玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*惜別

2025年02月10日 | 捨て猫の独り言

 夕刊に「惜別」というコーナーがある。2月1日のそれに北の富士勝昭さんが掲載されていた。2024年11月12日死去(急性心不全)本名・竹沢勝昭82歳。文責は北の富士担当記者のN氏だ。N氏は初場所が始まった頃の朝刊の「角界余話」にも北の富士さんについて5回連載の特集記事を書いている。「北の富士さん師匠譲りの粋」「大関昇進横綱に紋付拝借」「師匠と一緒に独立破門に」「ハガミは餞別ごっつあんです」「《みえと突っ張り》引き際でも」

 師匠とは41横綱・千代の山。大関への直近3場所の勝ち星は計28勝。紋付を拝借したのは出羽の海部屋の兄弟子の横綱佐田の山。解説者になってからも大関昇進の話になると言葉を濁した。「俺は人のこと言えねえからな」と。出羽海部屋から九重親方(元横綱千代の山)が独立し九重部屋を興して破門。師弟そろって破門された九重部屋は高砂一門に拾われた。

 相撲界で「端紙(はがみ)」といったら、借用書のこと。力士から「ハガミ、ごっつあんです」と言われたら「金を貸してくれ」という意味だ。出羽海部屋から分家独立して部屋を出ることになった北の富士さん、この頃は出羽海親方に繰り返し遊興費を無心し、端紙が積み上がっていた。「必ずお返ししますので」だが親方はこういった。「餞別だ」。生前「ああいう一言がいえる大きな男になりたいと思ったんだよ」と語っていた。

 元横綱に許される国技館の土俵での「還暦土俵入り」を辞退し、ホテルで披露した。「みっともないケツを見せたくなかったんだよ。年を取ると、どこから肉が落ちるか知ってるか?まず尻、次に肩口の筋肉。最後に残るのが腹。そんな姿を四方八方から見られたくなかったんだ。みえと突っ張りで生きてきたから」そしてN氏は「惜別」の記事の冒頭を「NHKの大相撲中継で実況のアナウンサーから、たった今の一番をを問われ、《あ、ごめん。見てなかった》。そんなコメントが許される解説者は、もう現れないだろう」と書き起こしている。

 

 

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*空即是色

2025年02月03日 | 捨て猫の独り言

 愛読書の一つに、遠藤誠(2002没)著の般若心経がある。弁護士でもあり仏教者でもある著者の生き方そのままに型破りの著作だ。デカルトの「我思う、故に我あり」とは「あらゆるものの実体は存在しないかもしれないが、しかしあらゆるものの実体の存在を疑っているこの自分というものだけはたしかにここに存在する」という、ヨーロッパの「自我の確立」思想である。

 それに対して仏教ではその自我、すなわち心と呼ぶ精神作用に振りまわされているから人間の苦悩はなくならないとする。すなわちクルクルと変化し続けるという意味において心(自我)というものの実体はないとする。色即是空。色は我々人間の肉体のこと。空はこの世に本当に独立に実在しているものはなくあらゆるものは絶えず変化するということだ。

 破天荒な著者は言う。「自分という実体はなにもないのです。あると思っているのは単なる夢まぼろし錯覚なのです。また、ここに女房のかっこうをした生きものがいるようにみえるが、そんなものは夢まぼろしであって実体は何もないのだという世界をガッチリと腹に入れちゃうと何がおきても〈ああそうか〉で終わっちゃう。そしてそのような夫婦関係、親子関係がかえって夫婦や親子の円満な人間関係を永続させることになる」(小金井公園にて)

  

 般若心経は色即是空のあと空即是色と続く。A=BはB=Aで同義反復である。この著作における空即是色の解釈に私はいたく納得させられた。(-1)×(-1)=+1である。否定の否定、あるいは否定を徹底したその先にある世界では、一木一草、道ばたで踏まれながら生えている雑草に至るまで、美しく見えてくる。この世はこのままで美しく見え、この世はこのままで楽しく見えてくる。これが空即是色の世界だというのである。

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*京都奈良旅計画②

2025年01月27日 | 捨て猫の独り言

 3日目、地下鉄東西線を太秦天神川駅から東山駅まで乗り、徒歩10分の平安神宮(1895年)に向かう。明治時代の代表的な日本庭園の「神苑」でのんびりしたい。その後は加茂川べりを三条大橋から四条大橋まで散策する。午後は地下鉄烏丸線で真言宗の開祖・空海とゆかりが深い東寺(796年)を訪ねる。木造としては日本一の高さを誇る五重塔は京都のシンボルだ。講堂にはすべての種類の仏像が揃う。帝釈天半跏像に注目。

 4日目、早めにチェックアウトしてJR京都駅から「みやこ路快速」で奈良へ移動。駅から北へ4㎞の「奈良ユースホステル」に荷物を預けて近くの東大寺(728年)を見学する。法華堂(三月堂)にあった日光・月光菩薩などが耐震構造の東大寺ミュージアムに移管されたという。そこでセット券(大仏殿・東大寺ミュージアム)での拝観がお得のようだ。お参りの後は奈良公園をぶらぶら歩いて鹿と遊ぶ。

 5日目、法相宗の大本山で藤原氏ゆかりの興福寺(669年)を訪ねる。廃仏毀釈により一時は廃寺同然となり、五重塔は売りに出され二束三文で買った買主は塔自体は燃やして金具類だけを取り出そうと考えていたが、延焼を心配する近隣住民の反対で塔は残った。国宝館にある6本の腕と3つの顔を持つ阿修羅像は絶大な人気だ。見学のあとは猿沢池をスタートに、元興寺を中心に古い町屋が点在する「ならまち」を歩く。

  

 6日目、近鉄橿原線の西ノ京駅で降りていよいよ最後の見学となる薬師寺と唐招提寺を訪ねる。両寺は10分ほどで行き来できる。薬師寺(680年)は法相宗の大本山で、かつて管主の高田好胤(1998年没)は分かりやすい法話により修学旅行生に人気があった。中央に金堂、東西に2基の塔を配する伽藍配置で、中でも東塔に注目したい。唐招提寺(759年)は律宗の総本山だ。鑑真(688~763年)は仏教者に戒律を授ける導師として日本に招請された。ここは日本中で私が最も好きな伽藍だ。そして7日目は帰京するだけの日となる。なおこの計画による費用を見積ると一人あたり8.7万円と出た。

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*京都奈良旅計画①

2025年01月20日 | 捨て猫の独り言

 アトランタに住む孫娘が夏休みを利用してこの6月に2人だけで日本に来ることになった。受け入れ側のジジとババはすっかり瘦せ細り体力も落ちた。どうなることになるのか見当もつかない。2年前の正月に家族4人で2週間日本に滞在して長野、京都、鹿児島を回っていた。今回は19歳と17歳の2人が我が家に1ヶ月滞在する。そこでジジが考えたのは自分が引率する1週間の3人での京都・奈良旅行だった。

 できるだけ質素な旅を旨として、京都と奈良のユースホステルにそれぞれ3泊する。国際交流みたいな出会いがあればそれに勝るものはない。仏像には如来、菩薩、明王、天の4種類あることぐらいは事前に教える。庭園についてのはその場に佇み日本人の美意識みたいなものを感じてもらう。宿舎の位置が計画に大きく影響するが、幸運にもどちらのユースホステルも理想的な場所にある。

 東京を9時に出れば12時過ぎに京都に着く。京都駅のD3乗り場から市バス26番に乗り御室仁和寺バス停で下車して、まず仁和寺(888年)を見学する。真言宗御室派の総本山、名高い御室桜は遅咲き桜。先の路線バスで仁和寺から4つ先が「ユースホステル前」という目指すバス停である。ホステルの近くには、古くから月見の名所として知られる広沢池がある。

  

 2日目はまず広隆寺(603年)を目指す。渡来人の秦氏の氏寺(真言宗系)で京都最古の寺。ここでは圧倒的な人気の「弥勒菩薩半跏像」を拝観できる。像の高さ84㎝で赤松の一材で造られている。渡来人がどれほど日本に影響を及ぼしたか考えてみたい。何時間でも見ていたくなる仏像だと思う。2人の反応が楽しみな場面になる。あとは嵐電に乗り天龍寺(1339年)に向かう。足利尊氏と後醍醐天皇ゆかりの禅寺だ。ここの夢窓国師作といわれる曹源池庭園は見逃せない。

 

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*ユースホステル

2025年01月16日 | 捨て猫の独り言

 最近の私の旅といえば、旅行社任せの受け身の旅でその上ついつい暴飲暴食になるという後悔の多いものになっている。それとは違う自ら計画し質素な食事の旅をしてみようと考えた。行く先は京都と奈良でユースホステルを利用する。

 これまでユースホステルの利用経験はない。調べてみると京都には「宇多野ユースホステル」が「広沢池」近くに、奈良には「東大寺」の近くに「奈良ユースホステル」というのが存在することを知った。どちらも仏像や庭園を見学するには絶好の位置にある。

 そこでユースホステルについて調べてみた。若者が旅をして人種や国籍、宗教などの違いを越えて自由に集い相互理解を深める活動としてドイツで始まり世界的に広がった。日本では最盛期の1972年に会員63万人、施設600ヵ所近くあったが、1980年以降は減少を続け施設数は半減以上になっているという。

 申し込みに年齢制限がないのはありがたい。会員でなくても千円増しのビジターとして宿泊可能だ。予約は90日前から受け付けている。客室は基本的には4人から8人までの男女別相部屋になる。少子化や留学を含め海外に渡航する若者の減少など若者の内向き志向はユースホステルにも影を落としている。

 

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*未来への歴史

2025年01月13日 | 捨て猫の独り言

 1/4【法の支配 法に崩された】法を作る側の権力者自身も縛り、基本的人権、表現の自由を守らせるのが、法の支配。一方、法による支配は権力側が権力の維持と市民への支配を強めるための道具として法律を作り、反対意見やデモを力で封じ、市民に服従を強いる。似ているようでまったく違う。

 かつては規制や抑圧の大義名分は「国体」だった。日本は天皇を中心とした国家で、国民は国家への忠誠心を持ち天皇に身を捧げるのが当然とする国家観だ。今では国家統制に国体を持ち出すことは考えにくいが、「公共の福祉」や「民主主義」を大義名分に、権力者が集団・結社の取り締まりに利用することもあると歴史学者は指摘する。

 1/5【絡み取られた自発性】両大戦の戦間期から45年の敗戦にかけて、女性たちが活動の母体としたのは3種類ある。銃後活動を目的に発会し、政府や軍と一体で働いた体制的団体。公娼制度廃止や婦選実現など女性の地位向上を訴えた市民的団体。労働者ら無産階級の立場に立つ無産団体。日中戦争が始まる頃から従来の活動は縮小。弾圧され消滅、自ら解散、体制に協力しながら存続(市川房枝の選択)、といった道を選ぶことになった。

  

 1/6【歴史を物語るということ】司馬遼太郎は生前「坂の上の雲」の映像化を断っていたという。歴史を物語る難しさも司馬は感じていた。国民を束ねる記憶を国家は作りたがる。多様な歴史のなかには、史実を意図的に塗り替える歴史修正主義が潜む。私たちはどのように物語を紡げば良いのか。確からしい記憶がいくつもあり、自由に語り合い、少しずつ「より確からしい」歴史を見つけてゆく。その積み重ねが歴史を修正しようとする悪意を見破り、記憶の紛争も減らしていくだろう。

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*未来への歴史

2025年01月09日 | 捨て猫の独り言

 新聞連載の「未来への歴史」の今回のテーマは「デモクラシーと戦争」である。暮れから年始にかけての6日間に1面と2面に大々的に掲載された。民主政治は持続可能なのか。戦争は制御できるのか。両者の関係を戦後80年の節目に考えるとある。読み通すにはちょっとした根気のいる作業だった。毎回の【筆頭見出し】と、私が傍線つけた部分を記すことにする。

   

 12/30【政党政治は希望か落とし穴か】社会は移民問題などをめぐり分断し、経済はロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格高騰などで停滞する。問題を解決できない既成政党への失望。それが政治的暴力が続く背景にある。歴史学者は「現代では、不安を抱えた既成勢力が中道で身を寄せ合った時、左右の極にあるポピュリズムが輝いて見える」と語る。

 12/31【膨らむ借金 許した先は】借金が雪だるま式に膨らむのを抑えようと、歳出カットと増税を唱える財務省は、経済低迷の責任を問われ、批判の矢面に立たされている。戦前の大蔵省批判を振り返ると、その論理と財政の状況は今と酷似している。今の積極財政の中身は、主に国民への現金給付や半導体への補助金などで、軍事予算が中心だった戦前とは違う。自衛官が暴走し、政治を支配しているわけでもない。ただ、財政規律が崩壊するなかで、たがが外れて防衛予算が膨張する恐れがある。

 1/3【開戦「勢い」に流されて】昭和天皇は終戦後、側近に「戦争を止めようと思ってもどうしても勢に引きづられて了った」との発言を繰り返した。政治学者の丸山真男は「つぎつぎになりゆくいきほひ」というのは「日本の歴史意識の古層をなし、しかもその後の歴史の展開を通じて執拗な持続低音としてひびき続けてきた思惟様式」と説いた。 〈次回へ〉

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*余談

2025年01月02日 | 捨て猫の独り言

 20年前のエッセイ集の中にノンフィクション作家の星野博美の、なぞなぞで始まるものがあった。X子はY男を「パパ」と呼びます~Y男はX子を「ママ」~X子はZ子を「おばあちゃん」~Z子はX子を「ママ」~Y男はZ子を「ばあさん」~Z子はY男を「にいちゃん」と呼びます。さて3人はどんな関係でしょうか?

 星野は「日本の家庭ではしばしばその家族の最年少者の各メンバーを呼ぶ名称が、その家庭内で流通する共通呼称となる」という法則を発見した。例えば長男に弟ができて次男坊が長男を「にいちゃん」と呼んだために家族の皆が長男を「にいちゃん」と呼ぶようになる。Z子はY男の母だったが正解だ。なぞなぞでは最年少者は星野だったため、星野が家族を呼ぶ名称が採用されることになった。

 星野はつぎの「視線の原点が構成員の最年少者にあるということは、家族の構成が変化するに従って呼称が変化する」という法則も発見した。例えば子供ができると私は「おとうさん」になり、孫ができると「おじいさん」になる。余談の余談だが「桃太郎」の老夫婦には子ども孫はいなかったのだから、互いを「おじいさん」「おばあさん」と呼ぶのは不自然ではないか。

  

 星野には、母の「しろ」とその娘の「ゆき」という2匹の飼い猫がいた。ある日気づいてみたら星野がしろのことを「おかあさん」と呼んでいた。まったくの日本語的感覚で最年少者であるゆきの視線に同化してしまったのだ。猫を「おかあさん」と呼ぶ。私は猫の腹から生まれたのか?どうしてこの呪縛から逃れられないのだろうという嘆きがオチだった。

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*木造高層ビル

2024年12月30日 | 捨て猫の独り言

 「木で造るこんな楽しいことはない」という全面広告(12月18日)には驚かされた。国内最大・最高層の木造賃貸オフィスビルが2026年度竣工(完成)予定という。場所は日本橋本町1丁目3番地だ。三井不動産が推進するプロジェクトで竹中工務店が設計・施工する。地上18階建て高さ84mという。近々現場を見学に行きたくなった。

  

 木造建築といえば高さ55mの東寺の五重塔が思い浮かぶ。近代のビルなら鉄筋コンクリート造りというのが常識だろう。しかし木造の高層ビルが少しずつ増え始めているというのだ。調べると横浜市の「Port Plus 大林組横浜研修所」は地上11階建て高さ44mの木造建築だ。竹中工務店は江東区の「プラッツウッズ木場」という地上12階の「鉄筋コンクリート造+木造」の実績がある。

 世界各地で、鉄骨造と木造のハイブリッド構造の高層ビルが続々と出現しているという。たとえば大林組はオーストラリアのシドニーに39階建て高さ182mの「アトラシアン・セントラル」の建設を受注して、2026年の竣工予定という。日本の戦後まもなく植林された人工林が伐採適齢期を迎えて本格的な利用期を迎えていることも流行の要因とみられる。

 「日本橋に森をつくる」をコンセプトにした今回のプロジェクトにはビル屋上に設置されたエアコンの室外機の周辺をサツマイモで緑化する「室外機芋緑化システム」なるものが設置されるという。光合成による気化熱で涼しくし、葉で覆い日陰にすればそれだけ吸い込む空気の温度は低くなる。芋苗を袋の中で育て7月酷暑の頃に葉が広がり、10月に葉が枯れてそれが収穫のサインだ。なんとも楽しい計画だ。

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*パパママ卒業

2024年12月23日 | 捨て猫の独り言

 大人になっても親のことを「パパママ」と呼び続けている自分はこのままでいいのだろうかーーー。そんな悩みを抱えた男子大学生が映画「パパママ卒業」を制作したという記事を読んだ。友人たちは反抗期を迎えた頃から「お父さんお母さん」に変った。だが自分は変えるタイミングを逃し、大学生の今でも「パパママ」と呼ぶ。そもそも呼び方を変える必要があるのか。

 インタビューでは、いつどんなきっかけで変えたのかも尋ねた。「パパママ」を卒業することは大人になるための「儀式」といえるかもしれない。しかし中には今も「パパママ」と呼ぶ人もいる。女子学生は「パパママ」呼びが続いている人が多いことにも気づいた。映画を撮り終えた今の結論は「属人的なもの(人による)かもしれない」に落ち着いた。

  

 いつから日本人はパパママと両親のことを呼ぶようになったのか。明治後半には洋行帰りの家庭で使われ、大正の初め頃に高浜虚子の「パパママ反対論」に対し、与謝野晶子が「日本は文字も法律も外国から移植した。ことさら忌む理由もない」と反論、ちょっとした論争になった。昭和の初めには「その呼称は父母への尊敬を失わせる」と禁止を訴える文相がいた。

 余談になるが我が家では、子どもたちの前では妻をお母さんと呼び、妻は私をお父さんと呼んだ。しかし子供たちが独立して家を出るとおかしな事態が発生する。自分の母親ではないのに私が妻をお母さんと呼ぶのは抵抗がある。そこで私は妻を〇〇子さんと呼ぶことにした。しかし妻は相変わらず私のことをお父さんと呼ぶ。これもまた人それぞれか。沖縄では祖父母をおじい、おばあと呼ぶ。父母の呼び方はファーストネームの呼び捨てが普通という。このありようはなかなかいいのではないか。

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