松元ヒロについて注目するようになったのは、タウン誌の映画紹介欄を見てからである。<映画「テレビで会えない芸人」は松元の故郷・鹿児島のテレビ局員らが、その芸と舞台裏に密着したドキュメンタリー。「松元がテレビから去った理由」と「テレビが松元を手放した理由」について迫っている>とあった。そして1月29日(土)から、ポレポレ東中野ほかで全国順次公開とある。
「松元ヒロ」は「綾小路きみまろ」と同じ鹿児島県の出身である。さらに週刊金曜日に隔週で「写日記」なるものを連載中である。これまで読み飛ばしていたコーナーだったので遡って読んでみた。それによると私の勝手な推測だが、焼酎よりも日本酒を好む愛妻家のようだ。小平市の隣の西東京市に住んでいると思われる。
本名は松元広人で1952年生まれ。鹿児島実業の高校2年生のとき全国高校駅伝でアンカーとして7区を走り4人を抜き4位でゴールし区間賞を獲得。その後法政大学法学部を卒業。1952年生まれの元総長・田中優子(文学部)や辺野古の山城博治(社会学部)、1950年生まれの沖縄県知事だった翁長雄志(法学部)の諸氏はいずれも法政大学の卒業生である。(1月28日 小金井公園にて)
高校大学では駅伝選手であったが大学時代アフロヘアで選手活動を続けたため先輩部員の怒りを買い退部に追い込まれる。「自由な表現活動をしたい」と思うようになり卒業後パントマイマーとして全国巡業。その後、時代社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」のメンバーとしてテレビ番組に出演していたが1998年に独立。テレビを離れ活躍の場を舞台に移すことになった。