玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*相撲はスポーツか

2022年05月30日 | 捨て猫の独り言

 大相撲夏場所が終わった。7度目の優勝を果たした照ノ富士は土俵下の優勝インタビューで「やっと終わったな、っていう感じ」と本音を漏らした。おらが郷土の西前頭13枚目の明生は14日目にやっと勝ち越しを決めて8勝7敗に終わった。どの力士にとっても勝ち越で場所を終えることだけでも大変なことだと思う。

 番付を下げた明生の今場所は「大勝ちして優勝をかっさらうんじゃないかという人もいましたね」と北の富士(80歳)さんは明生が前半3連敗した頃に解説していた。明生に対する北の富士さんの評価は「コツコツ努力するタイプ」とそれほど高くはない。明生は番付運にも恵まれて関脇まで昇進した。(センダンの木)

 

 両者とも故人だが丸谷才一と山崎正和の1986年の対談 「藝能としての相撲」を読んだ。「暴飲暴食をしてぐんぐん太るなんて肉体まで様式化してしまう藝というのは他にはちょっとない」「相撲をやめた後の相撲取りというのは憐れな感じがする。たいていの人は声帯までつぶしていますよね」「バレリーナも声がつぶれるんです。肉体を極端に酷使すると咽喉をやられるんです」

「例外はいます。今の九重親方、もとの北の富士ですが、なかなかハイカラな紳士でね、ものの言い方も知的だし、眼鏡も洋服もよく似合う」「日本文化はスポーツの乏しい文化だった。相撲はめずらしい例外であって、しかも相撲には半分以上神事的な性格が入っている」「しこ名に実名をなぜつけたがるかというと、自分はスポーツマンだという意識だと思う。いま気に入っている寺尾は〈桜島〉という名前にしてくれ思っているんだけれど(笑)」

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*沖縄復帰50年

2022年05月26日 | 捨て猫の独り言

 この5月15日で沖縄復帰50年だった。マスコミもこのことをめぐって連日大きく取り上げていた。それはそれで意味あることだと思うが、沖縄の現地では、非暴力の新基地反対運動を連日続けている人たちがいる。1秒でも1分でも土砂の投入を遅らせようとトラックの前に立つ。諦めたらそれで終わりという思いだ。

 日本政府は本当に基地が完成できると思っているのだろうか。工期は大幅に遅れ、さらに軟弱地盤問題が解決できるのかどうかの見通しさえ明らかにしない。責任の所在は、民意を裏切る形で埋め立てを承認した仲井真元知事か、強権で民意を無視し続ける安倍元首相をはじめとする歴代首相か。この国には責任をとろうとする政治家は誰一人としていないようだ。(ヤマボウシとお地蔵さん)

 

 本土と沖縄の意識のギャップを確認するために、目取真俊氏のブログ(5月9日)をつぎに紹介したい。

 『大浦湾側の埋め立て工事ができたとして、完成まで15年はかかる、という。はたして、15年後に東アジアの状況はどうなっているだろうか。政治・経済・軍事など多方面で日本は中国に差をつけられ、戦争の形態も大きく変わっているだろう。辺野古の新基地はいまだ完成せず、米軍は普天間基地を使い続けている。結局、金と時間と労力を無駄にして、「移設」は進まなかった。そういうバカげた将来が目に浮かぶ。

 敵基地攻撃だの反撃だのと能書き垂れているが、日本の周辺にある中国、北朝鮮、ロシアは核保有国だ。そこにミサイルを撃ち込んだらどうなると思っているのか。自分が住んでいる地域や、日本各地にある原発には相手国のミサイルが飛んでこないと思っているのか。戦場になるのは沖縄で、日本「本土」は大丈夫、とでも思っているのか』

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*みなとみらい

2022年05月23日 | 捨て猫の独り言

 長男家族から一泊旅行の招待があった。ホテルは横浜の「みなとみらい」エリアにあるという。いつか訪ねてみたいと思ったことのある場所だったのでその日が待ち遠しかった。土曜の午前に出て翌日のお昼頃に帰宅することにした。このところ雨の日が続いていてやきもきしていたが両日とも傘なしで散策できた。旅には良いお天気こそ最高の贈り物になる。

 桜木町駅の南口に観光案内所があった。下調べの地図と案内所の地図と二つを手にして出発だ。運河の中の「汽車道」を行くと、これに沿うようにしてロープウェイのゴンドラが中空に浮んでいた。開業したばかりでロープウェイはどちらの地図にも記載されていない。「みなとみらい」を一望できるという「万国橋」で撮影したあと、海の方へ向かうとなにやら交通規制が行われていた。トライアスロンの自転車競技の最中だった。

 

 規制線に沿って行くと「赤レンガ倉庫」に出た。山下公園からここまでは何度か歩いたことがある。「大桟橋」に大型客船「飛鳥2」が停泊しているのが見えた。海沿いのオープンモール「マリン・アンド・ウォーク」赤煉瓦の壁面に絵を描いたりして遊び心満点だ。「新港埠頭」に2019年に出来たという客船ターミナル施設「ハンマーヘッド」に入って2階をぐるり見て回る。3階から5階が宿泊施設のようだ。つぎの「パシフィコ横浜」は国際会議などのイベント会場がつらなる巨大施設だった。

 

 大観覧車の夜景を楽しんだ翌朝は長男家族と別れて、「臨港パーク」のベンチからしばらく遠くの「ベイブリッジ」を眺めていた。週末とあって「みなとみらい」のあちこちでイベントが開催されている。さくら通りから「クインズスクエア」の建物に入る。駅近くの「ランドマークタワー」までのいくつもあるビルの中を歩道が何層にもなって吹き抜けの中を貫通している。不思議な空間感覚に襲われた。そこを抜けると「帆船日本丸」が見えてきた。帆立作業が行われていて注目を集めていた。横浜市の人口は372万という。ベイエリアを中心にさらに膨張を続けてゆくのだろう。

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*人間の天敵は?

2022年05月19日 | 捨て猫の独り言

 プーチン政権がウクライナに侵攻した2月24日から3か月ちかく経とうとしている。長期化することはあるまいと、私は当初思っていたが甘い考えだった。日常の中で、ウクライナの戦場の映像がくりかえし映し出されてそれに慣れてゆく。「武力には武力」という思考こそが絵空事ではないかと思った。

 ロシアの今回の侵攻によって、第2次世界大戦の反省のもとに生まれた国連が機能していないことを思い知らされることになった。国連憲章と日本国憲法にある共通の理念が危機に直面している。国連改革に向けて日本政府は積極的に働きかける絶好の機会と思うのだが、残念ながら現状は大きな期待は持てそうにない。(国宝・福島県勝常寺、大阪府葛井寺)

 

 私が参加する公民館の「碁苦楽会」の重鎮である岸本英雄氏(84歳)が3冊目のエッセイ「神様の仕業」をこの4月に出版した。宇宙その中に浮ぶ地球の考察から始まる。そして地球上の生きものには天敵が存在する。万物の霊長である人間の天敵は「戦争、殺人、病気」と悟りましたと述べている。

 本の前半では地球そして宇宙の謎が追求される。「地球の地軸の傾斜角が23度30分傾いているのはなぜ」「なぜ地球にだけほとんど全ての元素が存在しているのだろう」などの提示がある。『天文学者が「我々は謎の世界に存在しているのです」とそのことを正直に言ってもらいたいのですが、彼らはなかなかそれを言いません。いずれ見つけると思っているのでしょう』との言及はいかにも岸本さんらしいと思った。  

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*納豆について知る

2022年05月16日 | 捨て猫の独り言

 4月半ばから、どうしたはずみか朝食をパンからご飯に変えた。そして毎朝納豆を食べることにして、スーパーでタレ・カラシ付きでない納豆を探した。よく利用するCOOPですぐに見つけることができた。当然価格も安い。これは甲子園の近くに住む同窓生の示唆による。そしてこの機会にネットで納豆について調べた。

 まず納豆は要冷蔵食品であり、常温に置いておくと風味が変わる。一般的に賞味期限は冷蔵保存で一週間だが、パック状態のまま保存袋に入れて冷凍庫に入れると一月は大丈夫という。ひきわり納豆は皮が取り除かれているため柔らかく旨味が際立っている。粒納豆はよくかみ砕いて食べると良い。COOPのタレなしは粒納豆だった。納豆を入り口に学習は続いた。

 

 炭水化物、たんぱく質、脂肪、ビタミン、ミネラルは五大栄養素と言われる。一方で体組成は水分(62%)タンパク質(16%)脂質(15%)ミネラル(6%)糖質(1%未満)という。食事から摂取する栄養素では炭水化物(糖質+食物繊維)の割合が多いが体組成では糖質がわずか1%未満なのは、糖質がエネルギー源として使われ過剰な分は脂質として蓄えられるからという。

 納豆は植物性タンパク質をもたらす大豆製品の一つである。タンパク質は20種類のアミノ酸の様々な配列によって構成されている。そのうち9種類は体内で合成することができないので食事から摂取しなければならず「必須アミノ酸」と呼ばれる。髪や爪のほかにも筋肉や臓器は日々合成と分解(動的状態)がくりかえされている。プロテインは日本では一般にたんぱく質を摂取するためのサプリメントを指す言葉として使われている。

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*あれこれ下田

2022年05月12日 | 捨て猫の独り言

 黒船が浦賀沖に現れたときの旗艦は「サスケハナ号」で、翌年に下田に入港したときの旗艦は「ポーハタン号」だ。蒸気と風力を用いる「木造」の軍艦である。下田の観光遊覧船の名が「サスケハナ号」になっているのはなぜなのか今でも私を悩ませている。またペリー提督が下田からポーハタン号で持ち帰った「伊豆石」がポトマック河畔の高さ169mの「ワシントン記念塔」の65mのところに埋め込まれているという。

 

 ホテルの露天風呂が色とりどりの巨岩で作られていて感激したが、説明版によると岩はほとんどは全国各地から集められたものという。江戸城の石垣のほとんどが伊豆から運ばれたと聞いていたので意外な気がした。また下田公園の中腹には広場があり、そこには開港100周年を記念して「開国広場」が1953年に造られている。毎年5月の黒船際にはここで式典が催されるという。

 

 ジミー・カーター39代米国大統領は、1979年の東京サミットで来日中に家族と一緒に下田を訪れている。氏は海兵学校を卒業し潜水艦に勤務し海軍中尉で退役、その後ジョージア州知事を経て大統領となった。下田では玉泉寺に眠る海軍将校の墓地参拝が主たる目的だったのだろう。また下田公園の開国広場近くに記念のレリーフが設置されていた。現在は97歳の長寿である。私の娘が住むアトランタで、カーター記念館を訪れたことが思い出された。

 私は「唐人お吉」という物語を耳にしたことはあれ、その内容は知らない。たしかに下田のひと「きち」は実在していて、ハリスが滞在する玉泉寺に籠で出向くが3日後に返され、のちに解雇される。玉泉寺は「唐人お吉」は完全なフィックションであるという見解である。なおハリスは生涯独身だった。しかしながらハリス記念館にはお吉とハリスの等身大の人形が大々的に展示されていた。大人の対応である。 

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*庭のフキとミョウガ

2022年05月09日 | 捨て猫の独り言

 大地は恵みをもたらす。ここに越してくる前からあった庭のツゲの生垣は、ところどころ枯れるようになった。枯れた枝は切り取るからところどころ隙間ができてくる。通行人がよく見えるようになった。だいぶ前まではかなり繁っていて、スズメバチが巣を造りあわてて駆除を頼んだこともあった。

 いまの庭は阪神淡路・地下鉄サリンの1955年に家を新築した際、近くに住む庭師さんにすべてお任せして出来た。ウメ、カキのほかにマツ、ハナミズキ、サルスベリ、クロガネモチなどが植えられた。その中でウメはアブラムシにとりつかれたり、誤った剪定などで急速に劣化が進行して昔の面影はない。かつては梅酒を作るほど実をつけたり、ハトが巣作りをしたこともあった。

 

 庭に自生するフキは早春に蕗の薹の天婦羅の恵みをもたらす。そしてフキは木々が新緑になる今頃は冬枯れの無残な庭の景色を一変させる。地下茎から多くの葉柄を立てて、大きな丸い葉で庭を緑一色に染めてしまう。葉柄を熱湯で下茹でしてアクを抜き、表面のスジを取り煮物や佃煮としていただく。冬に花が咲くツワブキも庭にあるが、これを食用にすることはない。

 せまい裏庭に自生しているのはミョウガである。素麺の薬味や天ぷらや酢の物にしていただく。フキもミョウガも放置していても季節になると恵みをもたらしてくれるからこんなありがたいことはない。サンショウの木からは料理に添える若葉「木の芽」がとれる。カキの木の芽吹きの頃の若葉は何ともいえぬ鮮やかな色で目を楽しませてくれる。高くて収穫には難儀するが、秋には少ないながらも実をつける。キンカンは小さな実ばかりでもっぱら小鳥のえさとなっている。

 

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*卯の花の季節

2022年05月05日 | 玉川上水の四季

 5月5日は二十四節気の立夏。「卯の花~匂う垣根に 時鳥 早も来 鳴きて」の唱歌「夏は来ぬ」を私は、卯の花やホトトギスがどんな姿をしているのか知らずに口ずさんでいた。私が卯の花を認識できたのは、驚くべきことに玉川上水のあたりに移り住んでからのような気がする。

 5月1日の散歩は、東へ小金井公園まで往復し15500歩だった。この時期の玉川上水はマルバウツギの白い花が盛りである。旧暦の卯月(4月)に咲き、古くから初夏のシンボルとされてきた。中空の枝をもつ植物は神との絆が強いとされ「○○ウツギ」と名のついたものがやたら出来たという。(ミズヒキ、ミズキ、キンラン)

 

 庭にあるヒメウツギはアジサイ科、箱根ウツギはスイカズラ科という。ヒメはもう散り始めた。ハコネは6月にかけて、漏斗状の花を咲かせ白い花が次第に赤い花へと変化する。枝がよく生い茂るので、わが家では花の咲く前に無残にも剪定する。久しく花を見ていない。そこでハコネを見たくなった時は近くの農家の畑地に出向くことになる。

 「桜橋」は西武多摩湖線と玉川上水が交差する地点にある。その下流左岸に「桜橋バタフライガーデン」なるものが出現していた。ここで自生野草保護観察ゾーンに蝶の食草を育てるという取り組みが始まったようだ。説明会を開いて参加者を募集するという。小平市の「観光まちづくり協会」主催である。その告知板のメンバーの写真の右端に鈴木忠司さんの姿があった。

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*下田のまち

2022年05月02日 | 捨て猫の独り言

 2日目は昨日と違っていいお天気だ。あさ5時ごろに水平線の彼方に朝日が昇った。見届けて露天風呂へ急ぐ。ホテルの6階からすぐ真下には伊豆白浜の海岸が続いていた。サーフボードで波乗りに興じる若者の姿がある。寄せては返す波に地球の律動を感じる。30分おきに出る無料送迎バスは下田駅に10分で着く。

 幼い頃過ごしたのが港町だった。下田はキンメダイ漁などが盛んで、港には数多く小型漁船が係留されていたが、なぜか滞在中に潮の香りや生臭いにおいを感じなかった。気象条件のせいなのか、いまだにいぶかしい思いがしている。まず駅を出て寺社の建ち並ぶ山手の大通りを歩いて、一番奥にある「了仙寺」を目指した。日米下田条約の調印式の行われた寺である。(白浜大浜海水浴場と了仙寺山門)

 

 その隣には日露和親条約の調印が行われた「長楽寺」があった。北方四島は日本領という国境が定まった条約である。その昔ペリー提督が歩いた港までの道筋はわずか約400mしかないが、いま石畳とガス燈が雰囲気の良い空間を作り「ペリーロード」と名付けられて人気の通りになっている。

 この通りの突き当りの「まち遺産」に登録されている「旧澤村邸」で一休みした。「伊豆石」の土台に「なまこ壁」という様式の建物だ。下田は山手の寺社通りと岸壁通りの区間を、通りが碁盤の目になるように町造りをしていると感じた。海を背にして了仙寺の方を眺めるペリーの胸像がある上陸記念碑のつぎは、この日最後の下田公園を訪ねた。かつて秀吉と戦った北条氏の山城のあった小高い丘にあり、そこからは下田港が一望できる。

 

 

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