ませてもらったが、沖縄旅行の話も君の家で始まった。

 教室で君が板書する文字は美しく好評だった。職場は家庭的な雰囲気に満ちていて教師も生徒も居心地がよかった。そのうち君とは家族ぐるみのおつき合いをさせてもらうようになった。ちょうどそれぞれに同じ年の二人の子供がいた。子供が幼い頃に三家族でスキーの旅行に出かけたこともある。南国生まれの僕にはスキーは馴染みがない。思えばそれは雪国に育った君の発案だったのかもしれない。君は僕より一歳年上で卒業後は回り道することなく就職した。そこへ回り道をした僕が就職する。君が初めて僕を見かけたのは就任手続きで事務室で説明を受けている姿だったと最近ぽつりと話してくれた。

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 君は世話好きで涙もろくて謙虚だった。君の普通でない隣人愛が周囲をあきれさせたことがあった。これについては君だけでなく君の奥様も君に歩調を合わせていたね。一人の幼い女の子がいる家族を手助けしているちに、全く血縁のないその家族と家族以上の生活が始まり今でもその生活は続いているという。あきれ顔の僕に君は平然と話すのだった。あるときには「地球上のこの土地の一角を囲い込み、これは俺のものだと主張している我々は何かおかしくないか」と君は主張した。

 とても真似できないが、君の家には稀に卒業生が泊ることもあった。それは奥様の存在も大きいが、君の人柄のせいでもあるだろう。君の関係する卒業生のおかげで沖縄でのレンタカーの料金は割引になった。伊江島では民宿に泊まり、その翌日は辺野古の海を見た。そんな沖縄旅行を終えて年を越して三月を迎えた時に、君から旅行の反省会をするから集まれとの招きがあった。その時に君は分厚い旅行のアルバムを三冊作成して一人一人に配った。その八カ月後に君の体に異変が起きたのを知る。入退院の繰り返しと聞いていたが、とうとう八月二十一日に君の訃報が届いた。

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乗ー降ー待ー乗ーヤット着く

2014年08月23日 | アトランタ便り

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残すは6日、そろそろ帰り支度をせねばならない。来た時もそうだった様に、娘は朝私を空港に送り届けそのまま勤務に向かうはずだ。休暇は貴重でシングルマザーだから、子供の学校行事や登校不能に備え確保しておかねばならない。思えば私も随分逞しくなった。ろくに喋る事もできないのに、場所の移動だけは娘に頼らざるを得ないが、他の多くは何とかするしかないとすっかり覚悟しているからだ。先日我が家で夕食を共にした娘の友人は、孫2人を連れて飛行機を乗り継いで来た話に驚いていた。上の孫は必ずと言っていい程まごつく私に不安げで、私が人に物を尋ねると必死に聞いて協力してくれた。

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乗り継ぎで困るのは、同じ航空会社でも、最初の入国地点で荷物を一端引き取り再度預けなければならないからだ。帰国便はその必要がない分とても気楽だが、ロスでの乗り継ぎは来た時と同じとはいえ逆方向で少々心配。「ババ どうして間違うの?」と聞く孫にいつも同じ空港だったら覚えられるのだけどと答える。それに米大陸は宏大だから、同じ国でも東西で4時間の時間差があることも難儀さに拍車をかける。 今迄の中継地点は、デトロイト、シカゴ、トロントだったが、今回初めて西海岸のロスだ。会社もアメリカン、エアーカナダ、デルタだった。今後はマイレージのこともあってデルタ一本にするという。

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出発前旅行カバンを買い換えた。以前のは何しろ30年前初海外旅行時購入した代物だった。キャスターがすり減り取っ手もない。その際今後使うであろう頻度、帯同し移動に耐えられる容量等検討しながら求めたのだが、もう一回り小さくて良かった?。というのも、来る際は孫の物は夫々のリュックに詰めたが、ついつい日本からの買い出しが多くなり制限の23kg一杯になった。しかし帰りは自分の衣服は最小限だったし、ご近所や勤務先への土産以外に当地で求めたくなるものは何もないからだ。娘はこの春、一流企業の帝人から聞きなれない日本のアメリカ支社に変わった。日本人の陥る思考が抜けず少なからず不安視していたのだが、社長氏からご招待を受け食事をご一緒させて頂いた。その後夏休暇を日本で過ごされた社長の「糠床」を2週間かき回し、明日再度お食事を御一緒させて頂く事になっている。加えて買い物に行った際、特徴の傷を持つ娘の車を見つけた前会社の社長氏にも会い挨拶出来た。何というオマケ付のアメリカ滞在であったことか。

写真は週末のプール。街角(生ガキ食べに)。娘の友人は夫が改造したキッチンバスで弁当を売る。

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初秋を思わせる日に

2014年08月20日 | アトランタ便り

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プールから上ると即座に夕食にありつける小一の孫娘は「ババがいるとレストランみたい」と言い、小三が「それはズ~とはムリだよ」と諭す。(日本では下が早生まれで1年と2年生の年子扱い)せめて私の滞米中はと朝夕忙しい皆を手伝い、今がその時と年に一度は訪米している。所で片づけの最後に残るのは本類。子供の本は出したが、作り付けの本立てを失った娘の本類は段ボールのまま。引越しの度に目も通さない本?を持ち運ぶテマが思いやられ不要と思える十数冊は捨てた。直ちに捨て兼ねる数冊は私が読んでからと取り置く。いつもは空港で求める分厚い月刊紙に変わり、今回初めて読書の時間が持てているのは、孫娘の成長がもたらした時間でもある。

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手作り冷凍食品の作り置きの合間、アパート周辺の内外を1~2時間、時に半日散歩する。アパートの周辺は当然として、道路沿いも整然と植樹され、なだらかにカーブを作って連なる手入れの届いた街路は、その先迄もっとその先迄と私を誘いいざなう。ここを出ると「AT&T」と表示された日本でも見かけた事のある会社が道路向かいにある。どこでもそうだが、会社や公園続で外に向かって開放されている芝生は、いづれも綺麗に刈り込まれ、植栽された立木は木陰を作って優しく人を誘う。少しばかりの用を終えた私には、今限りなく時間が用意されおり他の用事や憂いは何もない。街路から刈り込まれた芝生を分け入ってドンドン進み木陰に座る。視野の先には車が微かな音を立て走り、犬の散歩やジョッギングをする人が見える。カメラ、本、メガネ、おやつ、水を順次取り出して贅沢な時間を過ごす。昨日はつい転寝をしてしまった。

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当地の気候は日本程の厳しさは感じない。コントロールされた自室にあっては時に肌寒く薄手のカーデガンを羽織る。朝夕の温度差もあり、朝方には外気が冷めているから熱帯夜という概念はあるのかしら?街路の樹木は夏色だけど、雲一つない時の青空や木立を縫って肌にそよぐ風は初秋を思わせる時すらある。さて今夕、子供の保育園が同じだった娘の友達の子供2人を2時間ばかり預かることになった。新学期の為夕刻父兄が学校に参集する必要があるが、大学教授をなさっている夫がその時間に帰れないという。車で2~3分の所に住み、そちらも夏休みは家族中で日本の小学校に通学され私も知っている。共に夕食をしながら待つ事になった。ご飯、野菜の肉巻、味噌汁としよう。

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*帰郷

2014年08月17日 | 捨て猫の独り言

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 振り返ると退職後は少なくとも年に一度は帰郷している。今年は8月の7日に鹿児島に向い、13日に東京に帰った。行き帰りともシルバー割引(65歳以上)の航空券だった。これは予約は不可で、当日の空席待ちの券である。お盆帰省の人々の大移動の間隙を縫うようにして旅の日取りを決めたから、私は当初の予定通りの便に搭乗することができた。繁忙期ということで割高の16、790円だったが、そのうち繁忙期でなくてもこの高い価格が定着してしまうかもしれない。あるいは70歳以上という条件の変更もあり得る。

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 旅は計画段階の時が一番心がはずむのかもしれない。最終目的地の鹿児島市に、いつもとは異なる方法でアプローチすることを考えた。空港からバスで25分ほどの天降(あもり)川沿いにある温泉でゆっくり過ごした後で鹿児島市に入ろうと考えた。空港から隼人駅行きのバスは肥薩線の嘉例川駅を経由し、天降川に出る。左折して上流に向かうと塩浸、丸尾の温泉だが、右折して下流に向うと、安楽、妙見、日当山の温泉だ。妙見温泉で下車して、湯治の宿である妙見館に2泊した。ここは九年前に両親と自炊しながら泊った思い出の宿だ。

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 古い建物だから薄暗い廊下にはどんよりとした空気が漂っている。湯治客が残した猫が住みつき、いつのまにか七匹になったという。80歳の女将さんは「自慢できるのはお湯だけですよ」と謙虚だ。台風の影響で二日目は雨となり外出はできず、何度も湯に入る。客はほとんどなく自炊の老婆を一人見かけた。私は二食付きで、食事は川向かいの妙見ホテルから届く。無尽蔵に湧き出るお湯が惜し気もなく天降川に放出されている。台風は鹿児島県の東を北上し甲子園高校野球の開幕が二日も延期になった。幸いなことに台風による私の旅程の変更はなかった。

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 帰郷の目的の一つは90歳になる母が昨年入居した老人ホームを訪ねることだ。そのホームは桜島を見渡せて、霧島連山を遠望できる鹿児島市内の高台にあった。さらに今回の帰郷では念願だった甑島訪問が実現した。この島はかつて県庁に勤めていた弟の赴任地の一つである。甑島は薩摩半島から西へ30キロに上、中、下と縦に3島が連なる。今回見学したのは上甑島だけだ。串木野を出たフェリーが最初に寄港するのが上甑島の里港である。その里町の知人宅に一泊した。里町は島と島をつなぐトンボロ(陸繋砂州)の上にできた集落だ。池と海を隔てる4キロの砂州の「長目の浜」もめずらしい地形だ。下甑島の西海岸クルーズでは海から空に向ってそそり立つ断崖が見られる。それは太古の空気を感じさせる圧倒的な迫力だという。

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アパート探し

2014年08月15日 | アトランタ便り

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娘がアメリカに渡ったのは2才と6ケ月のベビー連れだった。婿殿は先に帰国していたので、私は2才児のベビーシッター役となり難儀だった。そのベビーが小学生になり6年が経過したことになる。以来アパート生活を始め、一度は自宅購入をしているがその内離婚してアパート生活に戻った。ベビーシッター役で渡米した際、アパート探しに付いて回ったが、あまりに違う日米のアパート事情に驚いた。その一端を報告してみよう。

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先ず一口にアパートといっても日本とは全く違い、マンションといった方が似つかわしく、然も相当に高級な仕様になっている。第一敷地の広さが違う。結構宏大な敷地に栽植されたアプローチ。その中に独立棟や連棟式様々だがいづれの外観も豪華さを競っている。中央のドアを開けるとそこは丸でホテルのラウンジ様。高い天井にシャンデリア。フロアーにはゆったり寛げる椅子。壁面一杯の鏡やクリスタルガラス。コーナーにはフリーの飲み物やスナック。共用の設備としてプール、ジ?、ダイニング、洗濯室、PC、子供の遊戯室を備えている。常時数人いる職員と打合わせを終え、希望に沿った部屋へ案内される。各部屋は冷暖房完備で概ね絨毯を敷き詰めてある。部屋ごとにバスルームが付属しトイレ、シャワー、洗面台が付く。キッチンは冷蔵庫やトースター付きだがレンジ、洗濯機、乾燥機はマチマチの様で、共用設備をカードで使用するか購入又は外部からレンタルしてもいい。そして居住民になると完備されたセキュリティーでしっかり守られる事になる。

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さて気になるのはお値段。当然寝室数によって決まるのだが、日本式の頭金、礼金、敷金は一切なし。当初諸手続き代として3~4万払うのみ。引越しも車と人さえ間に合えばただ同然らしい。違うのはここから。契約は概ねアパート側の事情に左右される。移動の多い時期に契約終了になるように組まれ、入居者に事欠かないような仕組みらしい。入居者の希望に沿う形の場合割高になり、いづれも再契約を結ぶ際は決まって数%高にるという。娘の場合家賃は10万円強。住まいに関する諸経費を2万に抑えたく、引っ越しを繰り返さざるを得ない事情もあるようだ。今のアパートは若者が多く週末には若者で賑う。その多くは学生達で部屋を複数でシェアーしあってるらしい。日本のアパートを見て「クローゼット?」と聞かれた笑うに笑えない話を思い出した。

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何度目かのアトランタ便り

2014年08月15日 | アトランタ便り

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この地について10日過ぎた。新学期が始まり、娘は3年生と1年生になった2人を車に乗せ7時20分に慌ただしく仕事に出かけた。私は毎度の事ながら当初の1週間は毎日片づけに追われ、昨日あたりからやっとホットする時間がとれた。というのも週末に引っ越しを終えたばかりの3日後に孫2人を連れた私が到着したからだ。私の訪米は連続3回いつもこんな調子で始まっている。慣れつつはあるとはいえ、長旅を終えてホッとする間もなく次なる作業が待っているのは身に応える。

Img_0958 まずは日本と大分違う学校の様子から報告しよう。登校日以前に17時から始まるオープンスクール。校舎のガラス窓に掲示されたクラス分けに従い担任の待つ教室へ向かう。立ったまま出迎えた教師とそのまま挨拶をかわした後、生徒の机の上に置かれた書類を一式受け取り体育館に向かう。そこはいくつかのブースに別れスクールバス、ランチ、学童、ボランティア(PTAのようなもの?)等詳細な説明を受けつつ申し込みを行っていた。孫が外国で育つ私達のような者にとって、教育問題は大きな関心事で何ともアッケない思いだ。上の子が新一年生の際は、学校や学童の説明会が開かれ親、関係者一同が集ったのだが、今回は儀式はなく進級という事できっとシンプルなのだろう。

Img_0990_4 書類の1枚には必要文具が羅列されている。メーカー迄指定されたノート、ファイル、鉛筆、色鉛筆、マジック、ハサミ、テープ、糊、果てはボックステッシュ、ペーパータオル一巻といった具合。毎学年必要文具はそうやって提出され、クラス共用物とされる。物品は個人用として大切に、丁寧に、長く使うという日本式習慣とは異質で、自宅の机周りに余る程の文具があるのも頷ける訳だ。年に1回は訪ねる米国。長短様々に感じるのだがいやでも目に付くのがその消費生活ぶり。教育現場でこうだから「物を大切に」と教える事は難しい。物品は一つ一つも大きく、教科書も分厚く学校に置きっ放しでカバンの中は宿題ファイル、ペンシルケース以外はランチボックスのみ。今朝も見送りの私に手を振りつつ、カバンを背負い元気よく車に乗り込んだ。

前回分の写真部分を修正しようと試みたが失敗!更に拙いが止む無し。

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*日常

2014年08月04日 | 捨て猫の独り言

 庭のサルスベリの一枝にポツンと花が咲いた。庭のサルスベリは毎年この地域のどのサルスベリの木よりも遅く咲き始める。木にも個性があるらしい。その逆で庭の萩はいち早く咲いて細々と長く咲き続けている。ハーブの一種である「たいまつ草」は葉だけになった。葉をちぎると月桂樹の葉と似た香りがする。「おいらん草」は花の盛りをすぎたが、白い小さな五弁の花が円錐形に集まって咲いている。隣家から昨年もらった鉢植えのおいらん草は紅紫だ。春には鉢から出して白の隣に植え替えてみよう。

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 土曜日に上水の緑道で久しぶりに鈴木忠司さんに出会った。緑道の端の木陰でキャンパスに向かって写生の最中だった。「ここは涼しくていいですね」「それにしてもすこし痩せたね」「やっと解放されました」「痩せるのもむりないか。たいへんだもんね」バンダナ姿の鈴木さんは日焼けした温和な顔をこちらに向けた。オープンギャラリーの展示を二十四節気ごとに更新し続けることこそたいへんなことだ。鉛筆画の創作をはじめとして鈴木さんの玉川上水への愛着は尽きることがない。

 めずらしく真夜中の2時前に目が覚めた。家人がいればそのままがまんして横になっているところだ。こんなときこそラジオ深夜便だ。自分一人だけに語りかけてくれていると錯覚するぐらい、しみじみと落ち着いて聞ける。ラテン音楽と世界のエメラルドの半分はコロンビアで産出されるなどという話題などが耳に入る。2時すぎにレンジャーズとインディアンスのMLB中継があることを思い出してテレビのスイッチを入れた。ダルビッシュ投手が好投していたが2回終了で瞼が重くなり床に戻った。

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 この「OCNブログ人」のサービス提供が11月30日で終了するという。ふりかえってみると、ある方の勧めで始めたこのブログも今年でちょうど10年目を迎える。この区切りのよい数字はなにかを暗示しているようにも思える。今後のことを、ある方にも相談してみようと考えている。四国の太平洋側では「猛烈な雨 」、関東甲信越では「猛烈な暑さ」だという。私たちは「猛烈」とか「過去に経験したことのない」とかいう言葉にも慣れつつある。私たちは「想定外」の膨張拡大を許容しつつ生きるしかないようだ。(写真は7月14日)

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